KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

アガサ・クリスティ『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳、創元推理文庫)を読む

 前回に続いてアガサ・クリスティを取り上げる。最初に書いておくと、クリスティのミス・マープルものの短篇集である創元推理文庫の『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳, 2019)とハヤカワ文庫の『火曜クラブ』(中村妙子訳, 2003)は同じ作品の翻訳だ。1932年にイギリスで "The Thirteen Ploblems" のタイトルで刊行されたが、アメリカ版では "The Tuesday Club Murders" と題された。またイギリスのペンギンブック版では "Miss Marple and the Thirteen Ploblems" と題された。おそらく中村訳はアメリカ版を、深町訳はペンギンブック版を底本としていると思われる。

 で、創元推理文庫版とハヤカワ文庫のどちらかを選ぶなら、断然創元推理文庫版にすべきだ。なぜなら、ハヤカワ文庫の解説文には、他のクリスティ作品のネタバレが満載されているらしいからだ。前回も書いた通り、私は中学生時代の昔、級友に『アクロイド殺し』のネタバレを食うという痛恨の思い出があり、それがトラウマになって半世紀近くもクリスティ作品を読まずにきた。このご時世になってもミステリの解説文で平然と他の作品のネタバレをやらかす文庫本があるとは呆れる。

 話が逸れるが、1989年にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を初めて読んだ時に「犯人のネタバレ」を食わなかったのは本当に良かった。あの長篇もミステリと呼べなくはないどころか、終盤になって初めて父親殺しの犯人が明かされる部分は重要な場面なのだ。しかし昔は、平気で帯に犯人の名前が書いてある本があったらしい。

 今回、ハヤカワ文庫版でなく創元推理文庫版を選んだのは幸運だった。半世紀近く前の雪辱が果たせたというべきかもしれない。

 ところでハヤカワ文庫版の訳者・中村妙子氏は一昨日(2021年2月21日)に98歳の誕生日を迎えた。『火曜クラブ』は2003年刊行だから、当時中村氏は80歳だった(訳出の時期は知らないが)。また創元推理文庫版の訳者・深町眞理子氏は1931年11月1日生まれの89歳。『ミス・マープルと13の謎』は2019年刊行の「新訳」だから、訳者80代後半での仕事ということになる。

 この16年の違いは大きい。たとえば短篇集の8番目に置かれた "The Companion" は、中村訳では「二人の老嬢」、深町訳では「コンパニオンの女」という題になっている。ここでいうコンパニオンとは、深町訳の34頁の注釈*1によると、「自活することを余儀なくされた良家の女性が、富豪に雇われて、女主人や病人などとの付き添い兼話し相手をつとめるもの。イギリス独特の存在で、かつては良家の女性の就いて恥ずかしくない、数少ない職業のひとつと見なされていた」とのことだ。

 中村訳では日本語に訳しようがないので「二人の老嬢」としたものだろうが、二人の年齢は「四十前後」*2とのことだから、今時これを「老嬢」と訳すのは良くないだろう。またクリスティ自身もいわゆる「オールド・ミス」を思わせる書き方はしていない。なおこの短篇が書かれたのは1929年である。

 ただ、2冊を読み比べ、かつ上記の邦題から受ける印象の違いにも言及した下記リンクの記事を書かれた方によると、

「二人の老嬢」「コンパニオンの女」どちらも大きく解釈の差は無く、読後の印象も大きく変わりません。

どっちもめっちゃ楽しめた。

話の内容的には、表現の違いはもちろんあるものの、どちらの訳を読んでも、登場人物像の印象が変わる・・・というような大きな差は無かったです。

とのことだ。

 

www.365books.site

 

 ハヤカワ文庫版のメリットは、創元推理文庫版よりも文字が大きいことだが、解説文がネタバレ満載ではどうしようもない。ハヤカワ文庫からはアガサ・クリスティ作品が103冊刊行されているが、他にも同様の例がないか警戒した方が良いかもしれない。前回も書いた通り、解説文ではなくクリスティの孫が書いた「序文」から真犯人の見当がついてしまったのが『スタイルズ荘の怪事件』だった。

 ところで創元推理文庫版は、2019年に新訳版が出るまでは高見沢潤子訳だったらしい。ネット検索で知ったのだが、この方は小林秀雄(1902-1983)の2歳下の妹で、田河水泡(1899-1989)の妻だったようだ。亡くなったのは100歳の誕生日を22日後に控えた2004年5月12日だった。創元推理文庫版旧版の『ミス・マープルと十三の謎』は1960年に刊行された。

 

 小林秀雄とクリスティというと、小林が『アクロイド殺し』をアンフェアだと評したことが知られているようだ。以下Wikipediaから引用する。

 

雑誌『宝石』誌上の江戸川乱歩小林秀雄との1957年の対談[10]において、小林は次のように批判している。

「いや、トリックとはいえないね。読者にサギをはたらいているよ。自分で殺しているんだからね。勿論嘘は書かんというだろうが、秘密は書かんわけだ。これは一番たちの悪いウソつきだ。それよりも、手記を書くと言う理由が全然わからない。でたらめも極まっているな。あそこまで行っては探偵小説の堕落だな。」「あの文章は当然第三者が書いていると思って読むからね。あれで怒らなかったらよほど常識がない人だね(笑)。」

ただ、対談の相手である江戸川乱歩はフェア・プレイ派である。

 

出典:アクロイド殺し - Wikipedia

 

 小林秀雄はもしかしたら妹の高見沢潤子の訳文で『アクロイド殺し』を読んだものかもしれないとも思ったが、ネットで調べたところ、残念ながら『アクロイド殺し』に高見沢訳はなさそうだ。古くから『アクロイド』を翻訳していたのは松本恵子(1891-1976)だった。この人はアガサ・クリスティの4か月あとに生まれて10か月あとに亡くなった、まさにクリスティの「同時代人」だった。

 ミス・マープルの誕生は、その『アクロイド殺し』と深い関係があることが、創元推理文庫深町眞理子による新訳の解説文(大矢博子)に書かれている。ミス・マープルの原型は『アクロイド殺し』の語り手であるシェパード医師の姉・カロライン(キャロライン)なのだという。『アクロイド殺し』が舞台化された時、探偵のポワロ(ポアロ)が設定より二十歳若いイケメンのモテ男にしようとしたところ、クリスティの反対にあってこの案は潰れたが、その代わりにカロラインが登場せず、若い綺麗な女性が登場することになったのだそうだ。これに怒ったクリスティが短篇にカロラインを原型とするミス・マープルを登場させたといういきさつらしい。

 『アクロイド殺し』は1926年の作品で、ミス・マープル最初の短篇である「〈火曜の夜〉クラブ」の雑誌『スケッチ』誌掲載は1927年12月号、『アクロイド殺し』が舞台化された『アリバイ』の初演が1928年であり、舞台の設定が前年にきまったとすれば辻褄が合わなくもない。当時から『アクロイド殺し』は大人気作品だったようだ。

 ところでミス・マープルの雑誌初登場は、シャーロック・ホームズが最後に雑誌に登場した「ショスコム荘」(『ストランド』誌1927年4月号)のわずか8か月後にである。クリスティはフランスを舞台とした『ゴルフ場殺人事件』(1923)でシャーロック・ホームズを戯画化したと思われるパリ警視庁のジロー刑事をポアロのライバルとして登場させ、大恥をかかせているが、これはコナン・ドイルに加えてモーリス・ルブランの『ルパン対ショルメ(ホームズ)』(1908)でイギリスのホームズがフランスのルパンにしてやられたことに対する意趣返しの趣向も含まれているかもしれない。また同じフランスのガストン・ルルーの『黄色い部屋の秘密』(1907)も意識していただろう。もちろん『ゴルフ場殺人事件』の犯人はジロー刑事ではないけれども。『ゴルフ場殺人事件』は前回の記事で少なからず批判した長篇ではあるが、男性先輩作家3人を向こうに回した若きクリスティの意欲が感じられる野心作だ。

