KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

松本清張「捜査圏外の条件」と流行歌「上海帰りのリル」

 このブログは「古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ」と銘打っていながら、音楽は一度も取り上げたことがなく、本も松本清張作品ばかりだ。だが、その清張作品をきっかけに、ようやく音楽絡みの話題を取り上げるチャンスが訪れた。

 今年1月から読み始めている、光文社文庫の「松本清張短編全集」(全11巻)*1はこれまでに第1巻から第6巻と第8巻を読んだが、一番最近読んだ第6巻には「市長死す」「捜査圏外の条件」「地方紙を買う女」の3つのミステリー作品が収録されている。

青春の彷徨―松本清張短編全集〈06〉 (光文社文庫)

青春の彷徨―松本清張短編全集〈06〉 (光文社文庫)

 

  これらは前々回の記事で取り上げた第5巻収録の「声」や「顔」などとともに清張初期ミステリーの傑作といえるが、第6巻収録の3つのミステリー作品には、いずれも「戦争」が影を落としているのが特徴だ。

 「市長死す」で死んだ市長は、65歳の元陸軍中将だったが、敗戦を迎えた韓国から安全に帰国する便宜を図ってやった愛人の芳子に帰国後駆け落ちされ、芳子と駆け落ちの相手・山下を執念で探していた。また「地方紙を買う女」の主人公・潮田芳子(「市長死す」に出てくる市長の愛人と同名だ)は、夫が兵隊に取られて満洲に送られ音信不通だったが無事を信じてずっと帰りを待っていた。しかし、待ちに待った夫からの頼りを受け取ったまでは良かったが(以下ネタバレになるので省略)という話だ。この「地方紙を買う女」は1957年(昭和32年)の作品であることに注目したい。戦後12年経ってもそんな設定の小説が書かれるくらい、先の戦争の爪痕は深かった。一方で、A級戦犯容疑者だった岸信介が総理大臣になったのも小説が書かれた1957年だ。

 そして今回取り上げる「捜査圏外の条件」は、「地方紙を買う女」と同じ1957年の作品だが、モチーフとして用いられているのはその6年前の1951年(昭和26年)の流行歌「上海帰りのリル」だ。小説では「昭和二十五年四月」となっているが、これは清張の勘違いで、「上海帰りのリル」はその翌年に発売されている。

 この「捜査圏外の条件」は第5巻収録の「顔」と同様の倒叙ミステリーで、犯人の一人称(「自分」)で叙述される。私が第6巻でもっとも面白いと思ったのがこの短編だが(次いで面白かったのが「地方紙を読む女」)、「新本格派」のミステリー作家として「社会派」の清張を「永遠の仮想敵」としているという有栖川有栖が巻末の「私と清張」で下記のように書いている。

 秘密を抱えることはスリリングで、その秘密が深刻なものであれば恐ろしい。それを守ろうとしたら、嘘をつかなくてはならない。嘘がばれないようにするには、嘘を重ねなくてはならない。秘密を守っているうちにスリルと恐怖は、いよいよ増していく。清張作品の魅力は、秘密が崩れていく有様を冷徹な目でトレースしていることにあったのだ。面白くないはずがない。その効果が最もよく発揮されるのが「顔」のような倒叙ものだ。本書の収録作品の中では、「捜査圏外の条件」が好個の例。

(『松本清張短編全集06 青春の彷徨』(光文社文庫,2009)337頁)

 「顔」と「捜査圏外の条件」は同じ「倒叙ミステリー」のカテゴリに括られるのだろうが、「顔」は身勝手な殺人犯人を清張の分身である「唇の厚い」目撃者が、最後に視覚の記憶を呼び覚まされる話だ。第5巻ではこの「顔」が聴覚の記憶が鍵となる「声」のすぐあとに配置されて一対になっている。

 一方、「捜査圏外の条件」は清張作品には実は結構多い「復讐譚」だ。「十九の時に結婚し、終戦間ぎわに夫を失った不運な戦争未亡人」(光文社文庫版第6巻192頁)だった黒井忠男の妹・光子(27歳)が、持病である心臓病の発作によって旅先で急死した現場から逃げ出し、光子を身元不明の白骨死体にしてしまった男を殺そうと決意した忠男が、完全犯罪を実現させるために7年もの歳月をかけて復讐を計画する*2。男は忠男と同じ銀行に勤める先輩社員で、「これまで女出入りがたびたびあって細君が苦労したという噂」(同193頁)があり、忠男の近所に住んでいたためにいつの間にか光子と恋仲になっていたのだった。光子は亡父の実家のある山形に墓参りに行くと言って家を出たが、山形とは方向違いの「北陸の有名な温泉地」(同197頁)であるI県Y町*3で、身元不明のまま死後3週間仮埋葬されていた。だから忠男が光子と対面した時には、「棺の中の遺体は腐爛していたが原形はまだ残っていた。自分(忠男=引用者註)は確認して泣いた」(同198頁)。

