KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

大作曲家アントン・ブルックナーは「計数マニア」だったか - 松本清張『数の風景』より

 食わず嫌いを貫いてきた松本清張に突然はまったのは、2013年の晩秋に『Dの複合』を読んだ時だった。これが初めて読んだ清張作品だったが、頁をめくる指が止まらなかった。以後病みつきになり、昨年末までで110タイトルを読んだ。上下本や、文春文庫新装版で全9巻の『昭和史発掘』をそれぞれ1タイトルとする数え方なので、冊数でいえば133冊読んだ。重複を避けるためにある時期からエクセルファイルに記録しているが、それを見て数えた。昨年(2018年)には41タイトル、51冊を読んだが、昨年までは年々清張本を読む冊数が増えていた。

 あちこちの図書館に置いてある文庫本は、古くて活字の小さいものを除いてほぼ読み尽くしたので、今年は清張本を読む機会が激減すると思うが、それでもまだ光文社文庫の「松本清張プレミアム・ミステリー」の未読本が2冊あるなど、少し残っている。また、絶版になっている作品や前述の古くて活字の小さい文庫本もまだ残っているし、中には全集未収録の作品もあったりするが、それらについても光文社さんあたりに期待して、わざわざ全集を漁ったり活字の小さい古い本まで読むのは止めておこうと思っている。小さい文字を読むと目がしょぼしょぼするようになったし、人生にはまだ楽しみを残しておきたいから、大きな字の文庫本でリバイバルされるのを気長に待ちたい。

 以上の前振りで、何冊読んだだのと数の話をしたが、今年読んだ最初の清張本は、そのタイトルも『数の風景』で、数をモチーフにした長篇ミステリーだ。

数の風景: 松本清張プレミアム・ミステリー (光文社文庫)

数の風景: 松本清張プレミアム・ミステリー (光文社文庫)

 

  長篇とはいっても、1986年に『週刊朝日』に連載を始めた時、清張は短篇・中篇の連作にするつもりだと書いたらしい。しかし、老いた清張は手際よく短篇にまとめることができず、話題があっちへ飛びこっちへ飛びしていっこうに終わらせることができず、結果的にいささか散漫な長篇になってしまった。

 その意味では明らかな失敗作なのだが、そのあっちこっちに寄り道して繰り出される話題が結構面白いので、結局読者を飽きさせずに読み進めさせてしまう。老境の巨匠ならではのわがままかつ贅沢な小説作法だよなあ、と感心してしまった。

 この作品は、終わり近くに犯罪を暴く場面だけは鮮やかに決まっている。清張はラストを最初に思いついたに違いない。タイトルになった「数の風景」とはまさにその場面を表す言葉だからだ。

 タイトルに相応しく、作中に「計算狂」(ニュメロマニア, numeromania)の女性が出てくる。現在では差別用語に当たるから、この記事では「計数マニア」と表記する。「計算」とせず「計数」としたのは、面倒な数学の計算どころか掛け算や割り算や引き算をするわけでもなく、単に数を数える強迫神経症を指しているからだ。

 実は、最初に触れた『Dの複合』(1965〜68)にも、坂口まみ子という「計算狂」が登場する。だから、5年ぶりにおもいがけず再会したかのような懐かしさにとらわれたのだった。『Dの複合』では、話の途中にいきなり現れて強烈な印象を残した坂口まみ子はあっけなく殺されてしまう。読んでいてもったいないなあと思ったのだが、あるいは清張自身にも同じ思いがあったのかもしれない。

 だが、『数の複合』でも最初に現れて読者に強い印象を与える梅井きく女は、やはり姿を消してしまう。と思いきや・・。まあこれ以上は書かないでおく。

 その「計数マニア」の梅井きく女の代わりに、出し抜けに「ニュメロマニア」として言及されるのが、オーストリアの作曲家、アントン・ブルックナーとドイツの「音楽の父」バッハなのだ。フーガやカノンなどのパズル的な手法で書かれた音楽が結構有名なバッハはともかく、クラシック音楽のファンでなければ名前を知らないであろうブルックナーの名前が突然現れたことには度肝を抜かれた。

