KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

「下請けいじめ」を描いた松本清張『湖底の光芒』とカルロス・ゴーン

 2012年に刊行が始まった光文社文庫の「松本清張プレミアム・ミステリー」のシリーズは、2017年の第4期まではかつて同社の「カッパ・ブックス」から出ていた本を文庫化したものだったが、昨年から来月2月8日発売の『中央流沙』までの第5期8作品は、光文社からは一度も出されたことのない作品が集められている。8作品のうち6番目に発行された『湖底の光芒』は、講談社の月刊誌『小説現代』の1963年に創刊号から『石路』のタイトルで連載され、翌1964年に完結した作品だが、長らく単行本化されず、1983年になって「講談社ノベルス」の1冊として刊行された。その際、「貨幣価値が刊行時の経済状況に合わせて改められていた」(光文社文庫版の山前讓氏の解説=474頁)とのこと。その後1986年に講談社文庫入りした。それは私が歳をとって苦手とするようになった字の小さな本に違いないから、こうして大きな字の本としてリニューアルされるのは大変助かる。このシリーズの続刊を期待する次第。

 

 

  清張本に限らず、推理作家が書いた小説の文庫本を読む時には、カバーの裏面にある作品紹介の文章を絶対に読んではならない。これが作品を楽しむコツの一つであって、この光文社文庫本などはその例の一つであって、うっかりそんなものを読んでしまうとネタバレの犠牲になるところだった。しかも、「ミステリーの醍醐味を凝縮した長編推理小説」などと書かれているが、この作品はミステリーというより経済小説だろう。講談社文庫には佐高信の解説文がつけられているらしい。余談だが、最近読んだ本には佐高信の解説がついていることが多く、城山三郎高杉良のほか、宮部みゆきの『火車』(新潮文庫)もそうだった。『火車』は宮部みゆき作品の中でも特に清張(特に『砂の器』)からの影響の強い社会派的な作品だ。

 なお、本書『湖底の光芒』の講談社文庫本にも感心しない要約文がついていたことをネット検索で知った。良いと思うのは、前記光文社文庫版に山前讓氏が書いた解説文にも引用されている、清張自身が講談社ノベルス版に寄せた「著者のことば」だ。以下引用する。

 だいぶ前のことだが、諏訪に行ったことがある。私はカメラに興味をもっていたので、レンズ製造工場を訪れた。そして、日本のスイスと呼ばれた風光明媚なこの土地で、カメラレンズの下請業者が、親会社の横暴に泣かされているという事実を知った。この美しい土地で相も変わらず、そしてどこの業界にもある下請の悲哀が生み出されている——その対照を出してみたかった。

松本清張『湖底の光芒』(光文社文庫,2018)474頁)

  この「著者のことば」から推測される通り、「湖底」の湖とは諏訪湖のことだ。以下ややネタバレ気味になるのでそれを避けたい方はここで読むのを止めていただきたい。

 清張が諏訪を訪れたのは、山前氏の解説によれば1953年末から翌1954年の正月だったらしいが、カメラレンズの下請業者がカメラメーカーとの契約を突然解除されることもしばしばだったようだ。以下『湖底の光芒』の小説本文から引用する。

 契約がこわされると、造った品物は山にでも捨てるほかはない。カメラのレンズは特殊なので、溶解してガラスに還元することができない。

 そういう例が今までもたびたびあった。昔は廃品を諏訪湖に捨てたものだが、今は湖水保護のために厳しく止められている。親会社としても、あんまり体裁のいい話でもない。しかし、下請けの側は、どこに持っていきようもない憤りで、湖底に「廃品」になったレンズを投げ棄てたくなる。

 松本清張『湖底の光芒』(光文社文庫,2018)249-250頁)

  それで『湖の光芒』ではなく『湖底の光芒』なのだ。湖底まで光はほとんど届かないはずだが、と考えると、『石路』から『湖底の光芒』に変えられたタイトルが、そのまま小説のエンディングを暗示しているともいえる。引用箇所の頁数はあえてぼかすが、「何千、何百人という下請業者の泪と恨みとがその可愛いガラス玉の山にこもっている」ということばも出てくる。このくだりからはバルトークのオペラ『青ひげ公の城』に出てくる「涙の湖」を連想した。

 

www31.atwiki.jp

 青ひげ公の城には7つの扉がある。その第6の扉を開けると現れるのが「涙の湖」だ。以下上記「オペラ対訳プロジェクト」から引用する。

 

ユディット
波静かな白い湖が見えるわ。
とても大きな白い湖が。
なんの水なの、青ひげ!?

