KJ's Books and Music

古寺多見(kojitaken)の本と音楽のブログ

星野智幸『呪文』を読む

 しばらく前に、私が購読しているブログで下記の文章にお目にかかった。

 

sumita-m.hatenadiary.com

鴻巣さんは「若い彼らは「顔が青いよ」とおなじように、「その答え、ちがいよ」と言ったりするのだろうか?(たぶんそれはない)」という。でも、それはある(少なくとも、あった)と思う。
20年くらい前の1990年代後半、(リンボウ先生風に言えば)「二十五歳以下の、いくらか教養程度の低い(あえて言えば育ちのあまり芳しくない)人たち」*5が何時も、本来なら

 

 

違うよ

 

と言うべきところを、

 

ちげーよ

 

というのを聞いて、その度にうざいぜと思っていたのだけど、リンボウ先生を援用した鴻巣さんのエッセイを読み返して、その謎が解けた感じがした。当時、「違う」がどう訛って「ちげー」に変化したのかが疑問だったのだけど、「違う」じゃなくて「違い」が「ちげー」に変化したと考えれば、話はすっきりする。aiがeeに変化するのは江戸を中心としたべらんめえの基本的な特徴だ。くすぐってえ(くすぐったい)、てめえ(手前)、ねえ(無い)。(後略)

 

(『Living, Loving, Thinking, Again』2019年3月11日)

 

 「aiがeeに変化するのは江戸を中心としたべらんめえの基本的な特徴」というのはその通りなのだけれど*1、岡山弁なんかにも同じ特徴がある。それどころか岡山弁ではoiまでもがeeに変化したりもするのだが、それでもauがeeに変化することは、私の知る限りない*2。でも、「違えよ」という言い方は、確か今年に入ってから3冊読んだ星野智幸(1965年のアメリカ生まれだが、横浜・東京の育ち)の小説に出てきたよなあと思ってたら、4冊目でまた出くわした。

 

呪文 (河出文庫)

呪文 (河出文庫)

 

 

 2015年に書かれ、昨年河出文庫入りした星野智幸の『呪文』の107頁に「違えよ」が出てくる。著者は90年代の終わりには20代前半の首都圏の人(神奈川・東京の人だが『俺俺』など埼玉が舞台になっている小説が複数ある)であり、かつ「違えよ」という言葉を発したのは、「二十五歳以下の、いくらか教養程度の低い(あえて言えば育ちのあまり芳しくない)人たち」にまさに該当しそうな登場人物。なにしろ地域のカリスマに入れ揚げている「信者」なのだ。

 『呪文』の作品紹介を、出版元の河出書房新社のサイトから引用する。

 

www.kawade.co.jp

  • 寂れゆく商店街に現れた若きリーダー図領は旧態依然とした商店街の改革に着手した。実行力のある彼の言葉に人々は熱狂し、街は活気を帯びる。希望に溢れた未来に誰もが喜ばずにはいられなかったが……。


    さびれゆく商店街の生き残りと再生を画策する男、図領。
    彼が語る「希望」という名の毒は、静かに街を侵しはじめる。

    「この本に書かれているのは、現代日本の悪夢である。」――桐野夏生

    【あらすじ】
    さびれゆく松保商店街に現れた若きカリスマ図領。悪意に満ちたクレーマーの撃退を手始めに、彼は商店街の生き残りと再生を賭けた改革に着手した。廃業店舗には若い働き手を斡旋し、独自の融資制度を立ち上げ、自警団「未来系」が組織される。人々は、希望あふれる彼の言葉に熱狂したのだが、ある時「未来系」が暴走を始めて……。揺らぐ「正義」と、過激化する暴力。この街を支配しているのは誰なのか? いま、壮絶な闘いが幕を開ける! ◎解説=窪美澄

 

 『呪文』は、「信者」や「暴走」、あるいは「同調圧力」「洗脳」「総括」「自己責任」などがキーワードになる、強い社会的・政治的メッセージを打ち出した作品で、私は『俺俺』(2010)よりもっとわかりやすいな、小説家がこんなにストレートに書いてしまって良いのかと一読して思ったのだが、アマゾンカスタマーレビュー『読書メーター』を覗いてみると、作者が何を言いたいのか分からないとか、この作品は未完なんだろう、続編を待ちたいなどという感想が多く、特に「続編があるんだろ?」という反応にはびっくり仰天してしまった。

 ネット検索をかけると、単行本初出直後に文春オンラインに載った著者インタビューが2件引っかかった。これらを読んで、ああ、やっぱり著者はこういうことを考えていたんだな、想像通りだったと思った。下記にリンクを示す。

 

bunshun.jp

bunshun.jp

 上記リンクから、2本目の記事の冒頭部分を引用する。

――新作『呪文』(2015年河出書房新社刊)がたいへん話題になっています。商店街の人間模様のなかに今の日本の姿が凝縮されていて、現実味があると同時にとても怖い内容ですよね。

星野 今までの中でも一番、ダイレクトに強い反応を感じますね。「今現実に起きていることと地続きになっていて、読み終わって現実を見るとまだ怖い」というような反応をたくさんいただいています。

――これは寂れた商店街にカリスマ的なリーダーが現れる、という内容です。彼、図領は街の改革に乗り出しますが、変化についていけない人たちは排斥され、結成された自警団「未来系」は暴走していく。現実の商店街の現状を見て感じたことが発端だったとうかがっています。

星野 そうですね。商店街が急速に寂れているということと、もうひとつはヘイトスピーチで社会が壊れていくと感じたことが始まりですね。その両方を合わせました。自分の目に映る現実をできるだけそのまま書こうと思って始めたものですから、読者もそう感じてくれるのは自然な成り行きかなと思います。

 商店街に関しては、地方だけでなく都内でも地域によっては寂れていっているのが印象に残っていて。ヘイトスピーチはもう、人種や民族に関することだけでなく、いろんなところで差別的な罵倒やバッシングがあふれていますよね。その様を見て、なんだか人の心も壊れているし、社会も壊れているな、と感じたんです。壊れ始めているんじゃなくて、ちょっと修理が不可能なぐらい深く壊れている、と思うのがこの3年くらいです。震災の1年後くらいからですよね。

 震災の後はみんな「頑張ろう」だとか「こんなひどい目に遭ったんだから社会を立て直そう」と前向きだったと思うんです。僕は2012年の春に韓国に行って3か月ほど滞在したんですが、日本に戻ってきたら、生活保護者が大バッシングされていた。僕が行く前には、北海道で生活保護を受給できなくて餓死した人がいて大問題になっていたのに、帰ってきたら生活保護受給者がバッシングされているという、めまいのするような展開になっていた。以降はもう、底なしのように次々とターゲットを見つけてはバッシングをしていくのが普通になってきた感があるわけです。

 ヘイトスピーチはその前からありましたが、生活保護受給者バッシングをやったのが政治家でしたから、そこからゴーサインが出たということで異常な盛り上がりをみせていく。それが2012年でした。そしてその年末に政権が交代するわけです。

――カリスマ的リーダーというのは、これまでにも書かれていますよね。

星野 しばらくは僕の一大テーマでしたね。今までの場合には、カリスマが作られていくまでを書いていたんですが、今回はその先を書きました。実行力があって魅力的な言動をしている人にわっと支持が集まって弾みがついてしまった後、そのカリスマをみんなが追い越していく。カリスマが何かを言ったり行動したりしなくても、熱狂した一般の人々が先を争うようにどんどん突進していってしまう状況に焦点を当てて描いたと言えますね。

――ヒトラーがいて、ヒトラーの意志とは関係ないところで親衛隊が暴走していくような感じですよね。悪の権化が一人いるのではなく、集団化していくところが恐ろしい。

星野 一人が実権を握って独裁している社会ももちろん嫌ですけれども、ある意味で分かりやすいし、その人を倒せば世の中が変わるかもしれないと思えますよね。でも、実際にはそのカリスマが全権を握っているのではなく、それに乗っかった一般の人たちが、誰が指揮をとっているのか分からないような状態で一斉に同じ方向に流れていってしまう。誰か特定の一人を止めても状況は変わらないし、全体がもうあまりにも大きすぎて、個々人の手には負えない状況になってしまう。そのほうがより怖いですよね。

 

(『文春オンライン』2015年12月19日)

 

 上記インタビューで星野智幸が指摘する日本社会や政治の病理は、2015年当時よりも現在の方がもっとひどくなっている。たとえば、河出書房新社のサイトにある「読者の声」に、2015年9月12日に寄せられた下記の感想が載っている。

 

二極化とネット社会化が進む現実社会が一つの街に集約された。振りかざされた正義は排外主義を招き、似非武士道たる「クズ道」に陥る敗者の暴走は止まらなくなる。
ネトウヨネトウヨから飛び出した「保守系市民運動をすぐ想起する。まるで日本社会の近未来を描いたようでそら恐ろしくなった。

 

 だが、上記の指摘が当てはまるのは何も「ネトウヨ」に限らない。最近は政権批判側にも同様の弊害が強く見られるようになった。集団内での相互批判がためらわれる状況だ。これは、かつての連合赤軍事件に見られる通り、いわゆる「極左」には昔からあったが、その悪弊がかつては「百花斉放百家争鳴」を地で行っていたリベラル派*3にも及んでいる。

 その悪弊が端的に表れたのは、最近ほかならぬ星野智幸Twitter*4で言及した堤未果への(間接的な)批判だ。星野氏はもちろん堤氏を批判したのだが、その批判がなかなか「リベラル・左派」界隈で広がらない。その一因として『しんぶん赤旗』のコラム*5が昨年末に、問題となった堤未果の著書を肯定的に評価したことがあるのではないか。同様の例は枚挙に暇がなく、他にも孫崎享のような反米右翼的な人士が共産党とつるんでいたりする。

 そんな今こそ、『呪文』は読まれるべき本だ。解説文で作家の窪美澄氏は

平成が終わる年にこの物語をたくさんの人に読んでほしい。心からそう思う。(248頁)

 と書いているが、私には「平成が終わる年」を過ぎても現在の「崩壊の時代」が簡単に終わるとは思えない*6から、その限定を外した上で窪さんに同意する。

 ところで、窪さんはこの小説に出てくる、ある重要な登場人物の属性についてある思い込みをされていたことを解説文に記しているが、私は同じ登場人物についてその逆の思い込みをしていた。河出書房新社の編集者が指摘したところによると、著者はその属性を限定する表現をしていないという。読者がそれぞれ勝手な思い込みをしていたわけだ。窪さんは

○○○は巧みに隠されている。やられた、と思った。(247-248頁)

