KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

松本清張『落差』に見る、半世紀以上前から変わらない「教科書」をめぐる攻防の構図

 松本清張の『落差』を読んだが、この小説が掲載された媒体が『読売新聞』(1961〜62年連載)だったと知って、今昔の感にとらわれた。

 

 

 

 官邸(安倍晋三政権)に唆されて、文科相事務次官謀略報道を平気でやらかす今の読売なら、間違ってもこんな小説を連載することはないだろうと思わせる。下記は、角川文庫新装版の上巻の裏表紙に記載されている作品紹介。

日本史教科書編纂の分野で名を馳せる島地章吾助教授は、学会で変わり身の早さと女癖の悪さで名を知られていた。ライバルの歴史学者細貝の妻、景子に近付き、細貝が病死するやいなや、愛人にするし、学生時代の友人佐野の妻にも、浮気心を働かせていた。

販売を伸ばしたい教科書出版社の思惑にうまく乗り、島地は欲望の赴くまま、好色な人生を謳歌していたのだが―。

大活字新装版。

  前回取り上げた『神と野獣の日』もそうだが、1960年の岸信介退陣以後ではもっとも極右に傾斜した安倍政権の二度目の出現によって、半世紀以上前に書かれた松本清張の小説が、確かにひところは「時代遅れ」の観を呈していたのかもしれないが、今になってにわかにリアリティを増してきていると感じられる。この『落差』もそういう作品の例だ。

 この小説が、角川文庫新装版として文字を大きくして上下巻に分割されて再刊されたのは、清張没後100年の2009年だ。その下巻末尾に付された阿刀田高の解説文は、下記の文章で結ばれる。

 教科書やダム建設をめぐる往事の現実を追いかけすぎ、今となっては、その部分が“古く”なっている。そう感ずるのは私だけだろうか。

松本清張『落差』(2009, 角川文庫新装版下巻447頁)

  解説が書かれてから8年後の今読むと、「“古く”なっ」たのは55〜56年前に書かれた清張の作品ではなく、たかだか8年前に書かれた阿刀田高の解説文の方ではないかと思わずにはいられない。

 確かに水力発電のためのダム建設で集落を水没されることは今では少ないかもしれない。しかしこの問題とて、8年前に国土交通大臣になり、今また民進党代表に返り咲いた*1前原誠司が早期に事業を中断させようとして失敗した一件に見られる通り、決して「過去の話」ではない。今現在の八ッ場ダムがどうなっているかなど関心のある人は8年前の「政権交代」に熱をあげていた人たちの間にもほとんどいないと思われるが、ダムの「本体工事」は2015年に着工されたものの、工事の9割を占めるという周辺工事にはいまだに終了の見通しは立たず、川湯温泉などの集落の水没も当然ながらまだ行われていない。今後の日本経済の縮小と人口減に伴って、このダム工事の必要性がますます低くなって、かつ日本政府の財政は苦しくなる一方だから、中長期的にはいずれ工事が中断し、工事跡は廃墟と化すのではないかと私は予想している。

 ましてや、教科書をめぐる問題など全く「“古く”なっ」てなどいない。

 確かに、教科書採択の手順は、作品が書かれた60年代初頭と現在の2010年代後半とは異なる。しかし、ネット検索で見つけた下記ブログ記事の認識は間違いだ。

 

ameblo.jp

 以下上記ブログ記事から引用する。

 1961年11月から1年間にわたって読売新聞に連載された長編小説です。文庫版で700ページを超えているので読み終えるのにけっこう時間かかりましたね。小中高校の教科書の出版をめぐる教科書会社とその監修者との癒着や教科書会社とそれを採用する教師との汚れた関係などがテーマとなっています。昭和20年代後半から30年代初めにかけては,日本の教育が戦後の民主主義教育から戦前の復古調へ揺り戻される反動期ですが,その時期にはこの小説に描かれていたようなことが実際あったのでしょうね。現在では小中学校の教科書は各学校ではなく市町村の教育委員会が採択の決定をしていますし,高校はまだ各学校に採択権が認められていますが,この小説に描かれているような教科書会社と教師の関係のようなものは一切ありません。ま,それだけクリーンになったともいえますが,どこの教科書会社の教科書も文部科学省の検定によってほとんど同じ,似たり寄ったりのものになってしまっています。教科書を出版してる出版社の数もずいぶん少なくなっていて,少なくとも受験校の使う高校の社会科の教科書はどこもあまり違わないのではないかと思います。

