KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

城山三郎『役員室午後三時』を読む

 前の土日(4/6,7)に城山三郎の『役員室午後三時』(新潮文庫1975, 単行本初出新潮社1971)を読んだ。

 

役員室午後三時 (新潮文庫)

役員室午後三時 (新潮文庫)

 

 

 上記リンクの文庫本の装丁は改版前のもので、2009年に改版されて文字が大きくなったとともに、表紙のデザインが一新された。

 内容は1960年代の鐘紡をモデルにとった「華王紡」を舞台にした「フィクション」。ここで括弧付きにしたのは、事実を反映した箇所に著者の創作を織り交ぜるという、城山三郎自身が創設したとされる「経済小説」の典型的なスタイルをとっているからだ。こういう本を読むと、どこまでが史実でどこからが作者の創作なのかがわからず、ネット検索に頼ることになるが、なにぶん半世紀前の話なのではっきりしないところもある。間違いないのは、2人いる主人公のうち、社長の座を二度にわたって追い落とされる「藤堂」もモデルが武藤絲治(むとう・いとじ, 1903-1970)であり、武藤の腹心と言われながら追い落としたのが伊藤淳二(1922-)だということだ。2人の権力闘争は熾烈を極めるが、こういうのを描き出す時に城山三郎の筆鋒は冴え渡る。やはり経済小説といえば城山三郎だなと思わせるのである。ただ、華王紡が売れなかった化粧品を海に不法投棄したエピソードなどについては、それに対応する史実は確認できなかったりするから、繰り返すがどこまでが史実かはわからない。著者や編集者に流された情報にはガセも少なからずあると思われるが、「フィクション」にしてしまえば書ける。なかなか巧妙なやり方だが、情報化社会の現在では名誉毀損で訴えられるリスクが半世紀前とは比較にならないほど高くなっている。

 この本は武藤絲治が1970年12月に亡くなった1年後の1971年12月に出版されているが、武藤に対する痛烈な批判が込められている。鐘紡労組をバックにした伊藤淳二が武藤を追い落とすクーデタをやったのは1968年だから、それからも3年しか経っていない。発刊当時には相当に生々しい暴露小説だったに違いない。

 追い落とした側の伊藤淳二は、一昨年秋に読んだ山崎豊子の『沈まぬ太陽』に出てくる日航の「国見会長」のモデルでもある。

 

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

 

  

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

 

 

 この作品について、このブログか『kojitakenの日記』に取り上げていたかと思ってブログ内検索をかけたがみつからなかった。某所で下書きをしようとしたことがあったがどうやら書く機を逸していたらしい。日航労組*1の小倉寛太郎(1930-2002)を主人公・恩地元のモデルとしたこの小説の第三部に当たる「会長室篇」で、1985年にジャンボ機墜落事件を引き起こした日航の再建に送り込まれたのが伊藤淳二をモデルにした「国見会長」だった。この小説では国見は徹底的に善玉として描かれていたが、読んだ頃からそれには強い違和感を持っていた。今回城山作品を読んで、こちらの方が伊藤淳二の実像に近いんだろうなと思った。ただ、どうして伊藤淳二が小倉寛太郎を会長室に抜擢したかはよく納得できた。伊藤淳二は、昔から権力維持の手段として労組を利用してきた人だったのだ。それでワンマンの実像を巧みにカモフラージュしていたのかもしれない。

 以上、あらすじの紹介さえはしょって書いたが、以下ネット検索で得られたサイトからいくつか引用する。

  まず、かつて鐘紡に勤務されていたという方のブログ記事より。

 

ameblo.jp

日本最大の紡績会社を舞台に、絶対の権力を誇るワンマン社長と新しいタイプの若手管理職との間の葛藤、やがて訪れる社長交代劇を通じて、時代とともに変わりゆく企業経営のあり方に鋭く迫ったビジネス小説の傑作です。

『役員室午後三時』というタイトルは、舞台となる“華王紡”の役員会が午後三時に始まることと、当時言われていた「紡績事業は(斜陽になりつつある)午後三時の事業」という意味をダブらせていたのだそうです。
あくまで自分の権力に固執し続ける藤堂社長と、苦悩しつつも藤堂社長を引き摺り下ろさざると得なかった腹心の矢吹との人間ドラマは、企業経営の非情さとともに、旧から新へと脱皮する過程における“産みの苦しみ”を、リアリティを以て読者に訴えかけてきます。

城山三郎氏の経済小説は、傑作と呼べるものばかりが揃っているのですが、私自身が以前“華王紡”のモデルとされている“鐘紡”に勤めていたこともあって、『役員室午後三時』は特別に印象深い小説です。

武藤絲治氏から伊藤淳二氏への社長交代劇から経ること20数年、私が入社した頃の鐘紡は化粧品事業の成功もあって、本作の“矢吹”のモデルになった伊藤淳二氏はちょうど“藤堂社長”のような立場にいらっしゃいました。
ご承知の通り、伊藤氏は後進に経営を譲るも鐘紡は凋落の一途を辿り、やがて会社更生法を適用することとなります。

あれだけ経営者として高く評価されていた伊藤氏でしたが、最終的に本作の“藤堂社長”と似たような境遇に陥ってしまわれたことは、企業経営の難しさと繰り返す歴史の皮肉さを、私たちに語りかけてくるかのようでした。

『真実の瞬間』においてスカンジナビア航空の成功物語に触れているうちに、なぜかしら本作のことを思い出してしまいました。

 

(『晴読雨読:本好きの読書ブログ (^_^)』2012年9月14日)

 

 続いて、かつて朝日新聞経済部で 鐘紡を担当した高成田享記者が、2004年に "asahi.com" に書いた文章を挙げる。

 

http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20041101.html

日本的経営の午後3時
高成田の顔写真 高成田 享
タカナリタ・トオル

経済部記者、ワシントン特派員、アメリカ総局長などを経て、論説委員
バックナンバー 穴吹史士のキャスターClick



産業再生機構の支援で再建中のカネボウが旧経営陣の会計処理に不正があったとして、証券取引法違反容疑で、刑事告発や損害賠償請求をするという。この大手化粧品メーカーの粉飾決算という厚化粧の下には、裏金の捻出と支出という膿を貯めたできものがあったということだろう。

1970年代の後半、私が経済記者として繊維・化学産業を担当したころ、この会社の名前は「鐘紡」で、大手繊維メーカーのひとつだった。当時の印象は、「暗く、重苦しい」という感じだった。東レ帝人などの合繊(ポリエステルなど)主体の企業には、明るさや軽さがあったが、天然繊維(綿、絹)が主体だった企業は、暗い影がつきまとっていた。

天然繊維から合繊への変化と、途上国の追い上げで、構造不況の荒波をまともに受けていたこともあるが、日本の近代資本主義を支えた企業の伝統が重くのしかかっていたことが大きい。企業の決算発表の時期になると、各社の社長が会見するのが恒例になっていたが、カネボウの発表に出かけて驚いた。社長の後ろに十数人の役員、それも若い記者から見ると、おじいさんにしか見えない高齢の人たちが並んでいたからだ。ほかの企業は、社長に同席するのは経理担当役員くらいだったので、その違いに唖然としたのだ。

鐘紡の経営は、「会社は家族」であり、「運命共同体」という意識が強かった。それが、若手への新陳代謝を遅らせ、経営陣をみると、お年寄りばかりという印象になっていた。鐘紡にとくに強かった家族意識を育てたのは、同社の中興の祖といわれる武藤山治(1867~1934年)だ。武藤の経営哲学は「温情主義」で、女子工員の労働環境の改善に努めた。いわば会社を家族になぞらえる日本的経営の元祖のような企業だった。紡績会社の女工は、「女工哀史」の象徴であったが、武藤は女工のための寮を整備するなど、福利厚生に力を入れた。

その信念は、「温情主義」だったかもしれないが、背後には、欧米諸国から日本の紡績工場などでの奴隷的な労働が日本製品の安さの根源だとして批判されていたことがあるし、「資本家の搾取」を糾弾する労働運動が盛んになっていたこともあるだろう。

その後、武藤山治の子どもが経営を担い、武藤ファミリーの会社になっていたが、取締役会で解任を迫るという一種の「クーデター」によって、1968年から伊藤淳二氏が経営を引き継いだ。伊藤時代は長く続き、最終的に伊藤氏が会長を辞したのは24年後の1992年だった。

この事件を元にしたといわれるのが城山三郎氏の『役員室午後三時』で、繊維産業が衰えるなかで、ワンマン社長の権力が揺らいでいくたそがれを「午後3時」という言葉が見事に表している。

私が業界担当記者として鐘紡に接したときは、すでに伊藤体制だったことになるが、産業再生機構に身を委ねた今日の姿を見ると、伊藤氏は、あの「暗さ」を払拭できないままに、産業の変化に対応できなかったのだろうか。企業文化としての「温情主義」がリストラを遅らせたのかもしれない。

産業再生機構の専務を務める富山和彦氏が朝日新聞の「時流自論」というコラム(今年5月9日)に、「カイシャの呪縛、社会に有害」と題して、家族的経営という伝統的な日本企業の経営思想が呪縛になって、企業の再生を遅らせているとして、その典型としてカネボウを例示した。すると、伊藤淳二氏が「企業経営『日本型』は呪縛ではない」と題した「私の視点」を朝日新聞(同5月27火)に寄稿した。トヨタ自動車キヤノンも日本経営の典型であり、「何でも米国式がよいという昨今の誤りは、文化の違いを捨象した単純化にある」と反論した。

結果論としては、日本型にどっぷりつかったカネボウが再生機構の助けを借りずに生き残ることはできなかったことは確かだ。また、再生機構が暴いた不正経理なども、私から見れば、「暗く重苦しい」なかで醸造されてきた負の文化のように思えてならない。その意味では、「敗軍の将」である伊藤氏に反論する資格はないと思う。

