KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

吉行淳之介の短篇「あしたの夕刊」とつのだじろうの漫画『恐怖新聞』、それに石川淳、ムソルグスキー

 下記のアンソロジーを読み終えた。

 

名短篇、ここにあり (ちくま文庫)

名短篇、ここにあり (ちくま文庫)

 

 

 これは11年前に出た文庫本だが、松本清張の「誤訳」が選ばれているので図書館で借りて読んだ。もっとも、「誤訳」は既に読んだことがあった。短篇集『隠花の飾り』に収録されており、この本は3年前、2016年2月に読んでいた。

 

隠花の飾り (新潮文庫)

隠花の飾り (新潮文庫)

 

 

 この短篇集については、清張がトーマス・マンの小説からの盗用を疑われた経験に基づいた「再春」についてのみ、下記記事で取り上げた。まだこの読書ブログを開設する前に『kojitakenの日記』に公開した記事。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 今回読んだ短篇集の話に戻ると、今回は清張作品についてはパスして、吉行淳之介の「あしたの夕刊」を取り上げる。翌日の夕刊、つまり未来の出来事が書かれた新聞が配られてきたという、昔どっかの漫画で読んだような話で、それを思い出したからだ。その漫画とは、つのだじろうの『恐怖新聞』だ。以下、Wikipediaから引用する。

 

恐怖新聞 - Wikipedia より

概要

つのだじろうによる恐怖漫画作品。『週刊少年チャンピオン』誌(秋田書店)において、1973年から1975年まで連載(全29話)された[1]。1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まる「恐怖新聞」によってもたらされる、不幸な未来の恐怖を描く。主人公・鬼形礼にまつわる長期的なストーリーと、鬼形が狂言回しとして登場する独立した短編作品からなる。(以下略)

 

あらすじ

石堂中学校に通う少年、鬼形礼(きがた れい)。彼は幽霊などの超常現象を全く信じていなかった。そんなある晩、午前零時に彼のもとに突然「恐怖新聞」と書かれた新聞が届けられる。その新聞には、霊魂の存在を実証する記事、または未来の出来事などが書かれていた。翌日、その記事は現実となってしまう。そして、級友から「恐怖新聞」にまつわる恐ろしい噂を耳にしてしまう。それは、「恐怖新聞」は1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まるというもの。その日から鬼形礼の恐怖の日々が始まった。(以下略)

 

 吉行淳之介の「あしたの夕刊」の方はどうかといえば、これは1966年1月号の『小説新潮』に掲載された短篇だが、なんと1935年に書かれた牧逸馬*1の絶筆「都会の怪異 七時〇三分」の紹介が長々と書かれている。この小説こそ、『恐怖新聞』の先輩格なのだ。以下「あしたの夕刊」から引用する。

 

 その小説の骨子は、主人公の男の家に、明日の夕刊が配達される、というところにある。

 その男のところにだけ、ある夕方、翌日の夕方に発行される筈の夕刊が配達される、という不気味な設定である。

 たとえば、十月二十五日の火曜日の今日、十月二十六日水曜日の夕方でなくては手に入らない筈の夕刊が配達されてくる。したがって、その新聞には、明日起る筈の出来事が既に印刷されている。明日の午後起る交通事故も、地震も、強盗も、人殺しも、あるいは遺失物を交番に届けた正直な運転手のことも、みんな既に今日の午後に分ってしまっているのである。

北村薫宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』(ちくま文庫2008)180-181頁)

 

 ところが、主人公は奇妙なことに気づいてしまう。以下引用を続ける。

 

 小学生だった彼にとって、その設定は不気味な魅力に溢れているようにおもえ、たちまちその作品世界に引入れられたのであるが、一つ奇妙なことに気付いた。

 作者牧逸馬は、明日の夕刊の日付について、誤りを犯している。たとえば、その夕刊が十月二十五日火曜日に配達されたとして、その日付を、

「十月二十六日、水曜日」

 と、書き記しているのである。

 当時では十月二十五日に、万一翌日の新聞が配達されたとしたら、その印刷された日付は、

「十月二十七日、木曜日」

 でなくてはならない。

(前掲書181頁)