と書いたが、これには全面的に同意する。というより、ああ、そうも読めるのか、と気づかされてくれただけでも、窪さんの解説文を読んで良かった。

*1:私はかつてべらんめえ調の言葉を人々の多くがしゃべっていた地域に現在住んでいる。しかし、この地でべらんめえ調をしゃべるのは、もはや年配の人しかいなくなっている。東京の下町でも方言は絶滅危惧種なのだ。

*2:あまりにもあちこちに住んだためにもはや多国籍方言しかしゃべれなくなった私の母語はいちおう関西弁で、それとはアクセントの異なる中国方言を話す岡山(倉敷)には3年半ほどしかいなかったので自信はないのだが。

*3:私見では、日本のリベラル派には経済右派が多いという重大な問題を抱えていると考えているが、反面2000年代前半くらいまではリベラル派内での相互批判は結構活発だった。

*4:https://twitter.com/hoshinot/status/1105032691974430721

*5:https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-12-11/2018121101_06_0.html

*6:「平成が終わる年」の特に改元前後にこそ読まれるべき本としては、原武史の本がまず思い浮かぶ。私は現在長大な『皇后考』(講談社学術文庫)を読んでいるが、昨日は岩波新書の新刊『平成の終焉』を買った。

「長州がつくった憲法が日本を滅ぼすことになる」 〜 城山三郎『落日燃ゆ』を読む

 城山三郎の『落日燃ゆ』を読んだ。

 

落日燃ゆ (新潮文庫)

落日燃ゆ (新潮文庫)

 

 

 A級戦犯として文官ではただ一人死刑(絞首刑)に処せられた広田弘毅を描いた小説で、城山三郎の代表作とされる。

 まず、小説家が書いたこの手の「小説」を読む場合、作者の歴史観を無批判で受け入れる態度は禁物であって、この作品も例外ではない。このことを強調しておきたい。ああ、城山三郎はこう考えていたんだな、と常に意識して読むことだ。

 また、もう一つ指摘しておきたいことは、この小説が書かれた1970年代前半(単行本初出は1974年)は、私の嫌いな元号でいえば「昭和40年代後半」にあたり、当時は今でいうリベラル派の間にも「平和主義者だった昭和天皇」の刷り込みが強烈に行われていた。この小説にもその悪影響が随所に見られる。ちょうど「平成末期」に当たる現在、「リベラルな天皇陛下」の刷り込みがリベラル派の間に浸透しているのと似たような現象だ。『落日燃ゆ』に出てくる昭和天皇に対する敬語に接する度にさぶいぼが出た(=鳥肌が立った*1)ことは書いておかなければなるまい。

 以上書いたように、現在の目から見ればいろいろ割り引いて評価しなければならないから、たとえば私がアマゾンカスタマーレビューを書くなら星5つはつけられないが、それでも星4つはつけるであろう、興味津々の小説ではあった。

 一番良かったのは、広田弘毅が口癖のようにいっていたという下記の言葉だ。

 

 「長州がつくった憲法が日本を滅ぼすことになる」新潮文庫2009年改版191頁)

 

 「長州がつくった憲法」とはいうまでもなく大日本帝国憲法明治憲法)のことで、統帥権の独立を規定したこの憲法大日本帝国を滅ぼした。この史観は正しい。現在、日本会議に代表される極右勢力がこの史観を覆そうと躍起になっていて、彼らに支えられたあの憎んでも余りある安倍晋三が超長期政権を担っていることを思えば、この言葉をキーワードとしているだけでも『落日燃ゆ』が読まれる価値がある。長州出身にして世襲三世で「右翼趣味」紛々の「貴族政治家」ごときに日本国憲法を改変させてはならない。

 また、いくら作者が昭和天皇に敬語を使おうが、庶民階級出身の広田に昭和天皇が冷たく接した事実は覆い隠せない。ネット検索をかけたら、このあたりに佐高信城山三郎の信奉者の一人と思われる)が触れていたので以下に引用する。

 

有鄰 No.477 P3 座談会:城山三郎—気骨ある文学と人生 (3) - 隔月刊情報紙「有鄰」(2007年8月10日)より

(前略)大岡昇平さんの尽力で広田さんの遺族を取材できたことがものすごく大きいですね。 それまで一切取材には応じていなかった。 広田の長男の弘雄さんと大岡さんが幼なじみで、城山なら信頼できるからと説得してくれて、広田の秘書をやっていた三男の正雄さんも取材できた。

だからあの中ですごいエピソードというか、びっくりするような天皇の話があるんですね。 天皇は広田が首相になったときに「名門をくずすことのないように」と言った。 広田は石屋の伜なんです。 それから海軍と陸軍の今年の予算は大体このぐらいだということを天皇が言ったというのが書いてあるんです。

 

 「名門をくずすことのないように」という昭和天皇の言葉は、私が読んだ新潮文庫の2009年改版による2015年65刷では198頁に出てくる。ここからの数頁はこの小説の中でも特に興味深い。こういうところに、いくら作者が昭和天皇に対して過剰な敬語を使って「昭和天皇=平和主義者」の虚飾を書き立てても糊塗し切れない、昭和天皇差別意識が滲み出ている。

 実際、昭和天皇広田弘毅に対する評価は冷淡そのものだったようで、城山史観に対する批判も込めて書かれたと思われる服部龍二(この人も保守派の学者だが)の『広田弘毅』(中公新書)にも下記の記述があるようだ。

 

blogs.yahoo.co.jp

 「広田の無為無気力」(「宇垣一成日記」)、「あきれるほど無定見、無責任である。…一九三六年のはじめころから、広田は決断力を失ったのではないかと思う」猪木正道この記述に対し、昭和天皇は、「(広田についての記述は)非常に正確である」と中曽根首相に語ったという)、「広田は其名の如くに毅ならず、薄弱なり」(近衛文麿)。本書に引用されている広田評は、「落日燃ゆ」の主人公とはまるで別人だ。
 
(ブログ『風船子、迷想記』2008年10月14日)

 

 なお、私にとっても広田弘毅は印象の強い人ではなかった。たとえば一昨年に読んだ松本清張の『昭和史発掘』でも広田への言及は記憶に残っていない。ネット検索をかけたら下記の清張による広田評がみつかった。

 

www.c20.jp

広田は福岡出身。頭山満玄洋社の流れをくむが、それほど右翼的ではない。 はっきりしない性格だから、軍部もロボットにするつもりで賛成したのだ。 外相としての広田は、実務は次官の重光に任せきりだった。

松本清張『昭和史発掘』第12巻10頁)

 

 上記引用文中に「第12巻」とあるが、全9巻の新装版では第8巻に当たるはずだ(本が手元にないので頁数は不明)。

 『落日燃ゆ』に話を戻すと、小説の終わりの「マンザイ」のくだりが印象的なのだが、これに対しても史実ではなく城山三郎の創作だとの強い批判が作品の初出当時からあったようだ。以下、小谷野敦氏の「はてなダイアリー」の記事から引用する。
 

「漫才」論争の珍 - 猫を償うに猫をもってせよ(2008年9月28日)より

 『小説新潮』九月号に「広田弘毅は『漫才』と言ったのか」という特集記事があった。これは城山三郎『落日燃ゆ』の最後で、A級戦犯らが絞首刑に処せられる前に松井石根らが「天皇陛下万歳」を唱えていると、後から広田が板垣征四郎などと一緒に来て、教誨師花山信勝に「いま、マンザイをやっていたのですか」と訊いたという記述である。花山は始め分からずにいたが、「ああ万歳ですか、それならやりましたよ」と言い、広田は板垣に、あなた、おやりなさい、と言い、板垣と木村が万歳三唱をしたが、広田は加わらなかったというところである。城山はこれを広田の「皮肉」ととらえている。

 この話は、北一輝二・二六事件の後で処刑される際、他の者が「天皇陛下万歳」を唱えていたのに、北は「天皇、マンザイ」と言ったという伝説を想起させる。

 さて、1974年の刊行当時、平川祐弘先生がこれに異を唱えて、花山の『平和の発見』にこの記述はあり、最後に一同で万歳三唱を行ったとあるが、広田が加わらなかったとは書いてなく、「マンザイ」というのは方言に過ぎない、とした。城山はこれに反論して、自分は関係者に取材したのであり、信念は微動だにしない、と答えた。

 この二文は当時『波』に載ったもので、それが再録され、梯久美子の感想文がついている。平川先生は広田の息子の広田弘雄氏にも訊いてみたが、広田が皮肉を言うような人とは思えないが、何分その場にいたわけではないので、と言われた、と書いている。

 しかるに、最後の万歳三唱に加わったかどうか、これは歴然たる物理的事実であって、皮肉かどうかという解釈の問題ではない。さて城山は「花山信勝の観察と記述には、疑問がある」と書いている。(後略)

 

 小説の全篇でももっとも印象的なこの巻末のエピソードも、どうやら眉に唾をつけて読んだ方が良いようだ。こういうことがあるから、最初に書いたように「これは小説家の書いた小説だ」と割り切って読む態度が求められる。

 とはいえ広田の戦争責任が死刑に相当するかは大いに疑問で、有期刑が相当だっただろうことには争う余地がないように思われる。『落日燃ゆ』では広田が死刑を覚悟していたかのように書かれているが、実際には広田自身も有期刑を予期していたらしい。

 小説発表後のことだが、広田は死後30年経って靖国神社に合祀された。このことに対する遺族の反応を、2015年の産経新聞記事から拾っておく。

 

靖国神社を考える(1)「A級戦犯」遺族ら、苦悩と葛藤(3/7ページ) - 産経ニュース

 

 「祖父は、軍人でも戦死したわけでもない。菩提寺(ぼだいじ)で十分だと考えており、合祀してほしくないという気持ちはあります」

 A級戦犯の中で文官として唯一処刑された広田弘毅の孫、弘太郎(77)はこう語る。小学4年生だった23年11月、死刑判決を伝えるラジオ放送に両親は泣いていた。

 「これが最後だ。できるだけ顔や言葉を覚えておきなさい」

 両親に連れられ、刑執行前に祖父と面会した。ガラス越しにかけられた言葉は「体に気をつけて勉強しなさい」だった。

 外交官として生き、激動の時代に首相、外相を務めた祖父。指導者の一人として戦争責任はあると感じているが、それは東京裁判が根拠ではなく、国民への倫理的な責務としてだ。

 今、弘太郎は願う。

 「首相は靖国公式参拝すべきだし、陛下は、行かれずとも御霊(みたま)を追悼しておられると思いたい」

 靖国は、弘太郎にとっても重要な場所だ。

 「国のために尽くした方々に慰霊の誠をささげる場所は靖国しかない。戦没者靖国に祭られることを願って死んだ。この事実は消せない」

 