 ま,それにしてもこの小説の主人公であるC大学助教授島地省吾というのはとんでもない人物ですねぇ。誰がこのモデルなのか僕にはちょっとわかりませんが,たぶん実際にこういう人物がいたんでしょう。そういえば,清張さんの『カルネアデスの舟板』という小説も教科書の執筆に関わる内容でした。教科書というのは全国の小中高校生が必ず購入するわけですから(小中学校は国が無償配布することになっていますが),毎年必ず児童・生徒数分だけは売れる出版社や執筆者にとっては非常においしい商品なんでしょうね。そこに醜い癒着が生まれる原因があるように思います。(後略)

 引用したブログ記事は2013年に書かれたが、上記引用文中で青字にしたブログ主の主張が甘いことを示す事件がその後の2015年に発覚した。下記は当時の共同通信の記事(共同通信の元記事へのリンクは見つかっていない)。

www.swissinfo.ch

 下記は三省堂以外の教科書会社について毎日新聞記事。

mainichi.jp

 さらには、教科書問題の伏流として、右翼政治家による「偏向教科書」への圧力の問題は半世紀以上前も今も変わらない。この記事を書いている途中で知って『kojitakenの日記』に急遽記事を書いた下記の件もその一例だ。

d.hatena.ne.jp

 少し前にネットを中心に騒がれた問題としては、灘中など有名私立中学校が中学の歴史教科書として「学び舎」の教科書を採用して日本会議系の右翼や安倍政権に嫌がらせを受けた一件があった。

d.hatena.ne.jp

 清張が小説を書いた6年前の1955年には、直後に自由党と「保守合流」をして自民党を結成することになる日本民主党(総裁・鳩山一郎)が、第22通常国会の行政監察特別委員会で教科書問題を取り上げた上、『うれうべき教科書』なる「偏向教科書」批判のパンフレットを第1集から第3集まで作成して配布した。このあたりの時代的背景は『落差』(角川文庫新装版)の62〜65頁にかなり詳しく書かれている。

 日本史の教科書に卑弥呼を載せるなんて怪しからん! と吼えていた民主党の噴飯ものの主張は、下記2件のブログ記事でその一端を知ることができる。

schmidametallborsig.blog130.fc2.com

schmidametallborsig.blog130.fc2.com

 また、2006年に出版された仲正昌樹著『松本清張の現実(リアル)と虚構(フィクション)―あなたは清張の意図にどこまで気づいているか』は、その第5章で『落差』を論じているらしい。

  下記は、この仲正の本の書評が書かれたブログ記事。

d.hatena.ne.jp

 以下、上記ブログ記事に引用された仲正の本の記述を孫引きする。

 

 九〇年代の後半頃から、戦後の「歴史観」の修正、「歴史教育」の見直しがしきりと論議されている。「自由主義史観」を標榜する西尾幹二藤岡信勝等は、日本の近代史の中に「帝国主義」、「植民地支配」といった負の要素があることを強調してきた戦後の歴史観を「自虐史観」として否定し、(天皇を中心とした)「国民」としての自覚・自立化の歩みとして近代化過程を捉えるべきだと主張している。こうした[「自由主義史」=「国民の歴史」]派と、戦後民主主義において培われてきた諸価値に基軸を置く歴史観を維持していこうとする陣営の間での攻防に、旧従軍慰安婦に対する補償問題や、加藤典洋高橋哲哉の間での「記憶の主体」論争、「日の丸・君が代」法制化論争、靖国参拝問題、竹島問題、中国への反日デモへの対応などが絡んできて、「歴史」をめぐる大きな論争の様相を呈している。

 自由主義史観派は、「自虐史観」の温床として「歴史教育」を攻撃のターゲットにし、「新しい教科書をつくる会」を結成して、既成の歴史教科書の記述を左翼的に偏向していると批判したうえで、中学校社会科の「歴史」と「公民」の教科書を自ら編集し、二〇〇一年及び二〇〇五年の検定に相次いで合格している。実際の採択率は彼らの期待よりもかなり低かったが、韓国や中国からは歴史の歪曲であるとして反発を受けている。「つくる会」グループはこれまで自分たちの編集した教科書を「検定」に合格させるための地均しのキャンペーンとして、その「パイロット版」として位置付けられる『国民の歴史』(西尾幹二著、扶桑社)をはじめとする自由主義史観関連図書の大々的な販売キャンペーンを展開し、各種メディアで既成の歴史教科書の左翼的“偏向”を攻撃してきた。

