KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

城山三郎『役員室午後三時』を読む

 前の土日(4/6,7)に城山三郎の『役員室午後三時』(新潮文庫1975, 単行本初出新潮社1971)を読んだ。

 

役員室午後三時 (新潮文庫)

役員室午後三時 (新潮文庫)

 

 

 上記リンクの文庫本の装丁は改版前のもので、2009年に改版されて文字が大きくなったとともに、表紙のデザインが一新された。

 内容は1960年代の鐘紡をモデルにとった「華王紡」を舞台にした「フィクション」。ここで括弧付きにしたのは、事実を反映した箇所に著者の創作を織り交ぜるという、城山三郎自身が創設したとされる「経済小説」の典型的なスタイルをとっているからだ。こういう本を読むと、どこまでが史実でどこからが作者の創作なのかがわからず、ネット検索に頼ることになるが、なにぶん半世紀前の話なのではっきりしないところもある。間違いないのは、2人いる主人公のうち、社長の座を二度にわたって追い落とされる「藤堂」もモデルが武藤絲治(むとう・いとじ, 1903-1970)であり、武藤の腹心と言われながら追い落としたのが伊藤淳二(1922-)だということだ。2人の権力闘争は熾烈を極めるが、こういうのを描き出す時に城山三郎の筆鋒は冴え渡る。やはり経済小説といえば城山三郎だなと思わせるのである。ただ、華王紡が売れなかった化粧品を海に不法投棄したエピソードなどについては、それに対応する史実は確認できなかったりするから、繰り返すがどこまでが史実かはわからない。著者や編集者に流された情報にはガセも少なからずあると思われるが、「フィクション」にしてしまえば書ける。なかなか巧妙なやり方だが、情報化社会の現在では名誉毀損で訴えられるリスクが半世紀前とは比較にならないほど高くなっている。

 この本は武藤絲治が1970年12月に亡くなった1年後の1971年12月に出版されているが、武藤に対する痛烈な批判が込められている。鐘紡労組をバックにした伊藤淳二が武藤を追い落とすクーデタをやったのは1968年だから、それからも3年しか経っていない。発刊当時には相当に生々しい暴露小説だったに違いない。

 追い落とした側の伊藤淳二は、一昨年秋に読んだ山崎豊子の『沈まぬ太陽』に出てくる日航の「国見会長」のモデルでもある。

 

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

 

  

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

 

 

 この作品について、このブログか『kojitakenの日記』に取り上げていたかと思ってブログ内検索をかけたがみつからなかった。某所で下書きをしようとしたことがあったがどうやら書く機を逸していたらしい。日航労組*1の小倉寛太郎(1930-2002)を主人公・恩地元のモデルとしたこの小説の第三部に当たる「会長室篇」で、1985年にジャンボ機墜落事件を引き起こした日航の再建に送り込まれたのが伊藤淳二をモデルにした「国見会長」だった。この小説では国見は徹底的に善玉として描かれていたが、読んだ頃からそれには強い違和感を持っていた。今回城山作品を読んで、こちらの方が伊藤淳二の実像に近いんだろうなと思った。ただ、どうして伊藤淳二が小倉寛太郎を会長室に抜擢したかはよく納得できた。伊藤淳二は、昔から権力維持の手段として労組を利用してきた人だったのだ。それでワンマンの実像を巧みにカモフラージュしていたのかもしれない。

 以上、あらすじの紹介さえはしょって書いたが、以下ネット検索で得られたサイトからいくつか引用する。

  まず、かつて鐘紡に勤務されていたという方のブログ記事より。

 

ameblo.jp

日本最大の紡績会社を舞台に、絶対の権力を誇るワンマン社長と新しいタイプの若手管理職との間の葛藤、やがて訪れる社長交代劇を通じて、時代とともに変わりゆく企業経営のあり方に鋭く迫ったビジネス小説の傑作です。

『役員室午後三時』というタイトルは、舞台となる“華王紡”の役員会が午後三時に始まることと、当時言われていた「紡績事業は(斜陽になりつつある)午後三時の事業」という意味をダブらせていたのだそうです。
あくまで自分の権力に固執し続ける藤堂社長と、苦悩しつつも藤堂社長を引き摺り下ろさざると得なかった腹心の矢吹との人間ドラマは、企業経営の非情さとともに、旧から新へと脱皮する過程における“産みの苦しみ”を、リアリティを以て読者に訴えかけてきます。

城山三郎氏の経済小説は、傑作と呼べるものばかりが揃っているのですが、私自身が以前“華王紡”のモデルとされている“鐘紡”に勤めていたこともあって、『役員室午後三時』は特別に印象深い小説です。

武藤絲治氏から伊藤淳二氏への社長交代劇から経ること20数年、私が入社した頃の鐘紡は化粧品事業の成功もあって、本作の“矢吹”のモデルになった伊藤淳二氏はちょうど“藤堂社長”のような立場にいらっしゃいました。
ご承知の通り、伊藤氏は後進に経営を譲るも鐘紡は凋落の一途を辿り、やがて会社更生法を適用することとなります。