(産経ニュース 2015年8月16日)

 

 上記産経記事から受ける印象は、下記ブログ記事に引用されている、同じ広田弘太郎氏が2006年にテレビ朝日のインタビューに答えた記事から受ける印象とはずいぶん違うのだが、それがメディアの違いによるのか9年の歳月によるのかその両方なのかはわからない(両方のような気がするが)。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 今回の記事は、あるいは『落日燃ゆ』を読んで感激された方を興醒めさせてしまったかもしれないが、小説には創作の部分がありがちであることを念頭に置きつつ、著者の史観を無批判に受け入れない態度を持ってさえいれば*2、十分に読む価値のある名作だと思う。

*1:この言葉は、現在では肯定的な意味に用いられることが多いらしいが、私の青年時代までには否定的な意味にしか用いられなかった。

*2:たとえば「小沢信者」が小沢一郎の評伝を書いたらどんな中身になるかを想像すれば、私のいいたいことはおわかりいただけるのではないだろうか。

早乙女勝元『螢の唄』と東京大空襲

 東京大空襲を題材にとったこの小説は3年前に新潮文庫入りした時買おうと思って買いそびれたのだが、東京大空襲の日である3月10日の日曜日に図書館で借りて、翌3月11日(東日本大震災の日)から読み始めて3月13日(大阪大空襲の日)に読み終えた。もとは映画の原作だそうだ。

 

蛍の唄 (新潮文庫)

蛍の唄 (新潮文庫)

 

 

 ここではあらすじの紹介は省略し、代わりに著者の早乙女勝元が先日語った言葉を朝日新聞デジタルの記事から引く。有料記事の無料部分のみの引用。

 

https://www.asahi.com/articles/ASM34578YM34UEHF005.html

 

早乙女勝元さんが語る東京大空襲「核並みの被害だった」

西村悠輔 

 

 「焼夷(しょうい)弾攻撃だけで一夜にして10万人もの人が亡くなったというのは、核兵器の被害と何ら変わらない。通常の火薬兵器でも核並みの被害を出すんです」。そう語るのは、作家の早乙女勝元さん(86)。館長を務める東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)によると、原爆被害を除く全国の空襲による民間人の死者数は、東京23区と約530市町村で推定約20万3千人に上る。2014年11月に地域史を調べて積み上げた数字で、これは二つの原爆で亡くなった犠牲者(広島14万人、長崎7万人)に匹敵するという。

ジュラルミンの巨体が超低空で…

 12歳の時、東京大空襲を経験した。あの夜のことを、こう著書に記す。

 《黒煙と火焰(かえん)の裂け目から現れるB29は、驚くばかりの超低空で、ジュラルミンの巨体に地上の炎群が、まだら模様に映えている。ドドドッ、ズズズッという石油タンクが爆発するような怪音。火焰を吸いこんだ突風が迫ってくる》(2018年出版『その声を力に』から)

 1945年3月10日未明、早乙女さんは墨田区向島にあった自宅から、父母と姉とともに、リヤカーに寝具や衣類、調理道具などを積んで避難した。火の粉が街を覆い尽くし、幼子の横で火の塊となりもがく男性。近くにいた家族の姿が見えなくなり、火柱と化した電柱が迫り来る寸前に、炎の隙間から飛び込んできた父に救われた。

教科書になかった大空襲の記述

 1970年に発足した「東京空襲を記録する会」に、早乙女さんは発起人の1人として加わった。背景にはベトナム戦争があった。60年代後半、沖縄の米軍基地を飛び立ったB52爆撃機がたびたび北ベトナム空爆。下町で反戦集会に携わるなか、教科書では広島・長崎の原爆に触れても、東京大空襲の無差別爆撃に関するくだりはほとんどないことに気づいた。首都最大の受難史ともいえる惨禍の記憶を後世に伝えたい。その思いは「記録する会」の結成につながった。

朝日新聞デジタルより)

 

 早乙女氏の著書では、今回読んだ小説も良かったが(特に後半部には引き込まれた)、岩波新書から出ている『東京大空襲』(1971)が半世紀前の古い本だが必読だ。

 

東京大空襲―昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775)

東京大空襲―昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775)

 

 

 以上簡単だが、74年前に東京や大阪で空襲のあった時期にエントリを上げることにした次第。

星野智幸『ファンタジスタ』を読む

 星野智幸の中篇集『ファンタジスタ』(集英社文庫2006)を読んだ。集英社文庫版(2006)は、今時の新潮文庫講談社文庫や光文社文庫などと違って文字が小さかったが、大きな文字の版が出ていないのでそれは仕方がない。この中篇集には「砂の惑星」(雑誌初出『すばる』2002年2月号)、「ファンタジスタ」(同『文藝』2002年冬季号)、「ハイウェイ・スター」(同『すばる』2002年12月号)と、2001年から翌年にかけて書かれた3つの作品が雑誌初出順に配列されている。下記のアマゾンのリンクは単行本に張られている。

 

ファンタジスタ

ファンタジスタ

 

 

 星野智幸作品を読むのはこれが3冊目で、いずれも今年に入ってから読んだ。最初が『俺俺』(新潮文庫2013, 単行本初出:新潮社2010)で、次が『目覚めよと人魚は歌う』(新潮文庫2004, 単行本初出:新潮社2000)だった。このうち『俺俺』にはこのブログの下記記事にて少し触れた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 3冊のうち一番読みやすいのは『俺俺』だろう。星野智幸は基本的にエンターテインメント系の書き手ではないので「難解」と評されることもあるが(私が読んだ3冊のうちでは『目覚めよと人魚は歌う』が典型例)、政治的なモチーフが用いられる作品が多いのでなかなか興味深い。今回読んだ中篇集では、表題作の「ファンタジスタ」が特にそうだった。

2作目の題名になっている「ファンタジスタ」という言葉について、以下「はてなキーワード」から引用する。

 

d.hatena.ne.jp

イタリア語の名詞(fantasista)。語源はイタリア語で空想、霊感を意味するファンタジーア(fantasia)。

元々は、ウィットに富みアドリブの効いた即興芸が得意な舞台役者や大道芸人を指す言葉。あるいはファンタジーアを感じさせる者。

転じて、創造性豊かなインスピレーションと並外れたテクニックを持ち、世界のトップレベルにおいても、フィジカルに頼ることなく1つのプレーで局面を変えてしまう優れたサッカー選手を意味する。

戦術主義のアンチテーゼとしての側面も持っている。

世界共通の概念ではなく、国や人によって様々な解釈がある。

 

 そう、「ファンタジスタ」とはサッカー小説なのだ。前記の通り、雑誌初出は河出書房新社の文芸誌である『文藝』の2002年冬季号だが、この号は10月に発売される。つまり、2002年に大きな話題となった日韓共催サッカーワールドカップが終わった4か月後に発表された。

 集英社文庫版の巻末に「批評的な魔術」と題された、いとうせいこう氏の解説文がついているので、まずそこから引用する。

 

(前略)君が代を「棄民が世」と歌わせる『砂の惑星』、カリスマ政治家がアジアを “各民族の共存共栄みたいなAリーグの理念” で覆ってしまおうとする『ファンタジスタ』、“あのお方こそが自然” だと言われる人物が登場する『ハイウェイ・スター』。

 どの作品も「天皇」を見え隠れさせながら進むのだが、その度使われる虚構はひとすじ縄ではいかない。

星野智幸ファンタジスタ集英社文庫2006, p.236-237)

 

 いとう氏はこう書くのだが、「砂の惑星」や「ハイウェイ・スター」はともかく、「ファンタジスタ」を読んだ多くの読者が作中人物の「長田」から第一に連想するのは、天皇ではなく当時の宰相・小泉純一郎(以下「コイズミ」と表記する)だろう。「砂の惑星」の「棄民が世」は強烈だし、『目覚めよと人魚は歌う』にも作中作の人名として「アキヒト」と「ミチコ」が出てくるが、「ファンタジスタ」の長田は誰がどう読んでもコイズミだ。ましてや作品の成立時期(2002年)を念頭に置いて読めば、コイズミを連想しない方が難しいのではないか。その長田が大東亜共栄圏もどきの理想を唱えて「本土決戦」からやり直す、などと物騒なことを言い、それにもかかわらず熱狂的に国民から支持されているという設定になっている。このことは、出版元の集英社のサイトに掲載されている惹句を参照しても明らかだ。

 

books.shueisha.co.jp

 

 そう、この作品で描かれているのは「ファシズムの空気」なのだ。その空気は2002年以上に今の日本を濃厚に覆っている。

 

 もちろん長田はコイズミばりの新自由主義者であり、下記のような強烈な「自己責任論」をぶちかます。以下小説から引用する。

 

 (首相公選での当選を=引用者註)祝福してくださるのはこのうえない幸福ではありますが、本当に満足していただくのは、これから先、厳しい政策を実行し、そこを生き抜いてもらってから、ということになります。(前掲書p.167)

 

 リアルの小泉純一郎は「そこを生き抜いてもらってから」とは決して言わなかったが、コイズミの政策の本音がそこにあったことはいうまでもない。

 もちろん虚構だから、長田とコイズミとの違いは少なくない。何といっても小説では長田は元サッカー選手という設定だ。さらに、驚くべきことに作者は長田(=コイズミ)に対置する人物として、2002年当時にはサッカーファン以外にはその名前が知られていなかったであろう澤穂稀を対置していた。そのことを知ったのは、読後にネット検索をかけた時で、作者・星野智幸自身が女子サッカーW杯に日本が優勝した2011年に書いたブログ記事が検索にヒットしたのだった。以下引用する。