 しかも、光文社文庫本の309頁には、「未完の変ニ長調交響曲のスケッチから(1869年)」と題して楽譜まで掲載されているのだ。

 私は以前には結構クラシックや20世紀の芸術音楽を聴く習慣があった。現在はほとんど聴かないが、昨年、20世紀ハンガリーの作曲家、バルトーク・ベーラの音楽論集をちくま学芸文庫で読み、その本に出てくる読譜しにくい譜例と格闘したことがあった。この本については、『kojitakenの日記』に書いた政治関係の記事で少し触れたことがある。

d.hatena.ne.jp

 バルトークが書いた本ならともかく、まさか松本清張のミステリーでブルックナーの楽譜と出くわすとは思わなかった。ブルックナーは私の苦手な部類の作曲家で、それでも交響曲第4番「ロマンティック」(亡父がよくこの曲のレコードをかけていた)や第3番は知っているし、ブルックナーが苦手な私でも名曲と認める交響曲第7〜9番はCDも持っている。でも、「未完の変ニ長調交響曲」って何だ? 聴いたことはないが知識としては知っているブルックナーの1番とか2番とか、あるいは0番とか00番ともまた違うらしい。「1869年」という作曲年をヒントにネット検索をかけてみると、Wikipediaに言及されていた。

ja.wikipedia.org

 このWikipediaには、

1869年に着手したものの完成されなかった交響曲変ロ長調の存在が確認されている。スケッチの断片のみ残されており、

と書かれており、楽譜と音源が紹介されたサイトへのリンクが張られている。

www.abruckner.com

 確かに、『数の風景』に載っているのと同じ楽譜が上記サイトにも載っているし、実際にオーケストラが演奏した音楽を聴くこともできる。だが、のちの番号つきのブルックナー交響曲とは全然違う作風だ。こんなのを聴いたことがある人など、よほどのブルックナーマニアくらいのものだろう。なお、光文社文庫版の『数の風景』に「変ニ長調交響曲」とあるのは「変ロ長調交響曲」の誤記と思われる。載っている楽譜もフラット2個だから間違いなく変ロ長調だ。

 なぜこんなスケッチの譜例が『数の風景』に載っているかというと、それは楽譜の1小節ごとにブルックナーが「1, 2, 3, …」の数字を書き込んでいるからだ。数字は「8」の次が「9」ではなく「1」に戻っており、8小節単位の楽節であることが示されている。

 この「数字つきの譜例」を示しつつ、清張はブルックナーの研究書から結構長い引用をしている。長いので引用文の途中から以下に孫引きする。

《(前略)一八六七年の初めの方の数ケ月、ブルックナーは神経質な不安と重いうつの状態にあった。(略)

 この時期の彼のヴァインヴルムその他の人々に宛てた手紙が彼の精神状態を明らかにする。彼は今にも気が狂うのではないかと語り、自殺をほのめかし、自分を完全に友人に見捨てられた人間とみなしている。

 この時期、彼は数きちがい(ニュメロマニア)の兆候も見せている。木の葉でも星でも砂粒でも、何でも、そして何もかも、数えなければ気がおさまらなかった。そういう気持ちは後には、彼の楽譜の中の、小節と楽節に執拗に番号をうつ傾向に現れている》(H・シェンツェラー『ブルックナー』山田祥一訳)

松本清張『数の風景』(光文社文庫,2018)308-309頁より孫引き)

 おそらく清張は、シェンツェラー(この人の名前も私は知らなかった)の『ブルックナー』に載っていた譜例を孫引きしたものだろうが、なんとも驚くべき凝りっぷりだ。調べ始めたらとことん調べるという清張の性癖は、おそらく『昭和史発掘』あたりから本格化したと思われるが、それをエンタメ作品であるミステリーでまで展開するのだから恐れ入る。そして私を含む清張マニアは、清張のそんなところまで堪能するのだ。