 肝心の『ミス・マープルと13の謎』の2番目に置かれた「アシュタルテの祠」は、ドイルの『バスカヴィルの犬』と同じダートムアを舞台とする怪奇譚だ。以下はネタバレを含む部分を白文字で表記するが*3、なんといっても秀逸なのは、短篇集12番目の「バンガローの事件」だろう。これを読んで直ちに私が思い出したのがアクロイド殺しだった。この短篇は一人称で書かれてはいないが、三人称版の「信頼できない語り手」ともいうべきトリックが用いられている。さすがはアクロイド殺し』の作者だと舌を巻いた。私は例によって物語を語るジェーン・へリアを全く疑わないでもなかったが、そもそもわけのわからない話だと思った。だから「ミス・ヘリア自身が犯人だ」という結論を出すには至らなかった。ところがミス・マープルが語り出した言葉が指し示すものは、「犯人は語り手であるミス・ヘリア自身だ」ということではないか。短篇集の7番目から登場するミス・ヘリアは、Wikipediaの表現を借りれば、この短篇集の後半において、一貫して「美しく気立ても良いが、『頭の中身は空っぽ』と表されている人気女優」として描かれてきたが、まさにそれこそがヘリアの「演技」だったのだ。ヘリアは自ら犯罪を企んでいたが、種明かしはしなかった。つまり「信頼できない語り手」だった。しかし、ミス・マープルは真相を見抜いたが、それを他のメンバーの面前では言わずにミス・ヘリアに耳打ちするにとどめた。犯行はまだ行われていない計画段階だったので、企みを見破られたヘリアは実行を思いとどまったのだった。

 マープルの下記のセリフがふるっている。

 

これだけのことをしでかすのには、ただのメイドあたりではとても持ちあわせていそうもない、それくらいの知恵が必要だという気がするんですよ。(深町訳359頁)

 

 つまり、ミス・ヘリアは「お馬鹿」に見せかけてミス・マープル以外の登場人物の全員、及び私を含む短篇集の読者たちを騙しおおせたのだった。

 しかるに、「読書メーター」などを見ると、「お馬鹿なミス・ヘリアがかわいい」などと書かれた感想文が少なくなかった。おいおい、本当に読んだのかよと思ってしまった。

 かつてカズオ・イシグロの『日の名残り』で、「信頼できない語り手」である執事・スティーブンスの本心を見抜けない日本のお馬鹿な読者たちに私は苛立ち、彼らを批判する記事をこの日記に書いたものだが、今回は大笑いしてしまった。

 この短篇はとてもよくできている。終わり方も良かった。ミス・マープルものは長篇が12篇、短篇が20篇あるそうなので、長篇12篇と短篇7篇が未読で残っている。『アクロイド殺し』は別として、それ以外はマープルものを優先して読もうかと思った次第。

*1:最初の短篇「〈火曜の夜〉クラブ」に付された註より。

*2:深町訳203頁。

*3:短篇集5番目の「動機対機会」のトリックである「消えるインク」にヒントを得た。

アガサ・クリスティ『ゴルフ場殺人事件』と東野圭吾『容疑者Xの献身』の感心しない「共通点」

 初めにおことわりしますが、このエントリにはアガサ・クリスティ(1890-1976)及び東野圭吾推理小説に関するネタバレが思いっ切り含まれているので、それを知りたくない方は読まないで下さい。

 

 今年(2021年)に入ってクリスティ作品を4冊読んだ。

 実は私の少年時代、クリスティのミステリに関する嫌な思い出がいくつかあって、昨年までクリスティ作品を一つも読み切らずにきた。その最たる苦い思い出が、中学1年生の時に『アクロイド殺人事件(ロジャー・アクロイド殺し)』を半分くらいまで読んだ時に、旧友にネタバレをされてしまったことだ。

 あれは、探偵のエルキュール・ポアロが暴く前に真犯人を知ってしまったら、読む気が起きなくなる小説だ。それをやられてしまったのだからたまったものではない。

 しかも、信じてもらえないかもしれないが、私は読みながら「この語り手、なんだか怪しいなあ。もしかしたらこいつ自身が犯人なんじゃないか」と思っていたのだった。そしてそれはズバリその通りだったのだが、読み切る前に真犯人がわかったら読む気が一気に失せた。結局結末の部分だけ読んでそれ以外の後半部分は読まずに今に至っている。

 その『アクロイド殺し』を再読しようと思うようになったのは最近のことだ。

 まず、2013年以降松本清張にはまり、2014年には河出文庫から刊行されたコナン・ドイルシャーロック・ホームズ全集を読むなど、中学生時代以来40年ぶりにミステリを読む習慣が復活したことだ。

 次いで、一昨年にカズオ・イシグロの『日の名残り』を土屋政雄訳のハヤカワ文庫版で読み、文芸評論の理論に「信頼できない語り手」というのがあるのを知ったことだ。『日の名残り』の「執事道」に生きた(と自らを偽っていた)語り手と、自らの犯行を隠して語る「アクロイド殺し」の語り手とは意図が全く異なるが、「信頼できない語り手」という点では共通する。

 最後に、ネタバレの被害を受けてしまった小説を読むんだったら、中学生時代になぜ語り手が怪しいと思ったのかくらいは注意して読もう、せめてその程度のインセンティブがなければ犯人がわかっているミステリなんかは読めないけれども、昔を思い出すよすがになるのではないかと思ったのだった。

 こうして、半世紀近い昔からの「鬼門」に再度挑むことにした。

 だが、図書館の書棚にはなかなか『アクロイド殺し』は置いていない。クリスティの代表作とされる人気作品だから借り出されていることが多いためだろう。そこで、悪友によってではなく、よくあるミステリ論のせいで読んでもいないのに犯人を知らされていた『オリエント急行殺人事件』の光文社古典新訳全集版(安原和見訳)を手始めに読んでみた。この小説はは犯人がわかって読んでも面白かったし訳文も読みやすかった。ただ、勧善懲悪の復讐譚であることにちょっと引っかかりを感じたが。

 

www.kotensinyaku.jp

 

 次いで、どうせならポアロものを最初から読もうと、クリスティの処女長篇である『スタイルズ荘の怪事件』とポアロもの2作目の『ゴルフ場殺人事件』の2冊をいずれもハヤカワ文庫で読んだ。

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

www.hayakawa-online.co.jp

 

 この2作を読んだ感想は、クリスティとは本質的に「フーダニット」(誰がやったか)を興味の中心とするミステリ作家だったんだなあということだ。トリックは、『スタイルズ荘』の方は薬学の知識がなければ想到不可能なものだし、『ゴルフ場』の方はせっかく「替え玉殺人」というトリックを使っていながら物語の中盤で早々にネタを明かしてしまい、物語後半では「替え玉殺人」に便乗してこの陰謀を企んだ当人を殺したのは誰かという点に興味が絞られる。この小説には殺人が2件あって、替え玉殺人で犠牲になった被害者があとから発見され(第2の殺人)、その前に替え玉殺人を企んだ悪人が殺される第1の殺人事件が露見している。そして、時間的にはあとから起きたこの第1の殺人事件の犯人が誰かをめぐってどんでん返しが三度起きるという仕掛けだ。しかし、第1の殺人にはトリックも何もない。単に替え玉殺人を企んだ悪人を刺殺しただけなのだ。

 『スタイルズ荘』でも二段階のどんでん返しがあり*1推理小説的にはもっとも怪しくないけれども、普通に考えればもっとも怪しい人間が真犯人だ。それはある意味で「意外な犯人」といえるのだが、ハヤカワ文庫版につけられたクリスティの孫だというマシュー・プリチャード氏による序文を覚えていれば、犯人の見当がつくようになっている。だから二度のどんでん返しのを経てこの人物が真犯人としてポアロに指し示されても「やっぱりそうだったか」としか思えなかった。

 また、『ゴルフ場』の方は、推理小説的にはもっとも怪しいし、普通に考えても(嫌な言い方だが)この出自なら怪しいと思われる人物が三度のどんでん返しの末に真犯人として示される。この人物については作中でポアロが語り手のヘイスティングズに何度も警告していたりもするし、あまりにも怪しすぎるのだが、やっぱり真犯人かよ、と思ってしまった。しかし、この作品に示された「極悪人の子はやはり極悪人」という思想は、どうしても私には受け入れがたい。そういう結末にはなって欲しくないなあと思いながら読んでいたが、恐れていた通りの結末だったので大いにがっかりした。さらに、それよりももっと嫌だったのは、第2の殺人で浮浪者が身代わり殺人の犠牲になってしまったことだ。この殺人は第1の殺人の被害者とその妻による共謀だったのだが、ポアロは無実の罪に問われそうになった夫妻の息子に対して、「あなたの父親は悪人だったが母親は立派な人だ」みたいな言い方で励ました。しかし、その妻は罪もない浮浪者を身代わり殺人の犠牲者とした悪人の夫の共犯者だったのだ。いくら夫を愛していたからといってもそんな犯罪行為が許されるはずないじゃないかと思った。結局、クリスティは浮浪者を人間扱いしない倫理観の持ち主だったのではないかと批判せずにはいられないのである。

 しかし思うのだが、2005年下期の直木賞を受賞した東野圭吾の『容疑者Xの献身」(2005)はこのクリスティの『ゴルフ場殺人事件』にヒントを得た小説なのではなかろうか。この2作には共通点が多い。