 

http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/07/19/5963157

 女子サッカーを見始めた10年前、強豪国であったのは、王者アメリカ、ドイツ、スウェーデン、カナダ、中国、北朝鮮などであった。この名前を見ていて気づくのは、北方の欧米諸国か、東アジアの社会主義国だということだ。両者に共通するのは、女性の社会進出が相対的に進んでいるという点である。
 女子サッカーの隆盛は、フェミニズムとともにある。女子サッカー文化の発展を牽引しているアメリカは、性差別を超えるプログラムの一環として、女子サッカー教育に力を入れた。その結果、女子サッカーアメリカでは、「女こども」がするスポーツとなった。同様に、フェミニズム先進国であるドイツやスウェーデン、カナダといった北方の欧米諸国で、女性たちが積極的に関わってきた。男女同権が党是である「共産主義国」の中国や北朝鮮では、その国家主義的強化もあって、いち早く強豪化した。そこで隆盛化したのは、力と体格を前面に押し出すパワーサッカーだった。男子サッカーと違って、ヨーロッパにせよアメリカ大陸にせよ、マチスモの色濃いラテン諸国(ブラジルを除く)がいまいち強くないのは、そのような成り立ちも関係している。日本の女子サッカーはまず、身近にいる中国や北朝鮮の打倒を目指して成長し、さらにアメリカやドイツのリーグでプレーすることで成長した。パワーの先進諸国に育てられて、パワーではない新しいあり方を開花させた、妹分なのだ。
 9年前に日本女子の代表をスタジアムに見に行ったとき(ワールドカップ予選のプレーオフ、対メキシコ戦)、そのチームは技術はなかなかだけど、球のスピードも遅いし、走力もないし、ミスも多かった。にもかかわらず、とても胸を打たれて、魅了されてしまったのは、男子サッカーが持たない「熱さ」を持っていたからだ。サッカーをすることの喜びに満ち、その喜びを貪り尽くそうと、ものすごく必死だった。
 今度の優勝を見ればわかるように、今のチームもその延長上にある。熱さと喜びへのかぎりない貪欲さこそが、人々を魅了したのだ。
 そして、ここが重要なのだが、これは男社会に最も欠落しているものだ。女子サッカーは、たんに、男子のしていたサッカーを女性がしているのではない。その文化の根っこに、男社会の持つ無意味さや空虚を否定する要素を持っていて、それが大きな原動力のひとつとなっている。この場合の男社会とは、もう機能しなくなっているのにその権限の保持だけに必死になっている既得権益層(例えば一部の行政機関、政府、行政と結びついた私企業等々)と言い換えてもよい。そしてそれを消極的に無為に受け入れ維持させてしまう、この社会。そういった、日本社会の「現実至上主義」のメンタリティを指す。男子のサッカーはそれに寄り添っているところがある。女子のサッカーはそのアンチテーゼだ。
 私はそのようなものとして、女子サッカーを、ありうべきひとつの未来のイメージとして、楽しみ、考え、見てきた。その象徴にして実像が、澤穂希だ。そうやって、2002年に「ファンタジスタ」という小説も書いた。9.11 後の小泉(首相)的社会に対置させるべき像として、澤を想像した。
 私は現実の日本女子サッカーに、過剰な意味づけをしているとは思う。選手はそんなことまで意識していないし、もっとシンプルに行動している。でも、私が幻想を抱いているわけでもない。女子サッカーという存在は、本当にそのような要素を持っているのだ。
 だから、私はごく少数の人を除いて、今の喜びを共有はしない。少なくとも、女子サッカー文化を知ろうともせずに、数ある「日本代表」のひとつとしてのみ消費して「感動」しようとするような空気に対しては、関係ないねと言いたい。女子サッカーの文化を蹂躙するようなメディアの盛り上がり方には、「おまえら終わってるよ」と言いたい。(だから私自身は「ナデシコ」という名称も使わない。その名称が普及に大きな役割を果たしていると思うし、だから選手も好んで使っていることも承知しているけれど)。
 この優勝の盛り上がりに、女子サッカーがメジャー化するという希望と、何だか水を差したくなる嫌悪と、両方を感じてしまう。被災で弱った社会が、ここから力を受け取るのは素晴らしいと思う。選手たちがその祈りを胸に戦ったことにも間違いなく心を打たれる。一方で、被災や復興を口実に盛り上がるな、と腐したくもなる。作り物のニセの感動物語を真に受けるな、と言いたくもなる。

(『星野智幸 言ってしまえば良かったのに日記』2011年7月19日)

 

 なんと星野智幸は2002年に澤穂稀を小泉純一郎に対置する小説を書いていた。これには驚嘆させられた。澤に当たる作中人物は「ワカノ」という名前だ。もちろん2011年の女子サッカーW杯の結果とそれに伴う「フィーバー」を覚えている私は、澤穂稀らいわゆる「なてしこジャパン」を思い出しはしたが、意図的に「澤をコイズミに対置」していたとまでは思わなかった。

 興味深いのは、長田はリアルの小泉純一郎とは違って結構リベラルだし、サッカーの地位もリアルの日本より高いし、国際政治における日本のあり方もリアルの従米一辺倒とは全然違うことだ。

 例えば、長田は昭和天皇の戦争責任を追及すべきだとの立場をとる。以下再び小説から長田の言葉を引用する。

 

(前略)今後も民主主義で行くことを表明するのなら、昭和天皇の戦争責任について、世界、特に日本の周辺諸国に向け、ぼくたちの考えをきちんと発表すべきでしょう。(前掲書p.170)

 

 また、作中でのサッカーの地位や日米間の距離を表した箇所も引用する。

 

(1970年代前半に)野球が急激に衰退し、サッカーに人気の王座を奪われた。(同p.112)

 

(80年代に入ると)いまこそアメリカ標準から世界標準へ、という国内の気分に合わせるように、日本サッカー協会が日本フットボール協会と名称を変更したのを機に「サッカー」という呼び名は廃れ「フットボール」が一般化。(同p.113)

 

 いかがだろうか。靖国参拝に執着し、政権最後の年となった2006年に「終戦記念日靖国神社参拝」を実行し、訪米してはブッシュの前で恥ずかしい猿踊りをして見せた、従米右翼系新自由主義者だったリアルの小泉純一郎とは違って、長田は「リベラルな新自由主義者」だし、作中に描かれた日本なら孫崎享も「自主独立的」だと絶賛するのではなかろうか。

 リアルのこの国では、コイズミが従米右翼の態度を改めたわけでもないのに、「脱原発」を言い出しただけで、2014年の東京都知事選などでコイズミになびく「リベラル」が続出した。それどころではなく、明らかな極右にして強烈な新自由主義者である小池百合子に対して、2016年の東京都知事選で「宇都宮健児さんが出馬しないのならいっそ小池さんを」などと応援する「共産党信者系」の「左派」が続出し、翌2017年の東京都議選では共産党までもが小池百合子に対する批判を手控えて事実上「都民ファーストの会」を助けたりするなどの惨状を呈した。このように、コイズミや小池百合子にさえ併記で迎合するこの国の「リベラル・左派」の姿を思えば、リアルで「ファンタジスタ」の長田のような人物が現れたら、この国の人たちが「右」も「左」もなく熱狂することはほぼ間違いないと思われる。

 それを批判的に描いたのが「ファンタジスタ」であり、この小説が書かれたのは2002年だった。

 やはり星野智幸とは只者ではない。そう思わせるに十分な中篇集だ。

金子夏樹『リベラルを潰せ』を読む

 正直言って国際政治には無知もいいところなのだが、ウラジーミル・プーチンという人間は昔から大嫌いだ。KGBにいた後ろ暗い過去、2006年のリトビネンコ毒殺事件をはじめとする数々の殺人事件にプーチンの関与があったのではないかと疑っていること、さらにはプーチンのロシアの強権的な手法などなど、ネガティブな材料ばかりで到底肯定的に評価できないからだ。

 しかもプーチン安倍晋三ともトランプとも妙に馬が合う。安倍晋三など北方四島をロシアに「割譲」しかねない勢いで、しかもプーチンになってからロシアは択捉島国後島の実効支配を強め、軍事施設の建設を進めるなどやりたい放題だ。私は北方四島が日本の「固有の領土」であるという日本政府の主張自体には疑問を持っているが、北方四島でのロシアの軍事施設の建設には強く反対するものであって、そもそも沖縄の米軍基地であろうが北方四島のロシア軍基地であろうが、日本の国境近くに戦争を引き起こしかねない基地は全部撤去すべきだというのが私の立場だ。プーチンがやっているのは日本の喉元に匕首を突きつける行為そのものだと思う。一方で、北方四島は自然の宝庫でもあるから、知床の世界自然遺産北方四島とウルップ島に拡張せよという、かつてソ連末期や新生ロシア初期にロシア側から言い出した案への支持を唱え続けている。安全保障と自然保護の一石二鳥というわけだ。安全保障についていえば、いい加減人類は国境近くを緩衝地域にするくらいの知恵を身につけるべきだろう。いずれにせよ、拡張主義的な野心をむき出しにするプーチンは絶対に許せないと思っている。

 そのプーチンの保守反動性を指摘する本を読んだ。

 

リベラルを潰せ ?世界を覆う保守ネットワークの正体 (新潮新書)

リベラルを潰せ ?世界を覆う保守ネットワークの正体 (新潮新書)

 

 

 出版元が新潮社だし、上記リンクの画像に「佐藤優氏、推薦!」という帯がついているなど、警戒しつつ読んだが、この本を読む限り、「労働問題や経済には関心が薄いけれどもLGBTなど多様性の問題は熱心」と思われる日本のリベラルは、後者について文字通り保守反動的な姿勢をむき出しにするプーチンに対して厳しい目を向けて当然ではないかと思わずにはいられない(現実には「リベラル」と「安倍信者」の双方がプーチンに大甘であることに対して私は強い不満を持っている)。ただ、日本経済新聞社に所属する著者のスタンスは曖昧で、プーチンに対して一貫して「保守反動」という言葉を使っていることから著者がリベラルの立場に立っていると思いきや、巻末になって突如保守派に理解を示すような記述が出てくるなど、著者のスタンスがぶれているとしか思えなかった。

 まず、出版元・新潮社のサイトから引用する。

 

www.dailyshincho.jp

増えるパートナー制度

 千葉市は今月、生活をともにする二人を夫婦と同じような関係の「パートナー」と公的に認める新制度を導入する。この「千葉市パートナーシップ宣誓制度」は、対象をLGBTなどの性的少数者に限らず、事実婚カップルなども申請できるのが特徴だ。
 市は今月29日にパートナーシップ宣誓証明書交付式を予定しており、HPで宣誓希望者を募集している。

 こうした制度は欧米の先行例を参考にしたものなのは言うまでもない。しかし一方で欧米には、こうした流れに抗い、活動する団体もまた存在することはあまり知られていない。その団体は本拠をアメリカ・イリノイ州に置く「世界家族会議(World Congress of Families)」。
 彼らは決して少数派ではなく、トランプ大統領の岩盤支持層ともなるほどの存在感を示している。

 彼らは一体、何者なのか。長年取材してきた金子夏樹氏(日経新聞記者)の新刊『リベラルを潰せ――世界を覆う保守ネットワークの正体』をもとに紹介しよう(以下、「」内は同書より引用)。

 

ナチュラル・ファミリー以外を排除

「世界家族会議は日本ではなじみが薄いが、世界各地で隠然たる影響力を持つNGOでもある。『伝統的な家族観を守る』という主張を掲げ、その賛同者は世界に広がっている。米国のジョージ・ブッシュ(子)元大統領はこの団体にあてたメッセージで、『あなた方の努力は世界をより良くしています』と称賛している。

