KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

佐々木譲『エトロフ発緊急電』を読む

 佐々木譲が1989年に書いた小説『エトロフ発緊急電』(新潮文庫)を読んだ。太平洋戦争の直前、真珠湾攻撃を前にしたアメリカの対日諜報活動に、日系2世のスパイである主人公がかかわるエンターテインメント系冒険・歴史小説真珠湾攻撃をかけた日本海軍の機動部隊は択捉島の単冠(ヒトカップ)湾に集結したあと出撃したが、主人公は択捉島に潜入して機動部隊の出撃をアメリカ本国に知らせたものの、情報は信用されなかったために真珠湾攻撃を受けてしまったという設定になっている。

 

エトロフ発緊急電 (新潮文庫)

エトロフ発緊急電 (新潮文庫)

 

 

 現在、安倍晋三政権が北方四島の返還を諦めて、歯舞、色丹の二島返還でロシアと手を打ち、同国と平和条約を結ぶつもりだろう、などと言われている。それで「エトロフ」の固有名詞につられて図書館で借りたのだが、1994年に新潮文庫入りしたこの本がたまたま2017年発行の第23刷で改版されて文字が大きくなっていたことも、借りようと思った動機の一つだ。

 この新潮文庫版はもともと分厚かったが文字が大きくなってさらに分厚くなり、目次と長谷部史親氏の解説を合わせて741頁もある。エンタメ作品でもあり、文章は読みやすかったが、それでも読むのに4日かかった。

 30年前の発売当時には評判をとった小説らしく、1993年にNHKで『エトロフ遥かなり』のタイトルで全4回のドラマ化がされた。また、この小説は同じ作者の3部作の第2作に当たり、第1作の作中人物が本作にも登場する趣向になっているとのことだ。さらに本作は、発表当時からケン・フォレットの『針の眼』との類似が指摘されてきたと長谷部氏の解説にある。

 あらすじは、たとえば下記ブログ記事に詳しい。

 

cedar.exblog.jp

 

 上記リンクのブログ主さんは『針の眼』もお読みになったことがあるらしく、本作との比較について下記のように書いておられる。

 

最後に解説に、長谷部史親氏(翻訳とかやっている作家らしい)が
この作品が”ケン・フォレット”の”針の眼(Eye Of The Needle)”との
類似点を指摘する点がしきりに聞かれ、それは正鵠を射ていると
指摘しているが、”針の眼”は”イギリス人の愛国心を臆面もなく謳歌する
ことにより成り立っている小説”である反面、本書は”既成に価値観による
正邪の概念に疑問を投げかけるものである”と斬っている。
確かに、そのとおりだと思う。
斉藤賢一郎と憲兵隊の磯田茂平軍曹の追いかけっこは
”針の眼”で、主人公のドイツのスパイ、フェイバーと
英国情報部のゴドリマンの追いかけっこを彷彿させるが、
東京から東北を通って、北海道、そして択捉島までの行程を逃げている
ハラハラ感は、日本人として、知っている地名が出てくる分、
米治郎は、こちらに軍配が上がると思う。

これは、NHKでドラマになった、主人公の”斉藤賢一郎”は”永沢俊矢”、
”岡谷ゆき”に”沢口靖子”、このドラマ、原作にほぼ忠実で、
非常に見ごたえがあった。最初に読んだときはドラマを見る前だったが、
今回読んで、このドラマの場面が重複した。
これも、「ベルリン飛行指令」同様、ぜひオススメの作品である。

 

 上記引用文に「既成の*1価値観による盛者の概念に疑問を投げかける」と書かれているが、こう指摘した長谷部史親氏の解説文からさらに引用すると、主人公の斉藤賢一郎は「日系二世」(括弧内は長谷部氏の解説文からの引用を表す。以下同様)で、「アメリカ国籍を持ちながら疎外された生活を余儀なくされ」、「スペイン内戦に義勇兵として活躍した」が、「ついに国家の一員たる意義を見出せないまま」、「金で請け負った殺人の現場を目撃されたがために、スパイに仕立てられて日本に行くことになった」人物だ。また択捉島生まれのヒロインの岡谷ゆきは「母親がゆきずりのロシア船員との間にもうけた私生児」、ゆきが管理人を亡くなった伯父から継いだ駅逓(「馬を替えたり宿や食事を提供する国営の施設」)で働く宣造は、「日露観の協約によって北千島の占守(シュムシュ)島から(色丹島に=引用者註)強制移住させられてきたクリル人の子孫で、いずれは脱出してカムチャツカ方面のクリル人に合流する望みを抱いている」。また、「聖職者でありながらスパイ行為に加担する」スレンセンには、「南京事件で最愛の女性を殺された経験があった」。さらに、日本に潜入した賢一郎を手引きした金森は朝鮮人で、これは小説から直接引用するが、「祖国を滅ぼされ、家族を引き裂かれ、名前も言葉も奪われ」(新潮文庫23刷改版341頁)、「この国を滅ぼすためなら、どんなことだってやりますね」(同)と賢一郎に語る。

