KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

大岡昇平と吉田秀和と音楽と

 今年(2019年)、河出文庫から吉田秀和(1913-2012)の音楽評論の本がずいぶん文庫化された。98歳まで生きた吉田が遺した膨大な評論から、作曲家や指揮者、ピアニスト別にテーマを絞って新たに編集したものが6タイトルと、2011年に発行されていた『マーラー』に、新たな5篇を追補した『決定版 マーラー』の、計7タイトルだ。

 私はそれらのうち、『バッハ』、『グレン・グールド』、『ホロヴィッツと巨匠たち』、それに前記の『決定版 マーラー』の計4冊を読んだ。吉田の著作は、昨年岩波新書から復刊された『二十世紀の音楽』(1957)も読んだから、この2年で計5冊を読んだことになる。この中でもっとも印象に残ったのは、『決定版 マーラー』に収録された「マーラー」(初出「ステレオ芸術」1973年10月号〜1974年2月号)だが、これについては次回に取り上げる。

 今年はまた、中公文庫から大岡昇平のエッセイ集『成城だより』、『成城だより II』、『成城だより III』も出た。私は最初の2冊を読み、『III』はこれから大晦日までの間のどこかのタイミングで読む予定にしている。これらは順に1979〜80年、1982年、1985年に書かれた作家晩年の日記が収録されているが、それらにも吉田秀和の名前が出てくる。未読の『III』には、映画『アマデウス』に感激し、それをきっかけに出歩いて映画を見まくった大岡昇平の日記が読めるらしいから楽しみにしている。

 

成城だよりⅢ|文庫|中央公論新社

 

 さらに、近所の図書館で『大岡昇平 音楽評論集』(深夜叢書社,1989)という珍品を見つけて読んだ。これにはなんと、大岡昇平吉田秀和が作曲した歌の楽譜が載っている。大岡は中原中也の「夕照」と「雪の宵」の2篇、吉田は富永太郎の「恥の歌」にそれぞれ曲をつけた。巻末には大岡昇平吉田秀和の対談も収録されている(他に大岡と武満徹の対談も収録)。スタンダールの評論家として出発したという大岡は、同時代人としてモーツァルトの音楽に接したスタンダールに影響されてモーツァルティアンになった。一方でワーグナーに強く反発し、吉田に反撃を食らったりしている。

 その一例を以下に引く。下記は「芸術新潮」1955年2月号に掲載された大岡の「ワグナーを聞かざるの弁」からの引用。

 

 こんどの外国旅行で、僕の音楽指南番は吉田秀和君だった。昨年三月までニューヨークで一緒だったし、五月にはパリで会った。

(中略)オペラや音楽会に一緒に行っての帰り、ビールなぞやりながら、今聞いたばかりの曲について、質問したり、感想を聞いたりすることが、どれだけ役に立ったかわからない。

 しかし吉田君が目下本紙に連載している音楽紀行を読むと、彼が僕のおしゃべりを随分我慢して聞いてくれていたことがわかって来た。例えば先月号―「大岡昇平氏はワグナーを性交音楽だといってけなすけど、それがどうしていけないのだろう。そんなことは馬鹿げた非難だ。性交だって退屈なものだ。退屈だと思えば、或いは退屈な人には。しかしワグナーのこの音楽は退屈じゃない。よく書かれた立派な音楽だ。それだけで十分ではないか」云々。

 ワグナー性交音楽論は珍しいことではなく、現在では常識の部類に属すると思っているが、これはまあどうでもいいことだ。浪漫派が感情の陰影をなぞったのと、本質的にはなんの違いもありはしない。だから僕はシューマンも嫌いだが、彼等の芸術のかんじんな部分はそういうところにはないだろう。模倣は芸術の数ある手段の一つにすぎない。

 ワグナーのねばりっこい音色、無限旋律は一種の音楽的快感を与えるのだが、これはコンサートで聞く時に限られている。オペラとなると、どうも化かされているような気がして、反発を感じる。(以下略)

 

(『大岡昇平 音楽評論集』(深夜叢書社,1989)45-46頁)