 

 これは確かにその通りだ。現在でも三大紙の最終版は朝刊が14版で夕刊が4版になっていると思うが、半世紀近く前に確か『少年朝日年鑑』で知った記憶によれば、その日付の新聞の最初の版が夕刊の1版で、以下3版までが夕刊、4版から13版までが朝刊だった。そして1版から3版までは最初は翌日の日付が印刷されていた。その後、おそらく戦後に夕刊が復活した時のことだろうが、当日の日付が印刷されるように変わったが、版数は昔のまま朝刊の方が夕刊より大きな数字になっている。考えてみたら、14版のあとに4版を読むなんて変な話だ。

 「都会の怪異 七時〇三分」が書かれた1935年には、夕刊には翌日の日付が印刷されていたから、牧逸馬は誤りを犯していたのだ。それはその通りだが、吉行淳之介はそんな小説執筆時点から30年前の小説の誤りを指摘して、そこまでで小説の半分を費やしている。

 なお編者の北村薫宮部みゆきの昔の夕刊の日付については知らなかったらしい。文庫本巻末に収められた対談で語られているが、ネットでも当該部分を参照できるので、以下にリンクを張って引用する。

 

www.bookbang.jp

宮部 それと、吉行さんの「あしたのタ刊」は私、好きですねえ。

北村 これも面白かった。最初は女性のことも出てこないし、吉行さんらしくない作品かなと思ったんです。しかし、読んでみると、非常にすぐれたエッセイストであり、座談の名手であった作者の一面が覗(のぞ)ける作品のような気がして、これもいいなと。勉強になったのは、この頃の夕刊のシステム。

宮部 あれは私も知りませんでした。日付が今と違っていたという。

北村 十月二十五日の夕刊には、翌二十六日の日付が入るものだったんですね。そういうシステムだったとは、ちょっと調べもつかないし、ここで読まなければ知りようもなかった。作品のアイディア自体はよくある発想なんだけれど、エッセイ的な書き方をしていて非常に面白い。

宮部 確かに、海外のショートSFなんかでは珍しくない素材ですが、それをどういうふうに落とすのかなと思ってると、「あ、この手があったか。ここへ案内するのか」というラストに導かれる。私、昔から吉行さんの『恐怖対談』が大好きで、吉行さんの怖い話好きが、こういう作品に結びついたんだなと感じながら読んでました。

北村 私にとっても意外な発見となる短篇でした。「あしたの夕刊」も決まりですね。

 

 ここで北村薫が「作品のアイディア自体はよくある発想なんだけれど」と言っているけれども、実際私も、同様の例として石川淳の「鷹」を知っている。以下ネットで見つけた記事にリンクを張って引用する。「鷹」は1953年の作品だ。

 

honcierge.jp

万人の幸福のために!石川淳の革命的小説『鷹』

 

たばこの専売公社に勤めていた国助は「万人の幸福のためにもっとも上等のたばこをつくり出したい」と思ったためにクビにされてしまいます。仕事を失った国助は古ぼけた食堂で出会ったKに紹介され、運河のほとりにあるたばこ工場で働き始めます。そこでEという人物や、キュロットに長靴をはいた少女と出会い話は進んでいきます。

 

働き始めた工場では「明日語」という言語が使われていて、「明日語」によって明日起こる出来事を予告した新聞がすられているのです。国助もまたその「明日語」の入門書を渡されます。

 

未来がわかってしまう「明日語」や、ラストの終わり方などはファンタジーを読んでいるような気分になります。しかし幻想的な表現と反して、現実の秩序に対して戦う人間の姿をテーマに戦後の平和運動に絡めて書かれた石川淳の作品でもあります。

 

