今月は松本清張作品を下記の中篇一作しか読んでいない。
裏表紙に、下記のように書かれている。
「重大事態発生です」―ある早春の午後、官邸の総理大臣にかかってきた、防衛省統幕議長からの緊急電話が伝えた。Z国から東京に向かって誤射された、5メガトンの核弾頭ミサイル5基。1発で、東京から半径12キロ以内が全滅するという。空中爆破も迎撃も不可能。ミサイルの到着は、あと…43分。ラジオ・テレビの臨時ニュースによって、真相が全日本国民に知らされた!SF的小説に初めて挑戦した松本清張の隠れた名作。
解説の権田萬治氏によると、「数多くの松本清張の作品の中でもSF的な発想に立っている点でもっとも異色のものの一つ」とのことだ。ネット検索をかけると、「松本清張唯一のSF作品」とも書かれている。
ただ、その狭量さにいつも辟易させられるSFファンたちの間ではこの作品の評判はすこぶる悪いようだ。曰く、「SFなんて俺だって書けると思って書き出したのかもしれないが、*1」、「この一作でこの分野を撤退したのは本人にとっても良かったはずだ。(初期の)筒井康隆や小松左京に任せておけばよいのである。*2」等々。
元版は63年カッパノベルです。63年といえば眉村卓『燃える傾斜』の出た年。カッパでいえば小松左京『日本アパッチ族』(64)よりも一年早い。というわけで、日本SF創成期と軌を一にするようにして発表された清張のSF作品です。
(中略)
事実が判明してからの2時間を、シチュエーションノベルというのでしょうか、主人公らしい主人公を設けずいろんな場面を点描するという手法が採用された結果、あたかも「ドキュメンタリー」風に話は進んで、巻を措かせません。ただし「ドラマ」として見た場合は、心理に深く切り込まないので、非常に淡々とした印象になります。その意味ではシナリオに毛が生えたような感じ。
もっとも、たった2時間ですから、政府のできることは限られている。東京の被爆地に関しては手をこまぬいていることしかできません。せいぜい大阪臨時政府(首相以下閣僚はさっさと米軍ヘリで大阪へ退避している。首都全壊後の日本の舵取りこそ彼らの使命であるからですっ!)として、被爆/被曝後の復興計画の策定があるくらいか。
その意味で、何年かの猶予があった『日本沈没』のようなわけにはいかないのは確かなんですが、それ以上に清張と左京ではその「人間観」が正反対であるように感じました。本篇では、都民は公共交通手段で郊外へ逃がれるしか術がないのだが、電車は、避難民で鈴なりの沿線の各駅を、小石のように黙殺して(いや、満員すぎてプラットフォームからポロリポロリと落ちる客を跳ね飛ばして)通りすぎていく。運転手が、自分が逃げ延びたいが為に勝手に急行列車にしてしまったのです! 大体、治安活動にあたる警察官や自衛隊員からしてさっさと逃亡してしまう。小松左京の描く自衛隊員とは明らかに違います。事実はどっちなんでしょう? 消防庁の隊員が躊躇するのを、所管の大臣が恫喝したというのは、ちょうどこの中間でしょうか(違)。
そういう次第で、本篇は頁数にして200頁強なのですが、もっと深く、書き込んでほしかった。最低でも倍の400頁は必要だったのでは。そうだったならば、本書、『日本沈没』のアンチテーゼ的作品として、SFジャンル的にも意義のある位置づけを確保し得たように思うのですが。もっとも『日本沈没』がPFの嚆矢だったのだとすれば、それはないものねだりというべきかもしれません。