とはいえ、いまの日本企業の多くで常態化している「サービス残業」などは、社員が会社との一体感を持つ「うちのカイシャ」意識のなかに成り立っているもので、それを全否定した「合理的な経営」で、ちゃんともうけていると胸を張れる企業がどれだけあるのかという疑問もある。

企業をリストラするときは、会社は家族ではないと、合理主義の経営者になり、サービス残業のようなただ働き問題が出てくると、社員の「温情主義」にすがるのが、いまの経営者ではないのか。

企業は運命共同体という日本型経営が午後3時であることは明らかだが、あるときは冷徹な合理主義、あるときは社員のただ働きにすがる温情主義というエセ欧米型経営も同じようにたそがれていくはずである。

 

(Asahi Internet Casterより『ニュースDrag』2004年11月1日)

 

 最後に、上記記事が書かれた翌2005年に書かれた『月刊ロジスティクス・ビジネス』の記事。これが一番衝撃的だ。

 

magazine.logi-biz.com

カネボウの事件で明らかになったのは監査法人と企業の癒着という問題だけではない。
クライアント企業の担当者より専門的知識のない公認会計士の、専門家としての資質そのものが問われているのだ。

 

第二のアーサー・アンダーセン

 

カネボウ粉飾決算中央青山監査法人の四人の公認会 計士が証券取引法違反容疑で逮捕、三人が起訴された事件が大きな衝撃を与えている。
中央青山監査法人は破綻した足利銀行の監査をめぐって 現経営陣から損害賠償を請求されているが、カネボウの事件ではそれを担当した会計士だけでなく、中央青山監査法 人自体が処分されるのではないか、といわれる。
もしそうなると“第二のアーサー・アンダーセン事件”として日本の監査法人全体に大きなショックを与えることにな る。
山一証券が倒産したのは子会社に損失を「飛ばし」ていたことが表面化したためだが、山一証券だけでなく、他の証券会社も同じようなことをしていた。
カネボウの場合も売れない製品を子会社に売ったことにし、そしてその子会社を連結決算からはずす(連結はずし)という操作を行っていたことがばれたのだが、このような「連結はずし」は他の会社でもよくやられている。
カネボウの場合は帆足隆元社長ら三人がすでに粉飾決算容疑で逮捕、起訴されており、それがさらに中央青山監査法人公認会計士にまで及んだのだが、ここまで粉飾決算事件が発展したのは珍しい。
日本では会社が倒産すると必ずといってよいほど粉飾決算が表面化する。
このことは逆にいえば倒産しない限り粉飾決算は表面化しないということである。
カネボウの場合も産業再生機構に持ち込まれて、事実上倒産したと同じことになったところから粉飾決算が表面化したのである。
「倒産しない限り粉飾決算は表面化しない」ということは、日本の会社の多くは粉飾決算をしているということであり、日本の企業会計がいかにいい加減なものか、そして公認会計士がいかに信用できないものか、ということを表している。

 

『役員室午後三時』のカネボウ

 

カネボウの裏金、六〇年代から政界・総会屋に提供」という見出しの記事が二〇〇五年八月一日付けの「朝日新聞」に大きく出ていたが、カネボウでは政治家や総会屋にカネを渡すための裏金作りをしており、そのために粉飾決算が行われていたというのである。
この記事はカネボウ元社長の伊藤淳二氏とのインタビューに基づくもので、伊藤氏が社長に就任した一九六八年以降、裏金作りをしていたという。
筆者は一九五〇年代、新聞記者として繊維業界を担当していたが、当時カネボウの決算は「幻の決算」といわれ、会計操作が行われていた。
そしてカネボウの秘書室には総会屋や政治家がカネをもらいにたくさん来ていたことを思い出す。
それというのもこの会社には内紛が絶えず、「山田副社長追い出し事件」から「武藤社長の追い出し、復帰、そしてさらに追い出し」と、お家騒動が続いた。
山田副社長追い出し事件では児玉誉士夫を会社側が使ったといわれるが、以後この会社には総会屋がくらいついて離れない。
そして政治家もそれに便乗してカネをあさりに来る。
こうしてカネボウ粉飾決算は連綿として続いたのだが、だれもこれを問題にしなかった。
そして会社が産業再生機構送りとなってはじめて表面化したというわけだ。
もっとも、このカネボウのお家騒動と粉飾決算等は繊維担当記者には常識になっていた。
そこでこれをもとにして書かれたのが城山三郎氏の『役員室午後三時』である。
この小説は武藤絲治社長とその秘書であった伊藤淳二をモデルにしてお家騒動をくわしく書くと同時に、化粧品部門の粉飾決算についてもリアルに画いている。
この本が出たのは一九七一年だが、三〇年以上前から常識とされていたことが、いまやっと表面化したというわけで、筆者としては感慨無量の思いがする。(後略)

 

(『月刊ロジスティクス・ビジネス』2005年11号「奥村宏の判断学」より)

 

 日本の企業の闇は、あまりにも深くて暗い。

*1:この日航も滅茶苦茶な会社だったが、そのありようはある意味で鐘紡の対極にあったといえる。だが両極端ともいうべき両社とも経営破綻してしまったのだった。

原武史『皇后考』と『平成の終焉』を読む

 新元号が明日(4/1)に発表されるらしいので、その前に公開した方が良いと思って急いで記事を書くことにした。

 

 今月下旬に岩波新書から原武史の『平成の終焉』が出ると知って、長い間積ん読にしてあった同じ原武史の『皇后考』(講談社学術文庫)を読むことにした。読み始めたのが3月15日で、11日間かけて読んだ。

 

皇后考 (講談社学術文庫)

皇后考 (講談社学術文庫)

 

 

 そのあと、3月29日から今日(3月31日)まで、出たばかりの『平成の終焉』(岩波新書)を読んだ。

 

 

 ありがたいことに、2冊とも巻末に全巻のエッセンスというべき文章が置かれている。

 まず、『皇后考』から引用する。

 

 行幸啓が繰り返されるたびに、包摂と排除の政治力学が見えないところで作用する。たとえ皇后自身の本意ではなくても、皇后は天皇制の権力強化に加担している。いや、加担しているどころではない。象徴天皇制の正統性は、天皇ではなく、光明皇后をモデルとする皇后によって担われていると言っても過言ではあるまい。(中略)皇后美智子こそは最高のカリスマ的権威をもった〈政治家〉であることを忘れてはなるまい。

 だが同時にそれは、もし皇后が皇后として十分な役割を果たせなければ、皇后に匹敵する有力な皇族妃が出てこない限り、象徴天皇制の正統性そのものが揺らぐことを意味するのである。この仮定が決して荒唐無稽でないことは、近い将来に照明されるであろう。

 生まれながらの皇后はいない。天皇とは異なり、血脈によって正統性が保たれていない皇后は、人生の途中で皇室に嫁ぎ、さまざまな葛藤を克服して皇后になることが求められる。しかし、誰もが皇太后節子(さだこ=引用者註。大正天皇妃だった貞明皇后のこと)や皇后美智子のように、その過酷な条件をクリアしてナカツスメラミコトになれるわけではないのである。

 

原武史『皇后考』講談社学術文庫2017, 623-624頁。引用文中の太字は原文では傍点。)

 

 「ナカツスメラミコト」とは、「神と人間である天皇の中間」、つまり天皇の上位に位置づけられる存在として著者は論じている。それになろうとしたのが貞明皇后であって、昭和天皇は実母でもあるそんな貞明皇后に頭が上がらなかったのだというのが著者の説だ。本書に美智子妃(や雅子妃)への言及はほとんどない上、先代の天皇妃である昭憲皇太后への言及部分も少なく(全23章のうちの第4章と第5章)、実質的に貞明皇后を論じた本であるといえる。ただ、現時点ではそれよりも次期皇后になる雅子妃が関心の焦点になる。

 続いて、『平成の終焉』の巻末より引用する。

 

 (前略)(天皇明仁の=引用者註)「おことば」に反して、ポスト平成の皇室が平成と全く同じということはあり得ません。それがどうなるかは、天皇徳仁と皇后雅子が、「おことば」で示されたような平成における天皇と国民の関係を改め、明治以来天皇とともに強まってきた国民国家という枠組みを超えた天皇と皇后になるのか、それとも昭和以前のように皇后の存在感が相対的に小さくなり、右派が目指すような天皇の権威化が進むのか、そのどちらかに向かうかによって大きく変わってくるでしょう。

 ただどちらに向かうにせよ、「おことば」で定義された象徴としての務めが完全に消えるわけではありません。その務めは天皇と皇后以上に皇位を意識する皇嗣皇嗣妃に受け継がれ、大正を経たあとに明治が理想としてよみがえったように、ポスト平成を経たあとに平成が理想としてよみがえることはあり得ると思います。(後略)

 

原武史『平成の終焉』岩波新書2019, 217頁)

 

 上記の引用文にある「明治以来天皇とともに強まってきた国民国家という枠組みを超えた天皇と皇后」というのは『皇后考』からの引用文にある「包摂と排除の政治力学」とつながる。つまり、平成の天皇・皇后のあり方からは「国民国家という枠組み」の中にいる者は包摂されるが、枠組み外にある者(たとえば外国籍の人たち)は排除されているが、登山を好む次期天皇にはそれを超え得るポテンシャルがあると著者は考えている。また皇后美智子の「天皇の後ろを歩き、天皇の傍らで祈る」(『平成の終焉』190頁)あり方は、「若い女性の専業主婦願望が高まっている理由の一つ」(同)になっているという負の側面があるとも指摘している。外務省のキャリア・ウーマンだった雅子妃にはそれを打破するポテンシャルを持っているが、懸念もある。以下、『平成の終焉』から引用する。

 

 けれども新皇后が、キャリア・ウーマンとしての体験を生かすためには、体調を回復させるだけでは十分でありません。皇后美智子に匹敵する言語能力を駆使して、自らの皇后像を積極的に語ることが求められるからです。一〇年以上にわたる「沈黙」を保ってきた新皇后にとって、そのハードルは決して低くないはずです。

 