 まず、ともに殺人事件が2件ある。ただ東野作品で巧妙なのは、第2の殺人事件そのものを隠していることだ。つまり、トリックに無頓着なクリスティがせっかくのトリックをもったいない使い方をしたのに対し、東野は替え玉殺人のトリックを最大限に活かしたといえる。私も第2の殺人が隠されていたとは全く予想できなかった。

 しかも、東野作品でも第2の殺人事件で罪のないホームレスが犠牲になっている。クリスティ作品とは異なり、第1の殺人事件の犯人は生きていて、その犯人を熱愛した第2の殺人事件の犯人を第1の殺人事件の犯人への嫌疑から逃れさせるために第2の殺人事件を引き起こしたというのがトリックだ。つまり殺人が起きた順番はクリスティ作品の逆。この第2の殺人事件の犯人は、共犯者に過ぎなかった『ゴルフ場殺人事件』第1の殺人事件の被害者にして第2の殺人事件における犯人の妻よりも、ずっと悪質な犯罪者だといえる。以前にも書いた通り、こんな小説を書いた東野圭吾の倫理観もどうかしていると思うが、それを読んで「感動した」とか言う人とは友達になれないというのが私の率直な意見だ。東野圭吾も『容疑者X』に感動した人もともにホームレスを人間扱いしない倫理観の持ち主と言わざるを得ないのではないか。1923年に書かれたクリスティ作品にはまだ「時代的な制約」があったとの言い訳が成り立つかもしれないが、2005年に書かれた東野作品やその読者にはそのようなエクスキューズは通用しない。ミステリとしての意外性が抜群なのは認めるが、仮に私が直木賞の選考委員だったなら、その倫理観の欠陥ゆえにこの作品は直木賞に値しないと強く主張したに違いない。

 本当は上記の3冊に続いて読んだクリスティの短篇集『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳・創元推理文庫2019)を中心に据えたエントリにするつもりだったが、次回に回すことにする。一言だけ書いておくと、この短篇集は『アクロイド殺し』と密接な関係がある。一つは主人公のミス・マープルその人であり、もう一つは13篇からなる短篇集のうちのある一篇だ。詳しくは次回に。

*1:この「多段のどんでん返し」は松本清張の多作期(1950年代終わり頃から60年代初め頃)の作品によく出てくるが、どうやらルーツはこれらクリスティの初期作品ではないだろうかと思い当たった。

沼野雄司『現代音楽史 - 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書)を読む

 沼野雄司『現代音楽史 - 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書,2021)を読んだ。

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/01/102630.html

 

 私が聴く音楽は、武満徹(1996年没)を除けば、新しくてもせいぜい(福田康夫が好きな)バルトーク(1945年没)とか(志位和夫が好きな)ショスタコーヴィチ(1975年没)くらいのもので、いわゆる「現代音楽」についてはよく知らない。

 いや、かつてアルヴォ・ペルト(1935-)や、稲田朋美が検閲しようとした映画『靖国 YASUKUNI』に使われていたヘンリク・グレツキ(1933-2010)の交響曲第3番「悲歌」(1976)のCDを聴いたことがあるので、ああいう「新ロマン派」的な潮流が前世紀後半にあったことくらいは知っているが、その先になると、そもそも音楽を聴く機会自体が減っていたために全然知らない。

 たまに、「21世紀の音楽」はどうなっているのだろうか、一度20世紀以降の音楽史の通史でもあれば読みたいとは時々思っていたが、なかなかそのような一般書はなかった。

 今回、出たばかりの中公新書にこの手の本があったので読んだ次第。

 著者は音楽学者だが、あとがきに下記のように書いている。

 

 現代音楽史を書こうとした動機はいくつかある。

 まず類書がほとんどないこと、日本語で書かれた二十一世紀までを含めて通観できるもの、それもある程度コンパクトなものが必要だと考えていた。実際、いまだに柴田南雄『現代音楽史』(1967初版)を参照する人もいると聞くので(確かに「名著」ではあるが)、いくらなんでも情報や音楽史観をアップデートしなくてはならない。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)267頁)

 

 専門家がこう書くのだから間違いない。確かに一般書の「類書」はほとんどない。私など柴田南雄(1916-96)の『現代音楽史』さえ知らない。私の現代音楽史の知識は、70年代初めに発行されたと思われる小中学生向けの学習百科事典のほんの一部分と、亡父が持っていた1967年頃の『レコード芸術』だったかの増刊号、それに1961年に書かれた吉田秀和の『LP300選』の現代音楽に関する項くらいのもので、いずれも1970年代に読んだから、もう半世紀近くも「音楽史観をアップデート」していない状態だった。だから興味津々で読み始めた。

 面白かった。以下いくつか興味深いと思った点をピックアップする。

 まず第1章「現代音楽の誕生」から。

 著者は、マーラー(1860-1911)、ドビュッシー(1862-1918)、スクリャービン(1872-1915)らの音楽について、下記のように論評している。

 

 単に音楽語法という観点のみから見れば、彼らの音楽は、それなりにモダンな側面を持っている。マーラーの未完の大作「交響曲第10番」に見られる破壊的な不協和音、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」における多調性、あるいはスクリャービンの「第6番」以降のピアノ・ソナタにおける無調的な音の連なりは、その斬新さゆえに、時には現代音楽の出発点として語られることも少なくない。

 

 しかし、どのように新しい技術が使われていても、これらの作品はブルジョワジーを主体にした聴衆から、最終的には離れようとしていない。彼らが想定しているのは、あくまでも「よき趣味」を持った上流階級であり、その意味で臍の緒は十九世紀としっかり繋がっている。

 

 しかし、大戦*1を経たあとにあとに歴史の表舞台に躍り出てきたのは、それまでとは異なるタイプの(中略)聴衆だった。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)26-27頁)

 

 なるほどと思わされる指摘だ。

 ただ、「現代音楽」には、市民革命家的な生き方を貫いた「楽聖ベートーヴェンに擬せられる作曲家はいなかった。半世紀前には十二音技法を創始したとされるアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)と、その弟子だったアルバン・ベルク(1885-1935)、アントン・ウェーベルン(1883-1945)の3人が、ハイドンモーツァルトベートーヴェンの3人に代表される「ウィーン楽派」に対照される形で「新ウィーン楽派」と呼ばれていたが、本書の索引を見ても「新ウィーン楽派」の項目はなく、少なくとも本書ではこの呼称は用いられていないようだ。

 なお、「十二音技法を創始したとされるシェーンベルク」と書いたが、実際に十二音技法を初めて用いた作曲家はシェーンベルクではなかったらしい。そのことが本書に出ている。本当の一番乗りはヨーゼフ・マティアス・ハウアー(1883-1959)という作曲家であって、シェーンベルクに盗用されたと感じたハウアーは、どちらが元祖かという抗争をシェーンベルクとの間で展開したそうだ。実際に早かったのはハウアーの方らしく、彼が最初に十二音技法で「ノモス」を作曲したのは1912年だったのに対し、シェーンベルクが十二音技法を試し始めたのは1921年だった*2

 この件について、著者は下記のように論評している。

 

 現代音楽の世界では、しばしば「誰が最初にそれを行ったか」が問われる。本来は「誰が良い曲を作ったか」こそが問題になるはずなのだが、二十世紀の「新しさ」への希求は、こうした傾向を生み出すことにもなったのだった。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)129頁)

 

 「誰が最初にそれを行ったか」といえば、ジョン・ケージの「4分33秒」(1952) の先駆者があったらしいことも本書で知った。ケージの「4分33秒*3については、本書132頁に「楽譜」が掲載されているが、本書には「4分33秒」に33年も先立つ1919年に作曲されたエルヴィン・シュルホフ(1894-1942)の「未来へ」という作品が紹介されている。以下本書より引用する。

 

 より本格的にジャズと関わった作曲家には、エルヴィン・シュルホフ(1894-1942)がいる。プラハに生まれた彼は、大戦後には社会主義者として活動するとともに(管弦楽伴奏付き歌曲「風景」[1919] はカール・リープクネヒトに献げられた後期ロマン派的な音楽だ)、一時期はシェーンベルクの「私的演奏協会」にも参加。やがて画家のオットー・ディクスの家でジャズのレコードに接すると、その自由さに惹かれて作風を変化させた。たとえば「五つのピトレスク」(1919)は基本的には単純なラグタイム風の音楽だが、第3曲「未来へ」では休符と記号のみが楽譜に記されるという、極度に実験的な趣向が用いられている。さらに、数年後の「五つのジャズ・エチュード」(1926)になると、半ば無調的な語法とジャズのエッセンスが見事に溶け合っており、スウィング以降のジャズを予見するようでさえある。

