KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

保守野郎・エルガーが編曲した「ジェルサレム」が英労働党で愛唱され、左派人士・ホルストの「ジュピター」に歌詞をつけた愛国歌が右翼ネオリベ政治家・サッチャーの葬式で歌われていた

 前回に続いてイギリスの作曲家、エドワード・エルガーグスターヴ・ホルストとイギリス二大政党の話。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

「威風堂々」に対して、労働党の愛唱歌は「ジェルサレム」。今回書きたかったのはこの「ジェルサレム」の方なのだが、その余裕が今はない。

 

 「ジェルサレム」は全く知らなかったのですが、Wikipediaを見るとこんなことが書いてありました。

 

エルサレム」(英語Jerusalem)は、18世紀イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの預言詩『ミルトン』(Milton)の序詩に、同国の作曲家サー・チャールズ・ヒューバート・パリー1916年に曲をつけたオルガン伴奏による合唱曲。後にエドワード・エルガーによって編曲され管弦楽伴奏版も作られた。毎年夏に開催されている「プロムス」の最終夜において国歌『女王陛下万歳』、エルガーの『希望と栄光の国』と共に必ず演奏される。更にはラグビークリケットでのイングランド代表が国歌として使用しているなど、イギリス国内では様々な場面において特別な扱いを受けている歌である。労働党大会では『赤旗の歌』とともに必ず合唱され、他方では極右政党の党歌にもなっている。

 

出典:エルサレム (聖歌) - Wikipedia

 

 「ジェルサレム」(エルサレム)はエルガーが編曲して極右政党の党歌である一方、労働党大会で必ず合唱され、BBC主催で毎年夏にロンドンで行われる音楽祭「プロムス」では例のエルガー帝国主義万歳ソングや女王万歳ソングとともに必ず歌われる、「『右』も『左』もない歌、ってところでしょうか。

 「プロムス」は2009年に一度だけNHK-BSで見たことがあって、その時にはハイドンのトランペット協奏曲や、イギリスに帰化したジョージ・フレデリック・ハンドル(日本ではドイツ名のヘンデルで呼ばれる)のオペラ(題名は失念)だのを視聴しました。なかなか楽しそうな音楽祭だなとの印象でしたが、以後視聴したことはありません。

 エルガーの問題の音楽については‥‥

 

news.yahoo.co.jp

 

このときも、「威風堂々」は保守党の愛唱歌なので政治的にバイアスがかかっているといったコメントがあったような気がする。

 

 そうそう、2015年に文句をつけていた黒川滋氏(彼の指摘によって私はエルガーの一件を知ったのでした)がツイートしてたんじゃなかったでしたっけ。黒川氏の持ちネタといえるかもしれません。

 

 ところで、上記「ねとらぼ」から転載された上記記事に、下記のヤフコメがついていた。

 

記事にもあるようにエルガーの威風堂々第1番は歌詞が付けられ【Land of Hope and Glory(希望と栄光の国)】という超メジャーな愛国歌としてイングランドの人達に歌われています。 非常に口ずさみやすく気分が高揚する心の琴線に触れるメロディで、日本の紅白歌合戦の【蛍の光】のように英国国営放送のイベントで毎年歌われており誰もが知る曲となっています。 同じような経緯で歌詞が付けられた愛国歌にホルスト作曲の「惑星」より【木星】があります。平原綾香さんが歌ったメロディですね。 然しながらイギリスでは理想国家を希求する崇高な愛国歌であり、日本で歌われるような個人的な恋愛歌ではありません。 曲も「宇宙を描いた」訳ではありません。何人かの歌手が「宇宙を感じるメロディ」と言っているのを聞いた事がありますが、あれはタロットカードの暗示【快楽の神】からイマジネーションを得て作曲したものです。

 

 そんなわけでホルストの「ジュピター」(組曲『惑星』の第4曲「木星」)のゆっくりした中間部につけられた歌詞を持つ「我は汝に誓う、わが祖国よ」をWikipediaで参照すると、下記の記述があった。

 

イギリスの愛唱歌[編集]

1926年第一次世界大戦休戦協定記念式典で演奏されて以降、イギリスでは11月11日のリメンブランス・デー戦没者追悼の歌として歌われるようになった。1926年に賛美歌集 "Songs Of Praise" に収録されたときには、ホルストの友人レイフ・ヴォーン・ウィリアムズによって『サクステッド』と名付けられた。ホルストが曲を付けた背景に関しては、ホルストの娘イモージェンが以下のように証言している。

「歌詞に曲をつけるよう求められたとき、父は働きづめで大変疲れていて、『木星』の音に歌詞を合わせることに安らぎを感じていた。」[4]

ロイヤル・ブリティシュ・リージョン(w:Royal British Legion )によるリメンブランスデーの式典(11月11日の直前の日曜日もしくは土曜日に開催される)では女王、王族を含む参列者全員によって歌唱される(外部リンクを参照)。 王太子ダイアナがこの聖歌を好んだとされ、チャールズ王太子との結婚式で演奏されたほか、1997年のダイアナ妃の葬儀の際には長男ウィリアム王子の要望で演奏された。また2013年マーガレット・サッチャー元イギリス首相の葬儀でも歌唱されたほか、2021年エディンバラ公フィリップの葬儀では吹奏楽で演奏された。

 

出典:我は汝に誓う、我が祖国よ - Wikipedia

 

 ホルストの「ジュピター」はサッチャーの葬式でも歌われたのだった。「喜べ、地獄が民営化されたぞ!」との祝意でもあったのだろうか。

 なお、平原綾香武満徹も歌っていたらしい。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 Jiyuuniiwasate

今回の記事についていうと、
もうずいぶん前だが、テレビの歌番組で
平原綾香が「燃える秋」をうたっているの見て腰を抜かした。
これはよほどの通でないと取り上げない曲で、
平原にはよほどのブレーンがついているんだろうなと思った。
以下は、ハイファイセットのオリジナル。
https://www.youtube.com/watch?v=t25VumoZ2Q0

 

 下記は上記コメントへの私の返信。

 

 kojitaken

id:Jiyuuniiwasete

「燃える秋」は私が愛聴する石川セリの『SERI -TORU TAKEMITSU POP SONGS』(1995) には収録されてないんですよ。石川にはこの曲を含むCDもあるようですが、そちらは持っていません。私が持っているのは、ドミニク・ヴィスというカウンターテナーのクラシックの歌手が2002年に録音した『武満徹を歌う』というCDで、これには「燃える秋」が入っています。以前からずっと、どうもどっかで聴き覚えがあるような気がしてましたが、1978年にハイファイセットが出したシングルのB面でしたか。この歌のハイファセット版のほか、武満徹作品でないA面の「熱帯夜」という歌も聴いてみましたが、こちらは冴えない歌で全然記憶にありませんでした。1978年の歌謡曲だのニューミュージックだのは、深夜放送漬けになっていた当時の私はイントロ当てでほとんど正解できるほど熟知していたつもりですが(キャンディーズが引退し、ピンクレディーが『UFO』でレコード大賞を獲ったものの紅白歌合戦には出ないで日テレの番組に出た年でしたっけ。そうそう、ヤクルトが初優勝した年ですね)、「燃える秋」はB面曲だし、耳にする機会も数えるほどしかなかったに違いありません。でも、言われてみたら遠い昔に武満徹ハイファイセットに曲を提供したという話があったようなかすかな覚えがあるような気もしますが、錯覚かもしれません。

「燃える秋」は前記石川セリの『SERI -TORU TAKEMITSU POP SONGS』収録曲よりも少し劣るような気がしなくもありません。一捻りが足りないというか。

あと、いわくつきの映画の主題歌だったということは初めて知りました。

 

 「いわくつきの映画」については下記Wikipediaの記述を参照。

 

概要[編集]

三越社長の岡田茂の企画で制作された。三越の資金10億円を映画製作費に使ったとされる。この破格の予算に物を言わせて、小林正樹、稲垣俊、村木忍、武満徹といったスタッフを集結させた。当初、主演は三越のCMに出演していた栗原小巻で企画されていたが[1]、スケジュールが合わず、五木寛之がテレビCMで目にとめた真野響子が起用された[2]。岡田は三越の専属配送業者である大和運輸(現ヤマトホールディングス)に映画前売券の購入を強要し[3]公正取引委員会からの調査を受け[3]、大和運輸は三越と絶縁した。このような岡田による会社の私物化が社内で問題視され、後に岡田は解任された(三越事件)。そのため、この映画も三越の恥として公開後はお蔵入りとなり、ビデオソフト化はされていない。

以上の経緯のため、現在では幻の映画である半面、武満が担当した音楽が比較的よく知られており、稀に映画祭などで特別上映されると、かえって集客力のある奇妙な立ち位置の作品となった[注 1]

あらすじ[編集]

画商・影山(佐分利信)の愛玩品として弄ばれることに疲れきった桐生亜希(真野響子)が、京都祇園祭宵山の雑踏の中で若い商社マン・岸田(北大路欣也)に出会い、ペルシャ絨毯の美を教えられる。やがて影山はガンに侵され、亜希にペルシャ絨毯とそれを生んだイランへの航空券を残して死ぬ。亜希は影山の遺志でイランに旅立つ。

 

出典:燃える秋 - Wikipedia

 

 三越事件の発覚は1982年だが、それよりも映画がイランのパフラヴィー(パーレビ)王朝末期の作品だったことが興味深い。イラン革命は1979年2月に成就した。

 ハイファイセットが歌った武満徹の曲は、武満がビジネスライクに徹して書いた不本意な音楽だったともいわれている。ようだ。だから石川セリの名盤『SERI -TORU TAKEMITSU POP SONGS』(1995) に収録されなかったのかは知る由もないが。

 石川セリ版には発売当時に武満徹自身の推薦文が添えられていたが、発売のわずか数か月後に武満徹が死去したのだった。命日は1996年2月20日

行進曲「威風堂々」で有名なエルガーは、自らの曲を保守党以外には使わせなかったつまらない保守作曲家だった。しかも「威風堂々」につけられた歌詞には、領土拡大を礼賛する帝国主義的な一節が含まれている。まるでプーチンの応援歌だ

 私は2014年にコナン・ドイルシャーロック・ホームズ全集を小林司東山あかね訳の河出文庫版で読み、昨年1月以来アガサ・クリスティの全ミステリ読破を目指して読み続けている。後者については今月もミス・マープルもの長篇第7作の『パディントン発4時50分』(原著1957, 松下祥子訳ハヤカワ・クリスティー文庫版,2003)を読んだ。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 この作品はキャッチーな題名のせいか、読書サイトを見ると「初めて読んだミス・マープルもの」という読者が多数いて、多くの方が「意外な犯人」に驚いていたが、クリスティ作品をずっと読んできた私は既にクリスティの「癖」を熟知するに至ったので、クリスティが初期の作品からずっと続けてきたある特徴に当てはまる犯人候補を解決の場面より前に一人に絞り込むことができ、今回も犯人当てにだけは成功した。クリスティの「癖」とは何かということは、ここでは書かない。そんなことは読者一人一人が気づくべきことだからだ。