いかな清張といえど、1973年の『日本沈没』のアンチテーゼを1963年に作ることができなかったというのは、評者自身も認める通りの「ないものねだり」だろう。しかし、保守の小松左京と革新の松本清張の対比にはうなずけるものがある。もっとも、革新(事実清張は共産党支持者だった)とはいっても清張は「プロレタリア文学」に対して、小林多喜二を例外として低い評価しか与えなかった人だし、清張の「スパイX」(非常時共産党時代のスパイだった松村こと飯塚盈延)の追究には、共産党執行部が内心苦々しく思ったであろうことは想像に難くない。事実共産党は後年同じ「スパイX」を追った立花隆を「特高史観」の持ち主として強く批判した経緯があるが、清張が『昭和史発掘で』多くを依拠したのも特高の史料だった。
清張は(70年代の)小松左京とは対照的だったが、警察官や防衛軍(作中では自衛官ではなく、防衛庁の省昇格とともに防衛軍に名称が変更されている。明記されていないが改憲も行われたのかもしれない)の兵士がさっさと逃げ出しあたりは、筒井康隆の小説には出てきそうなパターンだ。
実はこの清張作品を読む直前に、一昨年末に買ってから1年8か月も放置していた下記の筒井康隆作品を読んだばかりだった。
しかし、この「後期筒井」作品は、物語の冒頭でショッキングな設定が明らかにされるが、その後の小説の展開は、まるで北杜夫の『楡家の人びと』を読んでいるかのような錯覚に襲われるほど淡々と進む。禍々しい展開が予想された前半とは打って変わった後半を読んで、これが筒井の晩年様式なのかとちょっと拍子抜けした。「後期筒井」の頂点は、やはりあの遠藤周作を感心させた『夢の木坂分岐点』(1987年)あたりかもしれない。
これもたまたまだが、40年以上前に妹が学校の図書室から借りてきたのを読んだ北杜夫の童話『ぼくのおじさん』の新潮文庫版(1981)が図書館にあったので借りて読んだばかりだった。今月の東京はずっと変な天気が続いているが、月の最初の頃にはひどい蒸し暑さだったので、重い本は読む気がしなくなっていたのだ。
懐かしかったが、ちょっと驚いたのは、父親である斎藤茂吉が戦意昂揚の短歌を多く作ったことで戦後その責任を問われたことに強く反発していた「保守人士」の北杜夫が、表題作「ぼくのおじさん」(単行本初出は旺文社1972)でも「むすめよ…」(同小学館1977)でも強い反戦メッセージを発していたことだ。「ぼくのおじさん」は、新潮文庫版の福田清人の解説文によると、中学生向けの月刊誌『中二時代』の1962年5月号から翌63年5月号まで連載されたというが(明記されていないが63年4月号と同5月号は『中三時代』掲載だったのだろう)、まさに清張の『神と野獣の日』と同時期の作品だ。
「革新」の小説家が日本の右傾化を危惧するSFを書き、「保守」の小説家は童話で静かに反戦メッセージを発する。これが半世紀前、まだ戦後20年を経過しない頃の日本の姿だった。
今は、「保守」といえば安倍晋三のような好戦的にして戦前回帰志向の主義主張の、昔で言うところの「極右」を指すようになってしまっていて、「リベラル」と括られる人たちが安倍晋三と同様の極右であるとしか私には思えない小池百合子に靡く惨状を呈している。「中道」を自称するブロガーが小池百合子と民進党との協力に期待して「ワクワク」したりしていたが、昔ながらの保守の論客である半藤一利や保阪正康が小池百合子を歯牙にもかけずに切り捨てている姿と比較すると、今の括弧付きの「リベラル」は昔ながらの保守論客よりよほど「右寄り」だと言わざるを得ない。
とんでもない時代になってしまったものだなあ、だから松本清張が54年前にカリカチュアライズした極右の首相がリアルの政界に本当に登場して、あろうことか5年近い長期政権を担って「笑えない喜劇」を演じるどうしようもない世の中になってしまったのだなあと慨嘆せざるを得ない。松本清張も北杜夫も小松左京ももうこの世の人ではないが、今日取り上げた小説家で唯一生き残っている筒井康隆は、少し前にTwitterで嫌韓厨に迎合するかのようなつぶやきを発した。こうしたことどもを思えば思うほどにますます鬱になってしまいそうな今日この頃なのである。