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)64-65頁)

 

 上記の文章が載っている本書64頁に「未来へ」の楽譜が掲載されているのだが、「休符と奇妙な顔文字のみが記されている」と書かれている。楽譜は2段だが、普通のピアノ用の楽譜とは異なり、上段がヘ音記号で下段がト音記号になっている。拍子は、上段が5分の3拍子で下段が10分の7拍子というでたらめな拍子だが、楽譜には休符と「奇妙な顔文字」を含むいくつかの記号しか載っていないので関係ない。あるいは、演奏者がピアノに向かって右手と左手を交差させた姿勢で動かないか、または腕を振り上げたり振り下ろしたりするもののいっこうに鍵盤を叩こうとしない、といった様子に客席がざわめくことが「音楽」だという趣向なのだろうか。

 この「音楽」を取り上げたサイトがネット検索でみつかったので、以下に紹介する。下記サイトには、「5つのピトレスク」を構成する各曲の楽譜の冒頭部分がそれぞれ掲載されている。

 

www.virtuoso3104.com

 

 以下引用する。

 

 第3曲『未来へ』

 

 これこそが《5つのピトレスク》中で最大の謎にしてメインの話題です。

 テンポ表記は「時間を超越」という意味です。拍子記号は上段が3/5拍子、下段が7/10拍子という一見とんでもないことになっていますが、実際に音符を数えると4/4拍子です。最初の発想標語は「歌全体を自由に表情と感情をもって、常に、最後まで!」という意味。

で、肝心の音符が殆ど休符!

 もっとぶっ飛んでいるのは楽譜の中に「!」や「?」や「顔文字」があることです。どうやって演奏するの?と思うところですが、実は演奏指示や楽譜の読み方などについて、一切シュルホフは書いていません。しょうがないので、これを「演奏」する人たちは各々独自の読み方で楽譜を読んで「演奏」しています。

 一体何を意図して、この曲は書かれたのでしょうか。こればかりは僕も答えを出すことができません。より詳しく研究している人に丸投げしたいと思います。

 

出典:https://www.virtuoso3104.com/post/5pittoresken

 

 なお、『現代音楽史』の著者・沼野雄司はシュルホフとケージとを結びつける文章は書いていない。シュルホフとケージの両方を取り上げ、「未来へ」と「4分33秒」の「楽譜」をともに掲載しているにもかかわらず。これはむろん意識的にそうしたのだろう。しかし「現代音楽」に関して聞きかじったことのある人間であれば、本書のシュルホフの項を読んでケージの「4分33秒」を思い出さなかった人は誰もいないのではないだろうか。

 Wikipedia「ネオダダ」の項にもシュルホフとケージとの関係が書かれているので、以下引用する。

 

ネオダダに属する作家たちのうち、ロバート・ラウシェンバーグらは1930年代から1950年代にかけて存在したノースカロライナ州の小さな芸術学校、「ブラック・マウンテン・カレッジ英語版」で学んでいた。ここでは美術家のみならず音楽家、詩人、思想家らが教えており、なかでも教鞭をとっていた音楽家ジョン・ケージの、音響を即物的に考えることや偶然性を利用するといった活動から強い思想的な影響を受けている。もともと「何もせずに黙りこくる」という発想はケージのオリジナルではなく、エルヴィン・シュルホフの「五つのピトレスク」で初めて楽譜になったものであり、これをケージが「4分33秒」にしたこと自体がネオ・ダダの発端であった。ヨーロッパで発案されたものがアメリカ流に改良され、理論化されたものがネオダダなのである。

 

出典:ネオダダ - Wikipedia

 

 なお、シュルホフは沼野『現代音楽史』にもう一箇所だけ出てくる。それは不幸なことに、ナチスとの関わりだった。以下引用する。

 

 また、前章で名を挙げたシュルホフの場合、ユダヤ人にして共産主義者、さらにはジャズや前衛音楽に関わるという、ナチスが敵視したすべての要素を体現する存在になってしまった(彼はソ連への移住を望んでいたが、プラハで逮捕され、強制収容所で生涯を終えた)

 

(沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)93頁)

 

 だがソ連にもスターリンがいた。仮に首尾良くソ連に移住できたとしても、同じような目に遭った可能性がある。

 

 以上見た通り、シェーンベルクの前にハウアーあり、ジョン・ケージの前にシュルホフありといった具合に、音楽史上に残る大きな試みであっても先駆者がいた。18世紀後半から19世紀初めにかけてのベートーヴェンに対するモーツァルトと同じように。

 たとえば、音楽学者のアインシュタインが「モーツァルトエロイカ」と呼んで称賛したというK(ケッヘル) 271番のピアノ協奏曲変ホ長調(一般に第9番と呼ばれているが、実際にはモーツァルトが4番目に書いたピアノソロと管弦楽のための協奏曲)が、ベートーヴェンの第4と第5(「皇帝」)のピアノ協奏曲の他、第3交響曲エロイカ」にまで影響を与えたのではないかと私が再発見したのは、昨年末のことだった*4。何事をなすにも先人はいるものだ。

 長くなった。以下ははしょる。

 前述のショスタコーヴィチ(1906-75*5)やベンジャミン・ブリテン(1913-1976)は私がクラシック音楽を聴くにようになったあとに訃報に接した作曲家たちだった。NHK-FMで初めて追悼の意を込めてショスタコーヴィチ交響曲第5番ではなかった)が流された時にはちんぷんかんぷんだった。また日曜夜の吉田秀和の番組でブリテンがとりあげられたのも覚えている。ブリテンの死は確か12月で、モーツァルトの命日とは同じくらいではなかったかしら*6、と思って調べてみたら、ブリテンの命日はモーツァルトより1日早い12月4日だった。

 沼野『現代音楽史』では「社会主義リアリズム」を見直すことを提言していて、ショスタコーヴィチの第5交響曲が取り上げられている。しかし私は、第5交響曲が悪い曲だとは思わないが、それよりは弦楽四重奏曲の方がより良いと思う。たとえばまだ晩年の晦渋さにはいかない頃のショスタコーヴィチであれば、第3弦楽四重奏曲ヘ長調(1946)などの方が第5交響曲よりも惹かれる。また、本書に「ブリテンの現代性」*7が取り上げられているが、日本の「皇紀二千六百年式典」のために日本政府に送付された彼の「鎮魂交響曲」作品20については「諸事情により演奏されず」*8とのみ書かれている。あれはブリテンが日本に対する悪意を込めた音楽じゃなかったっけと思って調べてみたら、必ずしもそうは言い切れなかったのかもしれない。どのくらい信頼できるかどうかは不明だが、下記にWikipediaへのリンクを示しておく。

 

 またミュジック・コンクレートの話が147頁から始まるが、黛敏郎(1929-97)と武満徹の名前がそれぞれ出てきた*9直後に松本清張(1908-92)の推理小説砂の器』(1961)が出てきたのには笑ってしまった*10。有名な映画版では犯人はロマン派的な音楽を弾くピアニストになっているが、原作は前衛作曲家が電子音で殺人を行う設定になっていて、その作曲家のモデルは黛敏郎か、はたまた武満徹かなどと言われている。

 音響をマルチトラックで重ね合わせる方法について、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)が挙げられているが(これは私もCDで持っている)、そのビートルズに、明らかなミュジック・コンクレートというべき「レボリューション9」(1968)という作品があることが書かれている*11。こちらは曲の存在は以前から知っているが聴いたことはない。著者は「この時期、現代音楽とポピュラー音楽の距離はかつてないほど縮まっていたのだった」*12と書く。

 著者は、現代音楽史上において1968年は大きな切断点となっていると書く。著者は「政治による音楽、音楽による政治」という一節を設け、「六八年を経てみれば、あらゆる音楽が不可避に政治性をはらんでいることはもはや明らかだった。この中で作曲家や演奏家たちは、さまざまな形で政治と音楽の実践を交差させるようになる」*13と書く。そしてその例としてレナード・バーンスタイン(1918-90)を挙げている。

 アメリカでジョー・バイデンが大統領就任式を行ったばかりだが、ニクソンの大統領就任式を翌日に控えた1973年1月19日にワシントンDCで行われたユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの序曲「1812年」にぶつけるかのように、同じ日にバーンスタインは同じ市内のワシントン大聖堂でハイドンの「戦時のミサ」の無料演奏会を開いた*14。この様子を手塚治虫(1928-89)がこのエピソードを「雨のコンダクター」と題した短篇漫画にしたという。本書206頁にはその1ページが載っている。