ブルックナー―生涯/作品/伝説 (1983年)

ブルックナー―生涯/作品/伝説 (1983年)

 

  ところで、清張作品にブルックナーの楽譜が登場したのに驚いた私は、それに言及した人がいないかとネット検索をかけたら、やはりおられた。アマチュアオーケストラに所属するベテランのフルーティストの方が書かれた下記の文章は非常に興味深かった。

www.shinkyo.com

 以下引用する。

 

ブルックナーと数にまつわる話

松下 俊行(フルート)

◆清張のブルックナー観=数える話=
 予想もしない処で知人にばったり出遭う・・・・かつて松本清張推理小説『数の風景』を読み進むうち、突然ブルックナーに関する記述に出くわした時に、これと同じ感慨を抱いた事があった。既に四半世紀も前の事ながら、その時の驚きと唐突感は今もよく覚えている。この小説自体はあまり出来の良い中身ではないが作中、目に入る事物の数・・・・例えば行く道端の電柱の数や階段の段数、駐車場の車の数など)を数えないでいられない「ニュメロマニア(計算狂)」と思しき女が出て来る。これは神経症の一種らしいが、この女の性向が後の展開の軸になって関わってゆくとあって、まぁそれはそれで興味も湧く。ただそのニュメロマニアの同類としてブルックナーの名が突如現れるのには驚いた。作家はここでH.シェンツェラー(Hans Hubert Schonzeler)著の『ブルックナー・生涯/作品/伝説(山田祥一訳)』にある記述の概要と、未完に終わった交響曲のスケッチを転載する。8小節単位で作曲家自身が書き込んだ数字(1~8までの繰返し)があり、それがこの作曲家の数に対する強迫神経症の証拠であるという。単にフレーズを示しているとしか思えぬが。
 音楽作品と数字という点では大バッハが有名で、各作品の数値的な美学はもとより、A=1、B=2という具合にアルファベットをそれぞれ数に当てはめ、作品から読み取れる数を具体的な文字に変換して、そこに現れる言葉によって作品に隠されたメッセージを見出すというこじつけまがいの「研究」さえ古くから行われている。清張は当然にこの例にも触れているが、大バッハの例に比較するとブルックナーはこの内容に於いて見劣りも甚だしい。僕は厖大な『昭和史発掘』を含め清張の主だった作品は大抵読んでいるが、作中に譜面を伴ったものはこれしか知らない。しかも別にストーリーの展開とは殆ど無関係なのに、これほどにこだわる理由もよく解らない。


 新響が初めて飯守泰次郎氏を招き、ブルックナー交響曲第4番『ロマンティック』を演奏したのが1993年4月(第139回演奏会)。それまでブルックナー交響曲は1975年に同じ第4番を、1981年に第7番を演奏しただけだった(指揮は共に山岡重信氏)ので、ブルックナーの人となりと作品をテーマとして、この作曲家に関する著作があり、東京藝術大学で教鞭をとられていた土田英三郎氏を招き、練習の初期段階でレクチャーをお願いした事があった。『ロマンティック』に関する詳細な分析に基づく講義の余談として、ブルックナーが果たして計算狂であったか否か?に触れられた。氏は「松本清張の小説にそんな話もありますが・・・・」と今考えれば『数の風景』を例示しておいでだった訳だが、しかしご自身の考えとしては明確に否定されていた。ただ小説を執筆途上だったと思われるある時、作家本人から電話があって、この説に関して相当に食い下がられたという事実を苦笑交じりに語られていた。これが妙に記憶に残っている。作家松本清張の執着心と取材力を思うべきだろう。
 だが自分の乏しい読書体験から照らしても、博覧強記にしてあらゆるテーマを網羅して作品を世に送り出した作家も、こと音楽の分野に関してはあまり見るべきものが無いように感じる。有名な『砂の器』も現代音楽の作曲家を主人公としながら、内容は難解・冗漫になって効果は上がらない。むしろ先日亡くなった橋本忍の脚本による映画(1974年・監督は野村芳太郎)で改めてテーマが絞られ、扱われる音楽を含めて解りやすくなって、ようやく日の目をみた感がある。音楽を題材にした作品で個人的な好みは、『魔笛』の台本作者にして興行師のシカネーダーをテーマとした『モーツァルトの伯楽』(『草の径』所収)くらい。計算狂のテーマなら黒川博行の『カウント・プラン』の方がよほど面白い(完全な脱線)。


