KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

ユン・チアン『ワイルド・スワン』の下放体験と小松左京「やぶれかぶれ青春記」の学徒動員体験とがそっくりな件

 結局このブログを9か月も放置してしまった。ブログの更新を繰り返していくうちに、どんどん細部にこだわって超長文になるうえ、膨大な時間がかかるので、ついつい書き切れずに破綻してしまった恰好だ。

 今年1月28日(もう2週間後だ)に「はてなダイアリー」の更新が停止し、それに伴ってメインブログである『kojitakenの日記』も「はてなブログ」に移行する必要に迫られている。

 そこで、「はてなブログ」に記事を書くウォーミングアップの意味も兼ねて、この放置ブログを9か月ぶりに更新しようと思い立った次第。なので記事は簡単に書きたい。

 昨年(2018年)は5月から10月にかけて特に忙しく(昨年末から今年2月にかけても結構予定で埋まっていて新春早々ヒーヒー言っているのだが)、そのせいでブログの更新ばかりでなく、本を読む時間も減っていた。その分を取り返そうとばかり年末年初にも結構本を読んだが、その中でユン・チアンが1991年に書いた『ワイルド・スワン』に描かれた大躍進政策(1957〜61年)及び文化大革命(1966〜76年)当時の中国と、小松左京が1969年に書いた「やぶれかぶれ青春記」に描かれた戦争末期の日本とがみごとに二重写しになっていたのに驚いたことをメモしておく。

ワイルド・スワン 上 (講談社+α文庫)

ワイルド・スワン 上 (講談社+α文庫)

 
ワイルド・スワン 下 (講談社+α文庫)

ワイルド・スワン 下 (講談社+α文庫)

 
やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

 

  『ワイルド・スワン』の著者、ユン・チアン(張戎。私なら「チャン・ユン」と表記したいところだが*1、本の表記に合わせる)は1952年生まれ、中国出身の作家で、中国共産党の幹部夫妻を両親に持つ。両親は文化大革命にいたぶられ、著者自身も下放されるなどした。文革が終わって間もない1978年にイギリスに留学し、そのまま現地でイギリス人と結婚するなどして中国には戻らず現在に至る。

 一方の小松左京は、2011年に亡くなったSF作家で、生前には「あれは小松左京ではなく小松右京だ」と評された保守人士だった。

 しかし、今小松左京の青春期をネトウヨ(「安倍信者」)に読ませたら、彼らは「何だよ、このパヨクは」と小松を罵倒するのではないか。戦争中に阪神間で少年時代を過ごした小松の「青春記」には、そう思わせる文章が綴られている。

 私は『ワイルド・スワン』を読み終えた直後に、引き続いて小松の「やぶれかぶれ青春記」を読んだのだが、学徒動員された小松の経験談を読みながら、一瞬『ワイルド・スワン』に描かれたユン・チアン下放経験談を読んでいるかのような錯覚にとらわれたのだった。それほど両者は酷似していた。そんなことを思っていたまさにその時、小松の青春記に書かれた下記の一説に遭遇したのだった。以下引用する。

(前略)当時としては、「国家危急存亡の秋(とき)」に、少年といえども、勉強やスポーツだけさせておくのは、けしからん、という風潮だったのであり、役に立とうが立つまいが、とにかくかっこうだけでも「労働」させるのが「国策に沿う」ことだったのである。とりわけ、インテリ学生などは「文弱」にながれやすいから「農村」で働かせて精神をきたえなおすのだ。農こそ「国の基(もとい)」であり(これを「農本主義」という)、「勤労」こそ精神をたたきなおすもっともいい方法である――と、当時の為政者軍人官僚どもは考えた。

 何の事はない、中国の「文化大革命」における「下放」みたいなものだ。――「文化大革命」の、政治的意義はともかく、それが起こったとき、何となくいやーな感じがしたのは、それが戦時中私たちの経験したことと、まるでよく似ていたからだ。日本の場合も、「国民精神総動員」とか「産業報国」、「国民精神作興」と精神主義的であり、「欧州排斥」が起こり、若い連中がまっ先にかり出され、「軍人」と「農本主義者」が音頭を取り情容赦ない「精神・言論統制」と「アジテーション」が行われ、「スローガン」がやたらと叫ばれた。

小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(新潮文庫,2018)58頁)

 読みながら「文革そっくりだな」と思っていたら、1969年に小松左京自身もそう思いながら書いていたのだった。なお、この文章が書かれた1969年には、新左翼系の左派の間に毛沢東を熱狂的に信奉する風潮が強く(日本共産党はこの頃には既に中国共産党と反目し合っていた)、小松が「政治的意義はともかく」なる留保をつけているのは、そのあたりに配慮したものと思われる。現在ではそのような留保は不要で、文化大革命とは毛沢東が自らの地位を安泰にするために最高権力者である自らが引き起こした醜い権力闘争以外の何物でもなかったことは定説になっている。

  それにしても、軍国主義日本の戦時中と毛沢東の中国との類似は、何も学徒動員と下放との類似にとどまらない。小松左京は学徒動員に駆り出された工場で、何度となく米軍の空襲に遭遇して生命の危機に晒されたが、ユン・チアン下放体験の最中、文化大革命における「造反派」(毛沢東に煽られて「走資派」を追及していた紅衛兵の集団)同士の内ゲバによる銃弾に遭遇して生命の危機に晒された。また、日本軍の兵士は熱帯の戦場で次々と餓死したが、毛沢東の中国でも、大躍進政策の失敗によって中国の農村で農民たちが次々と餓死した(ユン・チアンの親族からも1960年に餓死者が出ている)。また、日本軍は戦争末期には「大本営発表」で誇張した戦果を宣伝するばかりか、間違った戦況分析を前提として作戦を立てて自滅していたが、これは末端が大本営に忖度して、出てもいない戦果を大本営に報告したためだった。毛沢東大躍進政策もこれと同様で、毛沢東が打ち出した達成不可能な目標を、あたかも達成したかのような報告がなされたために、農民たちが過度の取り立てをされた結果、自らの食料を奪われて餓死に追い込まれたのだった。

 これらは、独裁体制や「権力を批判する言説が絶え果てた」言論状況がいかに危険であるかを如実に表しているといえる。そんな社会や政治体制を「下から」支えるのが「同調圧力」だ。

 今回の年末年始に読んだ本で一番の収穫は、上記『ワイルド・スワン』でも「やぶれかぶれ青春記」でもなく、星野智幸が2010年に書いた小説『俺俺』だった。この小説のキーワードが「同調圧力」だ。ただ、このエントリではこの小説にはこれ以上触れないでおく。ここまでで十分長くなったから。

俺俺 (新潮文庫)

俺俺 (新潮文庫)

 

 

*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/15/145841によれば、「ロン・チャン」または「ロン・ザン」と表記するのが良いようだ。