 この漫画の存在も知らなかった。ネット検索をかけると、小学館から刊行されていた雑誌「FMレコパル」の1974年8月12日号に掲載されたものらしい。私がFM雑誌をよく立ち読みするようになったのは翌1975年からだから、タッチの差で間に合わなかったようだ。1974年といえば少年漫画の週刊誌は立ち読みしまくっていたものだったが。

 

 バーンスタインは1990年に72歳で、手塚治虫は1989年に60歳で亡くなった。いずれも訃報にはショックを受けたが、それからもう30年以上になる。現在の日本では、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅに対して「無知な歌手が政治のことを口にするな」と言わんばかりの無礼なツイートを発した某政治評論家(元時事通信記者)が、トランプの落選に我を失って無様なツイートを発し、人々の失笑を買っている。

 

 

 上記ツイートに対する私の反応は、下記ツイートと同じだ。

 

 

 くだらない人間をついつい嘲笑してしまったが、本書最後の2章である第7章「新ロマン主義と新たなアカデミズム」と第8章「二十一世紀の音楽状況」、特に後者はよくわからなかった。後者には「現代音楽のポップ化、あるいは資本主義リアリズム」*15という一節があるが、これによると「資本主義リアリズム」とは、もともと1961年に東ドイツから西ドイツに移住した美術家ゲアハルト・リヒターが言い出したものだという。著者は、「この名称は、たとえ東側の社会主義リアリズムを逃れたとしても、西側で芸術を行うことは、資本主義的な「ポップ化」を強制されることなのだというアイロニーを鮮やかに示すものだろう」*16と書いている。

 この「資本主義リアリズム」という言葉は、2017年に自死したマーク・フィッシャーが用いたことで知られることになったようだ。以下本書から引用する。

 

 二十一世紀に入ってからこの語は、資本主義が世界にとって唯一の選択肢となった、冷戦後の状況を指すものとしても使われるようになったが(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』)、冷戦後に顕在化している現代音楽のポップ化を「資本主義リアリズム」という枠組みで考察することも可能かもしれない。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)262頁)

 

 要するに、資本主義の呪縛によって「現代音楽」は窒息させられそうになっているということだろうか。

 その前の第7章に書かれた下記の文章も印象的だった。

 

(前略)新ロマン主義が「前衛様式に対する自由」であったことは明らかである。元来は自由を求めて開拓された無調や非拍節的な音楽は、しかし一部の作曲家たちにとっては大きな抑圧として機能するようになっていたのだ。かつて筆者は、六〇年代を過ごした年長の作曲家たちから、「あの頃は前衛的でなければ許されない雰囲気があり、自分もいやいやそんな曲を作っていた」といった類の述懐をしばしば耳にした。してみると、彼らもまた無調や前衛からの自由を勝ち取るために、新ロマン主義的な音楽を選択したということになろう。

 

 (沼野雄司『現代音楽史』(中公新書,2021)240頁)

 

 これには本当にぶっ飛んだ。彼らが前衛音楽を「いやいや」作っていたとは!

 そして、「前衛や自由からの自由」は勝ち得たものの、今では「資本主義リアリズム」が作曲家を縛っているのだろうか。「資本の論理だけには忠実で、その制限下で芸術作品を作れ」とでもいうのだろうか。いやはや。

 こんな状態だから「新ロマン主義の音楽」にも「ポップ化した現代音楽」にも本当に良い作品が出てこないということか。

 まだまだ「現代音楽」は混迷の時代を抜け出せそうにもないのかもしれない。

*1:もちろん第一次世界大戦のこと。

*2:以上、本書128頁による。

*3:何やら某年の日本プロ野球の日本シリーズを連想させる数字だが。

*4:K271は、当時の協奏曲の形式に反して曲の初めにピアノソロが出てくるところがベートーヴェンの第4及び第5のピアノ協奏曲の先駆をなしているとはよく指摘されることだが、長大なハ短調の第2楽章は、その長さといい曲調といい「エロイカ」の第2楽章と共通点があるように思われる。相当にオペラ風のK271の第2楽章と葬送行進曲による「エロイカ」の第2楽章は、両作曲家が普段書く緩徐楽章の作風とはいずれも異なり、かなり芝居がかった様式で悲痛な曲調がいつ果てるともなく続く。またK271はモーツァルト自身の後年の作品にも強い影響を与えており、自作のK456, K482, K491の3つのピアノ協奏曲は、K271なくしては生み出されなかっただろうと思わせる。特にK482はK271の直系ともいうべき作品で(ともに「エロイカ」とも共通する変ホ長調の曲)、ハ短調の第2楽章、ゆるやかな変イ長調の中間部を持つロンドのフィナーレなど、K271と酷似した構造になっている。

*5:本書53頁と62頁に出てくるダンサー・歌手・俳優のジョセフィン・ベーカーは生没年がショスタコーヴィチと同じだ。同じ生没年の人としては、他にハンナ・アーレントがいる。

*6:吉田秀和の文体または口調を真似た。

*7:本書142-143頁

*8:本書108頁

*9:本書154頁

*10:本書155頁

*11:本書160頁

*12:本書160頁

*13:本書204頁

*14:本書205頁

*15:本書258-263頁

*16:本書262頁

山本太郎『感染症と文明 - 共生への道』(岩波新書)を読む

 今のところ、今年最後に読み終えた本は山本太郎著『感染症と文明』(岩波新書2011)だった。私が買ったのは2020年5月15日発行の第7刷だが、「アマゾンカスタマーレビュー」を見ると、4月24日(26日?)発行の第4刷が出ていたそうだ*1。つまり緊急事態宣言発令中の短期間に増刷を重ねていた。

 

www.iwanami.co.jp

 

 山本太郎といっても今年(2020年)馬脚を現したあの政治家のことではない。著者は医師で、国際保健学と熱帯感染症の専門家だ。現在は長崎大学の教授で、あの悪名高い京大准教授・宮沢孝幸と同じ1964年生まれ。

 今年8月に、ウイルスの弱毒化について、私が読んだ井上栄著『感染症 増補版』(中公新書2020, 初版2006)より詳しく書かれているよ、と紹介された本だが*2、買ったのが11月下旬で、読み終えたのが昨日とずいぶん遅くなってしまった。

 非常に興味深い本で、前記井上栄の『感染症 増補版』よりずっと良かった。

 2020年は2011年から始まる十年紀の最後の年だが、本書は十年紀最初の2011年に起きた東日本大震災の直後に刊行された。山本太郎医師は、大震災直後に被災地入りした。

 下記は岩波書店のサイトへのリンク。

 

www.iwanamishinsho80.com

 

 以下引用する。

 

山本太郎:いま、岩波三部作を読む意味

 

新型コロナウイルスの感染拡大にともない、「ウイルスとの共生」を論じた山本太郎さんの岩波新書感染症と文明』に注目が集まりベストセラーとなりました。そして、63日には長らく電子版のみで流通していた『新型インフルエンザ 世界がふるえる日』が復刊します。そこで復刊を記念して、山本太郎さんに3冊の自著解題をご執筆いただきました。(編集部)

 

新型インフルエンザ 世界がふるえる日』(2006920日刊)

感染症と文明――共生への道』(2011621日刊)

抗生物質と人間――マイクロバイオームの危機』(2017920日刊)

 

岩波書店から最初の新書を上梓して14年ほど、構想から数えれば、16-7年が経過した。その間にわたしも、40歳代前半から50歳代後半へと歳を重ねた。その事実に素直に驚く。

 

いろいろなことがあった。20101月には、ハイチの首都ポルトープランス地震が襲い、30万人以上が亡くなった。地震2日後に成田を飛び立ちハイチへと向かった。2003年から04年にかけて、20人に満たないハイチ在住日本人の一人として、一人の研究者として、彼の地に暮らしたことがあった。多くの人にお世話になった。かつて暮らしていたアパートが全壊していた、その姿を見た時、その時の思い出が一瞬によみがえった。青い空には雲ひとつなかった。

 

2011311日には、東日本で大きな地震が起きた。『感染症と文明』の打ち合わせのために、岩波書店がある神保町にいた。足元が大きく二度揺れたかと思うと、目の前を本が落ちてきた。午後246分のことだった。首都圏では、列車の運行がすべて停止し、その夜、東京は帰宅する人の群れで溢れた。震源は、牡鹿半島の東南東約130キロメートル、深さ約24キロメートル。太平洋プレートと北米プレートの境界域で、マグニチユード9.0の海溝型地震だった。福島、宮城、岩手、東北三県の太平洋沿岸部は、地震によって発生した津波で壊滅的な被害を受けた。

 