 シェンツェラーが、ブルックナーの自筆譜の各小節に悉く数字が書き入れてある事を根拠に、作曲家がニュメロマニアであったと断定し、松本清張がその説を無批判に受容れ、『数の風景』中に譜例まで引用しているのは、ちょっとお粗末に過ぎるように感じる。小節ごとに数字を書き込む事などは普通に行われているからだ。例えばショスタコーヴィチの作品のように同じ音型が数十小節も続くような場合、作曲者自身でさえ回数を数える便宜として繰返しの小節数を書き込む事はある。そうした譜面は珍しくないし、そうした回数が無ければ奏者が適宜書き込んでいる。
 そもそも音楽作品の創造やそれを演奏する事は、数字や「数える」行為と決して無縁ではあり得ない。例えば我々は作品を演奏するに当たって、速度(テンポ)の決定要因である拍を数え(その拍を更にいくつにも細分化して数えさえする)、その集積の単位となる小節数を数える。これは音を出していない休みの間も継続するし、むしろその間の方が数える事の重要度は高まる。またこれとは別に、音の高さを振動数という数値で認識し、異なる複数の音の振動数比が単純であるほど、そこに純粋なハーモニーが現出する事を意識している(この関係を最初に見出したのは数学者のピタゴラス)。もしオーケストラで活動していながら、数値や数える行為に全く無関心の人がいるとしたら極めて不可思議な存在だし、現実問題として自力で演奏する事は不可能だろう。むしろこちらの方が立派な「病気」に思える。


 因みに今回この稿を起こすに当たり、ネット上で『数の風景』とブルックナー関連の記述を検索してみたが、僕のような屈折した(笑)見解は全く見当たらなかった。それどころか殆ど反応らしい反応が無い。驚くほどである。これは詰まる処『数の風景』の読者にはブルックナーという作曲家は遠い存在であり、またブルックナー(に限らず音楽全般の)愛好者は、あまり松本清張を読まない・・・・という状況を意味するのかもしれない。この作品を通じた両者の接点は感じられず。


 芸術家という人種はどこか世間の常識良識とはかけ離れた側面を持っているし、また社会もそうした性格を密かに期待していたりする。そして当人もそうした社会の空気を逆手にとって、徒に奇矯であろうと目論んだりするから始末に悪い場合がある。そうした中にあって、ブルックナーという作曲家の人となりはやや特殊と言えるかもしれない。伝記作家にとっても、あの長大で晦渋な作品に比して、創作者の平穏に過ぎた生涯を見渡して、何かしらの接点を見出さずには済まされない。シェンツェラーの説は、ブルックナーの起伏に乏しい生涯(他の作曲家らとの比較の問題だが)に対し、「ニュメロマニア」という特異な兆候を微かに見出し、それとばかりに小躍りして針小棒大に喧伝しているとの印象を拭えない。
 だが清張作品を信奉する一方で作曲家と無縁の衆生は、読み進んでも一向に屍体が登場しないこの推理小説によって「ブルックナーなる作曲家はニュメロマニアである」と刷込まれ、信じ続けるのであろう。何かぞっとせぬ光景ではある。(後略)

(新交響楽団のサイトより)

 

 この新交響楽団というのは、アマチュアオーケストラとはいえ、プロはだしの演奏を聴かせるところらしい。そのオーケストラに所属するベテラン奏者のこの方は、清張最晩年の短編集『草の径』に収録された「モーツァルトの伯楽」までお読みなのだから、私などの及びもつかない読書家かと思われる。