原武史『平成の終焉』岩波新書2019, 211頁)

 

 雅子が皇后になっても「引きこもり」を続けるようであれば、「昭和以前のように皇后の存在感が相対的に小さくなり、右派が目指すような天皇の権威化が進む」恐れもあるというわけだ。

 なお私は、著者が指摘する2つの方向を向いたベクトルがせめぎ合い、事態は複雑な様相を呈するに違いないと予想している。ある局面では新天皇夫妻が進歩的で上皇夫妻(及び秋篠宮夫妻)が反動的な役割を担うが、別の局面では両者がそれとは正反対の役割を担うこともあり得る、というかそうなる可能性の方が高いと思っている。

 それとともに、彼ら(新旧天皇夫妻や皇嗣夫妻)の個人的資質や言動に大きく左右されるあり方は、どう考えても民主主義にとって好ましくない、つまり天皇制は廃止すべきだと私は考える。著者が天皇制の存廃についてどちらを望ましいと考えているかは明らかではないが、『平成の終焉』のあとがきにある下記の文章には共感した。

 

(前略)望ましい天皇制のあり方について、制度そのものを存続すべきか否かを含めて真剣に議論することが求められるでしょう。

 

原武史『平成の終焉』岩波新書2019, 222頁)

 

 以上で本論は終わり。以下は長い蛇足。

 

 『皇后考』は講談社「学術」文庫に収録されてやたら分厚いし、最近の新潮文庫光文社文庫みたいに活字も大きくない(というか小さい)ので取っつきは悪いが、読み始めたら最初はスイスイと読める。だが、貞明皇后が存在感を増してくるあたりから重苦しくなり、頁を繰るのがどんどん遅くなっていった。

 本の後半は小倉から東京まで青春18きっぷで乗った鈍行列車(途中大阪で一泊した)の車内で読んだが、並行して林芙美子の『放浪記』も読んだ。それは大部分が東京を舞台とするこの小説に一部で舞台となる尾道を列車が通過するからであり、昔2002年に倉敷から宮島まで鈍行列車で紅葉狩りに行った時に尾道駅の手前で車掌が突如読み上げた小説中の下記の文章をちょうど尾道駅を通過した時に読めるように時間調整をしたのだった。

 

 海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。記者が尾道の海にさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。

 

林芙美子『放浪記』岩波文庫2014, 256頁)

 

放浪記 (岩波文庫)

放浪記 (岩波文庫)

 

  

 だがこの目論見は失敗した。尾道駅に着いた頃、読んでいたのはそれより少し前の第二部の初めの方だった。少し『皇后考』にのめり込みすぎて読むのを中断するタイミングが遅れたのだった。ただ、その箇所も尾道からかつての恋人の実家があった因島を訪ねる場面だったからまあよしとするかと思った。なお因島尾道もかつて2004年に二度今治からサイクリングで訪ねたことがあるし、尾道には1991年に泊まりで行ったこともある。

 ところが『放浪記』もあとになるほど読むペースが落ちた。特に第三部は戦後に書かれているのだが、『放浪記』が当たって金回りが良くなり、それまでアナーキズムを信奉していたはずの林芙美子が一転して戦争に協力しまくったあとの戦後に、貧しかった頃を回想して書かれた文章なので、説明調だし作者の押しの強さが文体にどんどん反映されてくるので、第一部の半分くらいのペースまで落ちてしまったのだった。

 ただ、偶然だが貞明皇后林芙美子は同じ1951年に1か月あまりの時を隔てて相次いで心臓病で急死した。二人とも容姿より体力が自慢の人だったが、貞明皇后は66歳、林芙美子は47歳で死んだ。二人とも比類のないパワーの持ち主で、常人にはとても太刀打ちできないと思わされたが、二人ともに戦争にのめり込んだ。貞明皇后の方は定説にはなっていないかもしれないが、原武史の説によれば筧克彦の神ながらの道にのめり込んで「勝ちいくさ」を祈り続け、その逆鱗に触れることを恐れた昭和天皇が戦争を終わらせる決断をするのを遅らせたという。林芙美子内閣情報局の「ペン部隊」として南京(!)や漢口に送り込まれ、朝日新聞毎日新聞に従軍記を書いた。『放浪記』では大杉栄への共感を表明するなどしていたのに、あっという間に「転向」したのだった。

 そして戦後6年、サンフランシスコ条約調印を前にして、2人は相次いで心臓病で世を去った。特に貞明皇后は便所で倒れた(林芙美子は就寝中に発作が起きた)。その貞明皇后の死に言及した原武史の『皇后考』の文章は猛烈に辛辣だ。以下引用する。

 

  皇太后が御東所(便所=引用者註)で倒れたことは公表されなかった。(中略)それは宮中で、御東所が不浄を意味する「次」のなかでも「大次」と呼ばれる最も不浄な場所とされているからであり、皇太后が本来御東所を出てするべき二度の手水もせずに死去したしたことを公表したくなかったからではないか。

 皇太后にとって、大次のまま死去するというのは決してあってはならないことだったに違いない。

 

原武史『皇太后講談社学術文庫2017, 586頁)

  

 これにはさすがの私も「ここまで書くか」一瞬と思ったが、「皇后になる」とはこういう書かれ方をされることも受け入れることなのだろう。かつてサッチャーが死んだ時、イギリスのサッチャー批判派が「さあ地獄が民営化*1されるぞ」と皮肉ったことがあったが、公人の論評はそれでいいんだ、と思い直した。あと、貞明皇后が養蚕業に力を入れた記述を、でも生糸はナイロンなどの合成繊維に駆逐されたんだけどなあ、と思いながら読んでいたら、案の定というべきか原はそれをきっちり指摘していた(前掲書570頁)。ただ著者は、1949年にGHQが押しつけた緊縮財政政策であるドッジ・ラインによる不況を蚕糸業が乗り越えられるとの貞明皇后の予想は「短期的に見れば正し」かった(1950年に「生糸の輸出数量はピークに達した」)とも評価している(同580頁)。このあたりの貞明皇后の能力は、昭和天皇をはるかに凌駕していたように私には思われたが、2人の能力差は、既に引用した文章に書かれた「天皇とは異なり、血脈によって正統性が保たれていない皇后は、人生の途中で皇室に嫁ぎ、さまざまな葛藤を克服して皇后になることが求められる」ことによるのかもしれない。

 それだけに、昭和天皇に戦争継続への強い(無言の)圧力をかけたと原武史が認定する貞明皇后の戦争責任は決して無視できないのではないか。そう思った。

 

 最後に蛇足の蛇足。昨日、城山三郎の下記短篇集を読了した。

 

硫黄島に死す (新潮文庫)

硫黄島に死す (新潮文庫)

 

 

 表題作は硫黄島で戦死した1932年のロサンジェルス五輪馬術大障碍の優勝者・西竹一を描いた短篇で、発表当時たいへんな評判をとったらしいが、私などはこの作品には作者のマッチョ性を感じてあまり共感できなかった。むしろ解説文を書いた元読売新聞記者の高野昭が「少年の目で戦争を見ている」と評した、表題作に続く4篇の方が良く、特に「基地はるかなり」がちょっと松本清張を思わせるシニックな味わいがあって一番印象に残った。今回の旅行では、小倉にある松本清張記念館を訪れたのだった。

*1:民営化は英語ではprivatization(動詞形はprivatize)なのだから、本来は「私営化」と訳すべきであろう。

星野智幸『呪文』を読む

 しばらく前に、私が購読しているブログで下記の文章にお目にかかった。

 

sumita-m.hatenadiary.com

鴻巣さんは「若い彼らは「顔が青いよ」とおなじように、「その答え、ちがいよ」と言ったりするのだろうか?(たぶんそれはない)」という。でも、それはある(少なくとも、あった)と思う。
20年くらい前の1990年代後半、(リンボウ先生風に言えば)「二十五歳以下の、いくらか教養程度の低い(あえて言えば育ちのあまり芳しくない)人たち」*5が何時も、本来なら

 

 

違うよ

 

と言うべきところを、

 

ちげーよ

 

というのを聞いて、その度にうざいぜと思っていたのだけど、リンボウ先生を援用した鴻巣さんのエッセイを読み返して、その謎が解けた感じがした。当時、「違う」がどう訛って「ちげー」に変化したのかが疑問だったのだけど、「違う」じゃなくて「違い」が「ちげー」に変化したと考えれば、話はすっきりする。aiがeeに変化するのは江戸を中心としたべらんめえの基本的な特徴だ。くすぐってえ(くすぐったい)、てめえ(手前)、ねえ(無い)。(後略)

 

(『Living, Loving, Thinking, Again』2019年3月11日)

 

 「aiがeeに変化するのは江戸を中心としたべらんめえの基本的な特徴」というのはその通りなのだけれど*1、岡山弁なんかにも同じ特徴がある。それどころか岡山弁ではoiまでもがeeに変化したりもするのだが、それでもauがeeに変化することは、私の知る限りない*2。でも、「違えよ」という言い方は、確か今年に入ってから3冊読んだ星野智幸(1965年のアメリカ生まれだが、横浜・東京の育ち)の小説に出てきたよなあと思ってたら、4冊目でまた出くわした。

 

呪文 (河出文庫)

呪文 (河出文庫)

 

 

 2015年に書かれ、昨年河出文庫入りした星野智幸の『呪文』の107頁に「違えよ」が出てくる。著者は90年代の終わりには20代前半の首都圏の人(神奈川・東京の人だが『俺俺』など埼玉が舞台になっている小説が複数ある)であり、かつ「違えよ」という言葉を発したのは、「二十五歳以下の、いくらか教養程度の低い(あえて言えば育ちのあまり芳しくない)人たち」にまさに該当しそうな登場人物。なにしろ地域のカリスマに入れ揚げている「信者」なのだ。

 『呪文』の作品紹介を、出版元の河出書房新社のサイトから引用する。

 

www.kawade.co.jp

  • 寂れゆく商店街に現れた若きリーダー図領は旧態依然とした商店街の改革に着手した。実行力のある彼の言葉に人々は熱狂し、街は活気を帯びる。希望に溢れた未来に誰もが喜ばずにはいられなかったが……。