 世界家族会議が掲げる『伝統的な家族観』とは聞こえは良いが、言外に込められた意味があることに注意が必要だ。伝統的な家族は男性と女性による結婚とその間に産まれる子どもという、狭い意味での家族に限られる。同団体がホームページなどに掲げるロゴは、男性と3人の子どもたち、そして女性が手をつないだものだ。よく見ると女性はもう1人の子どもをお腹に宿しているようにも見える。世界家族会議はこの家族を『ナチュラルファミリー(自然な家族)』と表現し、これのみを各国の政府が守るべき対象とする。
 ナチュラルファミリーを絶対視すると同時に、世界家族会議は、同性カップルを排除すべき対象とみなしているのだ」

 この世界家族会議は、アメリカ最大の宗教勢力であるキリスト教右派の思想を海外に広める組織だという。彼らは聖書を根拠にLGBTの権利拡大を嫌い、人工中絶にも反対し続けている。

聖書に書いてある

キリスト教文化の伝統を大事にしてきたかつてのアメリカでは、同性愛は最悪の性行為の1つとみなされてきた。その根拠も聖書の言葉にある。『女と寝るように男と寝るものは、2人とも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう』(旧約聖書レビ記20章13節)。

 旧約聖書の創世記で神が男(アダム)と女(イブ)を創り出したことを重視し、男性と女性は結ばれて一心同体になるととらえるのだ。『神はアダムとスティーブンを創造したのではない』(米国の保守系牧師)というわけだ」

 こうした考え方は、キリスト教の専売特許ではない。イスラム教の聖典コーラン」にも「2人の男が互いに不道徳な行為を行った場合、その両方を罰する」という記述がある。
そのため宗教右派たちは反リベラルを旗印に、国や宗派といった枠を超えて団結している。
 彼らの結集の場となっているのが「世界家族会議」なのだ。実際に、北米や欧州・ロシアを中心に、35の有力NGOが世界家族会議のパートナーとなり、ロシアのプーチン政権とも緊密な関係を保っている。
 実はトランプ大統領プーチン大統領との接点は、こうした保守的な思想にあるという見方もあるのだ。

 欧米の人権団体による憎しみを世界に輸出する団体といった批判も強いものの、この世界家族会議に集まる予算規模は年間で総額2億ドルを超えるという。

「台湾でも2017年から同性婚の容認をめぐる議論が高まるなど、対立の火種はアジアにも波及しています。『世界家族会議』は間違いなくアジア、そして日本を視野に入れているはずです」と金子氏は警鐘を鳴らしている。

デイリー新潮編集部

(デイリー新潮 2019年1月21日)

 

 実際、『リベラルを潰せ』で紹介される「世界家族会議」のあり方から強く連想されるのは日本で近年話題に上ることが多くなった「日本会議」であり、年々保守化を強めるプーチン安倍晋三(やトランプ)との馬が合うのはさもありなんと思えてしまう。

 『リベラルを潰せ』はほとんど話題になっていない本のようだが、ネット検索をかけると元新潟大学保守系の学者と思われる三浦淳氏のブログから引用する。少なくとも記事の初めの方は本の内容の良いまとめになっているし、違和感の多い後半も私がリベラル側から違和感を持った部分を保守の側から評価しているあたりが面白いと思った。

 

blog.livedoor.jp

評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1978年生まれ、筑波大卒、日経新聞勤務。

 ロシアや米国で、LGBTや中絶を擁護するリベラルへの批判を行う保守派の動きが顕在化しているが、その組織である「世界家族会議」の実態やネットワークを紹介した本である。

 基本的には伝統的なキリスト教倫理観を前面に押し出すイデオロギーに依拠しており、これがロシアならソ連解体後に復活してきたロシア正教、米国ならキリスト教原理主義などと結びついてリベラルの動きを封じようとしている、ということである。伝統的な父権主義による父母と子供たちによる家庭をあるべき姿と考え、同性婚や中絶には反対の立場をとる。

 そして「世界家族会議」は第一回総会が1997年にプラハで開かれているが、この時点で40ヵ国から約700名が集まったという。2016年時点で35の有力NGOがこの会議のパートナーとなっており、年間予算規模は総額で2億ドルを超える。

 またこうした動きは政治家や各国の政治情勢とも結びついている。プーチンにしても、最初から現在のような右派だったわけではなく、ソ連解体直後には西欧民主主義的な方向性をとっていた。ところが東欧諸国が雪崩を打ってNATOに加盟していく中で(ロシア側の言い分では、これは西側の約束違反であるという)ロシアは危機感を強め、ソ連以前の伝統的な価値観やロシア正教と結ぶことで一般民衆の支持を拡げていく戦略を取るようになっていったのだという。

 ハンガリー、シリア、ウクライナなどの動向、またイスラム圏諸国の動きともこうした保守主義の運動は関わりを持っているのであり、単なる家族問題や中絶問題にはとどまらず、広く世界政治の流れにも影響を与えているのだ。

 ロシアの保守主義については「ユーラシア主義」の流れを紹介してその関連を探る試みもなされている(187ページ以下)。要するにリベラルの主張する個人主義には限界があるとして、家族や民族といった共同体の中に個人の意義を位置づけるという思想なのである。

 記述は整理されていて具体的であり、非常に分かりやすい。日本ではキリスト教の勢力が弱いから世界家族会議の動向もあまり知られていないが、そういう意味では貴重な本である。また最後近くには日本の保守主義者の家族観についても取材がなされている。

 というわけで悪くない本だけれど、若干の疑問点を挙げるなら、まず著者の言葉遣いである。世界家族会議の動きを「保守反動」と一貫して呼んでいるのだが、「保守」はいいとして「反動」はどうだろうか。「反動」とは、進歩主義から来る用語であり、世界は自然科学の法則のごとくに特定の方向に進歩していくもので、それに合わないものは「歴史の法則」に反するから叩かれて当然というような考え方から出てきている。しかし今どき、歴史の動きを自然科学の法則と同じと考える人間はあまりいないだろう。

 以上のような疑問は、つまりは著者が近代思想をどの程度押さえているかという疑問に直結する。ある箇所では個人主義の超越という思想を「ファシズムと共通点が多い」(192ページ)としたかと思うと、別の箇所では伝統主義を「ファシズムの源流」(199ページ)と言っている。しかしファシズムが出てきたのは「民族自決主義」に基づく民主主義の潮流の中においてであったこと、つまり「近代の超克」という思想こそが近代主義の一種であったことを著者は見落としている。近代の民主主義は同質者(例えば「同じ民族」「同一宗教」)の集合体においてこそ可能となるとされたのであり、そこからファシズムも生まれてきたのであって、古い「伝統的な帝国」であれば異質のものの集合体が「皇帝」によって統治されるからファシズムは起こらない(だから最近は逆に「帝国」が再評価されたりしている)。

 著者は「あとがき」では自分の立場は中立であり、リベラル派への警鐘として本書を執筆したと語っている。であれば、例えば中絶問題については通り一遍の「リベラル=中絶賛成=先進国の常識」といった図式にはそれなりに留保をつけるべきではないか。

 以下は私個人の意見だが、中絶とは人殺しと同じであり、人殺しを「女性の権利」などと言う輩は頭がおかしい。死刑に反対するくらいなら中絶に反対すべきだ。なぜなら死刑になる人間は(冤罪の場合を除いて)重罪を犯しているのに、胎児は犯罪行為などこれっぽちも犯してはいないからである。「中絶賛成、死刑反対」を叫ぶ人間はまともな知的能力を持たないというのが私の持論である。

 また米国でも、リベラル派のビル・クリントン政権も「家族の価値」は重視していたし、オバマ前大統領も、権利としての中絶はいちおう認めてはいたが、なるべく中絶しないで済むような社会をとも言っていた。つまり、「中絶=リベラル=いいこと」「家族の大切さ=守旧的価値観=ダメ」というような図式では済まない部分があるということだ。

 もっとも、日本における「子供を持たない」ことと「生産性」の議論について紹介した箇所(232ページ以下)では、「生産性」の意味が保守派とリベラル派でズレていると冷静に指摘していて、悪くなかった。こうしたキレが他の箇所にも見られれば、名著と呼ぶに値する本になったと思う。

(『隗より始めよ・三浦淳のブログ』2019年2月5日)

 

 ここで保守派の三浦氏は、

著者は「あとがき」では自分の立場は中立であり、リベラル派への警鐘として本書を執筆したと語っている。

 と書いたが、本から直接引用すると、

 本書はリベラル派への警鐘である。

 保守反動の台頭を許したのは、リベラル派に巣食う問題でもあるからだ。(243頁) 

と書かれており、保守反動に対する批判が著者の基本的なスタンスであるとは認められる。ただ、特に巻末に近いあたりから、唐突に妙に保守派に理解を示し始める印象を受け、そのあたりに著者のスタンスのブレが感じられるのだ。

 なお、私自身もよく括弧付きの「リベラル・左派」という表記でリベラル批判をするが、基本的には人間社会の進歩を信じるリベラル派を自認している。多様性が認められるようになったのは良いことだし、労働者を含む人々が搾取されることなくより良い生活を営むことができる社会に変えていかなければならないというのが私の立場だ。その上で、現在の「リベラル・左派」には後者の観点が弱い、つまり多様性(や反戦平和)には熱心だけれど労働や経済には関心が薄いという不満を常日頃から持っている。

 なお、中絶に対する私の意見は、上記記事に引用されたオバマの立場に近いかもしれない。一方、死刑には絶対に反対だ。

 そういった細部はさておき、少なくともリベラル・左派を自認する人間ならば、ウラジーミル・プーチンを強く批判する立場をとるべきだとの確信はますます強まった。

 最後に、先月上旬、『kojitakenの日記』に引用したツイート2件を再び挙げておく。

 

 

 

 くたばれ、ウラジーミル・プーチン

吉行淳之介の短篇「あしたの夕刊」とつのだじろうの漫画『恐怖新聞』、それに石川淳、ムソルグスキー

 下記のアンソロジーを読み終えた。

 

名短篇、ここにあり (ちくま文庫)

名短篇、ここにあり (ちくま文庫)

 

 

 これは11年前に出た文庫本だが、松本清張の「誤訳」が選ばれているので図書館で借りて読んだ。もっとも、「誤訳」は既に読んだことがあった。短篇集『隠花の飾り』に収録されており、この本は3年前、2016年2月に読んでいた。

 

隠花の飾り (新潮文庫)

隠花の飾り (新潮文庫)

 