震災の翌日から被災地に入り、緊急支援活動を開始した。

 

そんなある日、よく晴れた午後の海岸へ出てみた。破壊された堤防の傷跡は痛々しく、鉄橋は跡形もなく崩れ落ちている。折れ曲がった鉄路は、太陽の下で赤錆びた色を晒していた。空はあくまで青く、海はあくまで蒼かった。穏やかな水面には、渡り鳥が羽を休め、風が海上を吹き渡る。波音に驚いた渡り鳥が一斉に飛び立つ。水面が波打つ。

 

どこまでも平穏で美しい景色が広がっていた。これが、地震津波を引き起こした同じ惑星の営みであることに眩暈を覚えたことを覚えている。

 

 

それぞれに、それぞれの本を書いた時間を思い出す。どの本も、構想から資料の収集、書き下ろし、校正と少なくとも2年以上の月日が必要だった。

 

その間にも、何人かの大切な人が逝った。ガーナ、ケニアとアフリ力で働き、「アフリ力」が好きだった若い友もいれば、酒をこよなく愛した年長の友もいた。幼い頃から休みの度に遊びに行っていた祖母や、叔父、叔母も、だ。

 

そして、今、わたしたちが暮らす世界を新型コロナウイルスが襲う。

 

十数余年という時間が、短い時間でなかったことを自覚する。そしてそんな折だからこそ、その間に著した3冊の感染症に関する新書をもう一度概観してみたいと思った。(後略)

 

出典:https://www.iwanamishinsho80.com/post/yamamoto3

 

 山本太郎医師が書いた他の2冊の岩波新書である『新型インフルエンザ - 世界がふるえる日』(2006)と『抗生物質と人間 - マイクロバイオームの危機』(2017)も読んでみたいと思った。

 山本医師は『新型インフルエンザ』を書いた頃に山登りを始めたという。穂高や槍、八ヶ岳、北海道の山を歩かれたとのことだが、臆病な私は八ヶ岳には5回行ったが、まだ穂高には行ったことがない。また十勝岳登頂を目指した時には体調が悪くなって引き返した。

 『感染症と文明』ではミシシッピ川の治水の話が、阪神間の夙川、芦屋川、住吉川などの天井川を思い出させて興味深かった。以下アマゾンカスタマーレビューより。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1X8QX6IC76B2G

 

このウイルスとの共生を著者はミシシッピ川の治水に例えています。私の身近な神戸の住吉川に置き換えてみると、ちょっとした雨で起こる洪水が起こらないようにと堤防を築くと次第に川底に土砂が溜まって水位が上昇するのでさらに堤防を高くする、これを繰り返しているといつの間にか川底が家々の天井よりも高くなる(天井川)。天井川は全国いたるところに見られますが、これが決壊すると大洪水になってしまいます。ウイルスも完全に締め出すと時間とともに集団免疫が次第に低下して、少し変異したウイルスにもまったく無力となり感染爆発が起きてしまいます。共生とはわずかばかりの感染と犠牲者を出し続けることで感染爆発が起きないようにするということ。しかし、誰も自分がわずかばかりの犠牲者の一人にはなりたくない・・・という心情的矛盾はあるわけですが。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1X8QX6IC76B2G

 

 もちろん、欧米よりずっと感染者が少ないのに医療崩壊の危機に瀕している日本では集団免疫戦略などとりようがないし、集団免疫戦略はスウェーデンでも既に失敗したという結果が示されている。しかし何らかの「ウイルスとの共生」が求められるというのはその通りだろうし、小池百合子らがよく言う「ウィズコロナ」という標語を私は嫌いだけれども(それは小池らが標語を自らの私欲のために悪用しているからだが)、好んで用いる人間の邪悪さのためにネガティブな印象がまとわりついてしまったこの標語も、源流は山本医師のような思想だったのだろう。

 そういえば「政治家」(元俳優)の山本太郎は「ワクチン反対派」だったんだっけ。山本太郎医師と政治家の山本太郎とでは、立ち位置がかけ離れているかもしれない。

 2011年に刊行された内橋克人編の岩波新書『大震災のなかで - 私たちは何をすべきか』に、山本太郎医師は寄稿されているそうだ。

 

www.iwanami.co.jp

 

 この本が出たのは『感染症と文明』と同じ2011年6月だった。当時俳優だった方の山本太郎Twitterで最初に脱原発を訴えたのは2011年4月だから、うっかり俳優の山本が執筆者の一人ではないかと誤解して本を買った人もいたかもしれない。

 

 今年は新型コロナウイルス感染症に特化した本は読まなかった。同感染症は現在進行形であり、内容がすぐに陳腐化してしまうのではないかと思ったせいもある。新書で読んだのは1983年に刊行された村上陽一郎著『ペスト大流行 - ヨーロッパ中世の崩壊』(岩波新書)だった。

 

 カミュの『ペスト』(新潮文庫)は2012年に読んだので再読はしなかった。その代わりにダニエル・デフォーの『ペスト』(中公文庫)を読んだ。コロナ禍でも起きなければ一生涯読む機会がなかったに違いない本だ。

 

 しかし今年は例年よりも読んだ本が少なかった。読了したのは今日まで66タイトルで、現在読んでいる宇野重規(現在新型コロナ対応で無能さを露呈している菅義偉に学術会議新会員の任命を拒否された人)の『民主主義とは何か』(講談社現代新書)を明日までに読み終えたとしても67冊止まりで、101タイトル読んだ昨年の3分の2しかない。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 特に4月から9月までの半年間は本を読みたいという意欲が著しく減退した。その後も、読んだ本の内訳にストレス発散のための軽い本(東野圭吾のミステリーなど)が占める比率が高かった。読書に関しては、いや、読書に関しても、良い年とは全くいえなかった。昨年最後のエントリで、来年は最低でも月平均2件の計24件公開を目指すと書いた記憶があるが、本エントリで18件しか公開できなかった。

 来年は今年達成できなかった目標、つまり最低月平均2件の24件公開を目指したい。

 それでは皆様、良いお年を。

*1:https://www.amazon.co.jp/gp/customer-revws/R35INNFHU1BHCT

*2:ウイルスの弱毒化に関しては、ずいぶん長いタイムスケールの話であって、たとえば188頁に「短期的(5-100年程度)」との記載がある。本書では、今年夏頃一部で流布した俗説で言われていたような、流行が始まってから数か月しか経っていないのに、もともと強毒性とは決していえない現在流行中のの新型コロナウイルスがさらに「弱毒化」するかのような記載は確認できなかった。

1997年に東野圭吾『探偵ガリレオ』に描かれていた「原子力工学」の斜陽

 このブログでは珍しく2日連続の更新になる。珍しく、というよりブログ開設以来初めてかもしれない。昨日は音楽の話題だったが、今日は小説の話題。

 初めにお断りしておくが、このエントリには頭書のミステリのネタバレが思いっきり含まれているので、未読かつ知りたくない方は以下の文章を読まないでいただきたい。

 

 東野圭吾の小説には、松本清張など私が本格的にはまった作家と比較して問題を感じる箇所が多いし(その代表例が『手紙』に出てきた平野社長の考え方)、構成面でも過去の名匠たちの作品からの借り物が多いように思うが、娯楽作品としては文句なく面白いので、飛ばし読みしてストレスを解消したい時にはしばしば読む。なにしろ多作家だ。

 そんな東野作品の中でも、ガリレオシリーズは「理系ミステリ」としてよく知られているが、その第一作である『探偵ガリレオ』(文春文庫)は人気が高いらしく、なかなか図書館の棚で見掛けなかった。しかし先週末、ついに置いてあるのを見つけたので借りて読んでいる。

 

www.bunshun.co.jp

 

 『探偵ガリレオ』は5編の短篇からなるが、第4章「爆ぜる(はぜる)」まで読んだ。今回取り上げるのはこの第4章。

 著者は大阪府立大電気工学科を卒業しているから、電気や物理系のトリックが多い。読んでいて、結構いいところまではわかるのだが、トリックはなかなか見破れなかった。例えば第1章「燃える(もえる)」での「赤い糸」はヘリウムネオンレーザーじゃないかな、だけどヘリウムネオンで殺人なんかできないよな、と思った。第2章「転写る(うつる)」は落雷と関係あるんだろうな、とまでしかわからなかった。また第3章「壊死る(くさる)」では「大人のおもちゃ」としてのバイブレーターと超音波溶接機の両方を思い浮かべたけれども、それ以上は深く考えなかった。

