初めにおことわり。この記事は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のネタバレが満載です。この小説を未読でかつ読みたいと思われる方は、できればこの記事を読まないで下さい。よろしくお願いします。
前回更新した下記記事を書いたことをきっかけに、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を7年ぶりに再読した。
kj-books-and-music.hatenablog.com
下記は版元である新潮社の『ねじまき鳥クロニクル』の作品紹介。
7年前に『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ時、ブログに何か書いたかと思って調べてみたら、書こうと思って書かなかったことがわかった。下記記事で少しだけ触れていた。
私は従来村上春樹の熱心な読者ではなかったが、つい最近あるきっかけがあって、上記の寄稿文で村上春樹が言及している村上自身の小説『ねじまき鳥クロニクル』(1994〜95年)を読んだばかりだった。中国の書店から一時姿を消したという『1Q84』は未読だが、『ねじまき鳥』はおそらく『1Q84』の先駆的作品だろうと思う。『ねじまき鳥』を読む前後に、これまでほとんど知らなかったノモンハン戦争(1939年)への関心を喚起され、ノモンハン戦争関係の本を読みもした。当ダイアリーではこれまで触れなかったが、そのうちこれらについての記事を書くかもしれない。
『1Q84』は現在に至るまで未読だが(この小説が一時あまりにも騒がれたことへの反感めいたものがあって、なかなか読もうという記が起きなかった)、今回『騎士団長殺し』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』を再読して、このあと村上の作品を二、三読んだあと読もうかという気が起きつつある。
それくらい『ねじまき鳥クロニクル』は面白かった。7年前に読んだ時にも、それまで村上を敬遠するきっかけになっていた初期作品『風の音を聴け』『1973年のピンボール』とは段違いの面白さに目を見張ったが、翌年読んだ『ノルウェイの森』とはやはり相性が悪く、その後村上作品にはあまり食指が動かなかったのだった。しかし今回は、7年前よりさらにずっと面白く『ねじまき鳥クロニクル』が読めたので、遅まきながら未読の8長篇*1も順次読んでみようという気になった。ただ、村上の初期作品とは相性が悪そうなので後回しにすることになるだろう。
『ねじまき鳥クロニクル』は『騎士団長殺し』よりずっと面白かった。何よりこの小説の重層的な構造は、読者の頭を使わせる。しかし『騎士団長殺し』も決して悪くない。今回、『騎士団長』を読んだから『ねじまき鳥』がより理解できたし、その逆もあった。村上春樹の愛読者たちには「今さら何を」と馬鹿にされそうだが、両作の間には、単に音楽の使い方にとどまらない密接な関連がある。
さらに、いたって今日的だと思ったのは、『ねじまき鳥』で村上が歴史認識を小説に盛り込んだことだ。『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(新潮文庫=未読)で村上は河合隼雄に下記のように語ったらしい。ネット検索で見つけた下記記事から孫引きする。
村上:ぼくが思ったのは、日本における個人を追求していくと、歴史に行くしかないんじゃないかという気がするのです、うまく言えないんだけど。
また、村上は同じ対談本で、ノモンハン事件(実質的にはノモンハン戦争)にも言及している。
村上:いわゆる「ノモンハン事件」について、日本の人々はその当時多くを知らされませんでした。そしてその結果、今でも多くの人はそれについての知識をほとんど持っていません。それがどれくらい意味のない、残酷で血なまぐさい戦闘だったかを知って、僕はずいぶん驚きました。
僕はこの小説を書き終えたあとで、実際に満州地方とモンゴルに行きました。ちょっと変なものですよね。普通の人は本を書く前に、リサーチのために現地に行く。でも僕は逆のことをやったわけです。想像力というのは、僕にとってもっとも重要な資質です。実際にそこに行くことで、想像力をスポイルしたくなかった。