 

 この短篇集については、清張がトーマス・マンの小説からの盗用を疑われた経験に基づいた「再春」についてのみ、下記記事で取り上げた。まだこの読書ブログを開設する前に『kojitakenの日記』に公開した記事。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 今回読んだ短篇集の話に戻ると、今回は清張作品についてはパスして、吉行淳之介の「あしたの夕刊」を取り上げる。翌日の夕刊、つまり未来の出来事が書かれた新聞が配られてきたという、昔どっかの漫画で読んだような話で、それを思い出したからだ。その漫画とは、つのだじろうの『恐怖新聞』だ。以下、Wikipediaから引用する。

 

恐怖新聞 - Wikipedia より

概要

つのだじろうによる恐怖漫画作品。『週刊少年チャンピオン』誌(秋田書店)において、1973年から1975年まで連載(全29話)された[1]。1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まる「恐怖新聞」によってもたらされる、不幸な未来の恐怖を描く。主人公・鬼形礼にまつわる長期的なストーリーと、鬼形が狂言回しとして登場する独立した短編作品からなる。(以下略)

 

あらすじ

石堂中学校に通う少年、鬼形礼(きがた れい)。彼は幽霊などの超常現象を全く信じていなかった。そんなある晩、午前零時に彼のもとに突然「恐怖新聞」と書かれた新聞が届けられる。その新聞には、霊魂の存在を実証する記事、または未来の出来事などが書かれていた。翌日、その記事は現実となってしまう。そして、級友から「恐怖新聞」にまつわる恐ろしい噂を耳にしてしまう。それは、「恐怖新聞」は1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まるというもの。その日から鬼形礼の恐怖の日々が始まった。(以下略)

 

 吉行淳之介の「あしたの夕刊」の方はどうかといえば、これは1966年1月号の『小説新潮』に掲載された短篇だが、なんと1935年に書かれた牧逸馬*1の絶筆「都会の怪異 七時〇三分」の紹介が長々と書かれている。この小説こそ、『恐怖新聞』の先輩格なのだ。以下「あしたの夕刊」から引用する。

 

 その小説の骨子は、主人公の男の家に、明日の夕刊が配達される、というところにある。

 その男のところにだけ、ある夕方、翌日の夕方に発行される筈の夕刊が配達される、という不気味な設定である。

 たとえば、十月二十五日の火曜日の今日、十月二十六日水曜日の夕方でなくては手に入らない筈の夕刊が配達されてくる。したがって、その新聞には、明日起る筈の出来事が既に印刷されている。明日の午後起る交通事故も、地震も、強盗も、人殺しも、あるいは遺失物を交番に届けた正直な運転手のことも、みんな既に今日の午後に分ってしまっているのである。

北村薫宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』(ちくま文庫2008)180-181頁)

 

 ところが、主人公は奇妙なことに気づいてしまう。以下引用を続ける。

 

 小学生だった彼にとって、その設定は不気味な魅力に溢れているようにおもえ、たちまちその作品世界に引入れられたのであるが、一つ奇妙なことに気付いた。

 作者牧逸馬は、明日の夕刊の日付について、誤りを犯している。たとえば、その夕刊が十月二十五日火曜日に配達されたとして、その日付を、

「十月二十六日、水曜日」

 と、書き記しているのである。

 当時では十月二十五日に、万一翌日の新聞が配達されたとしたら、その印刷された日付は、

「十月二十七日、木曜日」

 でなくてはならない。

(前掲書181頁)

 

 これは確かにその通りだ。現在でも三大紙の最終版は朝刊が14版で夕刊が4版になっていると思うが、半世紀近く前に確か『少年朝日年鑑』で知った記憶によれば、その日付の新聞の最初の版が夕刊の1版で、以下3版までが夕刊、4版から13版までが朝刊だった。そして1版から3版までは最初は翌日の日付が印刷されていた。その後、おそらく戦後に夕刊が復活した時のことだろうが、当日の日付が印刷されるように変わったが、版数は昔のまま朝刊の方が夕刊より大きな数字になっている。考えてみたら、14版のあとに4版を読むなんて変な話だ。

 「都会の怪異 七時〇三分」が書かれた1935年には、夕刊には翌日の日付が印刷されていたから、牧逸馬は誤りを犯していたのだ。それはその通りだが、吉行淳之介はそんな小説執筆時点から30年前の小説の誤りを指摘して、そこまでで小説の半分を費やしている。

 なお編者の北村薫宮部みゆきの昔の夕刊の日付については知らなかったらしい。文庫本巻末に収められた対談で語られているが、ネットでも当該部分を参照できるので、以下にリンクを張って引用する。

 

www.bookbang.jp

宮部 それと、吉行さんの「あしたのタ刊」は私、好きですねえ。

北村 これも面白かった。最初は女性のことも出てこないし、吉行さんらしくない作品かなと思ったんです。しかし、読んでみると、非常にすぐれたエッセイストであり、座談の名手であった作者の一面が覗(のぞ)ける作品のような気がして、これもいいなと。勉強になったのは、この頃の夕刊のシステム。

宮部 あれは私も知りませんでした。日付が今と違っていたという。

北村 十月二十五日の夕刊には、翌二十六日の日付が入るものだったんですね。そういうシステムだったとは、ちょっと調べもつかないし、ここで読まなければ知りようもなかった。作品のアイディア自体はよくある発想なんだけれど、エッセイ的な書き方をしていて非常に面白い。

宮部 確かに、海外のショートSFなんかでは珍しくない素材ですが、それをどういうふうに落とすのかなと思ってると、「あ、この手があったか。ここへ案内するのか」というラストに導かれる。私、昔から吉行さんの『恐怖対談』が大好きで、吉行さんの怖い話好きが、こういう作品に結びついたんだなと感じながら読んでました。

北村 私にとっても意外な発見となる短篇でした。「あしたの夕刊」も決まりですね。

 

 ここで北村薫が「作品のアイディア自体はよくある発想なんだけれど」と言っているけれども、実際私も、同様の例として石川淳の「鷹」を知っている。以下ネットで見つけた記事にリンクを張って引用する。「鷹」は1953年の作品だ。

 

honcierge.jp

万人の幸福のために!石川淳の革命的小説『鷹』

 

たばこの専売公社に勤めていた国助は「万人の幸福のためにもっとも上等のたばこをつくり出したい」と思ったためにクビにされてしまいます。仕事を失った国助は古ぼけた食堂で出会ったKに紹介され、運河のほとりにあるたばこ工場で働き始めます。そこでEという人物や、キュロットに長靴をはいた少女と出会い話は進んでいきます。

 

働き始めた工場では「明日語」という言語が使われていて、「明日語」によって明日起こる出来事を予告した新聞がすられているのです。国助もまたその「明日語」の入門書を渡されます。

 

未来がわかってしまう「明日語」や、ラストの終わり方などはファンタジーを読んでいるような気分になります。しかし幻想的な表現と反して、現実の秩序に対して戦う人間の姿をテーマに戦後の平和運動に絡めて書かれた石川淳の作品でもあります。

 

当時、発禁処分や文学会からの弾劾を受けた石川淳は「小説とはなんなのか」と存在意義を問いかけ、物語の中では万人の幸福を願う個人の思想を、秩序によって弾圧してしまう社会に対する革命へ向かう主人公の姿を力強い文体で、美しく描き出しています。

  

 石川淳が発禁を食った小説とは、辺見庸がよく言及する「マルスの歌」のことだろう。そもそも私が石川淳を読むようになったきっかけは、2008年に大阪で行われた辺見庸の講演会を聴いたことだ。亡父が持っていた岩波書店版の『石川淳選集』全17巻のうち、小説と戯曲を収めた第1巻から第10巻まではすべて読んだ。「マルスの歌」は第1巻に、「鷹」は第4巻にそれぞれ収録されている。石川淳は明らかに左翼志向の作家だったが、中国の文化大革命にはあとになってではなくリアルタイムで批判していたことも良い。亡父は晩年には極右だったのにそんな石川淳を愛好していたのも個人的には感慨深いものがある。なお、岩波の石川淳選集は旧字旧仮名遣いによるが、これは生前の作家の強いこだわりによる。現在の文庫本で読める石川淳はことごとく新字新仮名遣いであるのが私には大いに不満だ。

 話を吉行淳之介作品に戻すと、牧逸馬作品の誤りを指摘した後の後半が吉行の創作になるが、そこでなんと「2週間後のプロ野球日本シリーズの結果」が印刷された新聞が登場し、許すべからざることにそこでは「パシフィック・リーグの優勝チームであるブルーソックスとのあいだで行われた日本シリーズで、ジャイアンツが四勝二敗で優勝を掴んだ」(前掲書187頁)などと書かれている。私が気色ばんだことはいうまでもないが、ただ「ジャイアンツ」(読売球団を指すのかどうかは知らない)が優勝を決めた第6戦で、同球団の山田外野手が怪我をすると2週間後の新聞記事に書かれていた。

 ここでまたまた思い出したのがつのだじろうの漫画『恐怖新聞』だったのだ。実はこの漫画にもプロ野球の話が出てくる。しかも、吉行淳之介の小説に書かれているような外野手の怪我どころではない、「東京ギャランツ」のエースと四番打者(その名も「王島」という)が死ぬという物騒な話になっている。以下Wikiepediaから引用する。

 

恐怖新聞 - Wikipedia より

 

原田徹治(はらだてつじ)プロ野球チーム、東京ギャランツの投手。「恐怖新聞」上で予言された通り、試合中に怪死する。

王島(おうじま)プロ野球チーム、東京ギャランツの四番打者。原田と同じく試合中に怪死する。

柴木勝彦(しばきかつひこ)東京ギャランツの選手。丑の刻参りをしていた女が残した呪符に名前が記載されていたため、次のターゲットではないかと疑心暗鬼になる。 しかし、鬼形と中神洋介が寺の住職に「呪い返し」を依頼したため、一命を取り留めた。

牧光則(まきみつのり)東京ギャランツの二軍投手。入団した時は将来の大投手と期待されていたが、練習中に原田の投げた球が当たり右手指を骨折、以降投手としては務まらなくなり打撃手に転じるも、今度は王島の打った打球が顔面を直撃した事で視力が減退し野球が出来なくなってしまう。また、そんな牧を見た柴木が「労務者でもやるしかない」と発言したのを聞いてしまい、ショックのあまり自殺してしまう。

牧信子(まきのぶこ)牧光則の妻。夫が自殺した事を受け、東京ギャランツの原田、王島、柴木を呪い殺すために丑の刻参りを行う。球場で柴木が呪いによって死亡するのを見届けに来るも、「呪い返し」を受けたため柴木の打球が顔面に直撃し、原田、王島と同じく怪死する。