 だが、「ブルックナー=ニュメロマニア」説は(シェンツェラーの伝記を広めた)松本清張に刷り込まれた俗説だ、と言ってしまって良いかはかなり疑問だ。

 確かに、ブルックナーが未完の交響曲のスケッチに書き込んだ1から8までの数字は、単に楽節を示しているだけではないか、とは私も思った。だからあの誰も知らない未完の交響曲の譜例だけではブルックナーがニュメロマニアである証拠とするには弱い。それにも同意する。

 しかし、検索語を日本語でなく英語で "numeromania Bruckner" で検索をかけてみると、ブルックナーがニュメロマニアである、と書かれた英語のサイトが多数存在する。それどころか、"numeromania music" で検索しても、ブルックナーの名前が頻出する。これには少々驚いた。中には、ニュメロマニアどころかもっと深刻な神経症ブルックナーが苦しんでいたことを指し示すような文章もかなりみつかる。ここでは引用はしないけれども。一方、日本語のサイトにはきわめて少なく、あっても大抵は清張の『数の風景』が引用されている。だから、シェンツェラーを引用して清張の示した証拠では確かに不十分だけれども、ブルックナーがニュメロマニアであった可能性はやはり高いのではないか。そう私には思われる。むしろ、日本では芸術家の神経症といった議論が必要以上に敬遠される傾向があるのではないかとさえ思えるのだ。

 それから、清張が音楽を題材とした作品には、現代音楽を題材とした『砂の器』を含めて見るべきものはないとする主張に対しては、それは芸術音楽については確かにその通りだと私も思うけれども(『砂の器』のトリックは、推理小説としては反則ものだと思っている)、以前にもこのブログで取り上げた1950年代の流行歌「上海帰りのリル」をモチーフにした「捜査圏外の条件」は文句なしの名作だと思う。

kj-books-and-music.hatenablog.com

 ただ、そういった反論とは別にしてもっとも興味深かったのは、『数の風景』を書いている時に、シェンツェラーの「ブルックナー=ニュメロマニア説」にのめり込んだ清張が、指揮者の飯守泰次郎氏に電話でこの件について質問し、「ブルックナー=ニュメロマニア説」を採りたがらない飯守氏に執拗に食い下がったというエピソードだ。

 いかにも清張らしいと思えたが、この飯守泰次郎氏の父が右派的な裁判官として知られた飯守重任(いいもり・しげとう、1906-1980)で、その兄、つまり康次郎氏の伯父が、あの砂川事件の跳躍上告審で「統治行為論」を打ち出した最高裁長官の田中耕太郎(1890-1974)なのだ。

 しかも、この田中耕太郎は間接的に松本清張ともつながりがある。清張には、1959年に東京で起きたスチュワーデス殺人事件を題材にした『黒い福音』という小説があるが、現実のスチュワーデス殺人事件で容疑が濃厚とされた神父が日本国外に逃亡した件に田中耕太郎が関わった可能性があるというのだ。それを取り上げたのが、橘かがりの『扼殺 - 善福寺川スチュワーデス殺人事件』(祥伝社文庫,2018)だ。

 

扼殺~善福寺川スチュワーデス殺人事件の闇 (祥伝社文庫)

扼殺~善福寺川スチュワーデス殺人事件の闇 (祥伝社文庫)

 
黒い福音 (新潮文庫)

黒い福音 (新潮文庫)

 

  ちなみに、橘さんとは一時期ネットで交流があった(最近はご無沙汰している)。今でも『きまぐれな日々』には橘さんのブログ『青でもなく 緑でもなく』にリンクが張ってある。

kagari-tachibana.seesaa.net

 私の読書記録を見ると『黒い福音』は昨年2月に、『扼殺』は昨年8月に読んでいる。『扼殺』を読んだあと、下記の書評に接したことを思い出した。

rekishijidaisakkaclub.hatenablog.com

 以下引用する。

書評『扼殺 善福寺川スチュワーデス殺人事件の闇』

書名『扼殺 善福寺川スチュワーデス殺人事件の闇』
著者 橘かがり
発売 祥伝社
発行年月日  2018年1月20日
定価  ¥680E

 

