KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

松本清張『彩霧』は作者指折りの「駄作」か(笑)

 松本清張は多作の人だったし、1950年代末から60年代前半にかけては、同時期にどのくらい多く書けるかの限界に挑んだ人だから、この期間には清張の代表作とされる作品も多く含まれるが、一方で駄作も少なからず産出している。だが、この時期の清張作品は、たとえ駄作であっても一気に読ませる。それは文章中に会話が多く、飛ばし読みできるからではあるが、読者を引きつけて離さない力があるとも感じる。

 先週の3連休に1日半くらいで読んだ『彩霧』も、そんな清張の「駄作」の1つだ。

 

彩霧: 松本清張プレミアム・ミステリー (光文社文庫プレミアム)
 

 

  冒頭で銀行から金を持ち出した拐帯犯人とその愛人が描かれる。犯人は金と一緒に黒革の表紙が付いた大型の手帳を持ち出した。そこには、架空預金の名義と預金者である法人名の対照表と預金金額が記されていた。しかし犯人は警察に逮捕されてしまう。小説の主人公はこの犯人の友人であり、架空預金の証拠を握っているとして銀行に圧力をかけて友人である拐帯犯人を釈放させようと行動を起こす。

 この時点で、普通の読者なら主人公に感情移入することはできないだろう。それは私とて同じなのだが、清張作品においては強引な設定がなされていることは少なくないから、「これが清張のこの作品世界での約束事なんだ」と割り切って読めばそれなりに楽しく読める。

 以下、小説の核心部に関するネタバレの部分は文字を薄く読みにくくするのでご了承いただきたい。

 この小説の真の悪役は、拐帯犯人でも架空預金を預かっていた銀行でもなく、極悪な裏金融業者だ。

 本作の要点を衝いたレビューを『読書メーター』というサイトでみつけた。

 

bookmeter.com

 以下引用する。

竹園和明

魑魅魍魎たる金融界のウラの世界を抉った作品です。銀行の急所とも言うべきウラ資料を握り所属する銀行を脅した人間、彼との取引を反故にし裏切る銀行、それらを鳥瞰した位置から私欲のために駒を動かす金融界のフィクサー…と、二転三転する変化が白眉。細かいプロットにやや強引さはあるものの、ガラス張りとは到底言い難い金融業界の一端を覗いたようで面白かった。この業界にはこんな感じの怖い裏世界が実在するのだろう。結局は“実力者”が勝者となる世界。世の中の縮図を見るようでやるせない感じ。

 そう、この小説では謎は解明されるものの、巨悪は摘発されず、凱歌をあげて終わるるのだ。 勧善懲悪の結末が多い清張作品でも異例だ(短篇にはこの手の結末が比較的多いが、長篇には珍しい)。この小説は、矮小な悪人が犯罪を犯して始まり、次いでその小悪人の友人である主人公が登場し、こともあろうか罪を犯したその友人を助けようとするが、結局巨悪が勝利を収め、主人公が助けようとした小悪人は巨悪一味によって殺され、主人公が懸想していた女性も同じ一味の手に落ちて終わる。だから主人公に感情移入できないばかりか、巨悪が勝利の凱歌をあげるという最悪の結末を迎える。こんなに読後感の悪い小説はそうそうあるものではない。だから、これまで読んだどの清張作品と比較してもネット検索で読むことのできる感想文の評価が低いのだ。しかし私はむしろ、こんな人を食った小説を書いた清張の稚気愛すべしと思って結構面白く読んだ。ただ、清張作品を全然ご存知ない方には全くお薦めできない作品であることは言うまでもない。

 なお、今週から清張の『黒革の手帖』を原作とする同じタイトルのテレビドラマが、武井咲主演で始まったらしいが(2017年7月20日〜、テレビ朝日)、本書の解説(山前譲氏執筆)に『黒革の手帖』と本作の関係について言及があるので、以下引用する*1