 それに加えて、子供たちの頭脳に(本人には選ぶことのできない)「教科書」を通して特定の歴史観・価値観を「刷り込む」ことに成功すれば、それは、将来の読者やファンを確保することに繋がっていく。「つくる会」の人たちは、自分たちの教科書の基本的スタンスについて、「単純な善悪でのみ歴史を裁こうとする姿勢を排除し」、「子供たちが日本のおかれていた立場を理解し、先人の不断の努力に対する敬意をもつように工夫し、その歴史を教訓として現代・未来の国際社会のなかで、国を愛し諸外国と共存していく力を養う」と述べているが、裏を返せば、(左翼リベラル派の歴史学ではなく)自分たちの描き出す、愛国的な「歴史」に共感するような体質の人間を「養成」しようと画策しているわけである。無論これは、「右の教科書」を作る人たちだけではなく、「左の教科書」を作る人たちについても言えることである。今ではさほど目立たなくなったが、これまで左翼の学者・教師たちが、自分たちの思想・主張を代弁する教科書や副読本を巧みに利用して、それを試みているのである。しかも「つくる会」の主要メンバーの中に、「左」から「右」へと“いつのまにか”「転向」した人たちがいることに象徴されるように、核になっているはずの「思想内容」自体もかなりイメージ商品化している。

 子供のために為されているはずの「教科書」編集の陰にこうした利権やヘゲモニーをめぐる争いを、いち早く文学作品という形で描きだしたのが松本清張の『落差』である。この作品が読売新聞に連載された昭和三十六年から三十七年(一九六一六二)というのは、教科書問題を軸にして戦後教育の様々な問題が噴出していた時期である。昭和二十五年(一九五〇)をもって戦前からの「国定教科書」は完全に廃止され、「検定教科書」という日本独特の制度に移行したが、この結果、教科書の「検定」基準をめぐる政治的対立が生まれてきたのである。

 主に問題になったのは、イデオロギーや思想が反映しやすい社会科、特に「日本」という国の在り方が直接的に記述される歴史の教科書である。昭和三十年(一九五五)六月に、(当時の)民主党衆議院の行政監察特別委員会で、「労働者の生活の悲惨さ」をやたらに強調する「教科書」が出回っていると批判した。同党が「うれうべき教科書の問題」なるパンフレットを発行し、偏向教科書追放キャンペーンを展開したのを受けて、文部省は検定基準を「厳重」にするという名目の下に、検定審議会委員を入れ替えた。これによって、八種の社会科教科書が「偏向」という理由で不合格にされた。「偏向」の指摘は、(委員の一人とされる)「F氏」の名で為されたので、ジャーナリズムはこれを「F項パージ」と呼んだ。「F項パージ」によって損害を受けることを恐れた各教科書会社は、それまで代表的な「進歩的学者」としてもてはやしていた日高六郎、長洲一二、勝田守一といった人たちを執筆人から排除することにした。文部省がその後も、記述における「立場の公正さ」を確保するという名目の下に「検定基準」を強化していったのに対し、日教組歴史科学協議会などが教科書の自由化を求める運動を組織し、「教科書」をめぐる左右対称ムードが生まれてきた。安保闘争と三池闘争が激化し、清張が『日本の黒い霧』を執筆していた昭和三十五年(一九六〇)には、国会と新聞・雑誌・テレビなどを舞台にして、文部省が「検定」を通して「ネオ皇国史観」を押し付けようとしているとする和歌森太郎などの進歩的知識人と、(F氏と目されていた)高山岩男などの文部省側の学者・調査官の間で論争が展開された。「落差」が単行本として刊行された昭和三十八年には家永三郎の「新日本史」が検定不合格となり、その二年後に、有名な家永教書訴訟が始まっている。

仲正昌樹著『松本清張の現実(リアル)と虚構(フィクション)―あなたは清張の意図にどこまで気づいているか』第5章より)