当時、発禁処分や文学会からの弾劾を受けた石川淳は「小説とはなんなのか」と存在意義を問いかけ、物語の中では万人の幸福を願う個人の思想を、秩序によって弾圧してしまう社会に対する革命へ向かう主人公の姿を力強い文体で、美しく描き出しています。

  

 石川淳が発禁を食った小説とは、辺見庸がよく言及する「マルスの歌」のことだろう。そもそも私が石川淳を読むようになったきっかけは、2008年に大阪で行われた辺見庸の講演会を聴いたことだ。亡父が持っていた岩波書店版の『石川淳選集』全17巻のうち、小説と戯曲を収めた第1巻から第10巻まではすべて読んだ。「マルスの歌」は第1巻に、「鷹」は第4巻にそれぞれ収録されている。石川淳は明らかに左翼志向の作家だったが、中国の文化大革命にはあとになってではなくリアルタイムで批判していたことも良い。亡父は晩年には極右だったのにそんな石川淳を愛好していたのも個人的には感慨深いものがある。なお、岩波の石川淳選集は旧字旧仮名遣いによるが、これは生前の作家の強いこだわりによる。現在の文庫本で読める石川淳はことごとく新字新仮名遣いであるのが私には大いに不満だ。

 話を吉行淳之介作品に戻すと、牧逸馬作品の誤りを指摘した後の後半が吉行の創作になるが、そこでなんと「2週間後のプロ野球日本シリーズの結果」が印刷された新聞が登場し、許すべからざることにそこでは「パシフィック・リーグの優勝チームであるブルーソックスとのあいだで行われた日本シリーズで、ジャイアンツが四勝二敗で優勝を掴んだ」(前掲書187頁)などと書かれている。私が気色ばんだことはいうまでもないが、ただ「ジャイアンツ」(読売球団を指すのかどうかは知らない)が優勝を決めた第6戦で、同球団の山田外野手が怪我をすると2週間後の新聞記事に書かれていた。

 ここでまたまた思い出したのがつのだじろうの漫画『恐怖新聞』だったのだ。実はこの漫画にもプロ野球の話が出てくる。しかも、吉行淳之介の小説に書かれているような外野手の怪我どころではない、「東京ギャランツ」のエースと四番打者(その名も「王島」という)が死ぬという物騒な話になっている。以下Wikiepediaから引用する。

 

恐怖新聞 - Wikipedia より

 

原田徹治(はらだてつじ)プロ野球チーム、東京ギャランツの投手。「恐怖新聞」上で予言された通り、試合中に怪死する。

王島(おうじま)プロ野球チーム、東京ギャランツの四番打者。原田と同じく試合中に怪死する。

柴木勝彦(しばきかつひこ)東京ギャランツの選手。丑の刻参りをしていた女が残した呪符に名前が記載されていたため、次のターゲットではないかと疑心暗鬼になる。 しかし、鬼形と中神洋介が寺の住職に「呪い返し」を依頼したため、一命を取り留めた。

牧光則(まきみつのり)東京ギャランツの二軍投手。入団した時は将来の大投手と期待されていたが、練習中に原田の投げた球が当たり右手指を骨折、以降投手としては務まらなくなり打撃手に転じるも、今度は王島の打った打球が顔面を直撃した事で視力が減退し野球が出来なくなってしまう。また、そんな牧を見た柴木が「労務者でもやるしかない」と発言したのを聞いてしまい、ショックのあまり自殺してしまう。

牧信子(まきのぶこ)牧光則の妻。夫が自殺した事を受け、東京ギャランツの原田、王島、柴木を呪い殺すために丑の刻参りを行う。球場で柴木が呪いによって死亡するのを見届けに来るも、「呪い返し」を受けたため柴木の打球が顔面に直撃し、原田、王島と同じく怪死する。

 