あれだけ経営者として高く評価されていた伊藤氏でしたが、最終的に本作の“藤堂社長”と似たような境遇に陥ってしまわれたことは、企業経営の難しさと繰り返す歴史の皮肉さを、私たちに語りかけてくるかのようでした。

『真実の瞬間』においてスカンジナビア航空の成功物語に触れているうちに、なぜかしら本作のことを思い出してしまいました。

 

(『晴読雨読:本好きの読書ブログ (^_^)』2012年9月14日)

 

 続いて、かつて朝日新聞経済部で 鐘紡を担当した高成田享記者が、2004年に "asahi.com" に書いた文章を挙げる。

 

http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20041101.html

日本的経営の午後3時
高成田の顔写真 高成田 享
タカナリタ・トオル

経済部記者、ワシントン特派員、アメリカ総局長などを経て、論説委員
バックナンバー 穴吹史士のキャスターClick



産業再生機構の支援で再建中のカネボウが旧経営陣の会計処理に不正があったとして、証券取引法違反容疑で、刑事告発や損害賠償請求をするという。この大手化粧品メーカーの粉飾決算という厚化粧の下には、裏金の捻出と支出という膿を貯めたできものがあったということだろう。

1970年代の後半、私が経済記者として繊維・化学産業を担当したころ、この会社の名前は「鐘紡」で、大手繊維メーカーのひとつだった。当時の印象は、「暗く、重苦しい」という感じだった。東レ帝人などの合繊(ポリエステルなど)主体の企業には、明るさや軽さがあったが、天然繊維(綿、絹)が主体だった企業は、暗い影がつきまとっていた。

天然繊維から合繊への変化と、途上国の追い上げで、構造不況の荒波をまともに受けていたこともあるが、日本の近代資本主義を支えた企業の伝統が重くのしかかっていたことが大きい。企業の決算発表の時期になると、各社の社長が会見するのが恒例になっていたが、カネボウの発表に出かけて驚いた。社長の後ろに十数人の役員、それも若い記者から見ると、おじいさんにしか見えない高齢の人たちが並んでいたからだ。ほかの企業は、社長に同席するのは経理担当役員くらいだったので、その違いに唖然としたのだ。

鐘紡の経営は、「会社は家族」であり、「運命共同体」という意識が強かった。それが、若手への新陳代謝を遅らせ、経営陣をみると、お年寄りばかりという印象になっていた。鐘紡にとくに強かった家族意識を育てたのは、同社の中興の祖といわれる武藤山治(1867~1934年)だ。武藤の経営哲学は「温情主義」で、女子工員の労働環境の改善に努めた。いわば会社を家族になぞらえる日本的経営の元祖のような企業だった。紡績会社の女工は、「女工哀史」の象徴であったが、武藤は女工のための寮を整備するなど、福利厚生に力を入れた。

その信念は、「温情主義」だったかもしれないが、背後には、欧米諸国から日本の紡績工場などでの奴隷的な労働が日本製品の安さの根源だとして批判されていたことがあるし、「資本家の搾取」を糾弾する労働運動が盛んになっていたこともあるだろう。

その後、武藤山治の子どもが経営を担い、武藤ファミリーの会社になっていたが、取締役会で解任を迫るという一種の「クーデター」によって、1968年から伊藤淳二氏が経営を引き継いだ。伊藤時代は長く続き、最終的に伊藤氏が会長を辞したのは24年後の1992年だった。

この事件を元にしたといわれるのが城山三郎氏の『役員室午後三時』で、繊維産業が衰えるなかで、ワンマン社長の権力が揺らいでいくたそがれを「午後3時」という言葉が見事に表している。

私が業界担当記者として鐘紡に接したときは、すでに伊藤体制だったことになるが、産業再生機構に身を委ねた今日の姿を見ると、伊藤氏は、あの「暗さ」を払拭できないままに、産業の変化に対応できなかったのだろうか。企業文化としての「温情主義」がリストラを遅らせたのかもしれない。

産業再生機構の専務を務める富山和彦氏が朝日新聞の「時流自論」というコラム(今年5月9日)に、「カイシャの呪縛、社会に有害」と題して、家族的経営という伝統的な日本企業の経営思想が呪縛になって、企業の再生を遅らせているとして、その典型としてカネボウを例示した。すると、伊藤淳二氏が「企業経営『日本型』は呪縛ではない」と題した「私の視点」を朝日新聞(同5月27火)に寄稿した。トヨタ自動車キヤノンも日本経営の典型であり、「何でも米国式がよいという昨今の誤りは、文化の違いを捨象した単純化にある」と反論した。

結果論としては、日本型にどっぷりつかったカネボウが再生機構の助けを借りずに生き残ることはできなかったことは確かだ。また、再生機構が暴いた不正経理なども、私から見れば、「暗く重苦しい」なかで醸造されてきた負の文化のように思えてならない。その意味では、「敗軍の将」である伊藤氏に反論する資格はないと思う。