 犯人当てだけはできたけれども、「犯人がわかってしまってつまらない」作品では決してなく、楽しく読めた。本作は作者66歳か67歳の時に書かれた、中期と後期のどちらに分類されるのかは知らないが、70歳近くなっても筆力の衰えはあまり見られない。「あまり」と書いたのは、さすがに「全く見られない」とまではいえないと思ったからだ。まあこの頃のクリスティ作品はまだほとんど読んでいないので評価は保留するが。

 とはいえ、1930年代後半に書かれたポワロものの『死との約束』と『ポワロのクリスマス』で続けざまに犯人当てに完敗したあと、1940年代から50年代の作品にかけてはそのような作品にはほとんど出会えずにいる。これらの作品の多くには、前述のクリスティの「癖」に当てはまる登場人物がいて、だいたい犯人の見当がついてしまうのだ。それでも読ませるところが中期・後期クリスティの特徴といえるかもしれない。

 ところで、コナン・ドイルアガサ・クリスティもゴリゴリの保守派人士だった。しかし彼らが書いたミステリは面白いし、ことにクリスティは年を経るに従って人間観・社会観が初期の紋切り型から変化して深みを増していったことが感じられる。

 しかし、イギリスの大作曲家とされるエドワード・エルガー(1857-1934)はそうはいかない。

 本記事を書こうと思ったのは、『kojitakenの日記』の下記記事にいただいたコメントがきっかけだ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 suterakuso

>ましてやチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は派手ではあるが内容の深さを欠く

うぐっ…。実はけっこう好きなんです。もちろん、冒頭の派手なピアノの部分だけですけど…。幼少期に早朝に見ることがあった、テストパターンのバックミュージックへの親しみのせいかもしれませんが。まあ、クラシックで好きなものといえば、威風堂々とかジュピターとかをあげるような人間が好きという程度のことですけど。これらは、簡単演奏編曲のしやすさもありますよね。ちなみに、好きな作曲家を強いてあげればバッハでベートーベンなら悲愴第2楽章が好きとかです。…それ、クラシック好きやない! ですかね。

 

 「ジュピター」という文字列を見た時、最初はモーツァルトかと思いましたが、違いますよね。平原綾香、もといホルストのほうですよね。私のような世代だと、1976年に冨田勲シンセサイザー用に編曲した印象が、平原綾香(2003)と同じくらい強く残っています。

 グスターヴ・ホルスト(1874-1934)は今回槍玉に挙げるエルガーと同じくイギリスの作曲家*1ですが、思想信条はエルガーとは対照的な左派で、私は『惑星』以外の彼の作品をほとんど知りませんが、『惑星』は冨田勲シンセサイザーより元のオーケストラ版の方が良いと思います。冨田勲なら『惑星』より前の3作の方が良かったという印象かな。ドビュッシーアラベスク第1番はピアノ曲より前に冨田勲で知りました。

 なお下記ブログ記事によると、ホルストには「日本組曲」というタイトルの曲もあるとのことです。

 

flautotraverso.blog.fc2.com

 

 さて、ようやく本題のエルガー批判に入る。といっても以前『kojitakenの日記』に取り上げたのと同じ内容で、ただこちらのブログを立ち上げる前の記事だったので、「読書と音楽の」と銘打ちながら音楽の記事がほとんどない弊ブログに音楽の記事を入れておこうと思った次第。

 上記コメントで言及されている「威風堂々」はエルガーで唯一広く知られた行進曲だが、作曲者のエルガーがとんでもなくつまらない保守野郎だったという話だ。

 以下は『kojitakenの日記』2015年5月9日付記事からそっくり引用する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 エドワード・エルガーは、ネット検索をかけなければファーストネームが思い出せない程度の、普段全く気に掛けていなかったイギリスの作曲家である。その作風はきわめて保守的であって、面白みも何もない。表向き保守的な印象でありながらその実十二音音楽の始祖シェーンベルクに影響を与えたブラームスとも違って、エルガーの音楽は骨の髄まで保守的なのだ。芸術の保守(革新)性と政治的立場のそれとは必ずしも一致せず、むしろ相反する例が多いような印象も持っているが、エルガーの場合はみごとに一致していたらしい。保守党の勝利に終わった今回のイギリス総選挙の結果は、さぞエルガーのお気に召すことだろう。


 5/8 史上初の任期満了による英国総選挙: きょうも歩く(2008年5月8日)より

  • 日本では、行進や卒業式などに使われる「威風堂々」という曲、作者エルガーは、保守党政権の英国を鼓舞する趣旨で作曲したので、労働党員には使わせるな、と言っていたらしくて、残念な話だなぁ、と私は思っています。


 この話、知らなかったので調べてみたら、確かにエルガーの遺志によって保守党以外の政党には「威風堂々」を使わせないことになっているらしい。

 希望と栄光の国 Land of Hope and Glory エルガー

希望と栄光の国
Land of Hope and Glory
エルガー「威風堂々」中間部のメロディがイギリス愛国歌に


イギリス愛国歌『希望と栄光の国 Land of Hope and Glory』は、イギリスの音楽家エルガー作曲による『威風堂々』第1番のメロディに歌詞をつけた楽曲。作詞はイギリスの詩人アーサー・クリストファー・ベンソン(Arthur Christopher Benson)。

『威風堂々』第1番は1901年に作曲され、同年10月22日にロンドンのクイーンズホール(Queen's Hall)で開催されたコンサートでは、当時としては異例の2連続アンコールが巻き起こったという。

イギリス国王エドワード7世も絶賛

当時のイギリス国王エドワード7世(Edward VII/1841-1910)も同曲を絶賛。エルガーは国王の依頼を受け、その中間部の壮麗な旋律に歌詞をつけて、翌年に作曲した『戴冠式頌歌 Coronation Ode』終曲として、この『希望と栄光の国 Land of Hope and Glory』を誕生させた。

その後、同曲はイギリスの愛国歌・第2の国歌として位置づけられ、独立した楽曲として演奏される機会が多い。ロンドンで夏に開催されるクラシック音楽コンサート「ザ・プロムス / The Proms / BBCプロムス」では、その最終夜「Last Night of the Proms」のアンコールで恒例として毎年必ず演奏されている。

サッカー応援歌や入退場BGMにも

『希望と栄光の国』は、サッカーイングランド代表サポーターが試合中やハーフタイムなどに応援歌として歌うことがあるほか、日本ではJリーグ浦和レッズのサポーターが応援チャンツとして同曲のメロディを(『威風堂々』の一部として)用いている。

また、イギリスのロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)は、同曲のメロディをコンサートの登場時にBGMとして用いていたほか、イギリス保守党保守統一党)における党大会の最終日で党員が退場する際にも使用されている(エルガーの遺志により他党は使用できないそうだ)。

ちなみにアメリカでは、学校の卒業式で卒業生が入場する際のBGMとして使用されているという。これは、米国コネチカット州のイェール大学(Yale University)から1905年に音楽博士号を授与された際、同大学の卒業式で『希望と栄光の国』のメロディが使用されたことがはじまりだという。


歌詞の意味・日本語訳(意訳)

Land of Hope and Glory, Mother of the Free,
How shall we extol thee, Who are born of thee?
Wider still and wider Shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty, Make thee mightier yet.


希望と栄光の国 自由の母よ
如何に汝を賞揚せん
誰ぞ汝により生まれ出でん
汝の領土は更に拡大を続け
汝を強大ならしめた神は
今も汝を強大ならしめん


なんだ、侵略行為を讃える帝国主義の歌か。最低だな。日本で言うなら北一輝岸信介安倍晋三かってところか。

こうして、好きでも嫌いでもなく無関心だったエルガーという作曲家がいっぺんに大嫌いになったのだった。

 

(『kojitakenの日記』2015年5月9日)

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20150509/1431130543

 

 引用文中の赤字ボールド部分は7年前に記事を公開した当時のもので、「日本で言うなら北一輝岸信介安倍晋三かってところか」と書いたが、今ならウラジーミル・プーチンを引き合いに出すところだ。

 「威風堂々」につけられた歌詞には、領土拡大を礼賛する、今ならプーチン主義とでもいうべき帝国主義を称える一節が含まれている。

 リベラルや左派は、チャイコフスキーショスタコーヴィチなんかではなく、ホルストの行進曲「威風堂々」第1番こそ排除の対象とすべきだろう。

 エルガーを聴く時間があるなら平原綾香を聴けってとこか。

*1:ネット検索によるとホルスト姓は北欧系とのことで、ルーツは北欧なのかもしれない。「グスターヴ」という名前がグスタフ・マーラーを連想させるのでドイツ系の人かと思ったが違うようだ。

東野圭吾『白夜』(1999)は作者最高傑作の「暗黒小説」かも/新田次郎『山が見ていた』/アガサ・クリスティ『死が最後にやってくる』

 今年の3月はあまり暇がなかった上にちょっとしたトラブルもあった散々な月だったが、2月24日に始まったウクライナ戦争で思い出していたのは先月読み終えた大岡昇平の『レイテ戦記』だった。熱帯のフィリピン・レイテ島と冬季の北の国とで気候は真逆だけれども、兵站のことなどろくに考えずにロシアが侵攻したという報道が本当であれば、ロシア軍の兵士たちの中には1944年から翌年にかけてフィリピンで経験した日本軍兵士たちのような目に遭っている人たちもいるかもしれない。

 今月は本はミステリ3冊しか読了していないし、ロシアや北欧の音楽について書きたいと思っているがそれは別記事に回し、読んだミステリ3冊について書く。

 まず新田次郎 (1912-1980)の短篇集『山が見ていた』(文春文庫)が新装版になっているのを本屋で見て買ったが、山岳小説集かと思って読んでみたら新田自選のミステリ集だった。

 

books.bunshun.jp

 

 1980年に亡くなった新田自選の「初期短篇集」だから古色蒼然で、戦争の傷痕を感じさせる短篇もある。難点はミステリとしてはあまり面白くない作品が多いことで、やはり新田次郎は山岳小説が良い。山岳と関係するのは冒頭の「山靴」と最後に置かれた表題作「山が見ていた」だけだ。山岳作品以外では悪人を描いた「沼」が面白かった。

「山が見ている」の舞台はなんと奥多摩の低山・大岳山(1266m)。私もかつて横浜市在住時代の1998年10月末に、御岳山(929m)から大岳山を経て奥多摩駅に降りる縦走をしたことがある。まだ当時の地元に近い丹沢山塊に対しても恐れをなしていた頃だ。初めて丹沢の表尾根を縦走したのは翌1999年5月であり、丹沢になじんで以降は奥多摩には行かなくなった。

 しかし大岳山のような低山であっても遭難する時には遭難するし、生命の危機に晒される。現に本作の主人公は自死するために大岳山に行った。作中に出ている馬頭刈(まずかり)尾根は知らなかったので「山と高原地図」の「奥多摩*1で確認した。ただミステリとして見るなら、途中で結末が予想できるし、その通りの展開となったのは物足りない。なお、奥多摩駅は1971年までは氷川駅という名前だった。その頃の作品。