 その光子が死ぬ前に好きでよく口ずさんでいたのが流行歌「上海帰りのリル」だった。やっと音楽の話題にたどり着いた。

 清張作品に音楽にちなんだ小説は少ない。現代音楽の作曲家・和賀英良が犯人である有名な『砂の器』があるが、あれは前衛芸術家の話であって音楽の話ではない。小説よりずっと有名であるらしい映画では、昔の加山雄三弾厚作)ばりのムード音楽的な作曲家兼ピアニストに変えられているが、いうまでもなく原作通りだと映画にならないからだ。「現代音楽で人を殺す」という荒唐無稽さ(この理由によって私は『砂の器』を訴求力は強いものの欠陥作品であると決めつけている)は、現代音楽の作曲家・西村朗

音波でひとを殺したりする(笑)。テレビなんかでやっている『砂の器』とは全然ちがう世界。松本清張さんは現代音楽で人を殺せるというか、そういう感性を持っていたんだろうね。これはすごいよね。

(『西松朗と吉松隆のクラシック大作曲家診断』(学習研究社アルク出版企画,2007)53頁)

などと馬鹿にされているほどだ。

 ただ、清張を弁護しておくと、清張最晩年に「モーツァルトの伯楽」(1990)という短編があるが、これはモーツァルトの没後200年を翌年に控えて当時プチブームが起きつつあった頃、自らも死を2年後に控えた清張がモーツァルト最後の魔笛』の台本を書いたエマヌエル・シカネーダーに焦点を当てて彼とモーツァルトとの関係を描いた異色の短編だ。このブログには取り上げなかったが、最晩年の短篇集『草の径』に収録されている。

草の径 (文春文庫)

草の径 (文春文庫)

 

  80歳になってなお好奇心を失わなかった清張に感心したし、先日読んだ清張未完の絶筆『神々の乱心』を読んだ時にも思ったことだが、清張には82歳で死ぬまで頭脳の衰えは全くなかった(目が悪くなり、体調全般も悪化して死期の近いことを感じていたらしいが)。このことにも驚かされる。

 悪い癖で、現代音楽やらモーツァルトやらに脱線してしまったが、ここから「上海帰りのリル」の話に移る。

 私は「上海帰りのリル」という歌を全く知らなかった。「捜査圏外の条件」(この小説の最大の欠点はタイトルが悪いことだ。なかなか覚えられない)を読んだのは自宅ではなかったので、読みながら歌をYouTubeで確認することはできず、どんな歌なのだろうかと想像していた。おそらく短調でアップテンポの典型的な「戦後歌謡」だろうと想像したが、帰宅して調べてみたら想像通りだった。

www.youtube.com

 正直言って、最初は「なんだ、こんな歌か」と思ったが、調べていくうちにいろんなことを知り、すっかり「上海帰りのリル」(1951)と、それに十数年先立つ戦前の流行歌「上海リル」(1934)*4にはまってしまったのだった。

 ここまででずいぶん長くなってしまったし、実は清張のこの短編集は今日が図書館に返却する期限の日なので、「上海(帰りの)リル」をめぐるネット検索の成果は次のエントリに回す。

 清張が「上海帰りのリル」を選んだのは実に適切だった。いなくなったリルを探す歌は、山形に行くと言って失踪した忠男の妹・光子を探す忠男と重なるし、光子自身も戦争未亡人だった。

 戦争からだいぶ経った1950年代(昭和25〜34年)になっても、まだ戦争による生き別れや死に別れがたくさんあった。だから戦後6年経った1951年に「上海帰りのリル」が流行したのだろう。清張が「捜査圏外の条件」を書いた1957年にもまだその爪痕は生々しかった。

 そういえば、遠藤周作の『海と毒薬』も1957年の作品だった。

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

 

  確か『海と毒薬』にも、近所に住んでいる人が戦場で人を平気で殺した経験があったという記述がなかったか。

 1950年代後半(昭和30年代前半)とはそういう時代だった。

 某国の某大嘘つきの最高権力者が大好きらしい西岸良平の漫画『三丁目の夕日』に出てくる気のいいおじさんも、その十数年前には中国人の捕虜を無慈悲に虐殺していたかもしれない。しかし、生まれも育ちも東京であるボンボンのバカ宰相には、そんなことなど思いもよらない。

 誰かさんが郷愁を抱く「昭和30年代」とやらは、「古き良き時代」でもなんでもないのである。

*1:これは1960年代にカッパ・ノベルスとして出版された全11冊が、清張生誕100年を翌年に控えた2008年に文庫版で復刊されたものだが、60年代初頭以前の短編しか収められていないし、それも全部ではなく清張の自選というから、「短編全集」と銘打つのは看板に偽りありだろう。

*2:「捜査圏外の条件」と共通点のある長編作品が『遠い接近』(1972)で、軍隊でいじめを受けた男に終戦後復讐する殺人が、長編の終わりの方で起きる。ただ、『遠い接近』では軍隊生活が延々と描かれるなど、中盤過ぎまではミステリーらしさの全然ない異色の作品になっている。

*3:「三方を山で囲まれ、清冽な川を一筋流している民謡で名高いこの温泉町」(光文社文庫版第6巻198頁)とある。時刻表及びネット検索で石川県加賀市(2005年の合併以前は山中町)の山中温泉であると推定した。

*4:次回の記事で詳しく述べるつもりだが、「上海帰りのリル」は「上海リル」のアンサーソングとして書かれたらしい。