村上は上記の満州・モンゴル行きについて紀行文を書き、それは『辺境・近境』(新潮文庫)に収められている。
この本には、1997年に阪神大震災(1995)後の神戸を訪れた文章が載っていたので、前年の1996年にかつて育った神戸市東部を含む阪神間を歩いたことのある私はこの本*2を買い求め、それが『ねじまき鳥クロニクル』を読むきっかけになったのだった。『辺境・近境』を読んだのは2012年8月30日から9月1日にかけてで、うち最初の2日間には福島県(猪苗代湖)を旅していた。満州・モンゴル行きの文章は、確か磐越西線の車内で読んだような記憶があるが、そうではなく東京に帰ってきてから読んだのかもしれない。『ねじまき鳥クロニクル』はそのほぼ1週間後の同年9月7日から11日間かけて読んだ。その1か月後(同年10月7〜8日)に孫崎享の稀代のトンデモ本『戦後史の正体』(創元社)を読んで激怒し、それ以降先の戦争に関する本を多く読むようになった。
つまり、『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ頃にはまだ先の戦争に関する私の認識はごく浅かった。坂野潤治の『日本近代史』(ちくま新書)を同じ2012年の9月25日から12日間かけて読んだが、孫崎のトンデモ本は坂野本の直後に読んだからこそそのデタラメぶりがよく理解できたのであって、坂野本を読んでいなかったとしても孫崎のペテンには引っかかりはしなかっただろうとは思うけれども、孫崎のトンデモ本に反駁する十分なロジックを組み立てることはできなかったかもしれない。
坂野本を読む前の私は、陸軍に入れ知恵された鳩山一郎*3が1930年の帝国議会で、同じ政友会衆院議員の森恪を介して北一輝に吹き込まれたとおぼしき「統帥権干犯」を振りかざして濱口雄幸・民政党政権を攻撃したことさえ知らなかった。ノモンハン事件(戦争)についても、『ねじまき鳥クロニクル』と並行して読んだ田中克彦の『ノモンハン戦争 - モンゴルと満洲国』(岩波新書)を読んで知識を仕入れたのであって、『ねじまき鳥』を読む前にはほとんど何も知らなかったのだった。
7年前にモンゴル民族の立場に立って書かれた田中克彦本を併読しながら『ねじまき鳥クロニクル』を読んだため、小説に出てくる、モンゴル人兵士が日本兵の捕虜に対して生きたまま皮を剥いで殺すという描き方に問題を感じたものだが(その感想は今も変わらない)*4、『ねじまき鳥』を再読すると、前記の難点を除けば村上の歴史認識はしっかりしており、それどころか日本軍が兵站を軽視した点を鋭く突いている。後者はちょっとした驚きで、『ねじまき鳥』第3部には下記の文章が唐突に出てくる。
(前略)いずれにせよ当時の帝国陸軍の将官で、石原*5ほど兵站問題に強い関心を持ち、また造詣の深い人物はいなかった。たいていの軍人は兵站そのものを「女々しい」発想として捉え、たとえ整備は足りずとも身を捨てて果敢に戦うことが陛下の軍人の道であり、貧弱な装備と少ない人員で強力な相手に向かい、戦果をおさめることが真の武勲であると考えていた。「兵站の追いつかないほどの速さで」敵を駆逐して前進するのが名誉と見做されていた。優秀なテクノクラートである綿谷ノボルの伯父からすれば、そんな馬鹿げた考えはない。兵站の裏付けなしに長期的な戦争を始めるのは自殺行為に等しい。
(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第3部, 新潮文庫版335頁)
赤字ボールド部分は、先の戦争における日本軍の根本的な大問題、つまり兵站の軽視及(=自国軍兵士の生命の軽視)を突いており、特に「兵站そのものを『女々しい』発想として捉え」という表現が秀逸だと思った。「兵站 女々しい」を検索語にしてネット検索をかけると、上位10件のうち2件が『ねじまき鳥クロニクル』からの引用だ。上位引用文は下記ブログ記事から脱字を補って不要な空白を削るなどして孫引きしたが、ブログ主自身は『ねじまき鳥クロニクル』を全く理解できなかったようだ。
引用文中にある綿谷ノボルというのが小説に登場する悪役で、「根源的な悪」を象徴する人物として描かれているが、その点は後回しにして、ノモンハン事件についての小説の記述にひとまず戻る。
小説の第1部で主人公の岡田トオル(亨)は、のちに小説の第2部の初めで失踪する妻のクミコ(久美子)とともに本田老人からノモンハンの話を聞く。