 

 昨年1月から毎月読んできたアガサ・クリスティは今月も『死が最後にやってくる』(1945)をハヤカワ文庫版で読んだ。クリスティ作品としては無名の部類だと思うが、イギリスの推理小説協会が1990年に選んだ推理小説ベスト100の83位に入っている*2

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 上記リンクからも想像がつく通り、古代エジプトを舞台とした異色作だが、中身はイギリスのアッパーミドルクラスの階級で展開されるいつものクリスティ作品の構図と全く変わらない。ただ舞台を古代エジプトにしたのは、クリスティ執筆時における現実のイギリス社会が戦争によって大きなダメージを受けたために、舞台と時代を変えたくなったものかもしれない。とはいえ事件は上層階級で起きるし、トリックよりも登場人物の心理が興味の中心である点は、中期クリスティならではの安定した面白さを備えているといえる。難点はクリスティ作品を読み慣れた読者にとっては犯人の推定があまりにも容易であることだ。以下のネタバレ部分は白文字にする。

 被害を受けたと見せかけて実は犯人だが、なぜか登場人物たちが誰が犯人かと推理する過程ではその名前が出てこないというパターンは、初期のたわいない凡作と私がみなしている『エンド・ハウスの怪事件』(ハヤカワ文庫版では『邪悪の家』)に典型的にみられる通りだし、「怪しいのになぜか容疑者候補として名前が挙がらない」人物が犯人というパターンだけに限ればクリスティ作品には非常に多い。それらを知っていれば、犯人はヤーモス以外にあり得ないことは、毒を盛られたはずの彼が死ななかった時点で簡単に推測できてしまうのである。

 従って、イギリスの推理作家たちには申し訳ないが、本作をクリスティ作品中の上位に挙げることは、私にはできない。

 

 3冊目は、忙しい時に限ってなぜか読んでしまう東野圭吾の大作『白夜行』(1999)で、集英社文庫版で読んだが本文だけで850ページほどもある。しかもまだ同文庫が文字を大きくする前の小さい字の本だ。

 

www.shueisha.co.jp

 

 しかし東野作品はエンタメだし読みやすさは冒頭部分を除いて抜群なので、冒頭部分だけはやや乗らなかったが、第3章から最後の第13章までは2日で読んだ。

 以下の文章はネタバレを含むし、クリスティ作品の場合と違って白文字にはしないので、知りたくない方はここで読むのを止めていただきたい。

 昨年12月に公開した下記記事で、東野の『むかし僕が死んだ家』(1994)について下記のように論評した。

 

 読んでいる最中に思ったのは、東野は1994年にこんな小説を書いていたのかということだ。この本は東野には珍しく内発性を感じさせた。東野にはあざといまでの職人芸を感じさせる本が多く、技巧は大したものだと感心しながらもどうしても好きにはなれなかった。だが本書は違った。ただ、内発的にこんな話が出てくる東野圭吾という人が持つ「虚無性」にはちょっとぎょっとさせられた。そしてこの人なら、私が批判し続けて止まない『容疑者Xの献身』(2005)のタイトルにある「献身」という言葉をダブルミーニングとして用いていることもあり得るのではないかと初めて思った。つまり、東野自身は自らが描いた「容疑者X」の行為が本当に「献身」であるなどとは全く考えていない可能性だ。俺の読者たちはあれを読んで本当に「感動」してるんだぜ、あんなのは「献身」でもなんでもないのに、と東野自身が思っている可能性がある。これまではさすがにそれはあり得ないだろうと思っていたが、本書を読んで、そうではないかもしれないと初めて思った。

 

出典:https://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2021/12/31/141023

 

 『白夜行』は前記『むかし僕が死んだ家』と同じモチーフを用いた「悪人小説」だ。松本清張にも登場人物が全員悪人である小説があるが、清張作品は東野作品なんかよりほど皮肉たっぷりな人生観に貫かれているのに対し、東野作品から感じられるのは「虚無性」だ。本作は『むかし僕が死んだ家』以上に東野の内発性が感じられる作品であって、その東野が『容疑者Xの献身』が本当に「献身」であるとは全く考えていないという私の「推測」は『白夜行』を読んで「確信」に変わった。

 『むかし僕が死んだ家』では、ヒロインの沙也加は幼時の記憶を失っていたが、『白夜行』の悪のヒロイン雪穂は記憶をずっと保持している。『白夜行』はその雪穂と、影の方に彼女に寄り添う亮司を主人公とした悪人コンビの物語だ。雪穂は幼時の記憶を保持し続けたために、浦沢直樹の漫画『MONSTER』(雑誌連載1994-2001)のヨハンのようなモンスターになってしまった。もっとも、本作の印象は『MONSTER』よりもアゴタ・クリストフの『悪童日記』(1986)に近い。

 作品の舞台は最初が大阪、のち東京であって、これは東野圭吾自身の経歴と同じだ。ヒロインの雪穂は1981年*3に高校を卒業しているから1962年または63年の生まれであって、作品の舞台は1973年から1992年まで、つまり雪穂(と亮司)が10歳から29歳までの間にまたがっている。私もほぼ同世代なので時代背景はよくわかる。なお東野圭吾は1958年2月4日生まれで、雪穂たちより5歳上である。

 本作を読む前に、私は一つだけネタバレによって知っていた情報がある。それは物語の最後に悪人が生き延びるというものであって、それがなかなか本作を読む気を起こさせなかった理由の一つだった。しかし、読み進めるに連れて本作で生き残るのは雪穂だけであって、亮司は最後には死ぬのではないかと思い始め、それは終盤に進むにつれて強い確信に変わった。果たしてその通りの結末だった。雪穂は自殺した亮司など「全然知らない人です」と言い放って去って行った。悪の根を失った悪の華はそのあとどうなっただろうかは読者の想像に任されている。そして東野には『幻夜』(2004)という事実上の本作の続篇があるらしい。この作品は本作ほどの高評価は得ていないが、本作に迫る長さとのこと。ネット検索をかけると、東野には両作に続く3作目の構想があるがまだ執筆されていないとの情報があった。

 現在では東野作品が文庫化される時には解説文がつかないが(村上春樹作品と同じだ)、東野が直木賞を獲て大物になる前の2002年に文庫化された本作には、ノワール*4を得意とする馳星周(1965-)が解説を寄せており、その馳が「嫉妬した」ほどの「暗黒小説」のレベルを誇る。馳はまた飲み仲間である7歳年上*5の東野には「陰惨」なところがあると書いているが、7歳年上の人に対してずいぶんズケズケと書くものだなと感心すると同時に、おそらく馳は自身の中にある「陰惨」なものを自作に反映させているのであろう。そうでなければこんな文章は書けない。私は何も馳や東野を非難しようと思ってこんなことを書いているのではない。人間誰にも(もちろんこの文章を書いている私自身にも)陰惨なところがあるのであって、それを抉り出して小説にしたところに彼らの真骨頂があるということだ。文学に限らず、人間誰しも持つ破壊衝動や死の衝動を作品に転化させるのは、芸術(エンタメ作品も含む)では当たり前の行為だ。

 『白夜行』について、これまでネットで読んだ各種感想文であまり触れられていないことを書くと、悪の2人組である雪穂と亮司は属する階級も異なり、互いの関係も対等ではなく、亮司は悪事が発覚して剃髪されそうになったら自らの命を絶って雪穂を守らなければならなかったという極端な非対称性があることだ。2人の属する階級は最初は同じだったが、雪穂だけが「成り上がった」。

 上の階級に属する雪穂は悪事を行う時も直接手は下さない。成り上がる前に起きた母親の死には「母親の自殺を見殺しにした」以上の積極的関与があった疑いがあるが、それですら疑惑止まりで、あとは悪事に直接関与せず、すべて亮司に犯行を命じたと推測される。「推測される」というのは、雪穂と亮司との会話はおろか、二人が同時に現れる場面さえ全く作中に描かれないからだ。その亮司は最初の父親殺しを初めとして、亮司の犯行がついに露呈して*6亮司が自殺に追いやられる原因になった最後の「かつての使用人殺し」、それに雪穂の秘密をつかんだ探偵の今枝と、他にもいたかもしれないが手を下して何件もの殺人を犯している。しかし最後の今枝殺しは、同じく亮司が実行犯となった3件の女性襲撃事件とともに、雪穂が命令したという以外の解釈は不可能である。従って雪穂と亮司とは同格なのではなく、ラスボスの独裁者はあくまでも雪穂であって、亮司もまた雪穂の犠牲者であったといえる。東野圭吾がその雪穂を最後に生き延びさせたことは、続篇を書く意図が最初からあったためであって、さらに3部作の意向が東野にあるとしたら、もしかしたら東野は前述の『悪童日記』を書いたアゴタ・クリストフ(1935-2011)の『ふたりの証拠』(1988)と『第三の嘘』(1991)を意識しているのかもしれない。しかし仄聞というか、ネットでチラ見したところによると、『小説すばる』に連載された『白夜行』では、前述の通り雪穂と亮司との会話はおろか二人が同時に描かれることさえないのに対し、『週刊プレイボーイ』に連載された「幻夜」では悪のヒロインと相棒の男との会話があり、命令する側とされる側という関係がはっきり示されているとのことだ。つまり一作ごとに物語が重層化して謎を深めていったクリストフ作品とは逆に、東野作品では二作目は一作目より構造が単純化されてしまった可能性があり、それが第三作に着手できない原因になっているのではないかなどと、第二作を読んでもいないにも関わらずアンチ東野ならではの勝手な想像をしている。

 本作を東野圭吾の最高傑作とする意見が結構多いらしいが、それは妥当な評価だと思う。それとともに、本作のような「暗黒小説」であれば東野の才能を認めても良いとは私も思う。ただ、『容疑者Xの献身』のような本当の極悪小説を「献身」だの「純愛」だのが描いた作品として「傑作」と評価されていることに対しては大いに異を唱えるし、それに対して何も言わない東野自身に対しても、今まで以上に強い批判的態度をとらなければならないと確信するに至った次第。

 東野圭吾は、政治にかつて関わったり今も政治家をやっている人になぞらえるなら、橋下徹山本太郎と相通じる人ではないだろうか。間違っても香港の反体制活動家・周庭が読んで楽しむべき作家ではないことだけは絶対に間違いない。

 周庭が愛読しているのは、村上春樹東野圭吾だそうだが、二人はともに文庫本に解説文をつけさせない共通点はあるが、二人の作品世界は全く異なる。

 そうそう、亮司に命じて自らの秘密を探る探偵を殺させた『白夜行』のヒロイン・雪穂から連想される人間がもう一人いた。それは、政敵を次々と毒殺させたロシアの独裁者。ウラジーミル・プーチンだ。橋下徹山本太郎プーチン寄りの意見を再三表明してきた*7。そして東野圭吾も自作のヒロイン・雪穂とその相棒・亮司に寄り添った作品を書いたが、自らも成り上がった東野が本当に寄り添っていたのは雪穂であって、東野は最後に亮司を切り捨てることに躊躇はなかったのだった。