 

 また、『恐怖新聞』を取り上げたブログ記事から引用する。

 

blog.goo.ne.jp

新聞の言う通り、新しい担任の綾子と、転校生・中神という女子生徒が来た
兄・洋介は新聞記者で、有名な野球選手の原田が死ぬ予告を聞いて一緒にナイターに行こうと言う

予言通り、原田は打球が顔面に直撃して即死するが、
死因はボールが当たる前に額に釘を刺したような傷のせいで、
連続写真で確かめると、凶器が他から飛んできた形跡は写っていない

兄妹が礼の部屋で話していると、新聞が届き、霊感の強い妹にはその文字が読めるという
そこには、また同じチームの4番・王島選手も同様の謎の死を遂げると予告

(その下の記事には、九州で起きた事件をつのださんのせいにした記事を載せた新聞や雑誌があり
 取材もせずに談話を捏造したり、発言内容を捻じ曲げて載せたりするほうが
 よほど恐怖で悪質では?と書かれている

前回より万全の準備をして試合を見に行くと、王島はやはりボールが当たる前に死ぬ事件が起きる
その夜の新聞には、事件の鍵を握る人物に礼が会うと書いてある

言われた神社に行くと、女が木に釘を打ち込んでいて、
ロウソク、一本歯のゲタ、五徳、次の標的の柴木選手の名前の書かれた呪文の紙が見つかる

新聞社で調べると、これらは「丑の刻参り」に使う道具だと分かる
真夜中の午前2時に、呪符に呪い殺したい名前を書き、藁人形に貼り付け、神社で相手を呪う術

(これは「八つ墓村の祟りじゃあ!」の横溝系かっ!?

 

呪いをかけている姿を他人に見られると術は破れるから、次の試合は大丈夫だと分かったが
新聞にはまた呪いがかけられたとあり、行くと、礼は女に捕まる

女は礼に夫・牧はギャランツのチームメイト3人に殺されたと話す
牧は将来を期待される名選手だったが、それを妬んだ原田の球が指の骨を砕き
ピッチャーからバッターになった時には、王島が妬んで打球が顔面に当たって視力が落ち
野球が出来なくなってしまった

柴木は「学生時代から野球しかやらない二軍選手なんて潰しがきかないから労務者でもやるしかない」
と言ったのを聞いて、夫は自殺した

女は再び術を始め、礼は防ごうとして手に釘を打たれる
犯人が牧選手の妻と知り、柴木は「運命に従うよ グラウンドで死ねたら本望だ」と試合に出る

礼らは術の解き方を教わる
和紙を折って人型を作り、呪文を唱えて、
大吉の方角にある海か河に流し、振り向かずに立ち去る

なんとか間に合って、試合に行くと、牧の妻はバックスクリーンの塀の上に立ち高笑いしていた
超常現象を認めない社会では、証拠不十分で無罪になるため

だが、柴木の打った球が急に角度を変えて額に直撃 額に穴が開いて死んだ

その夜の新聞には真言のろいがえし」で女が死んだと書かれている

 

 要するに、犯人の夫だったプロ野球選手の「牧」を自殺に追い込んだ一番悪い奴である「柴木」*2だけ生き残るという外道なストーリーだった。なお、ブログ記事には言及されていないが、ギャランツの対戦相手は中部ドリアンズという設定で、これは明らかに中日ドラゴンズをもじった球団名だろう*3

 上記ブログ記事には、その直後に「ムソルグスキーの『展覧会の絵』を弾くと鍵盤から血が溢れ出す」話に言及があるが、中学1年生でまだクラシック音楽を聴く習慣のなかった頃に『週刊少年チャンピオン』を立ち読みした私は、この『展覧会の絵』に怖気をふるったものだ。ところが、のちに実際に『展覧会の絵』を聴いてみると、本当にグロテスクな箇所が結構ある音楽だった。ことに第4曲の「ビドロ」は、従来「牛車」を意味するとされていたが、初めて聴いた時から「ずいぶん恐ろしげな音楽だなあ」と思ったものだ。シャープが5個もある嬰ト短調で書かれたこの曲は、譜面からして(実際に見たことはないが)ダブルシャープが頻出するとげとげしいものであるに違いない。また、「ビドロ」が終わったあとに演奏される「プロムナード」は、それまで3度出てきた時の長調ではなく、打ちひしがれたようなニ短調で演奏される。

 このような「ビドロ」に私はずっと禍々しいものを感じていたのだが、その想像が正しかったことを証明したのが1991年に放送された『NHKスペシャル』だった。以下、Wikipedia及びピアニストの方が書いた文章から引用する。

 

展覧会の絵 - Wikipedia より

またハルトマンの絵についても、1991年に日本のNHK團伊玖磨の進行でスペシャル番組「革命に消えた絵画・追跡・ムソルグスキー展覧会の絵”」を放送した。ハルトマンの絵のうち『展覧会の絵』のモチーフとなったとされる10枚の絵をすべて明らかにする、という『展覧会の絵』の謎解きの核心にせまった番組であった。こちらについては絵柄と楽想の乖離や、学問的な手続きが不十分であるという批判もあり、曲と絵との関連性がすべて明らかになったとは言えないが、それまで曲に比べてハルトマンの絵の研究はほとんどされていなかったので先駆的な仕事であったと言って良い。また「ビドロ」という言葉の意味(ポーランド語の"bydło"には「牛車」の他に「(牛のように)虐げられた人」の意味がある。ガルトマンがポーランドで描いたスケッチのタイトルは『ポーランドの反乱』)や音楽的な印象などから絵を推理していく「面白さ」は画期的であった。

 

http://www.takashi-sato.jp/pnote/mussorgsky_paae.html より

 第4曲「ビドロ」 ビドロとはポーランド語で「牛車」の意味だが、そのような題名の作品は遺作展のカタログに掲載されていない。 前述のNHK取材班はビドロに「家畜、虐げられた人々」という意味があることから、ポーランドでの処刑の場面を描いた絵画を題材として挙げ、 当時の悲劇的な社会状況を密かに告発しようとしたのではないか、と推測している。低音を多用し、重々しい足取りで進んでいく一種の行進曲である。
 プロムナード 全曲の重苦しい雰囲気を引きずりながら慰めるように始まり、軽やかな次の曲を予感させる。

 

 「プロムナード」に「全曲」と書かれているのは「前曲」のtypoだろう。

 私は当該『NHKスペシャル』を見ていたが、NHK取材陣の推測は正鵠を射ていたと思う。

 つのだじろうが惨劇を引き起こす音楽に『展覧会の絵』を選んだのはいくらなんでも偶然だろうが、背筋が寒くなる話だ。

 以上、吉行淳之介の「あしたの夕刊」に込められた作者本来の意図には何も言及しないままこの長ったらしい記事を終えるが、「あしたの夕刊」自体に言及した記事として下記ブログ記事にリンクを張っておく。

 

ballpenman.jugem.jp

*1:他に林不忘谷譲次ペンネームを持つ。本名・長谷川海太郎(1900-35)

*2:柴田勲を連想させる名前だが、「しばき隊」の「しばき」でもあり。関西弁の使い手にとってはきわめて語感の悪い姓でもある。

*3:リアルの世界では、この漫画が連載されていた1974年に中日が読売の10連覇を阻んだが、同じ年に漫画の世界では読売の馬場蛮がマウンド上でライバルの中日・大砲万作を打ち取ると同時にマウンド上で死ぬという出来事も起きた。のちリアルの中日ドラゴンズ大豊泰昭が入団した時(1988年)には『侍ジャイアンツかよ』と思ったものだ。この時期に読売のライバルとして中日が頻出したのはもちろん中日がそれだけ強かったからで、のちヤクルトスワローズが初優勝した1978年には『新・巨人の星』で花形満がこの年最下位だった阪神タイガースにではなく、ヤクルトに所属していた。

小松左京「眠りと旅と夢」(1978)に「携帯電話」が出てきた

 まず現在読んでいる本から引く。

村上さんのところ (新潮文庫)

村上さんのところ (新潮文庫)

 

 

 この本は473件の質問に村上春樹が答えるという趣向で、その後プロ野球セ・リーグヤクルトスワローズが優勝することになる2015年の1月から4月まで質問が受け付けられた。93番目の質問「カープは大盛り上がりですけど」に対して村上はヤクルトの順位予想を5位としているが、これを見て「勝った」と思った。なぜなら私は2015年には強気の順位予想をして優勝もあり得ると確かこの日記に書いたはずだからだ。その根拠は、2年連続最下位になった前年の2014年、ヤクルト打線の破壊力はすさまじかったからだ。それをぶち壊しにした投手陣の崩壊もまた半端でなかったわけだけれども、これは投手陣が整備されれば行ける!と思ったのだった。すると、秋吉、ロマン、オンドルセク、バーネットが1イニングずつ投げる「勝利の方程式」が見事にはまるという奇跡が起きて本当に優勝してしまったのだった。その前後の2年ずつが最下位、最下位、5位、最下位だったからいかに奇跡的な優勝だったかがわかる(昨年は2位だったけど今年はどうかな)。セ・リーグでは1960年の大洋ホエールズ以来だろう(ホエールズは6年連続最下位のあと突如優勝し、翌年また最下位に落ちた)。

 いや、プロ野球の話をするつもりなどなかったがついつい。本論はここからで、369番目の質問を以下引用する。

 村上さん、こんにちは。出版社で校正の仕事をしています。

 私の担当している文芸誌では、単純な誤字脱字や事実誤認を指摘する以外にも、「この人物は右利きのはずですが、左手でサインをしています」とか、「携帯電話が出てきますが、この地代にはまだ発売されていないはずです」とか、内容についての細かい「つっこみ」を入れることも校正の仕事のひとつとされています。(後略)

村上春樹村上さんのところ新潮文庫 2018, 467-468頁)

  なんと、この校正者自身が「時代」を「地代」と誤記してしまい、村上春樹

校正者の間違いを指摘するのは作家にとっての無情の……じゃなくて無上の喜びです。

村上春樹村上さんのところ新潮文庫 2018, 468頁)

と突っ込まれてしまったのだが、それはともかく、読んだばかりの昔のSF小説に携帯電話が出てきたことを思い出したのだった。その小説は、今日図書館に返しに行く予定だが、小松左京の「眠りと旅と夢」(1978)であって、文春文庫から2017年に新装版が出た短篇集『アメリカの壁』に収録されている。表題作のタイトルから連想される通り、アメリカ大統領・トランプの出現を40年前(1977年)に予言した小説だと小松左京ファンが言い出したのをきっかけに話題となって復刊された本だ。