 また、『恐怖新聞』を取り上げたブログ記事から引用する。

 

blog.goo.ne.jp

新聞の言う通り、新しい担任の綾子と、転校生・中神という女子生徒が来た
兄・洋介は新聞記者で、有名な野球選手の原田が死ぬ予告を聞いて一緒にナイターに行こうと言う

予言通り、原田は打球が顔面に直撃して即死するが、
死因はボールが当たる前に額に釘を刺したような傷のせいで、
連続写真で確かめると、凶器が他から飛んできた形跡は写っていない

兄妹が礼の部屋で話していると、新聞が届き、霊感の強い妹にはその文字が読めるという
そこには、また同じチームの4番・王島選手も同様の謎の死を遂げると予告

(その下の記事には、九州で起きた事件をつのださんのせいにした記事を載せた新聞や雑誌があり
 取材もせずに談話を捏造したり、発言内容を捻じ曲げて載せたりするほうが
 よほど恐怖で悪質では?と書かれている

前回より万全の準備をして試合を見に行くと、王島はやはりボールが当たる前に死ぬ事件が起きる
その夜の新聞には、事件の鍵を握る人物に礼が会うと書いてある

言われた神社に行くと、女が木に釘を打ち込んでいて、
ロウソク、一本歯のゲタ、五徳、次の標的の柴木選手の名前の書かれた呪文の紙が見つかる

新聞社で調べると、これらは「丑の刻参り」に使う道具だと分かる
真夜中の午前2時に、呪符に呪い殺したい名前を書き、藁人形に貼り付け、神社で相手を呪う術

(これは「八つ墓村の祟りじゃあ!」の横溝系かっ!?

 

呪いをかけている姿を他人に見られると術は破れるから、次の試合は大丈夫だと分かったが
新聞にはまた呪いがかけられたとあり、行くと、礼は女に捕まる

女は礼に夫・牧はギャランツのチームメイト3人に殺されたと話す
牧は将来を期待される名選手だったが、それを妬んだ原田の球が指の骨を砕き
ピッチャーからバッターになった時には、王島が妬んで打球が顔面に当たって視力が落ち
野球が出来なくなってしまった

柴木は「学生時代から野球しかやらない二軍選手なんて潰しがきかないから労務者でもやるしかない」
と言ったのを聞いて、夫は自殺した

女は再び術を始め、礼は防ごうとして手に釘を打たれる
犯人が牧選手の妻と知り、柴木は「運命に従うよ グラウンドで死ねたら本望だ」と試合に出る

礼らは術の解き方を教わる
和紙を折って人型を作り、呪文を唱えて、
大吉の方角にある海か河に流し、振り向かずに立ち去る

なんとか間に合って、試合に行くと、牧の妻はバックスクリーンの塀の上に立ち高笑いしていた
超常現象を認めない社会では、証拠不十分で無罪になるため

だが、柴木の打った球が急に角度を変えて額に直撃 額に穴が開いて死んだ

その夜の新聞には真言のろいがえし」で女が死んだと書かれている

 

 要するに、犯人の夫だったプロ野球選手の「牧」を自殺に追い込んだ一番悪い奴である「柴木」*2だけ生き残るという外道なストーリーだった。なお、ブログ記事には言及されていないが、ギャランツの対戦相手は中部ドリアンズという設定で、これは明らかに中日ドラゴンズをもじった球団名だろう*3

 上記ブログ記事には、その直後に「ムソルグスキーの『展覧会の絵』を弾くと鍵盤から血が溢れ出す」話に言及があるが、中学1年生でまだクラシック音楽を聴く習慣のなかった頃に『週刊少年チャンピオン』を立ち読みした私は、この『展覧会の絵』に怖気をふるったものだ。ところが、のちに実際に『展覧会の絵』を聴いてみると、本当にグロテスクな箇所が結構ある音楽だった。ことに第4曲の「ビドロ」は、従来「牛車」を意味するとされていたが、初めて聴いた時から「ずいぶん恐ろしげな音楽だなあ」と思ったものだ。シャープが5個もある嬰ト短調で書かれたこの曲は、譜面からして(実際に見たことはないが)ダブルシャープが頻出するとげとげしいものであるに違いない。また、「ビドロ」が終わったあとに演奏される「プロムナード」は、それまで3度出てきた時の長調ではなく、打ちひしがれたようなニ短調で演奏される。