*1:1990年代の古い版ではなく、2014年に雲取山に登る前に買い直したもの。

*2:https://www.aokiuva.com/bbest100crimeallcwa.html。クリスティ作品では5位に『アクロイド殺し』、19位に『そして誰もいなくなった』が選ばれているが、この2作に次ぐクリスティ作品の第3位とされている。

*3:作中では「五十六年」と、元号(昭和)を省略して書かれている。

*4:暗黒小説。「ノワール」とはフランス語で「黒」の意味。

*5:馳は1965年2月18日生まれ、東野と同じく早生まれなので、学年でも馳は東野の7年下になる。

*6:この証拠が露呈するくだりは、東野がのちに書いた『聖女の救済』(2008)を連想させる。なおこの作品の結末でヒロインは逮捕されるが、東野は彼女を殺していない。

*7:機を見るに敏な橋下は掌返しを始めたようだが。

「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。」(大岡昇平『レイテ戦記』より)

 2月に読み終えた本は5タイトル7冊。多くの時間を割いたのは大岡昇平の『レイテ戦記』(中公新書, 2018改版)の第2〜4巻だった。ことに第2巻を読むのに難渋し、一度の週末では読了できずに2週間に分けた。それに続く第3巻はそれぞれ土日の2日間、第4巻は索引や書誌等が某大なので本文は本の厚さの半分くらいだから次の土日の1日ちょっとで読んだ。それで2月20日の日曜日に読み終えることができた。

 1944年10月12〜16日の台湾沖航空戦に「大戦果」を挙げたとする大本営発表は虚報だったが、海軍はその誤りを訂正もしなかったから陸軍はその虚報を信じて作戦を立て、同10月20日からのレイテ島の戦いに突っ込んで行った。軍部自らが大本営発表に騙されるという信じ難い醜態が、8万4千人の兵士を投入して生還したのがわずか5千人、死亡率実に94%という悲惨な戦いだった。大岡昇平は1944年10月から1945年8月までのレイテ島での戦争を、日本側だけではなくアメリカ側の資料に立脚して戦闘の細部に至るまで記述し、それをノンフィクションではなく小説と自ら分類した。そんな内容だから読書に時間がかかるし、大変な忍耐力を要する。

 ネット検索で、下記ブログ記事を発見した。本書から抜粋されている。

 

blog.goo.ne.jp

 

 これまでに書いたことに対応する大岡昇平の文章は下記。

 

●「4 海軍」

 大本営海軍部はしかし、【台湾沖航空戦後の】敵機動部隊健在の真実を陸軍部に通報しなかった。今日から見れば信じられないことであるが、恐らく海軍としては全国民を湧かせた戦果がいまさら零とは、どの面さげてといったところであったろう。しかしどんなにいいにくくともいわねばならぬ真実というものはある。

 

●「5 陸軍」

 山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。真珠湾の米戦艦群を撃破したのは、空母から飛び立った飛行機のパイロットたちであった。レイテ島を防衛したのは、圧倒的多数の米兵に対して、日露戦争の後、一歩も進歩していなかった日本陸軍の無退却主義、頂上奪取、後方攪乱、斬り込みなどの作戦指導の下に戦った、第16師団、第1師団、第26師団の兵士たちだった。

 

   *

 

 死んだ兵士の霊を慰めるためには、多分遺族の涙もウォー・レクエムも十分ではない。

 

   家畜のように死ぬ者のために、どんな弔いの鐘がある?

   大砲の化物じみた怒りだけだ。

   どもりのライフルの早口のお喋りだけが、

   おお急ぎでお祈りをとなえてくれるだろう。

 

 これは第一次世界大戦で戦死したイギリスの詩人オーウェンの詩「悲運に倒れた青年たちへの賛歌」の一節である。私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。75ミリ野砲の砲声と38銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る唯一のことだからである。

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/humon007/e/ec4fdf55d65e24e4f4b04786889032ef

 

 現在のロシアとウクライナの戦争に当てはめるなら、プーチンやゼレンスキーやバイデンのことばかり言っていても、戦争を語ることには全然ならない、全くのナンセンスだということだ。戦争を戦うのは兵士たちである。

 その当たり前のことを骨の髄までわからせてくれただけでも、6度の土日にまたがる難行苦行の読書をやった甲斐があったかもしれない。ただ、間違っても楽しい読書ではないので、覚悟のある人にしかおすすめはできない。とにかく負け戦に次ぐ負け戦で、日本軍は自軍の兵士たちの命をとことんまで大量に消費し続けた。気が滅入らない方がおかしい。

 他には4冊しか読めなかった。うち3冊はアガサ・クリスティのミステリで、いずれも1940年代前半、つまり第2次世界大戦中に書かれた作品。読んだ順に挙げると『ゼロ時間へ』(1944)、『愛国殺人』(1940)、『スリーピング・マーダー』(1976)で、これは作品の出来の良さの順番でもある。即ち『ゼロ時間へ』が一番面白い。まあこれは中期の代表作の一つとして定評のある作品のようだ。ポワロもマープルも出てこない。『愛国殺人』はポワロもので、作中でポワロはある左翼かぶれの女性から「ブルジョワ探偵」と非難される。作者のクリスティ自身もゴリゴリの保守派だ。だが結末は、戦時中の日本だったら政府筋からいちゃもんがついた可能性のあるのでは、と思った。まあ意外な犯人ではないのだが。『スリーピング・マーダー』は没後発表のミス・マープル最後の事件だが、執筆は1943年で、その後8冊のマープルものが書かれたので、マープルものとしてはむしろ早い時期の作品。しかも「ミス・マープルが最後に解決した事件」というわけでもなんでもない。つまり『カーテン』とは全く特徴が異なる。「特徴は犯人当ての容易さであり、以下ネタバレを白文字で書く(普通の端末だと空白に見えるはず)。

 アマゾンカスタマーレビューや読書メーターを見ても指摘する人はいなかったのだが、犯人の名前と職業があの有名作と同じだ。ミス・マープルのモデルも同じ作品に出てくる人物だから、明らかに意識的な設定だろう。あの作品の特徴は「意外な犯人」だったから、それとは対照的な「当て易い犯人」の作品を書いて、自らの死後に読んでもらおうとクリスティは考えたのではなかろうか。クリスティはクリスマス用にだったか、超絶に当て易いトリックを用いた短篇も書いたことがある。トミーとタペンスものの『おしどり探偵』中の一作だ。それと同様の読者へのプレゼントのつもりだったのだろうとの仮説を提起しておく。

 残る1冊はみうらじゅんの『清張地獄八景』。文春からムックで出ていたものが昨年文庫化された。

 

books.bunshun.jp

 

 つまり『レイテ戦記』以外はいずれも軽読書だった。

江戸川乱歩の発禁本「芋虫」は衝撃的/大岡昇平『レイテ戦記』第1巻(中公文庫2018年改版)と特攻隊

 昨年(2021年)は読んだ100冊のうち42冊がアガサ・クリスティだった。今年はその比率を減らそう、というより自動的に減ることになる。というのは、ポワロもの長篇の6割(33冊中20冊)とミス・マープルもの長篇の半分(12冊中6冊)を読み終え、短篇集も半分以上(ハヤカワのクリスティ文庫で14冊中8冊)読み、今年に入ってもトミー&タペンスものの2冊目と3冊目(短篇集『おしどり探偵』と長篇『NかMか』)を読んで、こちらも6割(5冊中3冊)になったからだ。しかし、まだミステリ読みの惰性が強く残っているので、3年前に手を出した江戸川乱歩(下記リンク参照)に再び手を出した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 3年前は角川文庫を読んだが、今回は新潮文庫の傑作選を読んだ。短篇9篇が収録されている。うち「二銭銅貨」、「D坂の殺人事件」、「心理試験」の3篇は、3年前に読んだ角川文庫にも収録されていたが、今回も飛ばさずに読んだ。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 不思議なことに、角川文庫には収録されていなかった「二癈人」と「赤い部屋」にもうっすらとした記憶があった。しかし、「屋根裏の散歩者」、「人間椅子」、「鏡地獄」、「芋虫」の4篇は初めてだった。

 ブログで取り上げようと思ったのは、最後に置かれた「芋虫」が衝撃的だったからだ。それまでの8篇とはある種の断絶があると思った。そして1929年に発表されたこの作品は10年後の1939年に発禁になり、2年後の1941年には乱歩の全作品が事実上の発禁になったという(表向きの発禁は「芋虫」のみ*1)。

 新潮文庫版の9篇の初出は下記の通り。

 

 

 確かに発表時期も「芋虫」だけ少し離れている。

 最初の「二銭銅貨」が書かれたのは今からちょうど100年前の1922年で、翌1923年に発表された。アガサ・クリスティがポワロもの長篇第2作の『ゴルフ場殺人事件』を刊行したのが同じ1923年だ。そして乱歩が「D坂の殺人事件」から「人間椅子」までを書いた1925年にクリスティは最高傑作との呼び声が高いポワロもの長篇第3作『アクロイド殺し』を書いた(刊行は翌1926年)。

 クリスティは『アクロイド殺し』が大評判をとった1926年に失踪騒動を引き起こし、同じ年に母が死去し、2年後の1928年には離婚するなどして一時スランプに陥ったが、乱歩も早々とネタ切れ気味になってきた。たとえば「人間椅子」は面白いけれども「赤い部屋」に発想が似ていると思った。すると新潮文庫の解説で荒正人(あら・まさひと, 1913-1979)が

空想の型という点では、「赤い部屋」などに多少似ているようにも思われる。

と指摘していたので、やっぱりそうだよなあ、と思った。「人間椅子」は「赤い部屋」とは掲載誌も異なるのでどんでん返しの二番煎じをやったのかもしれないが。

 クリスティは1930年代に入って『オリエント急行の殺人』(1934)や『そして誰もいなくなった』(1939)などいくつものピークをなす作品群を作り、60歳になった第二次大戦後にも、ほかならぬ乱歩が絶賛した『予告殺人』(1950)を発表したが、乱歩はミステリ作家としては大正時代後期の1923〜26年(大正12〜15年)に形成したピークを再び作ることはできなかった。もっとも有名な『怪人二十面相』は1936年の作品で、以後は少年向け小説とミステリ評論が主な業績になっている。

 しかし、昭和という暗い時代に入った1928年に書かれた「芋虫」はあまりにも衝撃的だ。この作品は当初『改造』からの依頼で書かれたが、あまりの過激さのために掲載を拒否されたという。以下、手抜きで申し訳ないけれどもWikipediaから引用する。

 

博文館の雑誌『新青年』の昭和4年(19291月号に掲載された。『新青年』編集長延原謙からの「「芋虫」という題は何だか虫の話みたいで魅力がないから、「悪夢」と改めてもらえないか」という要望により、掲載時のタイトルは『悪夢』とされた。ただし乱歩自身は「「悪夢」の方がよっぽど平凡で魅力がない」と評しており、平凡社版『江戸川乱歩全集』第8巻(19315月)への収録に際し、題名を『芋虫』に戻している。