    さびれゆく商店街の生き残りと再生を画策する男、図領。
    彼が語る「希望」という名の毒は、静かに街を侵しはじめる。

    「この本に書かれているのは、現代日本の悪夢である。」――桐野夏生

    【あらすじ】
    さびれゆく松保商店街に現れた若きカリスマ図領。悪意に満ちたクレーマーの撃退を手始めに、彼は商店街の生き残りと再生を賭けた改革に着手した。廃業店舗には若い働き手を斡旋し、独自の融資制度を立ち上げ、自警団「未来系」が組織される。人々は、希望あふれる彼の言葉に熱狂したのだが、ある時「未来系」が暴走を始めて……。揺らぐ「正義」と、過激化する暴力。この街を支配しているのは誰なのか? いま、壮絶な闘いが幕を開ける! ◎解説=窪美澄

 

 『呪文』は、「信者」や「暴走」、あるいは「同調圧力」「洗脳」「総括」「自己責任」などがキーワードになる、強い社会的・政治的メッセージを打ち出した作品で、私は『俺俺』(2010)よりもっとわかりやすいな、小説家がこんなにストレートに書いてしまって良いのかと一読して思ったのだが、アマゾンカスタマーレビュー『読書メーター』を覗いてみると、作者が何を言いたいのか分からないとか、この作品は未完なんだろう、続編を待ちたいなどという感想が多く、特に「続編があるんだろ?」という反応にはびっくり仰天してしまった。

 ネット検索をかけると、単行本初出直後に文春オンラインに載った著者インタビューが2件引っかかった。これらを読んで、ああ、やっぱり著者はこういうことを考えていたんだな、想像通りだったと思った。下記にリンクを示す。

 

bunshun.jp

bunshun.jp

 上記リンクから、2本目の記事の冒頭部分を引用する。

――新作『呪文』(2015年河出書房新社刊)がたいへん話題になっています。商店街の人間模様のなかに今の日本の姿が凝縮されていて、現実味があると同時にとても怖い内容ですよね。

星野 今までの中でも一番、ダイレクトに強い反応を感じますね。「今現実に起きていることと地続きになっていて、読み終わって現実を見るとまだ怖い」というような反応をたくさんいただいています。

――これは寂れた商店街にカリスマ的なリーダーが現れる、という内容です。彼、図領は街の改革に乗り出しますが、変化についていけない人たちは排斥され、結成された自警団「未来系」は暴走していく。現実の商店街の現状を見て感じたことが発端だったとうかがっています。

星野 そうですね。商店街が急速に寂れているということと、もうひとつはヘイトスピーチで社会が壊れていくと感じたことが始まりですね。その両方を合わせました。自分の目に映る現実をできるだけそのまま書こうと思って始めたものですから、読者もそう感じてくれるのは自然な成り行きかなと思います。

 商店街に関しては、地方だけでなく都内でも地域によっては寂れていっているのが印象に残っていて。ヘイトスピーチはもう、人種や民族に関することだけでなく、いろんなところで差別的な罵倒やバッシングがあふれていますよね。その様を見て、なんだか人の心も壊れているし、社会も壊れているな、と感じたんです。壊れ始めているんじゃなくて、ちょっと修理が不可能なぐらい深く壊れている、と思うのがこの3年くらいです。震災の1年後くらいからですよね。

 震災の後はみんな「頑張ろう」だとか「こんなひどい目に遭ったんだから社会を立て直そう」と前向きだったと思うんです。僕は2012年の春に韓国に行って3か月ほど滞在したんですが、日本に戻ってきたら、生活保護者が大バッシングされていた。僕が行く前には、北海道で生活保護を受給できなくて餓死した人がいて大問題になっていたのに、帰ってきたら生活保護受給者がバッシングされているという、めまいのするような展開になっていた。以降はもう、底なしのように次々とターゲットを見つけてはバッシングをしていくのが普通になってきた感があるわけです。

 ヘイトスピーチはその前からありましたが、生活保護受給者バッシングをやったのが政治家でしたから、そこからゴーサインが出たということで異常な盛り上がりをみせていく。それが2012年でした。そしてその年末に政権が交代するわけです。

――カリスマ的リーダーというのは、これまでにも書かれていますよね。

星野 しばらくは僕の一大テーマでしたね。今までの場合には、カリスマが作られていくまでを書いていたんですが、今回はその先を書きました。実行力があって魅力的な言動をしている人にわっと支持が集まって弾みがついてしまった後、そのカリスマをみんなが追い越していく。カリスマが何かを言ったり行動したりしなくても、熱狂した一般の人々が先を争うようにどんどん突進していってしまう状況に焦点を当てて描いたと言えますね。

――ヒトラーがいて、ヒトラーの意志とは関係ないところで親衛隊が暴走していくような感じですよね。悪の権化が一人いるのではなく、集団化していくところが恐ろしい。

星野 一人が実権を握って独裁している社会ももちろん嫌ですけれども、ある意味で分かりやすいし、その人を倒せば世の中が変わるかもしれないと思えますよね。でも、実際にはそのカリスマが全権を握っているのではなく、それに乗っかった一般の人たちが、誰が指揮をとっているのか分からないような状態で一斉に同じ方向に流れていってしまう。誰か特定の一人を止めても状況は変わらないし、全体がもうあまりにも大きすぎて、個々人の手には負えない状況になってしまう。そのほうがより怖いですよね。

 

(『文春オンライン』2015年12月19日)

 

 上記インタビューで星野智幸が指摘する日本社会や政治の病理は、2015年当時よりも現在の方がもっとひどくなっている。たとえば、河出書房新社のサイトにある「読者の声」に、2015年9月12日に寄せられた下記の感想が載っている。

 

二極化とネット社会化が進む現実社会が一つの街に集約された。振りかざされた正義は排外主義を招き、似非武士道たる「クズ道」に陥る敗者の暴走は止まらなくなる。
ネトウヨネトウヨから飛び出した「保守系市民運動をすぐ想起する。まるで日本社会の近未来を描いたようでそら恐ろしくなった。

 

 だが、上記の指摘が当てはまるのは何も「ネトウヨ」に限らない。最近は政権批判側にも同様の弊害が強く見られるようになった。集団内での相互批判がためらわれる状況だ。これは、かつての連合赤軍事件に見られる通り、いわゆる「極左」には昔からあったが、その悪弊がかつては「百花斉放百家争鳴」を地で行っていたリベラル派*3にも及んでいる。

 その悪弊が端的に表れたのは、最近ほかならぬ星野智幸Twitter*4で言及した堤未果への(間接的な)批判だ。星野氏はもちろん堤氏を批判したのだが、その批判がなかなか「リベラル・左派」界隈で広がらない。その一因として『しんぶん赤旗』のコラム*5が昨年末に、問題となった堤未果の著書を肯定的に評価したことがあるのではないか。同様の例は枚挙に暇がなく、他にも孫崎享のような反米右翼的な人士が共産党とつるんでいたりする。

 そんな今こそ、『呪文』は読まれるべき本だ。解説文で作家の窪美澄氏は

平成が終わる年にこの物語をたくさんの人に読んでほしい。心からそう思う。(248頁)

 と書いているが、私には「平成が終わる年」を過ぎても現在の「崩壊の時代」が簡単に終わるとは思えない*6から、その限定を外した上で窪さんに同意する。

 ところで、窪さんはこの小説に出てくる、ある重要な登場人物の属性についてある思い込みをされていたことを解説文に記しているが、私は同じ登場人物についてその逆の思い込みをしていた。河出書房新社の編集者が指摘したところによると、著者はその属性を限定する表現をしていないという。読者がそれぞれ勝手な思い込みをしていたわけだ。窪さんは

○○○は巧みに隠されている。やられた、と思った。(247-248頁)

と書いたが、これには全面的に同意する。というより、ああ、そうも読めるのか、と気づかされてくれただけでも、窪さんの解説文を読んで良かった。

*1:私はかつてべらんめえ調の言葉を人々の多くがしゃべっていた地域に現在住んでいる。しかし、この地でべらんめえ調をしゃべるのは、もはや年配の人しかいなくなっている。東京の下町でも方言は絶滅危惧種なのだ。

*2:あまりにもあちこちに住んだためにもはや多国籍方言しかしゃべれなくなった私の母語はいちおう関西弁で、それとはアクセントの異なる中国方言を話す岡山(倉敷)には3年半ほどしかいなかったので自信はないのだが。

*3:私見では、日本のリベラル派には経済右派が多いという重大な問題を抱えていると考えているが、反面2000年代前半くらいまではリベラル派内での相互批判は結構活発だった。

*4:https://twitter.com/hoshinot/status/1105032691974430721

*5:https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-12-11/2018121101_06_0.html

*6:「平成が終わる年」の特に改元前後にこそ読まれるべき本としては、原武史の本がまず思い浮かぶ。私は現在長大な『皇后考』(講談社学術文庫)を読んでいるが、昨日は岩波新書の新刊『平成の終焉』を買った。

「長州がつくった憲法が日本を滅ぼすことになる」 〜 城山三郎『落日燃ゆ』を読む

 城山三郎の『落日燃ゆ』を読んだ。

 

落日燃ゆ (新潮文庫)

落日燃ゆ (新潮文庫)

 

 

 A級戦犯として文官ではただ一人死刑(絞首刑)に処せられた広田弘毅を描いた小説で、城山三郎の代表作とされる。

 まず、小説家が書いたこの手の「小説」を読む場合、作者の歴史観を無批判で受け入れる態度は禁物であって、この作品も例外ではない。このことを強調しておきたい。ああ、城山三郎はこう考えていたんだな、と常に意識して読むことだ。