 昭和34年(1959)3月10日、東京杉並区の善福寺川宮下橋の近くで、BOAC 勤務スチュワーデス武川知子さん(27歳)が水死体で発見された。当初は自殺とみられていたが、司法解剖の結果、扼殺の跡があり、他殺と断定。被害者の交友関係から、ベルギー人のベルメルシュ・ルイズ神父(38歳)が捜査線上に浮かんだ。
 6月11日、重要参考人と云うよりも、ほぼ容疑者として事情聴取を受けていた神父は正規の出国手続を経て羽田発エールフランス機で本国に平然と帰国してしまう。結局、迷宮入りとなったこの事件は戦後日本の国際的地位の低さを明示する何とも後味の悪い事件として記憶に残ることとなる。
 皇太子(現天皇)の御成婚のちょうど一カ月前に起きたこの事件は、被害者が女性の憧れの職業、国際線スチュワーデスでしかも美人、重要参考人が禁欲的な生活を強いる戒律の厳しいカトリックの外国人神父、ということで世間の耳目を集めた。

 松本清張は事件から7ヶ月後、この事件をモデルにした小説『黒い福音』を『週刊コウロン』の昭和34年11月3日の創刊号より連載を開始している。『黒い福音』は犯罪編と推理編の二部構成、「倒叙推理小説」と呼ばれる形式によるものであった。
 聖職者たる外国人神父が、不犯の戒律を破って、一人の日本人女性と恋に落ち情を通じる。彼をとりまく教会関係者と裏で暗躍する巨大犯罪組織の下で、この神父はスチュワーデスの女性を東京羽田・香港間の麻薬の運び屋として使おうとし、知りすぎた女が抹殺されるというストーリーで、ドロドロとした情痴のもつれからの殺人ではないとした。
 教会は絶好の隠れ蓑であり、神父に捜査の手が及ばぬよう、早く出国できるようにと、働きかけた人がいると、目されたが、清張はその人物を小説の中で、「日本の行政的な上層部の地位にある有力者」「日本の高官夫人」とのみ表記している。事件の顛末に強い疑問と怒りをいだき真相究明に意欲をもった清張にとっては、裏に潜む闇の人物の存在、宗教団体を取り巻く巨大な闇組織と教会とのつながり等、どれも確信に近いものだった。「社会派推理小説創始者」を冠せられる松本清張の憤怒が傑作『黒い福音』を生み出したといえるが、外国人神父が日本警察の刑事たちの必死の努力をあざ笑うかのように逃げた事実のみが厳然として残り、小説を読み終わっても釈然としないという読後感が残ったこともまた否めない。「事実は小説よりも奇なり」であった。

 橘かがりによる本書は、副題に「善福寺川スチュワーデス殺人事件の闇」とあるように、「ドキュメント・タッチの小説」の体裁をとっていることに最大の趣向があろう。水死体は昭和34年(1959)3月10日の午前7時40分頃、東京杉並区の善福寺川宮下橋の近くで発見されたが、あくまでも「小説的想像」の体裁をとった清張の小説『黒い福音』は事件現場を「善福寺川」とは表記せず、「玄伯寺川」とぼかしている。
 本書では、主人公たる被害者本人の松山苑子〔武川知子〕以外に、未解決事件のスチュワーデス殺しについてのノンフィクションを書こうとするフリーのライターの「松尾慶介」、S会〔サレジオ会〕の教会に集う信者の一人で、殺された苑子という女にそっくりな「古賀悦子」など数人の登場人物の視点から、「事件」に関わるそれぞれのエピソードが語られる。しかも、事件発生当時であるばかりでなく、登場人物によっては、事件後相当歳月を経た時点での当時の世相や社会現象を巧に配し、その中に、スチュワーデス殺人事件の重要な鍵が浮かび上がってくるという周到な構図をとっている。ことに、未解決のあの事件の記憶を持っている団塊以上の世代は、その仕掛けに言うに言えない“懐郷”を味わうことであろう。
 登場人物の中で、キー・ポインターというべきは、熱心なカトリック信者の「百合子」である。百合子の「夫の畠中博太郎は裁判官、有名な法学者で元文部大臣、最高裁長官」であり、「意図的ではないにしろ、夫妻は神父が本国へ帰国するために一役買った」とある。清張が「日本の行政的な上層部の地位にある有力者」「日本の高官夫人」に止めたに対して、本書の作家は闇を突き抜けるべく迷わず踏み込んでいるのである。練達の読者は「畠中博太郎」こそは実在の人物・田中耕太郎(1890~1974)に相当するものと知るだろう。
 晩年の「百合子」に、また、作家は「人知れず罪の意識をもって、あれで本当に良かったの」と回想させている。