でも僕らは、少なくとも僕は、本田さんの話を聞くのが好きだった。(略)彼らは半世紀近く前*6に満州と外蒙古との国境地帯で、草もまともに生えていないような一片の荒野をめぐって熾烈な戦闘を繰り広げたのだ。(略)彼らはほとんど徒手空拳で優秀なソ連の機械化部隊に挑みかかり、押しつぶされたのだ。いくつもの部隊が壊滅し、全滅した。全滅を避けるために独断で後方に移動した指揮官は、上官によって自殺を強制されて空しく死んでいった。ソ連軍の捕虜になった兵士の多くは、敵前逃亡罪に問われることを恐れて戦後の捕虜交換に応ぜず、モンゴルの地に骨を埋めることになった。そして本田さんは聴覚を損なって除隊になり、こうして占い師になったのだ。
「でも結果的にはそれがよかったのかもしらん」と本田さんは言った。「もしわしが耳に負傷をせなんだら、たぶんわしは南方の島に送られて死んでいたことだろう。事実ノモンハンで生き残った兵隊たちの多くは、南方にやられて死んだんだ。ノモンハンは帝国陸軍にとっては生き恥を晒したような戦じゃったし、そこで生き残った兵隊はみんな、いちばん激しい戦場に送られることになったからな。まるでそれはあっちに行って死んでこいというようなものじゃった。ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀たちは、あとになって中央で出世した。奴らのあるものは、戦後になって政治家にまでなった。しかしその下で命をかけて戦ったものたちは、ほとんどみんな圧殺されてしもうた」
(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第1部, 新潮文庫版116-118頁)
赤字ボールド部分から連想されるのは、またしても辻政信だ。独断で後方に移動した指揮官に自決を強要したのは辻政信だったし、のちに辻は中央で出世したし、何より戦後になって政治家にまでなった「ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀」は辻政信しかいない。辻政信は半藤一利に「絶対悪」と評された人間だ。
村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』で初めて「暴力や根源的な悪」を描こうとしたと評されているようだし、村上本人もそれを認めている。小説中でその「根源的な悪」を表しているのが、小説の最後の方でクミコに息の根を止められる前述の綿谷ノボル(昇)だが、どうやら村上は綿谷ノボルを辻政信と重ね合わせているらしいと指摘したのが下記のブログだ。但しその指摘はコメント欄においてなされ、かつ辻政信の実名を出すことは避けられているのだが。
上記リンクのブログ記事のコメント欄よりブログ主自身のコメントを引用する。
ノモンハン事件がなぜ出て来るかというと、村上春樹氏にとって、この事件が人間の愚行の象徴であり、またこの事件には「絶対的な悪」としか言いようのない実在の人物が存在するからです。(作者自身が直接言及していないので、私も名前を言及するのは避けますが。)
ノモンハン事件について、私が読んだのは半藤一利『ノモンハンの夏』(文春文庫)です。文庫本で一冊にまとまっていますので、読みやすいかと思います。
私は半藤一利の『ノモンハンの夏』は未読だ。代わりに田中克彦の『ノモンハン戦争』を読んだことは既に書いた。半藤一利は、これも既に書いた通り辻政信を「絶対悪」と評していることは周知だし(田中克彦も辻政信を筆鋒鋭く罵倒している)、村上春樹が実名を出さずとも辻政信以外を指すことはあり得ない文章(戦後政治家になったというくだりなど)を書いていることから、ブログ主が言及を避けた人間が辻政信であることは100%間違いない。
私は今回『ねじまき鳥クロニクル』を再読してもなお、綿谷ノボルに対して実妹のクミコが全くの無力で、岡田トオルが自らを救い出そうとしていることを知り、かつ綿谷が意識不明になって生命維持装置をつけた状態になって初めて綿谷の生命維持装置を止める、つまり綿谷を殺すことを決意するという心の動きが理解できなかった。
しかしネット検索によって、村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』で「根源的な悪」を描こうとしたことを知って、そのような結末になった理由がわかった。