 また、もう一つ指摘しておきたいことは、この小説が書かれた1970年代前半(単行本初出は1974年)は、私の嫌いな元号でいえば「昭和40年代後半」にあたり、当時は今でいうリベラル派の間にも「平和主義者だった昭和天皇」の刷り込みが強烈に行われていた。この小説にもその悪影響が随所に見られる。ちょうど「平成末期」に当たる現在、「リベラルな天皇陛下」の刷り込みがリベラル派の間に浸透しているのと似たような現象だ。『落日燃ゆ』に出てくる昭和天皇に対する敬語に接する度にさぶいぼが出た(=鳥肌が立った*1)ことは書いておかなければなるまい。

 以上書いたように、現在の目から見ればいろいろ割り引いて評価しなければならないから、たとえば私がアマゾンカスタマーレビューを書くなら星5つはつけられないが、それでも星4つはつけるであろう、興味津々の小説ではあった。

 一番良かったのは、広田弘毅が口癖のようにいっていたという下記の言葉だ。

 

 「長州がつくった憲法が日本を滅ぼすことになる」新潮文庫2009年改版191頁)

 

 「長州がつくった憲法」とはいうまでもなく大日本帝国憲法明治憲法)のことで、統帥権の独立を規定したこの憲法大日本帝国を滅ぼした。この史観は正しい。現在、日本会議に代表される極右勢力がこの史観を覆そうと躍起になっていて、彼らに支えられたあの憎んでも余りある安倍晋三が超長期政権を担っていることを思えば、この言葉をキーワードとしているだけでも『落日燃ゆ』が読まれる価値がある。長州出身にして世襲三世で「右翼趣味」紛々の「貴族政治家」ごときに日本国憲法を改変させてはならない。

 また、いくら作者が昭和天皇に敬語を使おうが、庶民階級出身の広田に昭和天皇が冷たく接した事実は覆い隠せない。ネット検索をかけたら、このあたりに佐高信城山三郎の信奉者の一人と思われる)が触れていたので以下に引用する。

 

有鄰 No.477 P3 座談会:城山三郎—気骨ある文学と人生 (3) - 隔月刊情報紙「有鄰」(2007年8月10日)より

(前略)大岡昇平さんの尽力で広田さんの遺族を取材できたことがものすごく大きいですね。 それまで一切取材には応じていなかった。 広田の長男の弘雄さんと大岡さんが幼なじみで、城山なら信頼できるからと説得してくれて、広田の秘書をやっていた三男の正雄さんも取材できた。

だからあの中ですごいエピソードというか、びっくりするような天皇の話があるんですね。 天皇は広田が首相になったときに「名門をくずすことのないように」と言った。 広田は石屋の伜なんです。 それから海軍と陸軍の今年の予算は大体このぐらいだということを天皇が言ったというのが書いてあるんです。

 

 「名門をくずすことのないように」という昭和天皇の言葉は、私が読んだ新潮文庫の2009年改版による2015年65刷では198頁に出てくる。ここからの数頁はこの小説の中でも特に興味深い。こういうところに、いくら作者が昭和天皇に対して過剰な敬語を使って「昭和天皇=平和主義者」の虚飾を書き立てても糊塗し切れない、昭和天皇差別意識が滲み出ている。

 実際、昭和天皇広田弘毅に対する評価は冷淡そのものだったようで、城山史観に対する批判も込めて書かれたと思われる服部龍二(この人も保守派の学者だが)の『広田弘毅』(中公新書)にも下記の記述があるようだ。

 

blogs.yahoo.co.jp

 「広田の無為無気力」(「宇垣一成日記」)、「あきれるほど無定見、無責任である。…一九三六年のはじめころから、広田は決断力を失ったのではないかと思う」猪木正道この記述に対し、昭和天皇は、「(広田についての記述は)非常に正確である」と中曽根首相に語ったという)、「広田は其名の如くに毅ならず、薄弱なり」(近衛文麿)。本書に引用されている広田評は、「落日燃ゆ」の主人公とはまるで別人だ。
 
(ブログ『風船子、迷想記』2008年10月14日)

 

 なお、私にとっても広田弘毅は印象の強い人ではなかった。たとえば一昨年に読んだ松本清張の『昭和史発掘』でも広田への言及は記憶に残っていない。ネット検索をかけたら下記の清張による広田評がみつかった。

 

www.c20.jp

広田は福岡出身。頭山満玄洋社の流れをくむが、それほど右翼的ではない。 はっきりしない性格だから、軍部もロボットにするつもりで賛成したのだ。 外相としての広田は、実務は次官の重光に任せきりだった。

松本清張『昭和史発掘』第12巻10頁)

 

 上記引用文中に「第12巻」とあるが、全9巻の新装版では第8巻に当たるはずだ(本が手元にないので頁数は不明)。

 『落日燃ゆ』に話を戻すと、小説の終わりの「マンザイ」のくだりが印象的なのだが、これに対しても史実ではなく城山三郎の創作だとの強い批判が作品の初出当時からあったようだ。以下、小谷野敦氏の「はてなダイアリー」の記事から引用する。
 

「漫才」論争の珍 - 猫を償うに猫をもってせよ(2008年9月28日)より

 『小説新潮』九月号に「広田弘毅は『漫才』と言ったのか」という特集記事があった。これは城山三郎『落日燃ゆ』の最後で、A級戦犯らが絞首刑に処せられる前に松井石根らが「天皇陛下万歳」を唱えていると、後から広田が板垣征四郎などと一緒に来て、教誨師花山信勝に「いま、マンザイをやっていたのですか」と訊いたという記述である。花山は始め分からずにいたが、「ああ万歳ですか、それならやりましたよ」と言い、広田は板垣に、あなた、おやりなさい、と言い、板垣と木村が万歳三唱をしたが、広田は加わらなかったというところである。城山はこれを広田の「皮肉」ととらえている。

 この話は、北一輝二・二六事件の後で処刑される際、他の者が「天皇陛下万歳」を唱えていたのに、北は「天皇、マンザイ」と言ったという伝説を想起させる。

 さて、1974年の刊行当時、平川祐弘先生がこれに異を唱えて、花山の『平和の発見』にこの記述はあり、最後に一同で万歳三唱を行ったとあるが、広田が加わらなかったとは書いてなく、「マンザイ」というのは方言に過ぎない、とした。城山はこれに反論して、自分は関係者に取材したのであり、信念は微動だにしない、と答えた。

 この二文は当時『波』に載ったもので、それが再録され、梯久美子の感想文がついている。平川先生は広田の息子の広田弘雄氏にも訊いてみたが、広田が皮肉を言うような人とは思えないが、何分その場にいたわけではないので、と言われた、と書いている。

 しかるに、最後の万歳三唱に加わったかどうか、これは歴然たる物理的事実であって、皮肉かどうかという解釈の問題ではない。さて城山は「花山信勝の観察と記述には、疑問がある」と書いている。(後略)

 

 小説の全篇でももっとも印象的なこの巻末のエピソードも、どうやら眉に唾をつけて読んだ方が良いようだ。こういうことがあるから、最初に書いたように「これは小説家の書いた小説だ」と割り切って読む態度が求められる。

 とはいえ広田の戦争責任が死刑に相当するかは大いに疑問で、有期刑が相当だっただろうことには争う余地がないように思われる。『落日燃ゆ』では広田が死刑を覚悟していたかのように書かれているが、実際には広田自身も有期刑を予期していたらしい。

 小説発表後のことだが、広田は死後30年経って靖国神社に合祀された。このことに対する遺族の反応を、2015年の産経新聞記事から拾っておく。

 

靖国神社を考える(1)「A級戦犯」遺族ら、苦悩と葛藤(3/7ページ) - 産経ニュース

 

 「祖父は、軍人でも戦死したわけでもない。菩提寺(ぼだいじ)で十分だと考えており、合祀してほしくないという気持ちはあります」

 A級戦犯の中で文官として唯一処刑された広田弘毅の孫、弘太郎(77)はこう語る。小学4年生だった23年11月、死刑判決を伝えるラジオ放送に両親は泣いていた。

 「これが最後だ。できるだけ顔や言葉を覚えておきなさい」

 両親に連れられ、刑執行前に祖父と面会した。ガラス越しにかけられた言葉は「体に気をつけて勉強しなさい」だった。

 外交官として生き、激動の時代に首相、外相を務めた祖父。指導者の一人として戦争責任はあると感じているが、それは東京裁判が根拠ではなく、国民への倫理的な責務としてだ。

 今、弘太郎は願う。

 「首相は靖国公式参拝すべきだし、陛下は、行かれずとも御霊(みたま)を追悼しておられると思いたい」

 靖国は、弘太郎にとっても重要な場所だ。

 「国のために尽くした方々に慰霊の誠をささげる場所は靖国しかない。戦没者靖国に祭られることを願って死んだ。この事実は消せない」

 

(産経ニュース 2015年8月16日)

 

 上記産経記事から受ける印象は、下記ブログ記事に引用されている、同じ広田弘太郎氏が2006年にテレビ朝日のインタビューに答えた記事から受ける印象とはずいぶん違うのだが、それがメディアの違いによるのか9年の歳月によるのかその両方なのかはわからない(両方のような気がするが)。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 今回の記事は、あるいは『落日燃ゆ』を読んで感激された方を興醒めさせてしまったかもしれないが、小説には創作の部分がありがちであることを念頭に置きつつ、著者の史観を無批判に受け入れない態度を持ってさえいれば*2、十分に読む価値のある名作だと思う。

*1:この言葉は、現在では肯定的な意味に用いられることが多いらしいが、私の青年時代までには否定的な意味にしか用いられなかった。

*2:たとえば「小沢信者」が小沢一郎の評伝を書いたらどんな中身になるかを想像すれば、私のいいたいことはおわかりいただけるのではないだろうか。

早乙女勝元『螢の唄』と東京大空襲

 東京大空襲を題材にとったこの小説は3年前に新潮文庫入りした時買おうと思って買いそびれたのだが、東京大空襲の日である3月10日の日曜日に図書館で借りて、翌3月11日(東日本大震災の日)から読み始めて3月13日(大阪大空襲の日)に読み終えた。もとは映画の原作だそうだ。