 長谷部氏は「本書の主要な登場人物には、帰属意識の喪失という共通項が見られるように思う」(同739頁)として、さらに「帰属意識は、支配と被支配の関係に置き換えて考えることも可能であろう。支配と被支配の関係は、差別と被差別の関係にも直結する」(同740頁)と書く。

 この解説文は1993年11月に書かれているが、これが1990年前後のエンターテインメントの小説とその解説文の水準であって、それと引き比べて百田尚樹がもてはやされる現在の「右傾エンタメ」を思うと、こういう分野でもこの国の「崩壊」はどうしようもない段階に進みつつあるのではないかと思わされる。実際、本作の感想文をアマゾンカスタマーレビューで眺めると、星4つをつけながら「南京事件についても読む人によっては『南京大虐殺』を事実と思う人もいるでしょう。それだけが残念」と書いていたり、極端なものになると「最低のパヨクの反日を煽る馬鹿本」などとして星1つにしているレビューなどがあった。アマゾンカスタマーレビュー以外でも南京事件のくだりに拒絶反応を示す読者は多く、しかもそれは比較的最近本書を読んだ読者に多いことから、歴史修正主義の浸透が近年急速に進んでいることが窺われる。たとえば下記のお馬鹿なツイートも見つけた。

 

https://twitter.com/ham_7n4nra/status/845643292402368512(注:リンク切れ)

 

 何が「あらすじの大半」なものか。ほんの数パーセントしか南京事件の記載はないではないかと思うのだが、いまどきのネトウヨ(「安倍信者」)には、そういう部分を探してはそればかりをあげつらう習性があるようだ。

 私の意見を言えば、日本軍は兵站を軽視し、それは南方の戦場では多くの日本軍兵士の餓死を引き起こしたが、中国においては食糧の「現地調達」を強いられた兵士たちが虐殺と略奪を繰り返したことは紛れもない事実であって、それらと1937年12月の南京事件の犠牲者の数を足し合わせれば、中国のいう数字に多少の誇張が含まれるにせよ、想像に絶する数、たとえばオーダーとしては6桁に達するかもしれない犠牲者が出た蓋然性が高いと思う。

 ところで、本作に出てくる宣造がクリル人(千島アイヌ)という設定になっているが、占守島に住んでいた千島アイヌ色丹島への強制移住については全然知らなかったのでネット検索で調べた。引っかかったのが下記「釧路ハリストス正教会」のサイトにある「釧路正教会百年の歩み」の「第一章 ロシアの東方進出と千島アイヌ」だ。

http://www.orthodox-jp.com/kushiro/bef/1_1.htm

 

 まず、上記リンクの「第1節 クリル列島とクリル人」の冒頭部分を引用する。

 

 露領時代の千島列島はクリル列島と呼ばれ、カムチャツカの南端から蝦夷(北海道)の北岬に延長約1200㎞、小島を除いて弓状に22の島からなっている。クリルの語源は露語のクーリイチ(燻る)からなまったもので、これは露人が初めてカムチャツカの南端から遙かに千島最北のアライト島を望んだとき、その山頂から火焔が上がるのを見て名付けたためと言われている。しかし、クリルの名称はアイヌ語のクル(人間)に由来する説が今日有力である。日本でも古くは千島のことを「くるみせ」と呼んでいたと言うが、名称については、その地に住んでいた先住民をクリル人、または千島アイヌと呼ぶことにする。

 

 「第3節 露人の千島進出」を参照すると、

古くから得撫島が千島・蝦夷アイヌの自然の境界地であり、共通の狩猟場であったようである。

とある。歴史的には、千島アイヌはロシアから、北海道(蝦夷アイヌは日本からそれぞれ侵略を受けたが、千島アイヌと北海道アイヌの境界が得撫(ウルップ)島にあったということらしい。