 

アメリカの壁 (文春文庫)

アメリカの壁 (文春文庫)

 

  どのあたりに携帯電話が出てたっけ、と思って開いた頁にたまたま出ていた。120頁だった。なんたる偶然(まあ他の頁にも出てきたのかもしれないが)。以下引用する。

 僕のポケットで、携帯電話の呼び出し音がピーッと鳴ったのはその時だった。小松左京「眠りと旅と夢」=文春文庫新装版『アメリカの壁』2017, 120頁)

 そりゃSFだから携帯電話が出てきても不思議はないといえばそれまでだが、本当に昔のSFに携帯電話が頻出だったのか、「SF 携帯電話」を検索語にしてネット検索をかけてみた。すると、正反対のことが書かれたサイトが2つみつかった。

 

aesthetica.hatenablog.com

 

 以下上記「はてなブログ」の記事(もちろん元は「はてなダイアリー」の記事だったはずだ。2005年の記事だからね)から引用する。

 

以前、田崎英明さんと話していて興味を持った話題に「どうしてSFに携帯電話のイメージが欠落していたのか?」というものがある。80〜90年代のSFやアニメではテレビ電話に類するイメージは盛んに出てくるが、携帯電話はまったくと言って良いほど出てこない。それはどうしてか、という問題だ。
もちろんテクノロジー的には携帯電話はトランシーバーの延長であり、それはSFにつきものである(腕時計に向かって喋るとか)。だが、街や駅で多くの人が歩きながら携帯で話をしている、という現代日本の日常生活の情景は、どんなSFにもアニメにも出てこない。つまり、今日のような携帯電話文化は、SF的には予測不可能だったということになる。なぜか?(後略)

(『aesthetica's blog』2005年12月28日「どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか?」より)

  ところがどっこい、反証がみつかってしまったわけだ。校正者の間違いを指摘した村上春樹の気分になれたかも。いささか悪趣味かもしれないが(笑)。

 

 一方、こんなサイトもみつかった。

 

logmi.jp

 

 上記サイトによると、「携帯電話は『スタートレック』から生まれた」とのこと。以下引用する。

 

AT&T社といった電話会社が技術改善に取り組んでいましたが、遥かに自由に動かすことのできる新たな通信方法を編み出したのはMotorola社の技術者であり役員だったマーティン・クーパーでした。

1970年代のある日、クーパーは考えてばかりで煮詰まっていたため、休憩を取ることにしました。ソファーでくつろいで、ジーン・ロッデンベリー作のテレビドラマ『スタートレック』を見ることにしたのです。

そのエピソードではカーク船長がもちろん窮地に立たされており、携帯型のポケット通信機を取り出し、ブリッジ(指令センター)に連絡していました。

クーパーの頭の中でアイディアがひらめきました。カーク船長は交換台に電話の取次ぎをしてもらう必要もなければ、小さく粋な通信機は輸送シャトルにつながれてもいない。ただ手中にすっぽりと収まって、機能しているのです!

未来の電話通信は、巨大な通信網に支えられた、1対1のやり取りができる小型携帯機器によって行なわれる必要があるとクーパーは確信していました。他の人にとってはスタートレックに登場する技術など夢物語に過ぎませんでしたが、移動通信技術界の第一線に立つクーパーにとっては具体的な目標でした。そして、彼はそれを実現させたのです。

初めての携帯電話からの通話は、1973年にクーパー自身によって行なわれました。ニューヨークの歩道で、「Dynatech(ダイナテック)」と名付けられた巨大な長方形の通信機から電話した先は、競合相手であるベル研究所でした。ライバルに勝ち誇るように。

1980年代半ば、ダイナテックは市場で売り出されました。通話可能時間はわずか30分。80年代の映画にしばしば登場した、ウォール街の重役やパステルカラーの服を身にまとった麻薬密売人が使っていた巨大なモノ、覚えていますか? あれからずいぶんと進歩しましたよね。私の携帯は今やプロンプター(原稿表示装置)のリモコンとして機能していますから。スタートレックに感謝です。

(『ログミー』より)

 

 「初めての携帯電話からの通話は、1973年にクーパー自身によって行なわれ」たというのなら、1977年末か78年初めに小松左京が書いた小説に携帯電話が出てきても不思議はない。

 

 また、下記Togetterも挙げておく。

togetter.com

 

 上記サイトからSF作家・笹本祐一のツイートを拾う。

 

 

 そういや大阪万博には私も昔行ったが、そうか万博か。小松左京が万博に深く関わったことはよく知られている。それで携帯電話が小説の中に自然に出てきたわけか。

 

 一方、下記の人のツイート(元ツイートのURLはたぐれなかった)は的外れ。  

しめすへん@ネ人造人間 @shimesuhen 2015年10月11日

携帯電話の普及ってのは大規模なインフラ整備があって初めて成り立つもので、需要がないところに金をかけても普及しないというのが一般的な考え方。実際には供給によってはじめて需要が発生する場合もあるがそういうのは社会学の領域。SF作家は科学にはこだわっても社会学には拘らないので携帯電話の普及は予測できなかったということ

 

 なお、『アメリカの壁』には表題作と「眠りと旅と夢」の他に、「鳩啼時計」「幽霊屋敷」「おれの死体を返せ」「ハイネックの女」の計6本を収める。この中で、評判になったという表題作「アメリカの壁」は、そりゃトランプを予言したといえばそうかもしれないが、そんな大した作品とは思えず、むしろ「眠りと旅と夢」の方がずっと良いと思った。また「鳩啼時計」で特殊相対性理論に基づく時間の遅れをモチーフにするなど、小松左京は京大文学部卒業ながら同じ御三家の星新一(東大農学部卒)や筒井康隆同志社大学文学部卒)と比較してもっともSFらしい小説を書いた人だったのではないか。筒井康隆の後期作品などは、いかにも文学部的な実験作だよなあと思う。それはそれで面白いのだけれど。このあたりは、前出の『村上さんのところ』の380番の質問への答えで村上春樹が言っている、ハイドンモーツァルトの関係に似ているかもしれないとふと思った。以下、『村上さんのところ』から引用する。
 

(前略)ハイドンって、古典音楽の典型みたいに言われることが多いですが、よく聴くと意外にラディカルなところがあります。理系っぽいというか、モーツァルトの同種の音楽と聴き比べると、その「理系の魂」みたいなのが、わりにくっきりと見えてきます。モーツァルトのような神がかり的な深みはないんだけど、構築性への執拗なまでのこだわりが、しばしば僕らにポストモダン的な快感をぐいぐいと与えてくれます。もちろん演奏にもよるんですけどね。

 グレン・グールドが1958年に録音したハイドンのピアノ・ソナタ変ホ長調(Hob.XVI:49)をお聴きになったことはありますか? とても面白い、鮮やかなハイドンです。

村上春樹村上さんのところ新潮文庫 2018, 483頁)

 

  これを読んで、そういや30代の頃にハイドンの実験的な交響曲を収めたブリュッヘン指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の5枚組「ハイドン・疾風怒濤期の交響曲」を輸入盤で買って聴き、はまりまくったことを懐かしく思い出した。疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)期といっても、ハイドンの場合はどこまでも理知的で、上記CDに収録された19曲の交響曲のほとんどに、何かしら実験的なところがある。ハイドンはこの疾風怒濤期というか中期と、村上春樹が「構築性への執拗なまでのこだわり」があると指摘した晩年の作品(交響曲のロンドン・セットまたはザロモン・セット、作品76, 77の弦楽四重奏曲、Hob.XVI:48 以降のピアノソナタなど)が良く、その中間にやや中だるみ気味の期間があるというのが私の印象だ。村上春樹が挙げた変ホ長調ピアノソナタ(Hob.XVI:49)についていえば、一般には同じ変ホ長調の最後のソナタ(Hob.XVI:52)の方がハイドンソナタ中の最高傑作とされているようだけれども、大ピアニストたちに好む人が多いのはこの Hob.XVI:49 の方で、私も大好きな曲だ。グールドの58年盤、これにはモーツァルトハ長調ソナタ(K.330)と同じハ長調の「幻想曲とフーガ」(K.394)が収められていて、私も持っている。昔はモノラル録音のバージョンが発売されていたのが後年にステレオ録音のテイクが発売されたものだったか、それともモノラル録音のものだったかは長年聴いていないので覚えていない。一度物置きから引っ張り出して聴いてみよう。私がこの曲で主に聴いていたのはルドルフ・ゼルキンの演奏だった。

  モーツァルトにもそれこそ革命的な音楽は結構あり、有名なト短調交響曲(K.550)のフィナーレなどその最たるものだと思うが、この楽章の展開部などまさしく「鬼気迫る」音楽であり、それはデーモンに突き動かされて書いた、という表現がぴったりくる。それと比較すると、ハイドンはあくまで理知的なのだ。その実験精神は、わかる者にはわかる。

 そして、昔筒井康隆にはまったことがある一方、小松左京は没後になってようやくいくつかの作品を読んだだけの私は、これから小松左京を再発見しても良いかもしれないと思った。

 ところで、『アメリカの壁』の巻末に小松左京の息子さんである小松実盛氏の解説文が載っている。そこで紹介された1978年頃の小松左京の心境がまことに興味深い。以下引用する。

 

 小松左京は、空想の世界だけでなく、漠然とではありますが、実際に宇宙に行けると思っていたようです。いずれ、人類は本格的に宇宙に本格的に進出するだろう、けれど、その乗船名簿に自分の名前はない。(中略)

 人として生まれたことによる制約、老いてやがて寿命が尽きるという制約が、長年いだいてきた夢を無にしようとしている。

 その焦り、虚しさは、これ以降の小松左京の物語の端々から感じられます。

 そのアプローチの一つの道が、「眠りと旅と夢」に込められています。

 人としての限界を悟りながら、それでも、どうしても宇宙とその真実に触れたい。

 眠り、虚空を旅し、壮大な夢のなかで生きるミイラは、小松左京自身の願望の投影であるともいえます。

小松左京アメリカの壁』文春文庫新装版 2017, 358頁=小松実盛氏の解説文)

 

 小説を書いた当時46歳だった小松左京はそんなことを思っていたのか。私は当時高校生だった。70年代後半といえば、高度成長期の負の側面だった公害もやや収まり、世界における日本の地位も、歴史上もっとも高かった頃だ。今の40代、50代以上の人間の多くは、後退を続ける一方の「崩壊の時代」のこの国を、自分たちの世代の責任を思いながらも呆然と見ているのではないか。焦りや虚しさよりも後ろめたさが感じられてならない今日この頃だ。