 この仲正の文章を受け、ブログ主は下記のように書いている。

  現在論争をよんでいる「つくる会」の問題とその利害を説明しつつ、それに先行し『落差』が描かれた同時代に起った教科書の事件を絡めて、まさにその歴史教科書を右より左よりに書き分けて設けてきた大学教授を登場人物として焦点化した『落差』という小説が分析される。この現在のアクチュアルな問題と、それに先行する過去の歴史的事件と、その歴史的事件と同時代でおそらくそれを契機に書かれたのであろう小説作品を平易で簡潔でありながら見事に関係づける手並みは、造詣の深さと問題の核心をたしかにつかむシャープさを感じる。もちろん文学研究者でもこのような歴史背景の叙述はあるが、ポイントをどうも外していたり、細かいところを過大に意味づけたりしていることも多い。上記の引用からもわかるようにその辺りのポイントのツボがきっちり押さえられた上で、作品を分析しているところがこの本が、素朴に見えながらなかなか真似のできない深みをもっている点だと思う。

はてなダイアリー『静養の間』2007年1月17日付エントリより)

  引用部分が随分長くなってしまった。

 もちろん『落差』はエンターテインメントの小説であり、作中で殺人事件が一件も起きない(殺人未遂事件が一件起きるが)、推理小説という枠に入るかどうか微妙な「社会派のエンタメ小説」といえる。

 エンタメ作品としては、主人公の大学教授・島地章吾が、誰しもが読んで不快感を抱かずにはいられないであろう極悪人であるところから読者の好悪が分かれるだろうが、悪人の描写こそ清張作品の真骨頂であることは清張の愛読者なら誰しも感じることだろう。清張作品の中には、登場人物全てが悪人ではないかと思わされる『わるいやつら』のような小説もあり、そこでは登場人物たちは人の命など何とも思っていないことを思えば、極悪人・島地章吾といえどもまだマシなくらいだ。

 しかし、その悪印象のひどさからいえば、島地章吾は『わるいやつら』の登場人物たちよりさらに印象が悪く、読んでいて、早くくたばれ、殺されてしまえと思わずにはいられないほどだった。何しろこの島地はとんでもない節操のない変節漢であって、戦前は皇国史観の学徒でありながら戦後になると「唯物史観」で「進歩的文化人」として売れっ子になり、民主党が「うれうべき教科書」のキャンペーンを張るとスタンスを微妙に右に寄せる。今でいうなら、民進党自由党の政治家にでもなれそうな奴なのだ。私のもっとも嫌うタイプの人間である。しかもこの島地は女癖が猛烈に悪い。こいつほど我慢のならない人間は滅多とない。

 そして清張小説らしいと思うのは、ダム工事反対派のボスだの、右翼教科書の押しつけに反対する「進歩的な」教師たちであっても、その描写に容赦がないことだ。小説の舞台は東京のほか高知県であって、上記の反対派のボスや「進歩的な」教師たちは高知県の人たちだ。本作ほど高知県が重要な舞台になっている清張作品を読んだのは初めてだが、あるいは土佐の「いごっそう」たちの怒りを買うかもしれない(笑)。

 惜しいと思ったのは、本作で暗示される土佐の「塩の道」について、清張にもっと蘊蓄を傾けてほしかったということだ。

 本作について書こうと思ってネット検索をかけたところ、北九州の松本清張記念館の館長であり、かつて文藝春秋で清張の『昭和史発掘』に用いられた史料の発掘をほぼ一人で任されてやり通したという藤井康栄氏が高知県立文学館ニュース『藤並の森』第47号(2009)のために書いた文章がみつかった。以下引用する。

 高知県を舞台とした小説に「落差」があります。昭和三十年代初めに教科書検定制度の改変があり、教科書販売合戦が熾烈を極めました。そうした社会的事件を背景に、監修の歴史学者の虚ろな名声と現実の〈落差〉を鋭く暴き出しています。松本清張らしい社会批判に満ちた力作です。昭和三六年から一年間新聞に連載された長編ですが、作中、ダム工事の進む《馬背川》上流の《田積》村《志波屋部落》や、教科書会社の社員が営業に廻る高知県内の町々が仮名で登場します。高知の方々にはモデルが類推できて、作品が身近に感じられるでしょう。『全集』に収録がありますので、ぜひ. ご一読をおすすめします。 (後略)

 高知県は、県庁所在地の高知市だけではなく、東部の安芸市が実名で登場する(他の町々は、藤井氏の書いている通り仮名で登場する)。

 安芸といえば、プロ野球阪神タイガースのキャンプ地として立派な球場があることでも知られる。私が香川県の高松に住んでいた頃の8年前の2009年に土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線を走る「タイガース列車」に乗って安芸を訪れたことがある。阪神がキャンプを張る球場にも行ってみた。最近は同球団一軍のキャンプ地は沖縄に移ってしまったが、二軍のキャンプ地は相変わらず安芸だし、安芸の球場では阪神二軍のオープン戦も行われる。私が訪れた当日にも広島との二軍戦が予定されており、球場訪れたのは朝だったが気の早い阪神ファンはもう姿を現していた。もう少し時間があったら見ても良かったが、先に進みたかったので阪神の二軍戦はパスした(なお、筆者はヤクルトスワローズのファンであるが、当時はヤクルト監督を務めていた高田繁=元読売=を激しく嫌っていたこともあって、高松から地理的に近い広島を応援していた)。