当初は改造社の雑誌『改造』の依頼で書かれたものであったが、内容が反軍国主義的であり、さらに金鵄勲章を侮蔑するような箇所があったため、当時、左翼的な総合雑誌として当局ににらまれていた『改造』誌からは、危なくて掲載できないとして拒否された。このため乱歩は本作を『新青年』に回したが、『新青年』側でも警戒して、伏字だらけでの掲載となった。延原編集長は掲載号の編集後記で「あまりに描写が凄惨を極めたため、遺憾ながら伏字をせねばならなかつた」と釈明している。なお、この代わりに『改造』に掲載されたのが『』(『改造』19299月号 - 10月号)である。また、戦時中多くの乱歩作品は一部削除を命じられたが、本作は唯一、全編削除を命ぜられた。

創元推理文庫の乱歩自身の解説によると本作品発表時に左翼からは「この様な戦争の悲惨を描いた作品をこれからもドンドン発表してほしい」との賞賛が届いたが、乱歩自身は全く興味を示さなかった。

上述の戦時中の全面削除については「左翼より賞賛されしものが右翼に嫌われるのは至極当然の事であり私は何とも思わなかった。」「夢を語る私の性格は現実世界からどのような扱いを受けても一向に痛痒を感じないのである」と述べており、この作品はイデオロギーなど全く無関係であり、乱歩の「人間のエゴ、醜さ」の表現の題材として四肢を亡くした男性主人公とその妻のやりとりが描かれているにすぎない。

乱歩が本作を妻に見せたところ、「いやらしい」と言われたという。また、本作を読んだ芸妓のうち何人もが「あれを読んだら、ごはんがいただけなかった」とこぼしたともいう。

 

出典:芋虫 (小説) - Wikipedia

 

 新潮文庫の解説は、有名な左翼でもあった前述の荒正人が1960年12月に書いた文章が2009年に改版されて字が大きくなった現在も残っている*2。以下引用する。

 

「芋虫」は、作者のグロテスク趣味の極限を代表する佳作である。この作品が発表された当時は、プロレタリア文学の盛んだった頃で、反戦小説として激励されたりした。だが作者は、そんな意図のもとに書いたのではないと言っている。苦痛と快楽と惨劇を書きたかったのだと言っている。これも*3探偵小説ではないが、探偵小説の枠を一層拡げたものと言えなくもない。――これは初め、『改造』のために書いたものだが、検閲に通らぬのではないかと心配し、結局『新青年』に廻し、伏字だらけで発表された。戦争中、乱歩の作品は部分的削除を命じられたが、「芋虫」だけは、発売禁止になった。その点でも特異な作品である。今日の読者は、残酷物語の一篇として読むかもしれない。

 

(『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫1960, 2009年改版349頁=荒正人による解説文より)

 

 実際、江戸川乱歩は左翼どころか戦時中に大政翼賛会に迎合した人だった。たとえば1943年8月には「翼賛壮年団豊島区副団長」になっている*4。しかし「芋虫」に関していえば作品が作者を超えていた。

 つくづく思うのは、アガサ・クリスティはイギリスに生まれて運が良かったということだ。クリスティはデビューが第1次大戦後の1920年で、第1次大戦の戦勝を受けて書かれた1920年代の作品は、超傑作『アクロイド殺し』は別として、その能天気な世界観というか社会観というか人生観に正直言って抵抗を感じないわけにはいかないが(ことに5作あるアドベンチャーもの)、第2次大戦を受けて書かれた作品には、第1次大戦後の作品群の能天気さは影を潜めて、アドベンチャーものであるトミー&タペンスの『NかMか』(1941)を、同じ主人公の短篇集『おしどり探偵』(1929)のあとに続けて読むと、最近読み慣れていた1940年前後に書かれた他のクリスティ作品と共通する陰影が感じられた。12年間で確実に表現力が増している。クリスティは生涯を通して成長を続け、それが作品に反映された作家だった。しかし、日本(やドイツ)で戦争中に「陰影を感じさせる作品」を書いたらどんな目に遭ったかわからない。クリスティも1940年前後には作品が作者を超えるに至っていた。

 戦争といえば、ずっと積ん読にしていた大岡昇平の『レイテ戦記』(中公文庫、2018年改版の全4冊)を先週末から読み始めた。

 

www.chuko.co.jp

 

 小説というよりはノンフィクションではないかと思わせるこの作品を、大岡本人は「小説」に分類したという。前から図書館に中公文庫旧版の上中下の3巻本(1974年初版)が置いてあったが、字が小さいのに分厚いので敬遠していた。2018年の改版で字が大きくなったために3巻本だとさらに分厚くなるためだろう、4巻本に改められた。3巻本が置いてある図書館ではなかなか置き換えられないだろうと思って購入したが、第2巻だけ買ってなかった。昨年後半に第2巻を買ったので、年が明けたら読もうと思っていたものだ。

 最初はとっつきが悪くて読みにくかったが、昨日、第1巻の核心部ともいうべきか、それとも巻末の解説文で大江健三郎

長篇『レイテ戦記』のなかで、独立した中篇として読みとりうる完成度をそなえている。それがになっている課題の大きさ重さもぬきんでていよう。(本書425頁)

と称賛する第9章「海戦」、第10章「特攻」には引き込まれた。おかげで、1日で第1巻の後半である第9章から第11章「カリガラまで」を、付録の大岡昇平自身の講演録(1969年, 山梨英和短期大学主催の文芸講演会)及び前述の大江健三郎による解説(岩波書店大岡昇平集10』1983より転載)と合わせて一気に読んだ。この調子で、残り3冊も来週以降の週末にでも毎週1冊ずつまとめ読みできれば良いが、できるかはわからない。

 ことに、本書に関して議論の的になるであろう、大岡が特攻を「限られた少数ではあったが、民族の神話として残るにふさわしい自己犠牲と勇気の珍しい例を示した」と評している点に関して、大岡の講演録と大江の解説文とは強い関連性を持っている。ここは明らかに誤読されやすいばかりか率直に言って危うさを感じさせる箇所だし、現に民族主義者の筆者の手になると思われる下記ブログ記事を参照すると、あの小林よしのりが『レイテ戦記』の特攻評価に強い影響を受けているらしい。

 

koichiiwahashi.com

 

 以下関連箇所を引用する。

 

ところで、レイテ戦で初めて出現した特攻という戦術に対して、司令部の外道性は糾弾しつつも死に臨む搭乗員に美を感じるところは、大岡の文学者としての感性なのでしょうか?あるいは憐憫に過ぎないのか?

特攻に関する記述は小林よしのり戦争論』に多く引用されていたので、本書からかなり影響を受けていますね。

 

出典:https://koichiiwahashi.com/ISBN4-12-200132-3

 

 大江健三郎は注意深く下記のように書いている。

 

 ここに契機として出されている特攻の自己犠牲と勇気という評価が、やはり著者独自の、幾重にもかさねられた周到な思考の層の上に浮き出てくるさまを、大岡昇平の精神像のわれわれとしての構築に誤った短絡をおこなわぬためにも、つづいての「神風」の章を見ておきたい。(本書425頁)

 

 これに続く論考は、大江の解説文の中でも白眉だと思われるが、短文に要約する能力は私にはないし時間も限られているので、興味をお持ちの方は直接中公文庫2018年新版の『レイテ戦記』第1巻を直接ご覧いただきたい。少しだけ書いておくと、兵士に選択の自由があった比島沖海戦での特攻と兵士に強制された沖縄戦での特攻を大岡が峻別していること(425頁)、特攻が搭乗員にとってのみならず、敵方に対しても残虐兵器だったと大岡が指摘していること(426頁)などを大江は挙げている。また山梨の講演で大岡は、特攻と似たような戦法はイタリアに先例があるが、敵艦に時限爆弾を仕掛けたイタリア兵は敵艦の上に上っていって一定時間後に時限爆弾が爆発することを敵の船長に告げる、つまり船は沈めるけれども人間は助けるという考え方をしているとも言っている(411頁)。しかし特攻が強制された沖縄戦では生きて帰ってきたら怒られるという。また大岡は特攻が現地(フィリピン)で自然発生したという通説をとりながらもつとに中央の方針として決定していたのではないかとの疑念も呈していると大江は指摘する(426頁。実際本文の文庫本328頁にその記述がある)。前述の強制性に関して、大岡は志願兵と徴兵制を対比して後者を批判している。

 この第1巻で私が舌を巻いたのは、前記大岡の講演録と岩波の選集に収録されていた大江の解説文の2つを巻末に収録した中公文庫の編集者たちのセンスだ。抜群に良いと思った。

 私の感想をいえば、それでも、いや、それらがあるからこそ大岡昇平の結論の言葉には同意できない部分が残るということになる。現に、大岡の言葉を誤読してしまったとしか思えない小林よしのりのような悪例が存在し、小林は1990年代を中心に右翼たちに多大な悪影響を与えた。また、フィリピンでの特攻でも何度も出撃してそのたびに生きて帰ってきた兵隊がいて上官に罵倒されていた。2018年に刊行された鴻上尚史『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)に詳しい。なお私は鴻上の特攻観に対しても留保をつけた記憶がある。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 『レイテ戦記』については、続きを来月以降に書いて公開するかもしれない(書かないかもしれないが)。

 今年に入って他に読んだのは、2004年に刊行された池内紀『となりのカフカ』(集英社新書)と昨年末に刊行された本間龍の『東京五輪の大罪』(ちくま新書)。前者は面白かったが、後者は著者と私との立場はほぼ同じであるにもかかわらず全く面白くなかった。たまにこういうことがある。過去に2冊読んだことがある香山リカの本が2冊ともその例だった。心に全く響かない。いわゆる「相性が悪い」というやつかもしれない。

*1:https://rampo-world.com/nempyo.htm

*2:2012年6月10日発行第98刷にて確認。

*3:その前に置かれた「鏡地獄」と同様に=引用者註。

*4:https://rampo-world.com/nempyo.htm

2021年12月に読んだ本;斎藤幸平『人新世の「資本論」』、東野圭吾『むかし僕が死んだ家』とアガサ・クリスティ『カーテン』と浦沢直樹『MONSTER』のトライアングル、そして佐藤優の駄本『生き抜くためのドストエフスキー入門』など

 今年(2021年)も昨年に続いて思うような読書はできなかった。昨年は66冊*1しか読めなかった。ちょうど100冊を読みはしたものの、半分以上が10年前には見向きもしなかったミステリだった。うちアガサ・クリスティ作品が42冊(冒険ものなどを含む)だった。昨年来のコロナ禍の影響で仕事の手数が増え、自由時間が圧迫されたのが最大の理由だ。

 今月(12月)はことのほか時間がとれなかったのでブログの更新回数も激減したが、ミステリ以外の4冊を含む8冊を読んだ。しかしわれながらつまらない帳尻合わせだったな、とも思う。

 まず、月の初め頃に懸案にしていた斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書,2020)をようやく読んだ。最近の本に多い二重カバーに私の大嫌いな佐藤優白井聡の名前が大々的に出ており、ネット検索をかけると著者と白井の対談が引っかかりもする。

 

www.bookbang.jp

 