 ところが第4章「爆ぜる」だけは様相が違う。水と反応して爆発する、といったら化学の領域じゃないか、と思ったのだ。

 しかし読み進めると「エネルギー工学科」というのが登場する。これって昔の「原子力工学科」じゃないかとはすぐにわかった。さらに読み進めるうちに、水と反応して黄色の炎を上げて燃える物質を思い出した。

 ナトリウムだ。

 確か中学校の授業で、教師がごく微量のナトリウムを水と反応させる実験をやったのを見た記憶があった。もちろん生徒にはやらせなかった。金属ナトリウムが水と反応して黄色の炎を上げた印象は鮮烈だった。

 ナトリウムなら1995年に起きた高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故など、原子力技術とのかかわりが深い。なるほどその関係なのか、と作者の意図に気づいた。

 案の定、犯行に使われたのはナトリウムだった。だが、それだけではブログ記事を書こうという気は起きない。つまり、以下が本エントリの核心部だ。

 予想通り、帝都大理工学部エネルギー工学科の前身は「原子力工学科」だった。ガリレオ役の湯川学は「名前を変えたのはイメージが悪くなったからだ」*1と言い、引き続いて高速増殖炉のナトリウム漏れ事故に言及した。これが犯行の動機になったのだった。

 この短篇の初出は「オール讀物」1997年10月号だ。前述のように「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故はそれ以前の1995年に起きている。

 それではガリレオシリーズの「帝都大学」のモデルであろう東大で原子力工学科が名前を変えたのはいつだろう、確か「エネルギー工学科」という名前ではなかったはずだが、と思いながらネット検索をかけると、なんと2番目に引っかかったのが、私が2012年4月7日に公開した「kojitakenの日記」の下記記事だった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 東大は、1993年に原子力工学科を「システム量子工学科」に名称変更していた。「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故よりも2年前のことだ。だから、原子力工学科のイメージが悪くなったのは、ナトリウム漏れ事故よりももっと前の出来事が原因だ。

 そう、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故。これを機に原子力工学科の人気は地に堕ちた。

 上記記事から引用する。

 

 昨年、東電原発事故が起きた時にテレビに出てくる「原子力ムラ」のコメンテーターたちは年寄りばっかりだったことに読売の論説委員たちは気づかなかったのだろうか。同じことは、日本の原発の技術は世界一だとかほざいていた安倍晋三についてもいえるが。

 

もうとっくに日本の原子力工学の関係の技術者は人材が払底していたのである。

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20120407/1333777286

 

 ああ、安倍晋三は総理大臣に返り咲く前に「日本の原発の技術は世界一だ」などという妄言を発していたんだったな。こんな奴を復活させたばかりか、8年近くも総理大臣の座に居座らせ続けたのは、21世紀前半の日本にとってとんでもない痛恨事だったな、と改めて思ったのだった。

 覆水盆に返らず。

*1:文春文庫版257頁

モーツァルトの命日にレクィエムを聴きつつ、44年前の吉田秀和のラジオ番組を思い出す

 何気なくiTunesを開いていたら、2004年12月5日の22時台から23時台にかけてモーツァルトのレクィエム(死者のためのミサ曲)を、アーノンクールの1981年盤で聴いていたタイムスタンプが残っていた。手持ちのCDから読み込んだものだが、iTunesで聴いたのはこの時だけだった。

 これを見て、ああ、今日はモーツァルトの命日だったなと思い出し、16年ぶりに聴き始めた。2004年12月5日から2020年12月5日にタイムスタンプを上書きしながら書いている。

 こんなに長いこと聴かなかった理由の一つは、モーツァルトの絶筆であるこの作品は気軽に聴ける音楽ではないからだ。今回も、コンフターティスの後半から「記事を書きながら」聴くことができなくなり、書くのを中断した。現時点では、ジュスマイヤーの手になるベネディクトゥスだから気兼ねなく記事が書ける(笑)。

 なお、アーノンクールの1981年盤は「バイヤー版」による。最初のイントロイトゥスのテンポがやたら速いのには驚かされるが、全体的には、ピリオド楽器による演奏が普通になった現在では、特に奇矯なスタイルとも思われない。私の現在の感覚は「今さらベームなんか聴けるか」といったところだ。

 ところで2004年12月5日は何曜日だったのかと思ってネット検索をかけたら日曜日だった*1。その日の22時台から23時台ということで、あることを思い出した。

 それは1976年12月5日、日曜日の夜だった。私は前年夏からNHK-FMで毎週日曜日夜にやっていた「吉田秀和 名曲のたのしみ モーツァルト その音楽と生涯」を聴いていた。聴き始めた1975年の夏にト長調(K.301)とホ短調(K.304)のヴァイオリンソナタがかかり、特に後者に強い印象を受けたことが番組を毎週聴くようになったきっかけだった。何年もかけてモーツァルトの全作品を吉田秀和(1913-2012)の解説で聴く番組だったが、1976年にはまだケッヘル300番台の途中だった。しかし、この年の12月5日がたまたま日曜日だったので、特別にレクィエムがかかったのだった。私がモーツァルトの命日を覚えたのは、まさにモーツァルトの命日である1976年12月5日のことだった。

 2004年12月には、モーツァルトの命日とともに、かつて聴いていた吉田秀和の番組をも思い出していたに違いない。2004年にもまだ吉田秀和の番組は続いていたが、もはや聴かなくなっていた。

 吉田秀和の番組を最後に聴いたのは、2005年7月、「サンライズ瀬戸」の車中でのことだった*2。寝台車の個室のラジオをつけたら不意に吉田秀和の声が聞こえてきたので、十数年ぶりに聴き入ってしまった。その夜は土曜日だったが、番組の放送時間帯はしばしば変わったのだった。番組は1971年に始まったが、私が聴くようになった1975年夏には日曜日23時台だった。それがしばらく聴かなくなっていた時期を経て再びしばしば聴くようになった1986年には、日曜日朝9時台になっていた。1975年当時のモーツァルトのシリーズは1980年にいったん終わったが、その直後にまたケッヘル1番から再開されたと記憶する。1981年の後半にK.202の交響曲第30番を聴いた記憶があるが、その頃にはもう毎週は聴かなかった。そして、1986年にミニコンポを買った頃にまたたまに聴くようになっていた。当時印象に残ったのはハ短調ミサK.427で、かかったのは確かカラヤン盤だったと記憶するが*3、最初のキリエを聴いて、えっ、こんなにいい曲だったのかと驚いた。同じ番組では70年代に複数回(2回か3回)に分けて聴いたことがあったのだが、その時には曲の良さが理解できなかった*4。この曲はキリエも良いが、「エト・インカルナートゥス・エスト」がことのほか素晴らしい。この部分と、キリエの中間部「クリステ・エレイソン」はともに妻のコンスタンツェが歌ったとされるが、以前にもこのブログで取り上げた記憶がある「コンスタンツェ悪妻説」は、この曲を知る私には妥当とは思われない。吉田秀和は、1975年にK.304の、1986年にはK.427のそれぞれの魅力を、それにモーツァルトの命日を私に教えてくれたのだった。

 長々と書いているうちにアーノンクール指揮によるモーツァルトのレクィエム(バイヤー版)はとっくに終わったが、思わず昔の思い出に浸ってしまったモーツァルト没後229年の命日。モーツァルトの命日を知ってからまる44年が経った。

*1:もっとも、私はある理由によって同年9月5日が日曜日だったことを覚えていたので、そこから小の月が1回だけの3か月後(つまり91日後)の12月5日が日曜日だったに違いないことは見当がついていた。ネット検索はそれが正しいことを補強するものに過ぎなかった。

*2:月曜日に福島県への出張があったのだが、前日の日曜日に那須連山に登るために夜行列車を利用したのだった。マリンライナーで高松から岡山に出て、岡山からサンライズ瀬戸に乗った。

*3:この曲は長いので、全曲はかからなかったはずだ。

*4:但し、その後1988年に買ったCDはカラヤン盤ではなくガーディナー盤だった。私は当時からピリオド楽器による演奏を好んでいたのだった。このCDは大いに気に入った。

井上ひさし『十二人の手紙』、『四捨五入殺人事件』を読む

 今年は井上ひさしの没後10年とのことで、1984年に新潮文庫から出ていた『四捨五入殺人事件』が中公文庫から改めて出版された。帯に「どんでん返しの極致」、「だまされる快感!」とあるからミステリー作品らしい。

 

 

 しかし、9月にさる大書店でこの本が平積みされているのを見掛けた時、その隣に作者も出版社も同じ『十二人の手紙』が平積みされていた。こちらは1980年に文庫化され、2009年に文字を大きくして改版された。今年2月に増刷された時、やはり「どんでん返しの見本市だ!!」との帯がつけられた。

 

 