 

蛍の唄 (新潮文庫)

蛍の唄 (新潮文庫)

 

 

 ここではあらすじの紹介は省略し、代わりに著者の早乙女勝元が先日語った言葉を朝日新聞デジタルの記事から引く。有料記事の無料部分のみの引用。

 

https://www.asahi.com/articles/ASM34578YM34UEHF005.html

 

早乙女勝元さんが語る東京大空襲「核並みの被害だった」

西村悠輔 

 

 「焼夷(しょうい)弾攻撃だけで一夜にして10万人もの人が亡くなったというのは、核兵器の被害と何ら変わらない。通常の火薬兵器でも核並みの被害を出すんです」。そう語るのは、作家の早乙女勝元さん(86)。館長を務める東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)によると、原爆被害を除く全国の空襲による民間人の死者数は、東京23区と約530市町村で推定約20万3千人に上る。2014年11月に地域史を調べて積み上げた数字で、これは二つの原爆で亡くなった犠牲者(広島14万人、長崎7万人)に匹敵するという。

ジュラルミンの巨体が超低空で…

 12歳の時、東京大空襲を経験した。あの夜のことを、こう著書に記す。

 《黒煙と火焰(かえん)の裂け目から現れるB29は、驚くばかりの超低空で、ジュラルミンの巨体に地上の炎群が、まだら模様に映えている。ドドドッ、ズズズッという石油タンクが爆発するような怪音。火焰を吸いこんだ突風が迫ってくる》(2018年出版『その声を力に』から)

 1945年3月10日未明、早乙女さんは墨田区向島にあった自宅から、父母と姉とともに、リヤカーに寝具や衣類、調理道具などを積んで避難した。火の粉が街を覆い尽くし、幼子の横で火の塊となりもがく男性。近くにいた家族の姿が見えなくなり、火柱と化した電柱が迫り来る寸前に、炎の隙間から飛び込んできた父に救われた。

教科書になかった大空襲の記述

 1970年に発足した「東京空襲を記録する会」に、早乙女さんは発起人の1人として加わった。背景にはベトナム戦争があった。60年代後半、沖縄の米軍基地を飛び立ったB52爆撃機がたびたび北ベトナム空爆。下町で反戦集会に携わるなか、教科書では広島・長崎の原爆に触れても、東京大空襲の無差別爆撃に関するくだりはほとんどないことに気づいた。首都最大の受難史ともいえる惨禍の記憶を後世に伝えたい。その思いは「記録する会」の結成につながった。

朝日新聞デジタルより)

 

 早乙女氏の著書では、今回読んだ小説も良かったが(特に後半部には引き込まれた)、岩波新書から出ている『東京大空襲』(1971)が半世紀前の古い本だが必読だ。

 

東京大空襲―昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775)

東京大空襲―昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775)

 

 

 以上簡単だが、74年前に東京や大阪で空襲のあった時期にエントリを上げることにした次第。

星野智幸『ファンタジスタ』を読む

 星野智幸の中篇集『ファンタジスタ』(集英社文庫2006)を読んだ。集英社文庫版(2006)は、今時の新潮文庫講談社文庫や光文社文庫などと違って文字が小さかったが、大きな文字の版が出ていないのでそれは仕方がない。この中篇集には「砂の惑星」(雑誌初出『すばる』2002年2月号)、「ファンタジスタ」(同『文藝』2002年冬季号)、「ハイウェイ・スター」(同『すばる』2002年12月号)と、2001年から翌年にかけて書かれた3つの作品が雑誌初出順に配列されている。下記のアマゾンのリンクは単行本に張られている。

 

ファンタジスタ

ファンタジスタ

 

 

 星野智幸作品を読むのはこれが3冊目で、いずれも今年に入ってから読んだ。最初が『俺俺』(新潮文庫2013, 単行本初出:新潮社2010)で、次が『目覚めよと人魚は歌う』(新潮文庫2004, 単行本初出:新潮社2000)だった。このうち『俺俺』にはこのブログの下記記事にて少し触れた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 3冊のうち一番読みやすいのは『俺俺』だろう。星野智幸は基本的にエンターテインメント系の書き手ではないので「難解」と評されることもあるが(私が読んだ3冊のうちでは『目覚めよと人魚は歌う』が典型例)、政治的なモチーフが用いられる作品が多いのでなかなか興味深い。今回読んだ中篇集では、表題作の「ファンタジスタ」が特にそうだった。

2作目の題名になっている「ファンタジスタ」という言葉について、以下「はてなキーワード」から引用する。

 

d.hatena.ne.jp

イタリア語の名詞(fantasista)。語源はイタリア語で空想、霊感を意味するファンタジーア(fantasia)。

元々は、ウィットに富みアドリブの効いた即興芸が得意な舞台役者や大道芸人を指す言葉。あるいはファンタジーアを感じさせる者。

転じて、創造性豊かなインスピレーションと並外れたテクニックを持ち、世界のトップレベルにおいても、フィジカルに頼ることなく1つのプレーで局面を変えてしまう優れたサッカー選手を意味する。

戦術主義のアンチテーゼとしての側面も持っている。

世界共通の概念ではなく、国や人によって様々な解釈がある。

 

 そう、「ファンタジスタ」とはサッカー小説なのだ。前記の通り、雑誌初出は河出書房新社の文芸誌である『文藝』の2002年冬季号だが、この号は10月に発売される。つまり、2002年に大きな話題となった日韓共催サッカーワールドカップが終わった4か月後に発表された。

 集英社文庫版の巻末に「批評的な魔術」と題された、いとうせいこう氏の解説文がついているので、まずそこから引用する。

 

(前略)君が代を「棄民が世」と歌わせる『砂の惑星』、カリスマ政治家がアジアを “各民族の共存共栄みたいなAリーグの理念” で覆ってしまおうとする『ファンタジスタ』、“あのお方こそが自然” だと言われる人物が登場する『ハイウェイ・スター』。

 どの作品も「天皇」を見え隠れさせながら進むのだが、その度使われる虚構はひとすじ縄ではいかない。

星野智幸ファンタジスタ集英社文庫2006, p.236-237)

 

 いとう氏はこう書くのだが、「砂の惑星」や「ハイウェイ・スター」はともかく、「ファンタジスタ」を読んだ多くの読者が作中人物の「長田」から第一に連想するのは、天皇ではなく当時の宰相・小泉純一郎(以下「コイズミ」と表記する)だろう。「砂の惑星」の「棄民が世」は強烈だし、『目覚めよと人魚は歌う』にも作中作の人名として「アキヒト」と「ミチコ」が出てくるが、「ファンタジスタ」の長田は誰がどう読んでもコイズミだ。ましてや作品の成立時期(2002年)を念頭に置いて読めば、コイズミを連想しない方が難しいのではないか。その長田が大東亜共栄圏もどきの理想を唱えて「本土決戦」からやり直す、などと物騒なことを言い、それにもかかわらず熱狂的に国民から支持されているという設定になっている。このことは、出版元の集英社のサイトに掲載されている惹句を参照しても明らかだ。

 

books.shueisha.co.jp

 

 そう、この作品で描かれているのは「ファシズムの空気」なのだ。その空気は2002年以上に今の日本を濃厚に覆っている。

 

 もちろん長田はコイズミばりの新自由主義者であり、下記のような強烈な「自己責任論」をぶちかます。以下小説から引用する。

 

 (首相公選での当選を=引用者註)祝福してくださるのはこのうえない幸福ではありますが、本当に満足していただくのは、これから先、厳しい政策を実行し、そこを生き抜いてもらってから、ということになります。(前掲書p.167)

 

 リアルの小泉純一郎は「そこを生き抜いてもらってから」とは決して言わなかったが、コイズミの政策の本音がそこにあったことはいうまでもない。

 もちろん虚構だから、長田とコイズミとの違いは少なくない。何といっても小説では長田は元サッカー選手という設定だ。さらに、驚くべきことに作者は長田(=コイズミ)に対置する人物として、2002年当時にはサッカーファン以外にはその名前が知られていなかったであろう澤穂稀を対置していた。そのことを知ったのは、読後にネット検索をかけた時で、作者・星野智幸自身が女子サッカーW杯に日本が優勝した2011年に書いたブログ記事が検索にヒットしたのだった。以下引用する。

 