 以下は「第5節 千島アイヌ色丹島移住」より。

 

 1875年(明治8年)日本とロシア間に樺太・千島交換条約が締結された。この条約によって日本が樺太の領有権をロシアに譲る代わりに、ロシアは占守島から得撫島に至る18の島を日本に引き渡すことが明記され、日露の国境をカムチャツカのロバトカ岬と占守島間の海峡に画定された。この条約の附属公文には、この地域に住む先住民は、三カ年以内に日露何れかの“臣民”になることを選定しなければならぬと規定されている。そこで、条約の結ばれた年の8月、明治政府は五等出仕時任為基を北千島へ派遣し、この旨を先住民に伝えた。
 当時、北千島には100人を越す先住民が住んでいたが、彼らは既に一世紀以上にわたってロシアの支配下にあり、言語・衣服・宗教などの面でもかなりロシア化されており、その去就とともに数奇な運命に弄ばれることになる。
 ロシア人並びに得撫・新知島に居住していたアレウト人は、条約に定められた期間、即ち3年後の11月までには悉くロシアに引き揚げた。千島アイヌも風俗・宗教等から、ロシアにと願いながらも、丁度、明治9年に出猟した半数の者が帰島しないためその態度を決することが出来ず、やむなく我が国に属することになった。
 占守島にいた首長キプリアンは、条約成立の年、島司インノケンティ・カララウィッチと12人の同族と共に9月15日、当時、他島への出猟中であったアレキサンドル以下22人の同族を置き去りにしてカムチャツカに向かった。日本国籍に入ったのは、このアレキサンドル組と副首長ヤコフ組のラサワ島の千島アイヌである。

(中略)

 我が国では明治9年、更に官吏を派遣してその状態を調査し、救育費として三カ年に一回、5000円の政府別途交付金を給付、食料品等の生活必需品の購入に充て、汽船に搭載、彼らにこれを提供し、生活を保障するとともに捕獲した毛皮を集めた。
 しかし、毛皮は年とともに少なくなり、したがって著しい失費を伴い、その上、根室から1200㎞も離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与えるおそれもあった。また、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、同化が困難であるばかりでなく、国境を正すことにならないばかりか、むしろ危険にさえ感じられ、日本政府としてもクリル人に対して早急な処置を講じる必要があった。
 彼らをより交通の便利な箇所に移そうとする計画は、既に明治9年以来の計画であり、その度ごとに移住を勧誘してきたが、彼らは永年住み慣れた地を離れ難く、口実を作っては日本政府の勧誘に応じようともしなかった。
 明治15年に開拓使が廃止され、函館・札幌・根室に三県が置かれる。千島は根室県に属し、湯地定基が根室県令に任ぜられた。明治17年、三年ごとの撫育船を派遣する年にあたり、湯地県令は千島アイヌ色丹島に移す計画のもとに、要路の大官と共に占守島に向かい島状を調査した。丁度、その年に出稼に行っていた仲間も悉く同島に集まっていたので一同を諭し、男女97人をその船に乗せ、ただちに色丹島に移住させた。(後略)

 

 さらに、「第6節 色丹島移住後のクリル人」より。

 

 移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。
 この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。

   強制移住による人口の減少

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。
 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす-云々」
故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。
 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。

 

 引用したような千島アイヌの悲劇を知ると、「全千島が日本の領土」という日本共産党のような主張は成り立たないのではないのかと思うし、その一方で国後島択捉島に軍事施設を造るロシアの暴挙もまた許せないと思う。かつてのソ連が日本に提案したという、世界自然遺産である知床を、生態系の共通する国後島択捉島、さらにロシア側のウルップ島に拡張する案(もちろん、国後・択捉のロシアの軍事施設は撤去し、そのような施設はウルップ島にも造らせない)を落としどころにして、長期的に交渉するのが一番なのではないか。安倍晋三だの鈴木宗男だの佐藤優だのといった俗物たちが「歴史に名を残す」ために進めているようにしか見えない「二島返還」を落としどころとする日露交渉など愚の骨頂だとしか思えない。

 最後は本からだいぶ脱線したが、択捉島にも関係する話だからまあいいか、ということで、これで終わりにする。

*1:「既成に」とあるのは誤記。