 

青ひげ
涙だ、ユディット、涙だ、涙なのだ。

 

ユディット
なんと静かで動かないんでしょう。

 

青ひげ
涙だ、ユディット、涙だ、涙なのだ。

 

ユディット
真っ平らで白い、清く白い。

 

青ひげ
涙だ、ユディット、涙だ、涙なのだ。
おいで ユディット、おいで ユディット、
口づけしておくれ。
さあ、まだか、ユディット、待っているのだ。
最後の扉は開けてはならぬ。
開けてはならぬ。
 それは、青ひげ公の犠牲になった女性たちの涙でできた湖だった。
 
 清張作品に戻ると、この作品と似たエンディングの長篇がある。そのタイトルは挙げないでおく。
 
 ところで私が連想したのはバルトークのオペラだけではない。「下請けいじめ」から直ちに連想されるのは、なんといっても昨年末以来話題になっているカルロス・ゴーンだ。
 どういうわけか、「リベラル・左派」界隈では、ゴーン逮捕をめぐる「人質司法」の問題ばかりが云々される傾向が非常に強い。もちろんそれはそれで大問題であって、日本の検察庁は厳しく批判されなければならないが、一方でゴーンの苛烈なリストラに何も触れないばかりか、ゴーンに同情する「リベラル・左派」があまりにも多いことには暗澹とした気分にさせられる。ひどいのになると、「自分の会社で儲けた金を使って何が悪い」と言い放つ「リベラル」人士まで現れた。
 そんなことを言う人たちには、橋本愛喜氏が書いた、下記リンク先の記事を読んでほしい。

hbol.jp

 以下記事の一部を引用する。

(前略)事件発覚以降、ゴーン氏に関する有識者の見解や分析が、連日各メディアから溢れ出る中、当時、日産や関連企業の下請け工場の2代目経営者として現場に立ち、結果的にその工場をこの手で閉じてしまった筆者にとっては、正直なところ、何を読んでも何を聞いても「虚無感」しか湧いてこない。

 あの頃、関連企業から強要されていた異常なまでの値引きは、一体何だったのか。

 ゴーン氏にとって、我々下請けは、どんな存在だったのか。

 彼に対するやり場のない怒りと、当時、過酷な状況にしがみ付いてくれていた従業員への申し訳ない思いが、今回の事件を通して今、再び込み上げてくるのである。

(中略)

 ようやくもらえた小さな仕事も、やればやるだけ赤字を出すほど安工賃。今後の仕事に繋げるために断ることすらできない「蟻地獄」のような日々を送る工場もあった。

 筆者の父親が経営していた工場も、そんな下請けのうちの1社だった。

 日本の各大手自動車メーカーや系列企業から金型を預かり、研磨して納品していたその工場は、職人が最大でも35人。大手のくしゃみでどこまでも飛んでいくような極小零細企業だった。

 工場には、手持ち無沙汰な職人が「草むしり用」の軍手をして、新しい雑草が生えてくるのを待っている。忙しいのは営業だけだ。

 無論、当時はゴーン氏の不正など知る由もなく、閑古鳥の鳴く日産系列の取引先工場にも足しげく通っては、「仕事をください」と何度も頭を下げ、相手の言い値で作業をする日々。

 小さな工場内は、回転工具の機械音で会話もままならなかった最盛期からは想像もできないほど静かで、金型を砥石でこする「シャーシャー」という往復音だけが、やたらと大きく響いていた。

 業界全体の仕事量が薄くなっていることは重々承知していたが、抵抗せねばどんどん安くなる工賃をなんとかやっていけるギリギリで維持させるべく、毎度のように担当者のもとへと出向く。突如告げられた「1時間300円分の工賃カット」を考え直してもらおうと1か月願い倒しても、聞き入れられなかったこともあった。