http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/07/19/5963157

 女子サッカーを見始めた10年前、強豪国であったのは、王者アメリカ、ドイツ、スウェーデン、カナダ、中国、北朝鮮などであった。この名前を見ていて気づくのは、北方の欧米諸国か、東アジアの社会主義国だということだ。両者に共通するのは、女性の社会進出が相対的に進んでいるという点である。
 女子サッカーの隆盛は、フェミニズムとともにある。女子サッカー文化の発展を牽引しているアメリカは、性差別を超えるプログラムの一環として、女子サッカー教育に力を入れた。その結果、女子サッカーアメリカでは、「女こども」がするスポーツとなった。同様に、フェミニズム先進国であるドイツやスウェーデン、カナダといった北方の欧米諸国で、女性たちが積極的に関わってきた。男女同権が党是である「共産主義国」の中国や北朝鮮では、その国家主義的強化もあって、いち早く強豪化した。そこで隆盛化したのは、力と体格を前面に押し出すパワーサッカーだった。男子サッカーと違って、ヨーロッパにせよアメリカ大陸にせよ、マチスモの色濃いラテン諸国(ブラジルを除く)がいまいち強くないのは、そのような成り立ちも関係している。日本の女子サッカーはまず、身近にいる中国や北朝鮮の打倒を目指して成長し、さらにアメリカやドイツのリーグでプレーすることで成長した。パワーの先進諸国に育てられて、パワーではない新しいあり方を開花させた、妹分なのだ。
 9年前に日本女子の代表をスタジアムに見に行ったとき(ワールドカップ予選のプレーオフ、対メキシコ戦)、そのチームは技術はなかなかだけど、球のスピードも遅いし、走力もないし、ミスも多かった。にもかかわらず、とても胸を打たれて、魅了されてしまったのは、男子サッカーが持たない「熱さ」を持っていたからだ。サッカーをすることの喜びに満ち、その喜びを貪り尽くそうと、ものすごく必死だった。
 今度の優勝を見ればわかるように、今のチームもその延長上にある。熱さと喜びへのかぎりない貪欲さこそが、人々を魅了したのだ。
 そして、ここが重要なのだが、これは男社会に最も欠落しているものだ。女子サッカーは、たんに、男子のしていたサッカーを女性がしているのではない。その文化の根っこに、男社会の持つ無意味さや空虚を否定する要素を持っていて、それが大きな原動力のひとつとなっている。この場合の男社会とは、もう機能しなくなっているのにその権限の保持だけに必死になっている既得権益層(例えば一部の行政機関、政府、行政と結びついた私企業等々)と言い換えてもよい。そしてそれを消極的に無為に受け入れ維持させてしまう、この社会。そういった、日本社会の「現実至上主義」のメンタリティを指す。男子のサッカーはそれに寄り添っているところがある。女子のサッカーはそのアンチテーゼだ。
 私はそのようなものとして、女子サッカーを、ありうべきひとつの未来のイメージとして、楽しみ、考え、見てきた。その象徴にして実像が、澤穂希だ。そうやって、2002年に「ファンタジスタ」という小説も書いた。9.11 後の小泉(首相)的社会に対置させるべき像として、澤を想像した。
 私は現実の日本女子サッカーに、過剰な意味づけをしているとは思う。選手はそんなことまで意識していないし、もっとシンプルに行動している。でも、私が幻想を抱いているわけでもない。女子サッカーという存在は、本当にそのような要素を持っているのだ。
 だから、私はごく少数の人を除いて、今の喜びを共有はしない。少なくとも、女子サッカー文化を知ろうともせずに、数ある「日本代表」のひとつとしてのみ消費して「感動」しようとするような空気に対しては、関係ないねと言いたい。女子サッカーの文化を蹂躙するようなメディアの盛り上がり方には、「おまえら終わってるよ」と言いたい。(だから私自身は「ナデシコ」という名称も使わない。その名称が普及に大きな役割を果たしていると思うし、だから選手も好んで使っていることも承知しているけれど)。
 この優勝の盛り上がりに、女子サッカーがメジャー化するという希望と、何だか水を差したくなる嫌悪と、両方を感じてしまう。被災で弱った社会が、ここから力を受け取るのは素晴らしいと思う。選手たちがその祈りを胸に戦ったことにも間違いなく心を打たれる。一方で、被災や復興を口実に盛り上がるな、と腐したくもなる。作り物のニセの感動物語を真に受けるな、と言いたくもなる。

(『星野智幸 言ってしまえば良かったのに日記』2011年7月19日)

 

 なんと星野智幸は2002年に澤穂稀を小泉純一郎に対置する小説を書いていた。これには驚嘆させられた。澤に当たる作中人物は「ワカノ」という名前だ。もちろん2011年の女子サッカーW杯の結果とそれに伴う「フィーバー」を覚えている私は、澤穂稀らいわゆる「なてしこジャパン」を思い出しはしたが、意図的に「澤をコイズミに対置」していたとまでは思わなかった。

 興味深いのは、長田はリアルの小泉純一郎とは違って結構リベラルだし、サッカーの地位もリアルの日本より高いし、国際政治における日本のあり方もリアルの従米一辺倒とは全然違うことだ。

 例えば、長田は昭和天皇の戦争責任を追及すべきだとの立場をとる。以下再び小説から長田の言葉を引用する。

 

(前略)今後も民主主義で行くことを表明するのなら、昭和天皇の戦争責任について、世界、特に日本の周辺諸国に向け、ぼくたちの考えをきちんと発表すべきでしょう。(前掲書p.170)

 

 また、作中でのサッカーの地位や日米間の距離を表した箇所も引用する。

 

(1970年代前半に)野球が急激に衰退し、サッカーに人気の王座を奪われた。(同p.112)

 

(80年代に入ると)いまこそアメリカ標準から世界標準へ、という国内の気分に合わせるように、日本サッカー協会が日本フットボール協会と名称を変更したのを機に「サッカー」という呼び名は廃れ「フットボール」が一般化。(同p.113)

 

 いかがだろうか。靖国参拝に執着し、政権最後の年となった2006年に「終戦記念日靖国神社参拝」を実行し、訪米してはブッシュの前で恥ずかしい猿踊りをして見せた、従米右翼系新自由主義者だったリアルの小泉純一郎とは違って、長田は「リベラルな新自由主義者」だし、作中に描かれた日本なら孫崎享も「自主独立的」だと絶賛するのではなかろうか。

 リアルのこの国では、コイズミが従米右翼の態度を改めたわけでもないのに、「脱原発」を言い出しただけで、2014年の東京都知事選などでコイズミになびく「リベラル」が続出した。それどころではなく、明らかな極右にして強烈な新自由主義者である小池百合子に対して、2016年の東京都知事選で「宇都宮健児さんが出馬しないのならいっそ小池さんを」などと応援する「共産党信者系」の「左派」が続出し、翌2017年の東京都議選では共産党までもが小池百合子に対する批判を手控えて事実上「都民ファーストの会」を助けたりするなどの惨状を呈した。このように、コイズミや小池百合子にさえ併記で迎合するこの国の「リベラル・左派」の姿を思えば、リアルで「ファンタジスタ」の長田のような人物が現れたら、この国の人たちが「右」も「左」もなく熱狂することはほぼ間違いないと思われる。

 それを批判的に描いたのが「ファンタジスタ」であり、この小説が書かれたのは2002年だった。

 やはり星野智幸とは只者ではない。そう思わせるに十分な中篇集だ。

金子夏樹『リベラルを潰せ』を読む

 正直言って国際政治には無知もいいところなのだが、ウラジーミル・プーチンという人間は昔から大嫌いだ。KGBにいた後ろ暗い過去、2006年のリトビネンコ毒殺事件をはじめとする数々の殺人事件にプーチンの関与があったのではないかと疑っていること、さらにはプーチンのロシアの強権的な手法などなど、ネガティブな材料ばかりで到底肯定的に評価できないからだ。

 しかもプーチン安倍晋三ともトランプとも妙に馬が合う。安倍晋三など北方四島をロシアに「割譲」しかねない勢いで、しかもプーチンになってからロシアは択捉島国後島の実効支配を強め、軍事施設の建設を進めるなどやりたい放題だ。私は北方四島が日本の「固有の領土」であるという日本政府の主張自体には疑問を持っているが、北方四島でのロシアの軍事施設の建設には強く反対するものであって、そもそも沖縄の米軍基地であろうが北方四島のロシア軍基地であろうが、日本の国境近くに戦争を引き起こしかねない基地は全部撤去すべきだというのが私の立場だ。プーチンがやっているのは日本の喉元に匕首を突きつける行為そのものだと思う。一方で、北方四島は自然の宝庫でもあるから、知床の世界自然遺産北方四島とウルップ島に拡張せよという、かつてソ連末期や新生ロシア初期にロシア側から言い出した案への支持を唱え続けている。安全保障と自然保護の一石二鳥というわけだ。安全保障についていえば、いい加減人類は国境近くを緩衝地域にするくらいの知恵を身につけるべきだろう。いずれにせよ、拡張主義的な野心をむき出しにするプーチンは絶対に許せないと思っている。

 そのプーチンの保守反動性を指摘する本を読んだ。

 

リベラルを潰せ ?世界を覆う保守ネットワークの正体 (新潮新書)

リベラルを潰せ ?世界を覆う保守ネットワークの正体 (新潮新書)

 

 

 出版元が新潮社だし、上記リンクの画像に「佐藤優氏、推薦!」という帯がついているなど、警戒しつつ読んだが、この本を読む限り、「労働問題や経済には関心が薄いけれどもLGBTなど多様性の問題は熱心」と思われる日本のリベラルは、後者について文字通り保守反動的な姿勢をむき出しにするプーチンに対して厳しい目を向けて当然ではないかと思わずにはいられない(現実には「リベラル」と「安倍信者」の双方がプーチンに大甘であることに対して私は強い不満を持っている)。ただ、日本経済新聞社に所属する著者のスタンスは曖昧で、プーチンに対して一貫して「保守反動」という言葉を使っていることから著者がリベラルの立場に立っていると思いきや、巻末になって突如保守派に理解を示すような記述が出てくるなど、著者のスタンスがぶれているとしか思えなかった。

 まず、出版元・新潮社のサイトから引用する。

 

www.dailyshincho.jp

増えるパートナー制度

 千葉市は今月、生活をともにする二人を夫婦と同じような関係の「パートナー」と公的に認める新制度を導入する。この「千葉市パートナーシップ宣誓制度」は、対象をLGBTなどの性的少数者に限らず、事実婚カップルなども申請できるのが特徴だ。
 市は今月29日にパートナーシップ宣誓証明書交付式を予定しており、HPで宣誓希望者を募集している。

 こうした制度は欧米の先行例を参考にしたものなのは言うまでもない。しかし一方で欧米には、こうした流れに抗い、活動する団体もまた存在することはあまり知られていない。その団体は本拠をアメリカ・イリノイ州に置く「世界家族会議(World Congress of Families)」。
 彼らは決して少数派ではなく、トランプ大統領の岩盤支持層ともなるほどの存在感を示している。

 彼らは一体、何者なのか。長年取材してきた金子夏樹氏(日経新聞記者)の新刊『リベラルを潰せ――世界を覆う保守ネットワークの正体』をもとに紹介しよう(以下、「」内は同書より引用)。

 

ナチュラル・ファミリー以外を排除

「世界家族会議は日本ではなじみが薄いが、世界各地で隠然たる影響力を持つNGOでもある。『伝統的な家族観を守る』という主張を掲げ、その賛同者は世界に広がっている。米国のジョージ・ブッシュ(子)元大統領はこの団体にあてたメッセージで、『あなた方の努力は世界をより良くしています』と称賛している。