 本書はマルクスや経済の本というよりは「気候変動に本気で立ち向かえ」と檄を飛ばす本だ。気候変動対策はもう待ったなしであり、そんな時に富裕層の欲望を満足させるための経済成長など論外だと言っている。但し、貧困に苦しむ人たちなどにとっての経済成長は必要だとも書かれている。

 そこでなぜマルクスか。マルクスと脱成長とは食い合わせが非常に悪いのではないかとは本書を読む前に私が思ったことでもあった。時間とスペースをあまりとれないので前記白井聡との対談から著者・斎藤幸平の言葉を引用する。

 

斎藤 これまでマルクス主義者は、どうしても生産力至上主義という発想にとらわれていたので、非常に優秀な研究者でも、なかなか脱成長という考え方を受け入れることができませんでした。

 正直なところ、私自身も、経済成長や技術発展の可能性に関して楽観視していたところがありました。実際、去年の夏に海外の出版社に提出した出版企画書にも、脱成長を批判しつつ、マルクスは持続可能な発展を擁護していたと書いていたくらいでしたから。

 しかし、気候変動が急速に深刻化していくなかで、認識を改めざるを得なくなった。特に、グレタ・トゥーンベリたち「未来のための金曜日」や、イギリスの「絶滅への反逆」という社会運動から衝撃的な影響を受けました。そういった運動に理論が応答するためにも、『未来への大分岐』(集英社新書)の内容を発展させていったわけですが、そうするなかで、「経済成長パラダイム」そのものを乗り越えることを真剣に検討することを強(し)いられたのです。

 そして、そうした目で、マルクスが残した膨大な手書きの研究ノートを検討するなかで、最晩年のマルクスが、脱成長を機軸にしたコミュニズムに転換していることに気がついてしまった。

(中略)『資本論』第一巻を刊行したあと、マルクスはまとまった著作は出していませんが、晩年の彼の遺したノートには、現代の問題を解決する大きな鉱脈が眠っています。人々が持続可能な社会で、豊かに暮らすために、資本主義社会を乗り越えないといけないということを、最もはっきりと示した思想家がマルクスなのです。繰り返せば、資本主義を前提とする限りでは、解決策はない。これは、グリーン・ニューディールで「緑の成長」をめざすケインズ主義とは完全に異なるマルクス独自の発想です。

 

出典:https://www.bookbang.jp/review/article/670677

 

 「SDG's (sustainable development goals = 持続可能な開発目標)ではもはや気候変動への対処は不能」との斎藤の主張には賛否両論があろう。ただ私の直感をいえば、斎藤の主張は否定しきれないと思った。2004年に中国が1950〜60年代の日本のような一大土建国家に化しつつあると思われる光景を目撃した時、こういうのが世界各地でずっと続いたら地球は持たなくなるんじゃないかと思った時の印象が強いからだ。そしてここ数年、気候変動が大きくなったことを体感できるようになったと思っている。そんな時代なのに麻生太郎が「平均気温気温が2度上がったおかげで、北海道のお米はおいしくなった」などという暴言を発した。いうまでもなく麻生の暴言は下記「BuzzFeed」のファクトチェックを参照するまでもなく「誤り」だが、麻生のように気候変動に全く問題意識を持たない政治家に、ついこの間まで財務大臣を長年にわたって担当させてきた政党を秋の衆院選に勝利させたこの国に絶望感を抱かずにはいられない。

 

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 ところで斎藤幸平の本を絶賛していた一人が佐藤優だ。私はこの佐藤が大嫌いで、近年はことにマルクスを悪用して人々の牙を抜いてしまおうとしているかのような一連の講演録を読んでは腹を立てていた(それらをブログで取り上げたことがないと記憶するが)。先日本屋に行ったら相変わらず池上彰とつるんで講談社現代新書から駄本を出していたが買わなかった。しかしドストエフスキーの「五大長篇」を解説した講演会を活字化した下記新潮文庫は薄かったので買って読み、またしても激怒したのだった。

 

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 何に腹を立てたかというと、佐藤が『カラマーゾフの兄弟』に出てくる「大審問官」の論理を大々的に肯定していたことだ。佐藤は、カラマーゾフ家の三男・アリョーシャが心酔したゾシマ長老の遺体が腐敗したのは「ゾシマが間違えた信仰をしていた」*2からだという。ロシア正教では「聖人は腐らない」*3はずだというのだ。そして「大審問官」を、佐藤の講演当時総理大臣だった菅義偉や、プーチン、そして習近平らも同じ考え方をしている、と言いつつ*4、「ドストエフスキーが、大審問官を肯定的に評価しているのは明らかではないでしょうか」*5と言い放っている。つまり佐藤は菅(義)やプーチン習近平を肯定しているともとれる。私はこれを読んで、佐藤は自らを大審問官になぞらえているのではないかと疑った。またこのような佐藤のあり方は、佐藤が創価学会を強く擁護していることとも関係があるかもしれないとも思った。

 私は佐藤に強く反発したので、またドストエフスキーを読み直してみようかとも思った。『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』はこれまで二度ずつ読んだが(もしかしたら『罪と罰』は3度読んだかもしれない)、他の3長篇は一度ずつしか読んだことがなく、ことに1989年に『悪霊』を読んだ時には集中して読めなかった。「五大長篇」の中では最後に、岩波文庫から米川正夫訳の久し振りの重版がされた時に読んだ『未成年』を読んだのは確か「3」のつく年だったはずだが、それがスワローズが日本一になった1993年だったか、タイガースが星野仙一監督下でリーグ優勝した2003年だったかは思い出せなかった。この記事を書くために引っ張り出してみたら1993年だった。現在は工藤精一郎訳の新潮文庫も(おそらく文字が大きくなって)再版されているはずだから、30年前後読み返していない3長篇と、『カラマーゾフの兄弟』の三度目は是非読もうと思った。なお、過去二度読んだ時には、ゾシマ長老の遺体が腐敗したのはドストエフスキーの皮肉なリアリズムゆえだとしか思えなかった。

 非ミステリの3冊目は山本圭『現代民主主義』(中公新書, 2021)。これは春先に買った本だったと思うが、途中まで読んだところで止めていて、そのことさえ忘れていた。今月に入ってようやくそのことに気づいて残りを読んだ。こんなありさまなので論評はできない。中公のサイトへのリンクのみ示す。

 

 コロナ禍に入る前は頑張ってかつて苦手意識を持っていた村上春樹を呼んでいたが、コロナ禍以降この人の本から再び遠ざかっていた。ただ、小説としては最後に*6、記録を調べてみると2019年12月に読んだ『羊をめぐる冒険』(1982)が、苦手意識を持つに至ったその前の2冊から受けた印象とずいぶん違っていたので、いずれその2冊を読み返してみようとはその時から思っていたのだったが、かつての苦手意識が災いしてなかなか手が出なかった。しかしスワローズが日本一になった今年のプロ野球日本シリーズをきっかけに、2作のうち、1978年4月1日のプロ野球開幕日に当時スワローズの選手だった故デーブ・ヒルトン(2017年に67歳で死去)の二塁打を見て書こうと思い立ったという『風の歌を聴け』(講談社文庫新版2004, 単行本初出1979)をおそらく三十数年ぶりに読み返した。

 

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 つまり今年のスワローズがトリガーとなった読書だった。ちなみに1978年の日本シリーズ西宮球場での第3戦に5対0で完敗したスワローズが続く第4戦でも5回を終えて5対0とリードされ、6回表に4点を返したものの9回表も盗塁失敗で二死無走者になったところから一人走者が出て、そこで先発の今井雄太郎山田久志に代え損ねた阪急・上田利治監督の隙を突いて、ヒルトンが左翼席に逆転2ランをかっ飛ばした。高校の中間試験のために学校に午前中しかいなかったためかどうか、私はこのヒルトンの逆転2ランを白黒テレビで見て、当時はまだ「にわかスワローズファン」でしかなかったとはいえ、鳥肌が立った*7。翌日の第5戦では、初回からスワローズ打線が前日セーブを挙げ損ねた山田久志を打ち込んで快勝し、敵地で連勝して王手をかけた。ヒルトンの一発が文字通り流れを変えたのだった。

 今年はスワローズが日本一になったので、ついつい野球の話にそれてしまったが、当時苦手意識を持った村上作品を再読して意外に思ったことは、細部が奇妙に記憶に残っていたことだ。読んだ時には熱狂したのに、後年になったら何も覚えていない本が少なからずあることと鋭い対照をなす。

 作品の舞台の「人口7万と少し」の街が兵庫県の芦屋市をモデルにしているに違いないことは、村上と同様に阪神間に育った人間*8として読んだ当時から印象に残っていたが、それ以外にも、14歳になるまで全然しゃべらなかった「僕」が突如として三ヶ月間しゃべりまくり、そのあとおしゃべりでも無口でもない普通の少年になったこととか、指が4本しかない女の子のこととか、レコード屋の店員をしていたその女の子から、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番のレコードをバックハウスとグールドのどちらかを選ぶかと聞かれてグールドを選んだことなど。今回は、真ん中の方に出てくる6回表に投手陣が崩壊したプロ野球のチームは、きっと神宮球場で読売を相手にした時のスワローズ、いやアトムズなんだろうなと思った。村上が本作を書いた1978年にスワローズは優勝したが、1970年に「アトムズ」と言っていた頃には本当に弱くて、確か読売戦と阪神戦の対戦成績がともに5勝21敗で、勝率2割にも満たなかったはずだからだ。調べてみるとこの年のアトムズは33勝92敗5引き分けで、優勝した読売には45.5ゲーム差、5位中日には22ゲーム差をそれぞれつけられた。アトムズは読売と阪神以外の3球団との対戦成績も23勝50敗5引き分けで、3回に1回も勝てなかったのだ。なんというおそるべき弱さ。12月24日生まれの本書の主人公とは違って、1949年1月12日生まれの村上春樹は、1970年には既に東京に住んで早稲田大学に通っており、これも本書の内容とは違って京都生まれで生粋の「芦屋っ子」ではない村上(西宮市在住歴もある)*9は、当時両親の家があった芦屋に帰省する生活を送っていた。当時の阪神間アトムズファンなどほとんどいなかったに違いない。いしいひさいちが住んでいた岡山も同様だが。なおジャイアンツを相手に新人投手がノーヒットノーランを記録する話も出てくるが、まるで1987年の中日・近藤真一を予告しているかのようだ。

 残り4冊がミステリ。まず嫌って止まないはずの東野圭吾をまた読んでしまった。クリスティさえ読む時間がない時、腹立ち紛れに手を出してしまう。今回は1994年に書かれた『むかし僕が死んだ家』(講談社文庫, 1997)だった。

 

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 ヒロインの沙也加という名の少女には幼い頃の記憶が全然ない。一度も名前が表記されない沙也加のかつての恋人である主人公が、沙也加とともに長野県の山の中にある「幻の家」に行き、彼女の記憶を取り戻そうとする話。