 それだけでなく、土佐くろしお鉄道の安芸駅近くで、阪神のキャンプ地誘致に尽力したという方と偶然お会いして、誘致の苦労話を聞かせてもらった。その方はまた草笛が得意とのことで、実演を聞かせていただいた。

 これに関して、ネット検索をかけて下記記事を見つけた。

ameblo.jp

 上記ブログ記事にもあるが、安芸は岩崎弥太郎のほか、童謡「靴が鳴る」の作曲者・弘田龍太郎の故郷でもある。土佐くろしお鉄道の安芸駅はタイガースよりも弘田龍太郎を売り物としていた。私はタイガースの二軍戦は見なかったが、弘田の童謡の碑が何箇所かに建てられた安芸市内の史跡をめぐったのだった。その理由は、童謡のメロディーが聴きたかったからだ。

 しかしその弘田龍太郎も、戦時中には戦意昂揚の音楽づくりに協力していた。そのことを昔、『kojitakenの日記』に書いたことがある。

d.hatena.ne.jp

 7年前に書いたこの記事を読み直してまたも今昔の感に駆られたのだが、記事に取り上げた極右のクラシック音楽評論家・宇野功芳も、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線で駅ごとのイメージキャラクターを造形したやなせたかしも、ともにもうこの世の人ではない。そして、あの当時のリベラル仲間氏は、あろうことかかなり前にネトウヨに転じてしまったorz

 しかし、戦時中の「黒歴史」は何も音楽家に限った話ではない。音楽家たちよりももっと右傾化に与える影響力が大きい歴史家たち、中には戦後に「進歩的文化人」として活躍した人たちの中にも、戦前に皇国史観を奉じた「黒歴史」を持っている人たちは少なくないようだ。

 昨日、たまたま図書館で、私が読んだ角川文庫版ではなく、松本清張全集第20巻に掲載された鶴見俊輔による『落差』の解説文を眺めていると、まさかあんな悪逆非道の主人公・島地章吾にモデルなどおらず、完全な清張の創作だろうと思っていた予想が外れており、島地のモデルが実際にいたらしいことが書かれていた。その実名は書かれていなかったが、時勢に迎合して自らの立場を猫の目のように変える憎むべき変節漢の学者は実在したのだ。

 

 話を戻すが、後年の清張なら必ずや作中で長々と蘊蓄を傾けたであろう土佐の「塩の道」が実在したことがネット検索で確認できた。

www.city.kami.kochi.jp

 上記香美市公式ホームページに掲載されている地図から推測して、ダムの名は永瀬ダム、川の名は物部川、神社の名前は柳瀬神社であろうか。柳瀬神社の名前は、あるいはやなせたかしとも関係があるのかもしれない。

 

 最後に、長い長い本作の終わりに書かれた文章に吹き出したことに触れて、この長い長い書評を終わりにする。

 以下角川文庫新装版下巻から引用する。2人いるヒロインのうちの1人(もう1人ほどひどくはないが、無力で情けない性格の女として造形されている)が発したセリフ。

「(前略)今朝、イナダの生きたのを持ってきていただきましたからお刺身にします」松本清張『落差』角川文庫新装版439頁)

 おいおい大丈夫か、そんなもの食ったら食あたりするんじゃないか。なぜかそう思ってしまった。その一方で、浅学にして「イナダ」とはどんな魚か思い当たらなかったので、ネットで調べてみたら、出世魚といわれるブリの若い頃の名前であることがわかった。つまりブリっ子。

 そうか、イナダって「ブリっ子」だったのかあ、名は体を表すだな、と妙に納得すると同時に、イナダを食ったであろうヒロイン夫妻(夫は主人公の島地章吾ではない)はそのあと、食あたりどころか生命の危険にさらされたのではないかと妙な心配をしてしまったのだった(笑)。

*1:前原誠司は、民進党代表選には初当選だが、2005〜06年に半年弱の間民主党代表を務めたことがある。