 世界家族会議が掲げる『伝統的な家族観』とは聞こえは良いが、言外に込められた意味があることに注意が必要だ。伝統的な家族は男性と女性による結婚とその間に産まれる子どもという、狭い意味での家族に限られる。同団体がホームページなどに掲げるロゴは、男性と3人の子どもたち、そして女性が手をつないだものだ。よく見ると女性はもう1人の子どもをお腹に宿しているようにも見える。世界家族会議はこの家族を『ナチュラルファミリー(自然な家族)』と表現し、これのみを各国の政府が守るべき対象とする。
 ナチュラルファミリーを絶対視すると同時に、世界家族会議は、同性カップルを排除すべき対象とみなしているのだ」

 この世界家族会議は、アメリカ最大の宗教勢力であるキリスト教右派の思想を海外に広める組織だという。彼らは聖書を根拠にLGBTの権利拡大を嫌い、人工中絶にも反対し続けている。

聖書に書いてある

キリスト教文化の伝統を大事にしてきたかつてのアメリカでは、同性愛は最悪の性行為の1つとみなされてきた。その根拠も聖書の言葉にある。『女と寝るように男と寝るものは、2人とも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう』(旧約聖書レビ記20章13節)。

 旧約聖書の創世記で神が男(アダム)と女(イブ)を創り出したことを重視し、男性と女性は結ばれて一心同体になるととらえるのだ。『神はアダムとスティーブンを創造したのではない』(米国の保守系牧師)というわけだ」

 こうした考え方は、キリスト教の専売特許ではない。イスラム教の聖典コーラン」にも「2人の男が互いに不道徳な行為を行った場合、その両方を罰する」という記述がある。
そのため宗教右派たちは反リベラルを旗印に、国や宗派といった枠を超えて団結している。
 彼らの結集の場となっているのが「世界家族会議」なのだ。実際に、北米や欧州・ロシアを中心に、35の有力NGOが世界家族会議のパートナーとなり、ロシアのプーチン政権とも緊密な関係を保っている。
 実はトランプ大統領プーチン大統領との接点は、こうした保守的な思想にあるという見方もあるのだ。

 欧米の人権団体による憎しみを世界に輸出する団体といった批判も強いものの、この世界家族会議に集まる予算規模は年間で総額2億ドルを超えるという。

「台湾でも2017年から同性婚の容認をめぐる議論が高まるなど、対立の火種はアジアにも波及しています。『世界家族会議』は間違いなくアジア、そして日本を視野に入れているはずです」と金子氏は警鐘を鳴らしている。

デイリー新潮編集部

(デイリー新潮 2019年1月21日)

 

 実際、『リベラルを潰せ』で紹介される「世界家族会議」のあり方から強く連想されるのは日本で近年話題に上ることが多くなった「日本会議」であり、年々保守化を強めるプーチン安倍晋三(やトランプ)との馬が合うのはさもありなんと思えてしまう。

 『リベラルを潰せ』はほとんど話題になっていない本のようだが、ネット検索をかけると元新潟大学保守系の学者と思われる三浦淳氏のブログから引用する。少なくとも記事の初めの方は本の内容の良いまとめになっているし、違和感の多い後半も私がリベラル側から違和感を持った部分を保守の側から評価しているあたりが面白いと思った。

 

blog.livedoor.jp

評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1978年生まれ、筑波大卒、日経新聞勤務。

 ロシアや米国で、LGBTや中絶を擁護するリベラルへの批判を行う保守派の動きが顕在化しているが、その組織である「世界家族会議」の実態やネットワークを紹介した本である。

 基本的には伝統的なキリスト教倫理観を前面に押し出すイデオロギーに依拠しており、これがロシアならソ連解体後に復活してきたロシア正教、米国ならキリスト教原理主義などと結びついてリベラルの動きを封じようとしている、ということである。伝統的な父権主義による父母と子供たちによる家庭をあるべき姿と考え、同性婚や中絶には反対の立場をとる。

 そして「世界家族会議」は第一回総会が1997年にプラハで開かれているが、この時点で40ヵ国から約700名が集まったという。2016年時点で35の有力NGOがこの会議のパートナーとなっており、年間予算規模は総額で2億ドルを超える。

 またこうした動きは政治家や各国の政治情勢とも結びついている。プーチンにしても、最初から現在のような右派だったわけではなく、ソ連解体直後には西欧民主主義的な方向性をとっていた。ところが東欧諸国が雪崩を打ってNATOに加盟していく中で(ロシア側の言い分では、これは西側の約束違反であるという)ロシアは危機感を強め、ソ連以前の伝統的な価値観やロシア正教と結ぶことで一般民衆の支持を拡げていく戦略を取るようになっていったのだという。

 ハンガリー、シリア、ウクライナなどの動向、またイスラム圏諸国の動きともこうした保守主義の運動は関わりを持っているのであり、単なる家族問題や中絶問題にはとどまらず、広く世界政治の流れにも影響を与えているのだ。

 ロシアの保守主義については「ユーラシア主義」の流れを紹介してその関連を探る試みもなされている(187ページ以下)。要するにリベラルの主張する個人主義には限界があるとして、家族や民族といった共同体の中に個人の意義を位置づけるという思想なのである。

 記述は整理されていて具体的であり、非常に分かりやすい。日本ではキリスト教の勢力が弱いから世界家族会議の動向もあまり知られていないが、そういう意味では貴重な本である。また最後近くには日本の保守主義者の家族観についても取材がなされている。

 というわけで悪くない本だけれど、若干の疑問点を挙げるなら、まず著者の言葉遣いである。世界家族会議の動きを「保守反動」と一貫して呼んでいるのだが、「保守」はいいとして「反動」はどうだろうか。「反動」とは、進歩主義から来る用語であり、世界は自然科学の法則のごとくに特定の方向に進歩していくもので、それに合わないものは「歴史の法則」に反するから叩かれて当然というような考え方から出てきている。しかし今どき、歴史の動きを自然科学の法則と同じと考える人間はあまりいないだろう。

 以上のような疑問は、つまりは著者が近代思想をどの程度押さえているかという疑問に直結する。ある箇所では個人主義の超越という思想を「ファシズムと共通点が多い」(192ページ)としたかと思うと、別の箇所では伝統主義を「ファシズムの源流」(199ページ)と言っている。しかしファシズムが出てきたのは「民族自決主義」に基づく民主主義の潮流の中においてであったこと、つまり「近代の超克」という思想こそが近代主義の一種であったことを著者は見落としている。近代の民主主義は同質者(例えば「同じ民族」「同一宗教」)の集合体においてこそ可能となるとされたのであり、そこからファシズムも生まれてきたのであって、古い「伝統的な帝国」であれば異質のものの集合体が「皇帝」によって統治されるからファシズムは起こらない(だから最近は逆に「帝国」が再評価されたりしている)。

 著者は「あとがき」では自分の立場は中立であり、リベラル派への警鐘として本書を執筆したと語っている。であれば、例えば中絶問題については通り一遍の「リベラル=中絶賛成=先進国の常識」といった図式にはそれなりに留保をつけるべきではないか。

 以下は私個人の意見だが、中絶とは人殺しと同じであり、人殺しを「女性の権利」などと言う輩は頭がおかしい。死刑に反対するくらいなら中絶に反対すべきだ。なぜなら死刑になる人間は(冤罪の場合を除いて)重罪を犯しているのに、胎児は犯罪行為などこれっぽちも犯してはいないからである。「中絶賛成、死刑反対」を叫ぶ人間はまともな知的能力を持たないというのが私の持論である。

 また米国でも、リベラル派のビル・クリントン政権も「家族の価値」は重視していたし、オバマ前大統領も、権利としての中絶はいちおう認めてはいたが、なるべく中絶しないで済むような社会をとも言っていた。つまり、「中絶=リベラル=いいこと」「家族の大切さ=守旧的価値観=ダメ」というような図式では済まない部分があるということだ。

 もっとも、日本における「子供を持たない」ことと「生産性」の議論について紹介した箇所(232ページ以下)では、「生産性」の意味が保守派とリベラル派でズレていると冷静に指摘していて、悪くなかった。こうしたキレが他の箇所にも見られれば、名著と呼ぶに値する本になったと思う。

(『隗より始めよ・三浦淳のブログ』2019年2月5日)

 

 ここで保守派の三浦氏は、

著者は「あとがき」では自分の立場は中立であり、リベラル派への警鐘として本書を執筆したと語っている。

 と書いたが、本から直接引用すると、

 本書はリベラル派への警鐘である。

 保守反動の台頭を許したのは、リベラル派に巣食う問題でもあるからだ。(243頁) 

と書かれており、保守反動に対する批判が著者の基本的なスタンスであるとは認められる。ただ、特に巻末に近いあたりから、唐突に妙に保守派に理解を示し始める印象を受け、そのあたりに著者のスタンスのブレが感じられるのだ。

 なお、私自身もよく括弧付きの「リベラル・左派」という表記でリベラル批判をするが、基本的には人間社会の進歩を信じるリベラル派を自認している。多様性が認められるようになったのは良いことだし、労働者を含む人々が搾取されることなくより良い生活を営むことができる社会に変えていかなければならないというのが私の立場だ。その上で、現在の「リベラル・左派」には後者の観点が弱い、つまり多様性(や反戦平和)には熱心だけれど労働や経済には関心が薄いという不満を常日頃から持っている。

 なお、中絶に対する私の意見は、上記記事に引用されたオバマの立場に近いかもしれない。一方、死刑には絶対に反対だ。

 そういった細部はさておき、少なくともリベラル・左派を自認する人間ならば、ウラジーミル・プーチンを強く批判する立場をとるべきだとの確信はますます強まった。

 最後に、先月上旬、『kojitakenの日記』に引用したツイート2件を再び挙げておく。

 

 

 

 くたばれ、ウラジーミル・プーチン