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古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

高橋敏夫『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』に欠落している視点

 光文社文庫から出ている「松本清張プレミアム・ミステリー」第5期全8タイトルのうち、今日から読み始めようと思っている『湖底の光芒』を読んだら、あとは2月8日発売予定の『中央流沙』を残すのみになる。これまでの4期21タイトルは全部読んだから、しばらくは清張を読む機会もないかもしれない。新潮文庫や文春文庫の清張本も選集や古い本、それに一部の時代小説などを除いてあらかた読み尽くしたから、そろそろ清張論を読んでもネタバレの被害に遭うことは少なかろうと思って、昨年1月に刊行された高橋敏夫著『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』(集英社新書)を読んだ。

松本清張 「隠蔽と暴露」の作家 (集英社新書)

松本清張 「隠蔽と暴露」の作家 (集英社新書)

 

  これまで5年あまりかけて111タイトル134冊の清張本を読んできた私にとっては、良いリマインダーだなと思ったが、一点だけ非常に気になるところがあった。

 それは、著書の高橋敏夫(早稲田大学文学部・大学院教授、文芸評論家)が戦後日本を「対米従属史観」で捉える立場に立ち、その観点から矢部宏治だの孫崎享だの鳩山由紀夫だのに肯定的に言及していることだ。以下、孫崎と木村朗が編集した『終わらない〈占領〉- 対米自立と日米安保見直しを提言する!』(法律文化社,2013)に言及したくだりを以下に引用する(なお、漢数字をアラビア数字に書き換えて引用した)。

 『終わらない〈占領〉- 対米自立と日米安保見直しを提言する!』(2013年)では編集の孫崎享、木村朗をはじめ、従属から一歩進めた独自の「属国」論を展開するガバン・マコーマック、戦後ずっと米軍占領がつづき新基地建設まではじまった沖縄の現状を告発し、日本政府の責任を追及する新崎盛暉、米軍占領政策の延長のために締結させられた日米地位協定の、国家主権上の不当性を難じる前泊博盛らが、対米従属の現在をあきらかにし、批判する。

 「序言」を元首相の鳩山由紀夫が書いているのも興味深い。松本清張が『深層海流』でえがいた、米国一辺倒の久我前総理(モデルは吉田茂に対抗し日ソ交渉に力をいれ、警察の尾行がついて怪文書がまかれた花山総理のモデルは、由紀夫の祖父、鳩山一郎である。由紀夫もまた首相時代、アメリカの意に沿わない沖縄の普天間基地の「国外移転、最低でも海外移転」、および東アジア共同体構想をかかげるや、たちまち失脚したことは周知のとおりである。

(高橋敏夫『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』(集英社新書,2018)187-188頁)

  正直言ってこんな文章を読まされるといっぺんに興醒めしてしまう。孫崎が稀代のトンデモ本『戦後史の正体』(創元社,2012)で岸信介を「敢然とアメリカに対峙した『自主独立派』の政治家」と持ち上げ、それを読んだ「対米従属史観」の読者たち(多くは小沢一郎を崇め奉る「小沢信者」と呼ばれる人たちだった)が「目から鱗が落ちた」と感激していたことなどが苦々しく思い出されるからだ。

 なお、本書に出てくる清張作品のうち9割以上は読んだことがあったが、『深層海流』は数少ない未読作品だったので、著者に「ネタバレ」された恰好だった。しかしこの内容ならミステリー作品ではなさそうだし、この程度のネタバレなら痛くもかゆくもない。

 清張が鳩山一郎にシンパシーを持っていたらしいことは、私も『日本の黒い霧』を読んで知っていたが、それは清張がちょうど今の安倍政権のような長くて重苦しい吉田茂独裁政権の時代に生きていた影響が強いだろう。私もあの時代に生きていたなら強烈な「反吉田」になり、あるいは鳩山一郎に期待したかもしれない。私の物心ついた時には、いつ果てるともしれない佐藤栄作政権が続いていて、子ども心に鬱陶しくてたまらなかった記憶もある。しかし、その佐藤をも孫崎は「敢然とアメリカに対峙した『自主独立派』の政治家」と称揚したのだ。ふざけるな、と言いたい。

 いったい、清張のノンフィクションで二大傑作とされるのが『日本の黒い霧』(1960)と『昭和史発掘』(1964-71)だが、私は『昭和史発掘』は不朽の名作だが、『日本の黒い霧』はそれには遠く及ばないと考えている。『昭和史発掘』には膨大な資料の裏付けがあり、それには北九州市立松本清張記念館名誉会長で、1995年まで文藝春秋社で編集者を務めていた藤井康栄による資料収集の多大な貢献があった*1。『日本の黒い霧』は藤井がまだ清張の担当になる前の作品で、粗さが認められる上、高橋敏夫が本書でも触れているように、「革命を売る男・伊藤律」と「謀略朝鮮戦争」の2章には重大な誤りがあったことが現在ではわかっている。しかも、60年安保闘争の年に書かれたこの作品には、時代の空気の影響を多分に受けている。私の見るところ、60年安保闘争にを支えたのは、民主主義の擁護、反米、ナショナリズムという3つの精神だった。このうち「民主主義の擁護」だけは戦争中にはなかったものだけれども、反米とナショナリズムは戦争中と連続していたものではなかったか。そう思うのだ。