ところで綿谷ノボルは保守党(自民党に相当するのだろう)の衆院議員として描かれている伯父の跡を継いだ綿谷は、直接の世襲ではないがそれに準じる人間だ。一方で綿谷は政治家になる前は経済学者だった。私が今回綿谷ノボルから連想したのは、小泉進次郎(あるいは純一郎)と竹中平蔵を掛け合わせたような人間だな、ということだ。
その綿谷ノボルを村上春樹は辻政信と重ね合わせているらしい。ということは、前記の小泉進次郎(純一郎)や竹中平蔵に加えて、自民党の政治家、特に政権中枢にある何人かの人間は、綿谷ノボル、ひいては辻政信と重ね合わされるべき人々であると解される。特に安倍晋三は綿谷ノボルと重ね合わされなければならない。
事実、『間借り人の映画日誌』というサイトにある2016年の文章に綿谷を安倍晋三と重ね合わせている文章があった。以下引用する。
(前略)語り手の「僕(岡田亨)」がクミコと結婚して間もない頃に聞いた義父の言葉である「人間はそもそも平等なんかに作られてはいない、…人間が平等であるというのは、学校で建前として教えられるだけのことであって、そんなものはただの寝言だ。日本という国は構造的には民主国家ではあるけれども、同時にそれは熾烈な弱肉強食の階級社会であり、エリートにならなければ、この国で生きている意味などほとんど何もない。ただただひきうすの中でゆっくりとすりつぶされていくだけだ。だから人は一段でも上の梯子に上ろうとする。それはきわめて健全な欲望なのだ。人々がもしその欲望をなくしてしまったなら、この国は滅びるしかないだろう」(第一部 P133~P134)や彼が義母に対して感じていた「自分の価値観というものを持たないから、他人の尺度や視点を借りてこないことには自分の立っている位置がうまくつかめないのだ。その頭脳を支配しているのは「自分が他人の目にどのように映るか」という、ただそれだけなのだ。そのようにして、彼女は夫の…地位と、息子の学歴だけしか目に入らない狭量で神経質な女になった。そしてその狭い視野に入ってこないものは、彼女にとっては何の意味も持たないものになってしまった。彼女は息子に対して、最も有名な高校に行って、最も有名な大学に行くことを要求した。息子が一人の人間としてどのような幸せな少年時代を送り、その過程でどのような人生観を身につけていくかというようなことは、想像力の遥か枠外にあった。」(P134~P135)というものは、何も彼らにだけ特別なことではなく、本作が刊行された二十余年前以上に浸透してきて、“勝ち組・負け組”だとかいう下品な言葉が人口に膾炙し始めて久しい今や、我が国の社会において代表的にもなっている“価値観”のような気がした。
だから岡田が、「僕はこれから長いあいだこの“世間”で、このような人間たちと同じ空気を吸って生きていかなくてはならないのだろうなと、僕はそのときに思った。これがその第一歩なのだ。そして何度も何度もこういうことが繰り返されるのだろう。そう思うと体の芯に激しい疲労のようなものを感じた。それは恐ろしいほどに浅薄で、一面的で傲慢な哲学だった。この社会を本当の根幹で支えている名もなき人々に対する視点を欠いていたし、人間の内面性や、人生の意義といったものに対する省察を欠いていた。想像力を欠き、懐疑というものを欠いていた。でもこの男は心の底から自分が正しいと信じているし、何物をもってしても、この男の信念を動かすことはできないのだ。」(P134)との無力感と閉塞感も、二十余年前より遥かに浸透してきている気がしてならなかった。
(中略)
さらに、闇の中で岡田がクミコに語った“いくつもの思いつきをひとつに繋げたもの”だという「綿谷ノボルは、どうしてか理由はわからないけれど、ある段階で何かのきっかけでその暴力的な能力を飛躍的に強めた。テレビやいろんなメディアを通して、その拡大された力を広く社会に向けることができるようになった。そして彼は今その力を使って、不特定多数の人々が暗闇の中に無意識に隠しているものを、外に引き出そうとしている。それは本当に危険なことだ。彼の引きずりだすものは、暴力と血に宿命的にまみれている。そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇にまでまっすぐ結びついている。それは多くの人々を結果的に損ない、失わせるものだ」(P441~P442)の示す人物像が、二十余年前に“予言する鳥”がもたらしていた現首相の姿に思えて仕方がなかった。