 

 いやはや、ここまで書きたい放題に書ければさぞかしいい気分だろう。

 この文章の続きでは、バイロイト(Bayreuth)を「ヴイロイト」などというわけのわからない表記がされているが、それがそのまま単行本に収録されている。モーツァルトも初めのうち「モツァルト」と表記されているが、これはまだしも昔はそういう表記が普通だったのかもしれないと思わせる。しかし「ヴイロイト」はない(笑)

 大岡昇平で感心するのは好奇心の旺盛さであって、『音楽評論集』では50歳を過ぎてピアノと作曲の学習に、晩年の1982年の日記を収めた『成城だより II』には数学の学習に奮闘するさまが描かれている。中原中也の2篇の詩に曲をつけたのもその成果の表れだ。

 晩年の大岡は1977年に心臓病を患った時に耳も悪くなったと『成城だより II』に書いているが、『音楽評論集』にも80年代の文章は一つもない。ただ、吉田秀和との対談だけは『成城だより II』と同じ1982年に行われた。

 ここで大岡は、中島みゆき*1「あみん」にはまっていると語り、吉田と爆笑もののやりとりをする。以下引用する。

 

 大岡 いや、ぼくの音楽遍歴はデタラメで、ドーナツ盤の『待つわ』なんてやつも買ってきて聴くんだから。シーナ・イーストンオリビア・ニュートン=ジョンも聴いてますから。中島みゆきも聴くし。あなたは全然聴かないの?

吉田 聴かないですね。

大岡 「待つわ、いつまでも待つわ、あなたがあの人にふられるまーで」、とかなんとか言ってね(笑)。女子学生が二人で歌うんだよ。待つは*2待つわ、ってデュエットで重なるの。女が二人でデュエットで待つってのは、なんだか変なんだけどね。

吉田 それはモーツァルトの『フィガロの結婚』のなかにもあるけどね。手紙のデュエットのとこなんかね。

大岡 ああ、あそこにあるのか。

吉田 あれはきれいですよね。伯爵夫人が後述をするとスザンナがこう書いて、それで復唱するわけです。

大岡 あれは共謀のデュエットですね。ダブルところがあったっけ。「待つわ」では、一人が「わ」を長く引っぱってる間に、もう一人が「待つわ」と合の手を入れる。

吉田 いや、そうではない。

大岡 それがポピュラーか(笑)

吉田 モーツァルトはイタリア語だから、「待つわ」ではないけど、しかしテキストはそうですよ。夕方。庭で風が松の木をそよかに動かすようなとき、そのときその下で待っています、と言って。

大岡 あれはいい歌ですね。

吉田 だから、その中島なんとかっていう人の悪口を気はないけれども、でも十八世紀にだって女の人二人でもって「待つわ」ってこっちが言うと「待つわ」って、こう言う。それであとはもう「言わなくてもわかるでしょう」っていうと、「言わなくてもわかるでしょう」って、こう言う。それから今度スザンナが、それじゃこう手紙を書きました、夕方になって松に風がそよかに吹くときに松の木の下におります、あとは言わなくてもわかるでしょうっていうと伯爵夫人がそれをそのとおりやって、ああそのとおりって。

 

(『大岡昇平 音楽評論集』(深夜叢書社,1989)204-205頁)

 

 『待つわ』は中島みゆきではないのだが、それはともかく、上記の対話を書き写しているうち、『フィガロの結婚』のDVDを買って見てみたい気が起きてきた。かつてはNHK-BSなどでオペラを見たことはあったが、もう10年以上、いや下手したら20年近くもご無沙汰しているかもしれない。

 そんなわけで、今年8月末に大岡昇平の『事件』を読んで以来、大岡昇平がちょっとしたマイブームだったのだが、そんな私にとって迷惑千万だったのは大澤昇平とかいう、東大を追い出された馬鹿なネトウヨ学者の件だった。あんなのを一時は「特任准教授」にしていたとは、東大の堕落も深刻の度を増してきたようだ。