  数多い松本作品のなかでもとくに人気の高い作品に、1978年から80年*2にかけて週刊誌*3で連載された『黒革の手帖』と題する長編がある。銀行の預金係だった地味な女性が、架空預金から七千五百万円余りを横領し、これを資金として銀座のクラブ経営に乗り出す。その時、手元の架空預金者リストを取引の材料にして、銀行の告訴から逃れていた。

『彩霧』はこの作品の男性バージョン、いや失敗バージョンといえるだろうか。ここで銀行は横領した行員を見逃しはしなかった。しかしそれは、新たな弱みを生み出すことになってしまうのだ。そうした金融業界の「黒い霧」はさらに、連続する不可解な死へと発展していく。社会派小説と謎解きミステリーが絶妙にマッチングしているのがこの『彩霧』だ。

松本清張『彩霧』(光文社文庫,2015)406頁=山前讓氏の解説文より)

  謎解きに関しては、トリックは清張作品の多くに見られるように凝り過ぎだし、探偵役を務める小悪人の友人(知念という名前の男)が大した手がかりもないのにズバズバと勘を当てて解き明かす過程はあまりにも不自然だ。私は正直言って、トリック作家としての松本清張は大して買っていない。有名な『砂の城』など、そのトリックについてだけ言えば、はっきり言って最低の作品だろう。

 しかし、粗削りで奇をてらった作品と評すべき『彩霧』(『オール讀物』1963年1〜12月号連載)で活かし切れなかった架空預金をめぐる悪事というアイデアを、15年後の『週刊新潮』の連載で再度用いて、今度は本作のような駄作とは一転して代表作の一つにしてしまった清張は、やはり並の作家ではない。

 なお私は、本作を清張最晩年の短篇集『草の径』(1991)冒頭に収録されている「老公」を読んだあと続けて読んだが、偶然にも「老公」の舞台である西園寺公望の別荘地「坐漁荘」の所在地である興津が舞台の一つになっている。本作中には、

戦前は元老の別荘の所在地で有名だった。(259頁)

駅近くの停留所に降りて、「かもめ荘」の所在を訊くと、そこは元老のいた坐漁荘の跡近くだった。(265頁)

 と、2箇所で(固有名詞は出していないものの)西園寺に言及していた。

 「老公」は清張最晩年の1990年に書かれたが、清張の全作品の中でも屈指の短篇だと思った。80歳を過ぎた最晩年になってなお新境地を切り開いたこの作品については、稿を改めて論じたいと思う。ここでは、この短篇を読んだ直後に、同じ興津が作中のほんの一部だけとはいえ舞台になる長篇を読んだ偶然が可笑しかったことだけを記録しておく。なお「坐漁荘」は『昭和史発掘』で2.26事件を扱った部分などにも出てくる。

 清張作品は量が膨大であることもあって、この手の偶然によく出くわす。これまたレビューを書きそびれている『状況曲線』(1976〜78年『週刊新潮』連載)についても、そのあと立て続けに読んだ作品に同じトリックが使われていたというとんでもない偶然に遭遇して笑ってしまった。そしてこれまた偶然だが、『状況曲線』も静岡県が主要な舞台になっている(その他に東京と京都を舞台としている)。前記山前讓氏の解説文によると静岡県を舞台にする清張作品は少ないとのことだが、それらを立て続けに読んだことになる。しかし、山前氏が静岡県を舞台とした作品中の代表作として挙げていた中篇「天城越え」(1959年作。短篇集『黒い画集』に収録)は未読だ。

 なお『状況曲線』は、前記『黒革の手帖』と同じ『週刊新潮』連載の「禁忌の連歌」シリーズ第2作(『黒革の手帖』は第4作)で、このシリーズには他に第1作『渡された場面』と第3作『天才画の女』がある。私は先日『状況曲線』を読んだことでシリーズの4作をすべて読了した。

 しかしこれだけ読んでも、読了した分はまだ清張作品の半分にも達していない。

*1:なお私自身はドラマの第1回を見ていないし、第2回以降を見るつもりもないが。

*2:引用に際して漢数字を算用数字に変えた=引用者註。

*3:週刊新潮』=引用者註。