とはいえ、いまの日本企業の多くで常態化している「サービス残業」などは、社員が会社との一体感を持つ「うちのカイシャ」意識のなかに成り立っているもので、それを全否定した「合理的な経営」で、ちゃんともうけていると胸を張れる企業がどれだけあるのかという疑問もある。

企業をリストラするときは、会社は家族ではないと、合理主義の経営者になり、サービス残業のようなただ働き問題が出てくると、社員の「温情主義」にすがるのが、いまの経営者ではないのか。

企業は運命共同体という日本型経営が午後3時であることは明らかだが、あるときは冷徹な合理主義、あるときは社員のただ働きにすがる温情主義というエセ欧米型経営も同じようにたそがれていくはずである。

 

(Asahi Internet Casterより『ニュースDrag』2004年11月1日)

 

 最後に、上記記事が書かれた翌2005年に書かれた『月刊ロジスティクス・ビジネス』の記事。これが一番衝撃的だ。

 

magazine.logi-biz.com

カネボウの事件で明らかになったのは監査法人と企業の癒着という問題だけではない。
クライアント企業の担当者より専門的知識のない公認会計士の、専門家としての資質そのものが問われているのだ。

 

第二のアーサー・アンダーセン

 

カネボウ粉飾決算中央青山監査法人の四人の公認会 計士が証券取引法違反容疑で逮捕、三人が起訴された事件が大きな衝撃を与えている。
中央青山監査法人は破綻した足利銀行の監査をめぐって 現経営陣から損害賠償を請求されているが、カネボウの事件ではそれを担当した会計士だけでなく、中央青山監査法 人自体が処分されるのではないか、といわれる。
もしそうなると“第二のアーサー・アンダーセン事件”として日本の監査法人全体に大きなショックを与えることにな る。
山一証券が倒産したのは子会社に損失を「飛ばし」ていたことが表面化したためだが、山一証券だけでなく、他の証券会社も同じようなことをしていた。
カネボウの場合も売れない製品を子会社に売ったことにし、そしてその子会社を連結決算からはずす(連結はずし)という操作を行っていたことがばれたのだが、このような「連結はずし」は他の会社でもよくやられている。
カネボウの場合は帆足隆元社長ら三人がすでに粉飾決算容疑で逮捕、起訴されており、それがさらに中央青山監査法人公認会計士にまで及んだのだが、ここまで粉飾決算事件が発展したのは珍しい。
日本では会社が倒産すると必ずといってよいほど粉飾決算が表面化する。
このことは逆にいえば倒産しない限り粉飾決算は表面化しないということである。
カネボウの場合も産業再生機構に持ち込まれて、事実上倒産したと同じことになったところから粉飾決算が表面化したのである。
「倒産しない限り粉飾決算は表面化しない」ということは、日本の会社の多くは粉飾決算をしているということであり、日本の企業会計がいかにいい加減なものか、そして公認会計士がいかに信用できないものか、ということを表している。

 

『役員室午後三時』のカネボウ

 

カネボウの裏金、六〇年代から政界・総会屋に提供」という見出しの記事が二〇〇五年八月一日付けの「朝日新聞」に大きく出ていたが、カネボウでは政治家や総会屋にカネを渡すための裏金作りをしており、そのために粉飾決算が行われていたというのである。
この記事はカネボウ元社長の伊藤淳二氏とのインタビューに基づくもので、伊藤氏が社長に就任した一九六八年以降、裏金作りをしていたという。
筆者は一九五〇年代、新聞記者として繊維業界を担当していたが、当時カネボウの決算は「幻の決算」といわれ、会計操作が行われていた。
そしてカネボウの秘書室には総会屋や政治家がカネをもらいにたくさん来ていたことを思い出す。
それというのもこの会社には内紛が絶えず、「山田副社長追い出し事件」から「武藤社長の追い出し、復帰、そしてさらに追い出し」と、お家騒動が続いた。
山田副社長追い出し事件では児玉誉士夫を会社側が使ったといわれるが、以後この会社には総会屋がくらいついて離れない。
そして政治家もそれに便乗してカネをあさりに来る。
こうしてカネボウ粉飾決算は連綿として続いたのだが、だれもこれを問題にしなかった。
そして会社が産業再生機構送りとなってはじめて表面化したというわけだ。
もっとも、このカネボウのお家騒動と粉飾決算等は繊維担当記者には常識になっていた。
そこでこれをもとにして書かれたのが城山三郎氏の『役員室午後三時』である。
この小説は武藤絲治社長とその秘書であった伊藤淳二をモデルにしてお家騒動をくわしく書くと同時に、化粧品部門の粉飾決算についてもリアルに画いている。
この本が出たのは一九七一年だが、三〇年以上前から常識とされていたことが、いまやっと表面化したというわけで、筆者としては感慨無量の思いがする。(後略)

 

(『月刊ロジスティクス・ビジネス』2005年11号「奥村宏の判断学」より)

 

 日本の企業の闇は、あまりにも深くて暗い。

*1:この日航も滅茶苦茶な会社だったが、そのありようはある意味で鐘紡の対極にあったといえる。だが両極端ともいうべき両社とも経営破綻してしまったのだった。