 こうした中、企業体力のない下請けは、順に潰れていった。当時、筆者の工場の元請けや、古くから付き合いのあった工場の一部からも、月末になると不渡りの噂や「廃業のお知らせ」と書かれた手紙が届くようになる。その中には、潰れるにはもったいない独自の技術や設備を持った工場も多くあった。

 来月はどこだろうか。あの会社は大丈夫だろうか。ウチはいつだろう。当時の下請け工場には、異様な雰囲気が漂っていた。

 筆者の工場では、先述の通り、国内の各自動車メーカーの系列企業と取引していたのだが、メーカーの工場はもちろん、その系列企業にも、母体の社風がそのまま反映されており、仕事の厳しさや金額などにはそれぞれの特徴があった。

 当時の日産工場や同社系列工場の印象は、真面目で工場マンとしてのプライドをしっかり持った社員が多かったのと、仕事の指示内容が大変細かかったこと、そして、とにかく「安かった」ことだ。

 同じ仕事を、ゴーン氏が日産の社長に就任する前と後とで比べると、半値近くにまで落ちたものも多い。

 一方、下請けに冷たい態度を取る元請け社員も多い中、日産工場で働く社員たちは、皆紳士的だった。

 筆者の工場では、同時期に4人の日産工場の社員と付き合いがあったが、当時の業界の体質に対して、誰一人感情的な意見を言う人はいなかった。が、そんな彼らでも、雑談でゴーン氏の話になると苦笑いになり、「人の話を聞く人じゃないですからね」、「無茶なコストカットも多いですよ」と愚痴をこぼしていたのを覚えている。

 工場閉鎖1か月前、“先輩工場”と同じように「廃業のお知らせ」を得意先へ一斉に流した後、真っ先に連絡をくれたのは、工場最盛期から長年世話になっていた日産のある社員だった。

「長い間、お疲れ様でした」

 FAXで送られてきた最後の発注書。いつもの「よろしくお願いします」の代わりに、昔から変わらない太字でひと言、そう書かれていた。

 こうして工場閉鎖から数か月後、当時から物書きとして活動していた筆者は、皮肉にも東京モーターショーでゴーン氏本人を取材する機会に遭遇する。

 目の前で「コスト削減」「V字回復」「世界のNISSAN」を、人差し指突き上げ声高に唱える彼に、今と同じような、言葉にし難い深い虚無感に襲われたことを思い出す。

 自動車という乗り物は一般的に、約4,000種類、3万点もの部品からできている。その1つひとつは、製造ラインという運命共同「帯」に乗った、エンジニアや現場職人らの技術と努力が造り上げた結晶だ。

 ゴーン氏が50億円以上もの不正を働いている最中、廃業や倒産に追い込まれた多くの関連企業や、大勢の解雇者の存在がある。あの頃、「帯」から消え落ちていった日本の技術力に、ゴーンは今何を思うのか。いや、せめて何か思ってくれるだろうか。

 トップにいた自らの不祥事が今、3,658社の将来に暗い影を落としていることを、少しでも考えてくれているのだろうか。

 

橋本愛喜】 フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育セミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。

(ハーバービジネスオンラインより)

  松本清張が半世紀前に書いた小説で抉り出された問題は、今もそのままなのだ。しかし、いまどきの「リベラル」たちは55年前の松本清張にさえ追いつけていない。それを示すのが、上記橋本氏の記事についたネガティブな「はてなブックマーク」コメントの多さだ。それを批判した「はてブコメント」を最後に引用しておく。

ゴーン逮捕に元下請け工場経営者が激白 。「異常な値切りで皆潰れていった」 | ハーバービジネスオンライン

端からみてなんでここまではてなのひとが下請けに冷たいのかよくわからないな / 追記。おいプロパー、てめーの会社で全部賄ってから文句言え、自社生産する能力がないくせに偉そうにするなよ

2018/11/23 19:46

b.hatena.ne.jp

 やはり、松本清張の精神を現代に甦らせる必要がある。