 ヒロインの名前は先日「自殺」が報じられた芸能人と同じだが、松田聖子に代表される「80年代の文化」やそれを承けた「90年代の文化」が嫌いな私は、ヒロインの名前からこの芸能人を連想することは全くなかった。当該の芸能人は私が本書を読み終えた翌日(12/18)に自殺し、そのニュースを知ったのはさらにその翌日だった。ネタバレを避けるために曖昧な書き方をするが、本書では沙也加は「死んだが、死ななかった」。

 読んでいる最中に思ったのは、東野は1994年にこんな小説を書いていたのかということだ。この本は東野には珍しく内発性を感じさせた。東野にはあざといまでの職人芸を感じさせる本が多く、技巧は大したものだと感心しながらもどうしても好きにはなれなかった。だが本書は違った。ただ、内発的にこんな話が出てくる東野圭吾という人が持つ「虚無性」にはちょっとぎょっとさせられた。そしてこの人なら、私が批判し続けて止まない『容疑者Xの献身』(2005)のタイトルにある「献身」という言葉をダブルミーニングとして用いていることもあり得るのではないかと初めて思った。つまり、東野自身は自らが描いた「容疑者X」の行為が本当に「献身」であるなどとは全く考えていない可能性だ。俺の読者たちはあれを読んで本当に「感動」してるんだぜ、あんなのは「献身」でもなんでもないのに、と東野自身が思っている可能性がある。これまではさすがにそれはあり得ないだろうと思っていたが、本書を読んで、そうではないかもしれないと初めて思った。

 なお本作の主人公はその『容疑者Xの献身』が含まれる「ガリレオシリーズ」を思わせるものだが、その第1作である『探偵ガリレオ』(1998)より前に本作は書かれている。もしかしたら「ガリレオシリーズ第0作」なのではないかと思ったが、読了後ネット検索をかけると、今年(2021年)刊行されたシリーズ最新作に本書の主人公との関係が示唆されているらしい。まあそんなのを読む日がいつになるか、あるいは本当に来るかどうかはわからないが。

 もう一つ強く思ったのは、このヒロイン・沙也加は、まるで浦沢直樹の長篇漫画『MONSTER』(1994〜2002)のヒロインのニナ・フォルトナーみたいだなということだ。本の最初からそう思ったが、最後にニナ(アンナ)が漫画の初めの方で発したさる印象的な言葉を沙也加が発したことを「思い出した」場面を読んで、さらに強く思った。それで、漫画家の浦沢直樹というより編集者の長崎尚志が、1994年当時にはまだ売れっ子ではなかった東野圭吾の『むかし僕が死んだ家』を読んでいた可能性はないだろうかと思ったのだった。本書は今では講談社文庫から出ているが、単行本初出は双葉社で、同社が出している月刊誌『小説推理』に連載されていたという。双葉社は『漫画アクション』を出している出版社だから、漫画雑誌の編集者が本作を参考にした可能性はなきにしもあらずではなかろうか。少なくとも、一部から漫画連載時に似ていると言われていたアゴタ・クリストフの『悪童日記』(1986)などよりよほど類似性は高いだろう。

 なお、チャーミーという猫が出てきた時点で、文庫本の解説文を書いている推理作家の黒川博行氏がそのからくりに「ピンときた」そうだが、私も同じだった。私の場合その理由は、昔、『水もれ甲介』という石立鉄男主演(弟役を演じた原田大二郎の印象も強かった)のドラマの再放送を見ていたからだ。あのドラマには村地弘美が「チャミー」(朝美)という愛称の妹の役で出ていた。ところがそのあとに本物の「さやか」が出てきたからかえって面食らった次第。小説の最後がどうなるかは、東野自身のガリレオシリーズ第6作『真夏の方程式』(2011)からほぼ見当がついたし、概ね予想通りの結末だった。その結末はまたしても漫画『MONSTER』を強く連想させるものだったが、本作の方が早く、しかも『MONSTER』の連載開始の半年前に刊行されている。

 残る3冊がアガサ・クリスティだが、まず戯曲『検察側の証人』(1953)を読んだ。

 

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 これは、1925年に発表された同名の短篇小説*10を1953年に戯曲に書き改めたもので、結末が変えられている。私は短篇を既に読んでいた。短篇の結末と戯曲の結末のどちらが良いとも私にはいえない。ただ、加藤恭平(1936-1985)訳のヒロインの名前を「ローマイン」とする表記はいただけない。彼女の名前は "Romaine" であり、「ローマイン」ではドイツ読みでも英語読みでもないからだ。短篇集の小倉多加志(1911-1991)訳も古いが、こちらの「ロメイン」の方が良いと思う。発音記号は [rouméin] らしいので、「ロウメイン」または「ローメイン」がより近いかもしれないが、「マイ」はいただけない。「ローマイネ」ならまだ良いかもしれないが。私が言いたいのは「イギリス風かドイツ風かどちらかであってほしい」ということだ。「ローマイネ」だとどちら風かわからない。もっとも、かつて "Irene" をアメリカ英語では「アイリーン」、イギリス英語では「アイリーネ」と発音するという話があったから、「ローメイネ」なのかもしれないが、いずれにせよ「ローマイン」はないだろうと勝手に思っている。ドイツ人なら "Romeine" と綴りそうな気もするが、このあたりになると英語も決して得意ではなく、ましてやドイツ語にはさっぱりの私があまり変なことは書かない方が良いかもしれない。

 クリスティの2冊目はクリスティファンの間で高く評価されているらしい『五匹の子豚』(1942)。ポワロものの長篇第21作とのことだが、第19作『愛国殺人』と第20作『白昼の悪魔』が図書館で借り出し中だったために先に読んだ。

 

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 なるほどこれは名作だ。クリスティが技巧の限りを尽くしている。真犯人はいかにもクリスティが犯人に設定しそうな人物で、私は最初の頃からこの人物を疑っていたが、クリスティが繰り出すミスリーディングに引っ掛かって意見を変えてしまって失敗した。ただ、印象に残る度合いでは先月読んだポワロもの長篇第18作『杉の柩』の方が上かもしれない。あの作品には犯人の意外性が欠けており、読者が犯人を外しようがないのが欠点といえば欠点かもしれないが。解説者は『五匹の子豚』が「名犯人」だと書いていたが、私がより強くそう思うのは、マープルもの第4作の『予告殺人』の犯人の方だった。これは1950年にクリスティが60歳に達して後期に差しかかった頃の作品だから、余計にそう思うのかもしれないが。

 ところで本作はクリスティが中期から後期にかけて多く書いた「回想の殺人」つまり殺人が犯されてから長い年月を経たあとに蒸し返される殺人事件を書いたもののうち最初に発表された作品だが、実際には本作の前にクリスティの死後(1976年10月)に発表されたマープルものの最終作『スリーピング・マーダー』の方が先に書かれていたことを本書の解説を読んで知った。

 それなら、クリスティを41冊読んできた今年最後にその『スリーピング・マーダー』か、またはそれと同じ頃に書かれたポワロものの最終作『カーテン』を読んでみようかと思った。区の図書館に行ったら前者は置いてなくて後者だけ置いてあったので、今年最後に読み終える本はクリスティの『カーテン』になった。クリスティの死の前年、1975年に刊行されたが、書かれたのは1940年代初頭だという。

 

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 以下、露骨なネタバレだけは避けるが、内容を強くほのめかすことは避けられないので、未読かつそれを知りたくない読者はこの続きを読まないでいただきたい。

 

 私自身は回避しがたいネタバレによって、「ポワロが○○」のと「ポワロが××」ということは知っていた。ただ「××」は表現が微妙になる。

 少年時代の1974年か75年に『アクロイド殺し』を「もしかしたらこいつ自身が犯人ではないか」と疑いながら読んでいたところ、級友にその通りであることをネタバレされるという被害を受けて、以後昨年末までクリスティ作品をどうしても読めなかったことを弊ブログに何度も書いた。その反動で今年だけで一気に42冊も読んでしまったが、本作がこの42冊目という縁起の悪い数字にふさわしい作品であることは、発表当時の世評などから知っていた。それに、クリスティが死後に発表するつもりだった本作を死の前年に発表した頃には、エラリー・クイーンの某作とその結末をネタバレによって不幸にも知っていた(おかげで当該作品は今に至るまで読んだことがない)ので、クリスティが同じことをやった可能性が高いのではないかと、刊行が発表された報道を知った時から思っていた。そしてそれは想像通りだった。その後45年間クリスティは読まなかったので記憶が曖昧になってはいたが、つい最近ダメ押しのネタバレを食って、やはりそうだったかと改めて思った。

 そして、もしそういう小説なら、その中身は先ほど東野圭吾作品の時にも引き合いに出した浦沢直樹の『MONSTER』みたいなものなのではないかとひそかに想像していた。とはいっても、ニナ・フォルトナーが記憶を取り戻す件ではなく、漫画のタイトルになっているモンスターみたいな人物とポワロが対峙するのではないかとの想像だ。

 その想像は当たっていた。本作の犯人と読者に思わせた「X」こそ、『MONSTER』に出てくるヨハンのような人間だった。話の展開はその通りとなったが、ことにポワロの相棒のヘイスティングズまでもが○○○○○とした時には少なからずぎょっとした。だが、それほどの事情でもなければポワロが○○を実行できないというエクスキューズなんだろうなと容易に想像がついた。同時に「X」の正体はこいつで間違いないとの見当もついた。「読書メーター」の感想文を見ると「X」が誰かは早い段階でわかったという方が多かったが、そういう方はおそらく「ポワロが××」との情報を読む前から知っていたのではないか。それを知っていれば「X」が誰かであるかの推定はきわめて容易だ。

 ただ、『MONSTER』と本作とでは解決が大いに異なる。漫画の方では主人公のテンマとヒロインのニナがずっととろうとしていた手段が最後に否定される。というより、ニナがテンマを止めた。この漫画には第9巻と第18巻の2箇所に大きなクライマックスがあるが、後者が前者を否定するところにこの漫画の強いメッセージ性がある。これは浦沢直樹というより編集者の長崎尚志の思想によるものではないかと私は想像するし、私は『カーテン』よりも『MONSTER』に軍配を上げるものだ。

 その観点からいえば、例の東野圭吾の『容疑者Xの献身』はどうなるか。「X」に虐殺された「技師」なるホームレスは『カーテン』の「X」でもなく『MONSTER』のヨハンでもない。殺される理由など全くなかった人間だ。その人を虫けらのように殺した「容疑者X」の行為が「献身」や「純愛」に当たるとは、作者の東野圭吾自身も全く考えていないのではないか。今月の一連の読書で強く思ったのはこのことだ。

 このように、エンタメ小説や漫画であっても考える材料はいくらでもある。

 なお、『カーテン』のハヤカワ文庫版に解説を書いた推理作家の山田正紀によると、『カーテン』はドイツ軍によるロンドン大空襲が行われた日に書き始められたという。その日は1940年9月7日だ。そして山田は、

この『カーテン』で描かれる「究極の悪」こそは、なにより「戦争」の象徴たるべきものではないか。この恐るべき犯人の、犯行の動機ともいえない動機こそは、「戦争」の純粋悪そのものではないだろうか。(本書374頁)