実は小説の終わり近くのクライマックスに、安倍晋三によるメディア支配を連想せずにはいられない場面が出てくる。それは「壁抜け」をした主人公(岡田トオル)が「テレビの言うことしか信じない」群衆に睨まれて追いかけ回されるくだりだ。既に引用したブログの別のエントリから引用する。
「顔のない男」は無意識における主人公の人格です。ロビーの人間は「ワタヤノボル」の味方です。彼らはテレビの言うことしか信じません。そのため主人公の敵であり脅威となります。無意識世界においては「顔のない男=彼自身の無意識」しか味方はいないのです。
小説では、ロビーに置いてあるテレビで、綿谷がバットを持った男に襲撃されて頭蓋骨陥没の重症を負って意識不明であるとNHKニュースが伝える。目撃された犯人の風体は岡田とそっくりであり、岡田はバットを手にしている。ロビーにいた人たちは、綿谷を襲撃した犯人を見つけたとばかり岡田を追いかけるのだ。
村上春樹の原文に当たると、村上は、「彼らはテレビの言うことをそのまま信じているのだ。」(新潮文庫版第3部519頁)とわざわざゴシック体で強調している。
テレビの視聴者が「テレビの言うことをそのまま信じる」のは何も今に始まったことではないが、為政者がテレビ放送の内容に介入し、自分の都合の良い報道ばかりをさせる行動を露骨にとり続けたことに関しては、近年の総理大臣では安倍晋三が突出して目立っている。村上は「NHK」と局名を明記しているのだが、NHKの解説委員・岩田明子がいかに破廉恥な安倍の宣伝を繰り広げているかについてはすでに多くの人が知っている。しかし一方で岩田の解説を盲信している人たちも少なくあるまい。
『ねじまき鳥クロニクル』は、四半世紀前に今の日本の姿を予言したかのような小説だといえる。
村上春樹がノモンハン事件を取り上げたのはノモンハン事件には「絶対的な悪」(=辻政信)が出てくるからだ、とブログ主がコメント欄で指摘した前述のエントリ本文には、次のように書かれている。
18.暴力、根源的な悪との対決
208号室で主人公が殴り殺したのは、「悪」そのものであって「ワタヤノボル」本人ではありません。「悪」はおそらく「羊をめぐる冒険」の「先生」のように血溜の形でワタヤノボルの頭の中にあったと思われます。主人公が「根源的な悪」を殴り殺すことによって、血溜は破裂し彼は意識不明となります。なぜ、とどめをささなければいけないというと、彼の体から「根源的な悪」が抜け出て次なる宿主にとりつく可能性があるからです。だから息の根を止めなければ、この話は終わりません。
この小説は非常に暴力的な小説であり、「根源的な悪」と対決するには「暴力」を使ってでも倒さなければいけないという決意と覚悟があります。かなり過激な小説だといえます。
ただ、実際にこれを現実世界に当てはめると非常に困難な問題になります。どんな悪人でも殺せば「殺人」になります。悪事を暴いて警察に突き出すのが理想なのでしょうが、「根源的な悪」は巧妙で狡猾であり、なかなかしっぽをださないものです。この小説世界でも、無意識世界で「男」をバットで殴ることによって、ワタヤノボルは意識不明の重体になりますが死んではいません。彼の息の根を止め葬り去るには、クミコが生命維持装置を止めるという現実の「殺人」を行わなければいけませんでした。クミコは逮捕され、刑法上の罰を受けます。
このことは、重い課題として我々にのしかかります。
出典:http://sonhakuhu23.hatenadiary.jp/entry/2013/09/23/074953
確かに重い課題だ。
私は、現安倍晋三政権は既に「根源的な悪」の段階に達していると考えているが、それにもかかわらず、暴力革命で安倍政権を打倒すべきかどうかという問いには「否」と答えざるを得ない。それは、革命思想の中に「権力の暴走を止める」有効な方法が確立されていないからだ。現時点でもっとも有効な権力の暴走を止める手立ては、保守思想の産物である「立憲主義」だろう。これは古い思想だし、日本でも戦前に「立憲」を冠した政党が多数あった。戦後は影を潜めていたが、2017年に「立憲」を冠した政党が久々に現れた。しかしその政党の支持者の間には党首を個人崇拝する傾向がかなり強い。これらは、21世紀になってまでも「立憲」を党名に冠さざるを得ず、かつその党の支持者が立憲主義を全然理解していないようにしか見えないという日本の政治のどうしようもなさを示すものだろう。そして現在の日本がそのような社会であることは、過去の日本の歴史に規定されているのだ。