 なお、吉田秀和絡みの音楽論では村上春樹の『意味がなければスイングはない』も読んだ。本当はこの日記に3週間前に公開した下記記事(前々回の記事)を書く前に読んでおくべきだったのだが、順番が前後した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 吉田秀和との絡みについては、上記記事中に引用したブログ記事に言及されているので、この本については、出版元の文藝春秋の下記サイトにリンクを張っておくにとどめる。

 

books.bunshun.jp

 

 当然ながら、大岡昇平村上春樹では音楽評論も全然異なる。より本気で音楽と関わったのが、ジャズ喫茶を営んでいた経歴をもつ村上春樹の方であることは言うまでもない。

 大岡昇平の『成城だより』には未読の『III』に索引があるので、『II』と『III』に村上春樹への言及があることがわかる。『II』は既に読んだが、下記の記述がある。

 

 村上春樹は前作『羊をめぐる冒険』を読み損なったが、「納屋を焼く」(「新潮」)はカフカ風の不条理小説にして、変にレアリテあり。「クリスタル」系統にも漸く文学的主張、技法共に安定の徴候あり。

 

大岡昇平『成城だより II』(中公文庫, 2019)291頁)

 

 『羊をめぐる冒険』は最近読んだが、初期3部作の前2作とは違ってストーリーがあった!*3

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 大昔、3部作の初めの2作で村上春樹に挫折した私は、それにめげずに3作目も読むべきだったのかもしれない。この小説はちょっとしたミステリ仕立てになっていて、最後に謎解きもされる。明らかに児玉誉士夫をモデルとしたと思われる登場人物が出てくるが、そのことから私は直ちに松本清張の『けものみち』を思い出した。Wikipedia「児玉誉士夫」にも下記の記載がある。

 

逸話

 

 『けものみち』は1964年、『羊をめぐる冒険』は1982年、ともに児玉誉士夫の生前に書かれた。今年は中曽根康弘の死によって児玉誉士夫が思い起こされた年でもあった。児玉が口を開かなかったからこそ中曽根は逮捕を免れて5年もの長期政権を握り、日本の没落への道を開いた人間でありながら生前から「大勲位」などと呼ばれ、訃報の報道ではさもものすごい偉人であるかのような伝え方をされた。とんでもないことだ。

 話が不愉快な方へと逸れた。大岡昇平は『成城だより III』でも村上春樹に4度言及し、4度目は1985年の「試案ベスト5」の5番目に村上の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を挙げている。大岡の3冊の『成城だより』の最後に書かれた名前が村上春樹なのだった。

 今年は私もようやく長年の村上春樹の小説への苦手意識*4が払拭されて、村上作品を何作か読んだが、もっとも印象に残ったのはこのブログでも以前に取り上げた『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の第36章で、「僕」が手風琴で『ダニー・ボーイ』を弾くと、街が揺れ、図書館の少女が涙を流し、一角獣の頭骨が淡い光を発する場面だ。『羊をめぐる冒険』では主人公は失ってばかりで、最後に兵庫県芦屋市をモデルにしたと思われる街の、埋め立てられずに残ったわずかばかりの砂浜で大泣きするが、『終りの世界』で「僕」は失われてしまったはずの彼女の心をみつけた。つまり、初めて「取り戻した」といえるのだが、それにも音楽が重要な役割を果たしたのだった。

 

 次回は小説家を絡めずに、もう一度吉田秀和を取り上げる。

*1:中島みゆきについては、大岡は『成城だより』でも言及している。中公文庫版31頁に「中島みゆき悪くなし」とあり、埴谷雄高は「わかれうた」の題名まで知っていたと書くが、これは1977年の大ヒット曲。もっともその頃、大岡昇平は大病に臥せっていたのだった。

*2:原文ママ

*3:村上春樹村上龍の『コインロッカーズ・ベイビーズ』に影響されたとのこと。

*4:同じ「阪神間育ちなのにヤクルトファン」の私は、村上のエッセイは以前からよく読んでいたのだが、小説は初期3部作の初めの2作や『ノルウェイの森』などを苦手としたために敬遠気味だった。