 この寸評は、啓文社西条店・三島政幸氏によるものだそうだが、帯をつけたのは出版元の中央公論新社だ。なお、西条店といわれてもどこの西条だかわからなかったし、啓文社というのがどこの書店なのかも知らなかったが、ネットで調べたところ、広島県尾道市に本店があり、西条店というのは東広島市西条のゆめタウン*1にある店舗らしい。

 

 

 また、三島政幸氏はネットでは「政宗九」と名乗っておられるらしく、氏が書いたと思われる下記noteをみつけた。

 

note.com

 

 こちらも未読だったし、40年前に文庫化されていてその後も増刷されているから、こっちの方が面白いに違いないと思って、これが面白ければ『四捨五入殺人事件』の方もあとで買って読もうと思い、9月には『十二人の手紙』の方だけ買った。

 『十二人の手紙』を読んだのは今月に入ってからだったが、非常に面白かったので今月の3連休の前日に、前記とは違う都内の大型書店で本を8冊買い込んだうちの1冊として『四捨五入殺人事件』を選んだ。予想通り、より良かったのは『十二人の手紙』の方だった。今年に入って読んだ小説では一番良かった。しかし、『四捨五入殺人事件』も悪くなかった。そこで、今回は『十二人の手紙』をメインにして、『四捨五入殺人事件』にも触れることにする。

 

 ところで、前述のような帯がついている文庫本を読む時に大事なのは、あんまり帯の煽り文句に引っ張られないことだ。『十二人の手紙』を読んだあと、例によって「読書メーター」の感想文に目を通していると、帯の煽り文句に引っ張られて失敗している読者を多数発見した。

 『十二人の手紙』は基本的に12の短篇とおまけの「エピローグ」からなる短篇集だ。最後に、12の短篇に出てきた登場人物が一堂に会して、松本清張エラリー・クイーンかと思わせるミステリ風の締めくくられ方だし、短篇の中には江戸川乱歩のある短篇を連想させるものもあるが、決してミステリ作品とはいえない短篇の方が多い。

 むしろ、手紙という文字媒体が持つ「信頼できない語り手」という特性を活かした短篇が目立つ。もちろんミステリにも「語り手が犯人」というトリックや、筒井康隆の『ロートレック莊殺人事件』のような叙述トリックの作品があるけれども、「信頼できない語り手」と言われて私が直ちに思い出すのは、以前このブログでも取り上げたカズオ・イシグロの『日の名残り』だ。日本の読書家には間抜けな人たちが多いから、『日の名残り』の「信頼できない語り手」の叙述トリックを見抜けずに「執事道とは品格と見つけたり」などというタイトルの感想文をブログに公開した人や、「信頼できない語り手」の手法を知っているにもかかわらず「主人公のスティーブンスは『信頼できない』語り手なんかじゃない」と言い張った人たちなどがいる。ああいう人たちはこの短篇集は嫌いなんじゃないかなと思ってしまった。

 この短篇集の初出は『婦人公論』1977年1月号から1978年3月号であって、2回休載があったものだろうか。女性向け月刊誌に掲載された作品なので、作者も読者層に合わせた書き方をしているが、松本清張がそうだったように、この時代の男性作家による女性読者向け小説にありがちな限界があることは止むを得ない。70年代といえば男女雇用機会均等法の施行(1986年)より前だし、世論調査で選択的夫婦別姓制度への賛成論が圧倒的多数を占めるようになった現在の目から見れば、古さは否めない。

 短篇集の第一話は「プロローグ 悪魔」だが、とにかく暗い。第三話「赤い手」は公的な届出文書24件だけで主人公の女性の薄幸な一生を浮き彫りにし、最後に主人公の手紙で占める。「読書メーター」でもっとも人気が高いのはこの短篇で、実際よくできているが、あまりに救いがない。

 「悪魔」や「赤い手」の印象が強いせいか、この短篇集には「ハッピーエンドが一つもない」という感想文を書いた人もいるが、そうではないだろう。反例として第四話「ペンフレンド」と第七話「鍵」があるし、あっと驚く仕掛が施されている第十話「玉の輿」も、短篇が終わった後への期待を抱かせる。しかし、その後には初めの方と同じような「後味の悪い」短篇が続く。後味が悪いにもかかわらず読ませて面白いのがこの短篇集の特徴だ。このあとに、作者のサービスである「エピローグ 人質」が続く。

 著者の井上ひさしは劇作家だから「どんでん返し」のラストの短篇が多いが、私が一番気に入ったのは、「読書メーター」ではあまり人気がなかった第五話「第三十番善楽寺」だ。私は四国在住時代八十八箇所のうち六十六箇所に巡礼したことがあって、土佐の三十番札所にもお参りしたが、「読書メーター」では複数の読者に「第十三番善楽寺」と誤記されていた。短篇の舞台は、初め東京東部の本所(錦糸町)・深川(越中島)からいきなり土佐に飛ぶのだが、この三十番札所の善楽寺には「札所争い」があったのだった。それが短篇のキーになっている。善楽寺明治維新に伴う廃仏毀釈によっていったん廃寺になり、ご本尊が近くの安楽寺に移されて、この安楽寺が仮の第三十番札所になった。ところが1929年になって善楽寺が再興され、以後善楽寺安楽寺の間に「札所争い」が長年続いた。この争いはこの短篇が書かれた1977年にはまだ解決していなかったが、その後1994年に解決され、善楽寺が第三十番札所として確定したという。私がお参りしたのは確か2010年だったから、ガイドブックにもこの札所争いは書かれておらず、この短篇を読んで初めて札所争いをしていたことを知ったのだった。

 第五話「三十番善楽寺」では、この札所争いと、短篇の主人公が勤めるようになった身体障害者施設である共同作業所で作られる洗濯ばさみによる収入の分配法をめぐる、所内での争いとが重ね合わされる。従来は収入が一律分配されていたのが、障害の軽い人たちが能率給にすべきだと主張し、共同作業所でその提案を受け入れたところ、作業所内で争いが起きたという筋立てだ。これなど現在に通じる話であって、竹中平蔵流の新自由主義に基づく競争原理を職場に導入したところ、職場のモラールが下がって業績が落ちたという例など、この国にはいくらでもあるのではないか。しかも悪いことに現首相の菅義偉は竹中と昵懇であって、新型コロナ対応などそこそこにして「経済を回す」ことばかり考えているから、東京や大阪などで医療危機に瀕するようになってしまった。

 ついつい脱線したが、この争いに関して主人公が「一律分配でもなく能率給でもなく、必要に応じた分配を」と主張するのは、さすがに共産党支持だった井上ひさしだと思った。

 そういう現代性でも私の注目を惹いたのだが、この短篇にはある仕掛けが施されている。なるほど、それでお遍路さんなのかと納得させられた。しかも、作者はフェアな手がかりを残している。この短篇集で一番「やられた」と思った箇所だった。

 

 最後に『四捨五入殺人事件』に軽く触れておく。この長篇はれっきとしたミステリではあるが、文庫本の帯にあるような「だまされる快感!」を味わえる人は決して多くないのではないか。なぜなら、作者はトリックを見破って下さいとばかりに大サービスしているからだ。その意味で、本格推理小説を期待して読むと拍子抜けするに違いない。また、この長篇は『十二人の手紙』の中のある短篇と強い関連がある。読み終えた時、『十二人の手紙』よりこちらを先に読めば良かったかな、と思ったが、その後意見を変えた。こちらは1975年に『週刊小説』に連載されているから、『十二人の手紙』よりも先に書かれているのだが、それにもかかわらず『十二人の手紙』を先に読んだ方が良い。むしろ、この長篇は筑摩書店の松田哲夫氏による解説文が読ませる。この解説文を読めただけでも良かった。松田氏によると、『四捨五入殺人事件』は「ミニ『吉里吉里人』」とのこと。私は高松から東京に引っ越す前だったかに新潮文庫の上中下全3巻本を売り払ってしまったために『吉里吉里人』は手元にないが、もし改版されて文字が大きくなっているなら再読したいと思った。

 なお、松田氏の解説文は「婦人公論」のサイトで読める。

 

fujinkoron.jp

 

 私の結論は、『十二人の手紙』は5点満点の5点で文句なくおすすめ、『四捨五入殺人事件』は5点満点の4点でおすすめ、といったところ。

 なお、『十二人の手紙』は小泉今日子が2010年8月9日付読売新聞の書評で絶賛したことがあるらしい。蛇足ながら、井上ひさし国鉄スワローズ(のちヤクルトスワローズ)のファンだった。

*1:ゆめタウンはかつて住んだことのある岡山県倉敷市香川県高松市にもあったので、広島に本店があるスーパーであることは知っていた。