と書く。山田は「究極の悪」「純粋悪」と表現しているが、ここでも『MONSTER』でニナ・フォルトナーがヨハンを「絶対悪」と形容したことを思い出させる。しかし、ニナ(とテンマ)はエルキュール・ポワロとは異なる結論を出したのだった。

 なおこの問題については、ヒトラー暗殺計画に加担して処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー(1906-1945)を持ち出すまでもなく、簡単に結論が出せないことはいうまでもない。

 ただ、東野圭吾の『容疑者Xの献身』に描かれた犯人を「献身」「純愛」などの美辞麗句で持ち上げるのが論外であることだけは絶対に間違いない。いくらエンタメ小説であってもそのような受け取り方は言語道断であろう。

 以上で2021年の読書ブログ記事を終わる。クリスティ作品では、年初くらいはノーテンキなものを読もうと思って、1920年代の小説の中では唯一未読だった『おしどり探偵』(1929)を正月に読もうと思っているが、作者の全盛期だった1930年代の小説は、恋愛小説や一部の短篇を除いてほぼ読み尽くしたので、来年は今年のように「クリスティばかり読む」状態から脱却するつもりだ。仕事にもう少し余裕ができれば良いのだが。

 それでは皆様、良いお年をお迎えください。

*1:上下巻あるいは上中下巻は1冊とカウントする。

*2:本書214頁

*3:同213頁

*4:同203頁

*5:同208頁

*6:2019年12月に『羊をめぐる冒険』を読んだ直後に、ジャズ・ロック・クラシックの音楽評論集『意味がなければスイングはない

*7:テレビで見た野球中継で同様の記憶があるのは、他に2001年のMLBワールドシリーズ第5戦で、ヤンキースの打者が9回二死無走者から同点ホームランを打った時だけだ。この時には私はヤンキースの相手だったダイヤモンドバックスを応援していた。

*8:あの地域には前述の西宮球場も存在していたにもかかわらず、阪神ファンと読売ファンしかいないも同然だった。

*9:そのために芦屋(や神戸)に多く残っている被差別部落問題を村上がよく知らずに級友に教えてもらったエピソードがエッセイ集に収録されている。同様の件で村上はのちに中上健次に叱責されてもいる。なお私も大阪府出身なので(神戸市東部を含む)阪神間には少年時代に住んではいたものの。同地域の被差別部落については知らないことが多い。

*10:短篇集『死の猟犬』(1933) 収録

アガサ・クリスティ『杉の柩』を読む 〜 個の時代へと拡散していく流れにクリスティ作品の「類型の人物像」が対応しきれなくなったとの山野辺若氏の指摘が興味深い

 1940年にアガサ・クリスティの『杉の柩』に、当時13歳か14歳だったプリンセス・エリザベスの未来の良人(おっと)選びの話が出てくることを『kojitakenの日記』に書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事を書いた時点では半分くらいしか読んでいないが、昨日(11/27)の日本シリーズ中継が始まる前、というよりテレビ観戦に備えて早い風呂に入る前に読み終えた。

 

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 本作はクリスティの名探偵ポワロもの長篇の33作中18番目に当たる。第14作『もの言えぬ証人』(1937)あたりから作風が変わりつつあると以前書いたが、第16作『死との約束』(1938)でそれはさらに顕著になり、今回読んだ『杉の柩』で決定的になった。

 作風の変化を特徴づけるものは、人間の心理描写が初期の作品のように類型的ではなく、深みというか立体性や多様性が出てきたことだ。『杉の柩』の主人公・エリノア・カーライル Elinor Carlisle は、物語の最初と最後とでは別人のような印象を受ける。

 本作に先立つ前述の『死との約束』及びそれに続く第17作『ポアロのクリスマス』(1938)の両作は、犯人の意外性に大きな特徴があるが、本作は打って変わってクリスティ作品の中では犯人当てがもっとも容易な作品であろう。犯人が使ったトリックも、具体的な物質名まではわからなかったが容易に想像がついた。被害者の素姓も推定は容易だし、そこまでわかればもう少し突っ込んで考えれば犯人の素姓にたどり着いてもおかしくはなかった。私はそこまで気合いを入れては読まなかったために犯人の素姓に気づくには至らなかったが、『読書メーター』の感想文を見ていたら「犯人の正体がわかった」と書いていた人がいた。このサイトは文字数が限られているので詳細には書かれていないが、犯人の正体(素姓)がわかったからにはレビューは被害者の素姓も読み取れていたはずだ。確かに本作第三部で真相が明かされてみれば、いつものクリスティの手口だから犯人の設定はそうでしかあり得ないのだった。私はまだまだミステリー、というかクリスティ作品の読みのレベルが低いようだ。とはいえクリスティのミステリはもう半分くらい読んでしまった。

 しかし、本書の特徴は謎の難易度ではなく、心理劇と恋愛劇をミステリと組み合わせたところにある。前々作『死との約束』はタイトルと開始部のおどろおどろしさからは想像もつかないエンディングに驚かされたが、本作もタイトル"Sad Cypress" の由来だというシェイクスピアの戯曲『十二夜』中の詩(もちろん私は知らなかった)の暗い印象とエンディングとが鮮やかな対照をなしている。シェイクスピアの詩は下記ブログ記事で参照できる。

 

parfum-satori.hatenablog.com

 

 正直言って、ちょっとポワロものとは信じられないようなエンディングだが、これについて杉江松恋氏が面白いことを言っている。

 

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クリスティーが自作を語った中で、「『杉の棺』はいい本になるはずだったのに、ポアロが出てきてだめにしたわ」と言ってるんです(アガサ・クリスティー読本所収、フランシス・ウィンダム「クリスティー語る」)。僕はポアロ贔屓だけど、その気持ちはよくわかる(笑)。ノンシリーズでやったほうが良かったと思ったんでしょうね。

 

出典:https://www.hayakawabooks.com/n/nd88fb710fbdd

 

 そう、最後の場面でのポワロが発した言葉は「ポワロ離れ」しているのだ。

 本書はハヤカワのクリスティー文庫で読んだが、山野辺若(イラストレーター・文筆家)の解説が興味深かった。いくつか引く。

 まず、イラストレーターの山野辺氏は、クリスティ作品を読んでいるうちに19世紀の写実主義の画家オノレ・ドーミエ(1808-1879)の諷刺画が頭をかすめたと書く。以下引用する(なお、引用に際して原文の漢数字をアラビア数字に書き改めた。以下同様)。

 

 (前略)彼*1は守衛や商店主から政治家、弁護士、銀行家、資本家など、中産階級の人々を痛烈な皮肉と笑いを込めて描き続けた。彼の描くデフォルメされた人物の表情には社会的地位からくる特有の性格が見事に描き出されており、21世紀に生きる私たちが見ても彼が言わんとしたことが一目で伝わってくる素晴らしいものが多い。

 初期のクリスティー作品のコミカルともとれる極端な人物像の設定と、その事件の舞台がほとんど中産階級層で起こることが、私にドーミエを連想させたのだろう。

 

アガサ・クリスティー(恩地三保子訳)『杉の柩』(ハヤカワ文庫,2004405頁=山野辺若氏の解説文より)

 

 続いて、山野辺氏はクリスティのポワロもの長篇第1作である『スタイルズ荘の怪事件』(1920)の旧版(ハヤカワ・ミステリ文庫版, 1982)に旧版を翻訳していた詩人の田村隆一(1923-1998)が書いた解説を引用する。田村は「2つの大戦のあいだ、つまり、1920年代から1940年代の中期までの25年間は、まさにクリスティー的殺人事件の黄金時代ではなかったか、とぼくは思うんです。退役軍人、提督、地主貴族、金利生活者、舞台俳優、外交官、牧師、医師、……そういった類型が類型として社会に生きていた時代、人間の性格が、だれの目にもはっきりと見えた*2時代」と書いた。それを承けた山野辺氏自身の文章を以下に再び引用する。

 

(前略)初期のポアロ作品にはドーミエの描いていた世界と同質のものが色濃く残っていた。

 だが、それも時代が下ると様相が変わってくる。中期から後期の作品を読むに従って、私の中にあったドーミエのイメージはクリスティーの作品から徐々に薄れていった。

 『杉の柩』が出版されたのが1940年。ドイツのポーランド侵攻が1939年の9月。再び世界が悲劇の戦乱に突入しようとしていた実に焦げ臭い時期に書かれている。

(中略)クリスティーお得意の上層中産階級を舞台にしてはいるが、個人の心理を事細かに描いているため初期の作品のように類型化された人物による事件という印象は全くない。これは、作品を重ねるにつれてクリスティーの技にいっそうの磨きが掛かったためなのはもちろんだが、その一方、混迷を深めながら加速度的に個の時代へと拡散していく流れの中で類型の人物がもはや対応しきれなくなった結果ともいえるのだろう。この作品を読み始めた時点で、私の中でドーミエのイメージはほぼその効力を失っていた。現代に生きる私も、エリノアの心の揺れは実感をもって受け止められるものだったのだ。

 『杉の柩』は良質の推理劇でありながら、同時にエリノアの心を細かに描いた恋愛劇、そして四人四様の生き様を追うことでビクトリア朝時代の残像と新たなる “個” の時代の訪れを匂わせた時代劇ともなっている。この作品は、この時代を描きながらも真っ向から普遍的な男女の心理を扱うことで、現代にも十分通用する作品となっているのだ。いつの世でも、良質なものはいともたやすく時を越える。

 

アガサ・クリスティー(恩地三保子訳)『杉の柩』(ハヤカワ文庫,2004406-408頁=山野辺若氏の解説文より)

 

 実にうまいこと書くなあと感心するとともに共感した。

 私はクリスティ1920年代の作品に、歴史観、社会観、人間観などがいかにも紋切り型だなあという印象を持つ。しかしその印象はが30年代に書かれたいくつかの作品から薄れていき、1940年に書かれた本作『杉の柩』に至って、作者が「大きく舵を切った」との印象を持った。

 その作風の変化をもたらした大きな要因の一つが第2次世界大戦だったと思われることも強調したい。

 よく、ヨーロッパでは戦争といえば第2次大戦ではなく第1次大戦を指すと言われるが、少なくともイギリスでは第2次大戦が社会に与えた影響は第1次大戦に劣らず大きかったのではないか。私はポワロものでは本作よりあとに書かれた作品はまだ読んでいないが、少し前にミス・マープルものの『予告殺人』(1950)を読んで、第2次大戦の爪痕の深さを感じた。

 日本では「個の時代へと拡散していく流れ」はイギリスやアメリカ、ヨーロッパよりも大きく遅れたと思われるが、21世紀に入って、戦争を経ていないにもかかわらず、ようやく大きな流れの変化が起き始めているように思われる。それにエスタブリッシュメント道が全力で抵抗しているために社会に大きな緊張が起き始めているのではないか。

 そんな時代に、20世紀イギリスの保守人士だったアガサ・クリスティの作品群を成立順に読むことには興趣が尽きない。

*1:ドーミエ=引用者註

*2:原文では傍点=引用者註