 事件から半世紀以上が経つ。この間、日本社会も大きく変わった。昭和30年代まではすでに歴史小説の叙述の対象に入っているとみて、可笑しくはないであろうが、最高裁判事を祖父に持つ作家にしてはじめて踏み込みが可能であったと言えるだろう。
「事件がこのまま人々の記憶から消えてしまうのはやりきれない。事件のことをもう一度書いてみよう。畠中裁判官のことを絡めて書けば、奥行きのあるルポルタージュになるのではないか。何よりも被害者の無念を少しでも晴らしたい」という「慶介」の想いは作家の想いでもある。かくして「畠中夫妻」を核としたこの緻密にして壮大な“歴史時代小説”が生まれることになった。

 作家はなお、こうも描く。
苑子の遺族が事件の真相を知りたいと、真相究明に執念を燃やしたなら、事態はまた少し変わり何らかの展開があったのかも」と。
 被害者像はまた、作家独特のものである。「苑子は嵐のような恋に身をまかし、性愛に溺れた。苑子は情の深い女、大胆で一途で時には無謀で。自らの恋心に殉じるように死んでいった」と。女流作家ならではの人物造形であるともいえる。
「ペータース神父」〔ベルメルシュ・ルイズ神父〕の「その後」が記されている。
 2009年時点でカナダのとある田舎町で地元の名士として存命中であり、神父を続けているという。が、ついに死者への哀悼のことばはなかったと聞くと、読者として怒りがふつふつと滾ってくるのを抑えがたい。
 かくして、本作を通じ、激動の昭和を精一杯駆け抜けた人々がよみがえってくるのだが、闇が晴れないという一点から清張作品に感じたと同様の釈然としないものを感じるのも現実である。

 橘(たちばな)かがりは東京都杉並区生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学科卒業。 2003年「月のない晩に」で小説現代新人賞受賞。「昭和史ノンフィクション・ノベル」を得意とし、自伝的小説『判事の家』や『焦土の恋 “GHQの女”と呼ばれた子爵夫人』の作品があったが、これに加えるに今回発表された本書があり、昭和という時代も歴史小説たりうることを如実に示している。作家には戦後史の闇を歴史小説の手法で書き尽くすべく、幅広い活動をこい願う次第である。
          (平成30年6月20日  雨宮由希夫  記)

 

 なんと橘かがりさんの祖父は、清張が『日本の黒い霧』でも取り上げた「松川事件」の最高裁での裁判で被告を有罪とする意見を出したが退けられた最高裁判事・下飯坂潤夫(1894-1971)だった。清張とは対立する立場の意見だ。戦後史の霧はまだまだ晴れない。そうこうしているうちに、上記の引用文には「存命中」とあるが、2016年だか17年だかまでカナダで生きていたらしいベルメルシュ・ルイズ神父は事件の真相をついに語らないまま、秘密を墓場まで持って行ってしまった。昨年夏にネット検索をかけた時には、神父の死亡を伝えたサイトがみつかったが、今回は発見できなかった。

 いつの間にか『数の風景』からずいぶん離れてしまった。清張の小説もあちこちに寄り道して長くなったが、最後は本論に戻った。だが私のこのブログ記事は、本論には戻らずここで終わりにする。