 すると、そこにはおのずと限界が見えてくる。清張が『日本の黒い霧』で描いたのは、主に「オキュパイドジャパン」の時代にGHQが押した横車だが、現在を米軍による占領時代と同じ構図で日米関係を捉えていて良いのかという問題がある。実際、2015年に琉球新報が報じたところによれば、1973~74年には既に下記同紙記事が報じたようなことがあった。以下引用する。

ryukyushimpo.jp

 米国家安全保障会議(NSC)が1973~76年に、72年の沖縄復帰を契機とした政治的圧力で在沖米海兵隊を撤退する事態を想定し、海兵遠征軍をテニアンに移転する案を検討していたことが、機密指定を解除された米公文書などで分かった。遠征軍は米本国以外で唯一沖縄に拠点を置く海兵隊の最大編成単位。米海兵隊普天間飛行場などを運用しているが、当時米側はその「本体」である海兵遠征軍ごと沖縄から撤退し、テニアンに移転することを想定していた。文書はテニアンに滑走路や港湾などを備えた複合基地を整備する必要性に触れ、同基地は「返還に向けて沖縄の戦略部隊や活動を移転できる」とした上で、対応可能な部隊として「最大で遠征軍規模の海兵隊」と挙げている。日米両政府が沖縄を海兵隊の駐留拠点にする理由として説明する「地理的優位性」の根拠が一層乏しくなった形だ。

 米軍統合参謀本部史によると、73年に在韓米陸軍と在沖米海兵隊を撤退させる案が米政府で検討され、国務省が支持していた。同文書もテニアンの基地建設に言及しているが、計画は74年に大幅縮小された。理由の一つに「日本政府が沖縄の兵力を維持することを望んだ」と記し、日本側が海兵隊を引き留めたこともあらためて明らかになった。
 文書は野添文彬・沖国大講師が米ミシガン州のフォード大統領図書館で入手した。野添氏は統合参謀本部史でも詳細を確認した。
 フォード図書館所蔵の文書はNSCが73~76年に作成した「ミクロネシア研究」つづりに含まれている。海外の基地は「受け入れ国からの政治的圧力に対して脆弱(ぜいじゃく)だ」と分析し、米領内での基地運用を増やす利点に触れている。
 一方、米軍統合参謀本部史(73~76年)は、ニクソン政権が73年2月の通達に基づき太平洋の兵力を再検討、在沖海兵隊と在韓米陸軍の撤退を含む4案を議論したと記している。国務省は77~78年度にかけ最大の削減案を支持、軍部は最少の削減を主張した。73年8月、大統領は「現状維持」を選んだ。統合参謀本部史は「沖縄返還で当初予想された部隊移転を強いられることにはならなかった」と振り返っている。(島袋良太)

(琉球新報 2015年11月6日 05:05)

  1973~74年といえば、やはり孫崎享が「敢然とアメリカに対峙した『自主独立派』の政治家」と位置づける田中角栄の政権の時代だ。その田中政権の時代に「日本政府が沖縄の兵力を維持することを望んだ」のだった。

 つまり、日本の戦後史においても、米軍占領期には「アメリカの横暴」で単純に解釈できたものが、その後の沖縄返還前後には、アメリカよりもむしろ日本政府の側に「米軍の沖縄駐留を固定化したい」意図が強くなるとともに、時の総理大臣だった佐藤栄作は、それを日本国民に隠そうとした。「沖縄密約」、「糸と縄との交換」などに関わる問題だ。後者(日米繊維交渉)を決着させたのは田中角栄だった。それらを撃たずして「今も連綿として続く対米従属の構造」などと視点を固定化してしまっては何の意味もない。そのような態度では「松本清張を現在に活かす」ことになどならないと私は考える。

 さらに、清張ノンフィクションの最高峰である『昭和史発掘』の終わりの4割ほどを占める「2.26事件」論で詳細に紹介されている青年将校のような思想が、現在再び、こともあろうに「リベラル・左派」の人たちの間で再興しているという恐るべき事態が起きている。それを「ネオ皇道派」と名づけた人がいたが、他ならぬ鳩山由紀夫がこの「ネオ皇道派」の典型のようなツイートを今年初めに発した。

 ここで鳩山由紀夫は「リベラルな天皇陛下」が「君側の奸」安倍晋三の暴走に歯止めをかけられる、などと恐ろしいことを公言している。そんな鳩山の思考は「2.26事件」の青年将校と瓜二つではないか。

 鳩山由紀夫の祖父・一郎についても、所属する政友会が野党だった1930年に国会で「軍縮問題を内閣が云々することは統帥権干犯に当たるのではないか」として時の濱口雄幸内閣を攻撃して濱口狙撃、さらには政党政治崩壊の元凶となり、1933年の滝川事件では文部大臣として京大教授・滝川幸辰(ゆきとき)の罷免を要求し、これが拒絶されると滝川を休職処分にするなどして学問の自由を侵害した。さらに戦後にも日本国憲法「改正」を強く主張して改憲派のはしりとなるなど、総理大臣時代の「リベラル」なイメージからは一転して、右翼政治家としての否定的側面が広く知られるようになった。しかし、それらを本書から読み取ることはできない。

 現在は「松本清張が再び求められている」時代だという高橋敏夫の主張自体には私も賛成だが、現代の読者に求められているのは、『日本の黒い霧』や『深層海流』ではなく、『昭和史発掘』や『神々の乱心』を読み込むことではないか。そのためのガイド役としては、高橋敏夫よりも原武史の方が適役ではないかと思った次第だ。

  高橋敏夫の本書『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』でも『昭和史発掘』や『神々の乱心』はもちろん取り上げられているけれども、高橋本はあくまでも清張作品の総論なので、『神々の乱心』とそれに絡めて『昭和史発掘』を取り上げて独自の視点から大胆に論考を進めていく原武史の本の方が断然おすすめだ。

*1:もちろん、その膨大な史料から問題の核心部を的確に見つけ出す清張の目の確かさは、これまでにもたびたび指摘・称賛されてきた。