 このような「ビドロ」に私はずっと禍々しいものを感じていたのだが、その想像が正しかったことを証明したのが1991年に放送された『NHKスペシャル』だった。以下、Wikipedia及びピアニストの方が書いた文章から引用する。

 

展覧会の絵 - Wikipedia より

またハルトマンの絵についても、1991年に日本のNHK團伊玖磨の進行でスペシャル番組「革命に消えた絵画・追跡・ムソルグスキー展覧会の絵”」を放送した。ハルトマンの絵のうち『展覧会の絵』のモチーフとなったとされる10枚の絵をすべて明らかにする、という『展覧会の絵』の謎解きの核心にせまった番組であった。こちらについては絵柄と楽想の乖離や、学問的な手続きが不十分であるという批判もあり、曲と絵との関連性がすべて明らかになったとは言えないが、それまで曲に比べてハルトマンの絵の研究はほとんどされていなかったので先駆的な仕事であったと言って良い。また「ビドロ」という言葉の意味(ポーランド語の"bydło"には「牛車」の他に「(牛のように)虐げられた人」の意味がある。ガルトマンがポーランドで描いたスケッチのタイトルは『ポーランドの反乱』)や音楽的な印象などから絵を推理していく「面白さ」は画期的であった。

 

http://www.takashi-sato.jp/pnote/mussorgsky_paae.html より

 第4曲「ビドロ」 ビドロとはポーランド語で「牛車」の意味だが、そのような題名の作品は遺作展のカタログに掲載されていない。 前述のNHK取材班はビドロに「家畜、虐げられた人々」という意味があることから、ポーランドでの処刑の場面を描いた絵画を題材として挙げ、 当時の悲劇的な社会状況を密かに告発しようとしたのではないか、と推測している。低音を多用し、重々しい足取りで進んでいく一種の行進曲である。
 プロムナード 全曲の重苦しい雰囲気を引きずりながら慰めるように始まり、軽やかな次の曲を予感させる。

 

 「プロムナード」に「全曲」と書かれているのは「前曲」のtypoだろう。

 私は当該『NHKスペシャル』を見ていたが、NHK取材陣の推測は正鵠を射ていたと思う。

 つのだじろうが惨劇を引き起こす音楽に『展覧会の絵』を選んだのはいくらなんでも偶然だろうが、背筋が寒くなる話だ。

 以上、吉行淳之介の「あしたの夕刊」に込められた作者本来の意図には何も言及しないままこの長ったらしい記事を終えるが、「あしたの夕刊」自体に言及した記事として下記ブログ記事にリンクを張っておく。

 

ballpenman.jugem.jp

*1:他に林不忘谷譲次ペンネームを持つ。本名・長谷川海太郎(1900-35)

*2:柴田勲を連想させる名前だが、「しばき隊」の「しばき」でもあり。関西弁の使い手にとってはきわめて語感の悪い姓でもある。

*3:リアルの世界では、この漫画が連載されていた1974年に中日が読売の10連覇を阻んだが、同じ年に漫画の世界では読売の馬場蛮がマウンド上でライバルの中日・大砲万作を打ち取ると同時にマウンド上で死ぬという出来事も起きた。のちリアルの中日ドラゴンズ大豊泰昭が入団した時(1988年)には『侍ジャイアンツかよ』と思ったものだ。この時期に読売のライバルとして中日が頻出したのはもちろん中日がそれだけ強かったからで、のちヤクルトスワローズが初優勝した1978年には『新・巨人の星』で花形満がこの年最下位だった阪神タイガースにではなく、ヤクルトに所属していた。