村上春樹が河合隼雄に言った「日本における個人を追求していくと、歴史に行くしかないんじゃないかという気がする」との言葉は正しい。そのことを私は、ここ数年の安倍政権を反面教師としてようやく悟った。
最後に『ねじまき鳥クロニクル』各3部の副題に使われている音楽について。
前のエントリに書いた仮説のうち、ロッシーニの『泥棒かささぎ』序曲に関する解釈は完全に間違っていた。このことは『ねじまき鳥クロニクル』を読み返してわかった。この能天気な音楽が、「異界への壁抜け」の前兆、つまり「序曲」になっているのだ。おそらく音楽そのものではなく、「序曲」という言葉に、「前兆」の意味を込めたものだろう*7。『泥棒かささぎ』序曲は、『ねじまき鳥クロニクル』第1部*8に限らず、全篇に繰り返し登場する。
シューマンの『予言する鳥(予言の鳥)』とモーツァルトの『魔笛』については前のエントリの仮説のままで良いだろう。『騎士団長殺し』の『ドン・ジョバンニ』は実は『魔笛』だったという仕掛は、音楽に堪能な村上春樹ならやりそうな技巧だ。
なお村上は、第2部の終わりに「電話の女=クミコ」であることを明かし、第3部の終わり、つまり全篇の終わり近くに置かれた「ねじまき鳥クロニクル#17(クミコの手紙)」で「クミコ=加納クレタ」であることを暗示している*9。この部分を含めて、この小説を読み返して驚いたのは、細部は7年前に読んだことをよく覚えていたのに、こういう肝心なところは全然覚えていなかったことだ。ギターケースの男を岡田トオルがバットで殴りまくる場面や、夢の中で岡田が綿谷襲撃の犯人扱いされる場面、綿谷は実は赤坂でバットによる殴打を受けたのではなく、旅先の長崎で講演中に脳出血で倒れていたこと、綿谷の生命維持装置をクミコが止めたことなど、肝心な場面に限ってことごとく忘れていた。その一方で、岡田トオルが笠原メイと一緒に銀座で頭髪の薄い人を数えていた場面などは鮮明に覚えていた。今回もあの「うめうめたけまつたけうめ」「うめまつうめ」には大笑いしてしまった。このような細部ばかりよく覚えていて、核心部を全然覚えていなかったのは、7年前に読んだ時にはこの小説を全然理解できなかったためだろう。
しかし今回の再読は面白かった。何年先になるかはわからないが、一通り村上の主要な作品を読んだあと、三度目に読むことになるかもしれない。
*1:既述以外の村上作品の長篇は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』しか読んだことがない。『多崎つくる』との相性は悪くはなかったけれど、他の村上作品に手を出そうと思わせるほどには感心しなかった。
*2:その中に甲子園球場に立ち寄って阪神とヤクルトとのプロ野球の試合を見るという、私がまさに村上の1年前にとったのと同じ行動が記されていた。
*3:鳩山一郎は、孫崎のトンデモ本『戦後史の正体』においては「敢然とアメリカに対峙した『自主独立派』の政治家に分類されている。
*4:但し田中克彦の岩波新書は2009年刊で、『ねじまき鳥クロニクル』はその10年以上前の1992〜95年に書かれている。
*5:石原完爾=引用者註。
*6:『ねじまき鳥クロニクル』は1992〜95年に書かれたが、小説の描かれた時代は1984〜85年に設定されている。
*7:同様に、といえるかどうかはわからないが、岡田トオルは「壁を通り抜ける(通る)人という意味で、綿谷ノボルは権力の梯子を「昇ろうとする」人という意味だろう。綿谷ノボルは、人間心理の深層=井戸に「降りようとする」岡田トオルとは鋭い対照をなす。
*8:岡田トオルの妻・クミコの失踪前を描く第1部は、全3部の序曲的な位置づけになっている。物語の核心部は第2部から始まる。
*9:繰り返し引用したブログの解釈とは異なり、私は加納マルタと加納クレタが同一人物であるとは考えない。単純に「加納マルタ=クミコの亡き姉」という解釈で良いのではないか。